第15話 どうやって旦那様の寝室に入ったのか
「何も読むものがないのなら、と思ったのだが」
「ありがとうございます!旦那様が好きな物語なのですか?」
私は旦那様が差し出してくださった絵本を、いそいそと受け取った。
「ああ。よく母が読んでくれた」
結婚式で着た白いドレスを思い出す。
あのドレスを着ていた人が、この本を旦那様に読んであげたのだ。
表紙には、遠くを見つめる騎士と、白いドレスを着て微笑む少女の絵が描かれていた。
「光の戦士の物語だ。知っているか?」
「いいえ。どのような話ですか?」
表紙の二人を眺めながら聞いた。
「古いお伽話が元になっている。ある少女の元に、どこからともなく光の騎士が現れる。誰にも見えず、誰にも触れられない、その少女にだけ見え触れることの出来る戦士だ」
私は絵本から顔を上げ、旦那様を見た。
旦那様は闇に隠れた顔を私に真っ直ぐ向けたまま、説明を続ける。
「光の戦士は闇を倒すために少女の助けが必要だった。少女は戦士と共に、闇を倒す戦いに行くのだ。二人は闇を倒し、最後は皆、幸せになって終わる」
これは探りを入れられているのだろうか。
信じてもらえないから説明をしていないだけで、隠してはいないのだ。
私は、よくチルちゃん達を眺めている。
だから、そこに何かがいるかもと、思ったのかもしれない。
良い傾向だわ、と私は思った。
わざわざ探りを入れに来てくれるなんて。
以前の旦那様なら、私に探りを入れる事もなく、遠くから監視だけしていたに違いないのに。
少しは私に気を許してくれたのかもしれない。
よし。
と思っていると、旦那様に、
「気分は?目眩はしないか?」と確かめるようにまた聞かれた。
「気分はいいです。目眩もしません」
「ルイスは?」
「あ、俺もです」
「そうか・・・」
その時、階下でドアを叩く音がして、
「エルビスが来たようだ。失礼する」と、旦那様は行ってしまった。
ルイスが「公爵様は変わったよな」と呟いた。
「どういう事?」
「どういう事って・・・絵本を自分で誰かに渡すなんてさ。公爵様が自分から誰かに近づいてくるのは初めて見た。前はさ、そんな事絶対にする方じゃなかった」
ふんふん。
「前の旦那様はどんな方だったの?」
「どんな方って、よく分からないよ。大抵、遠くにいたし。でも、いるだけで怖くてさ。呪いは見えないけど、絶対にあるんだ。あんな恐怖は公爵様といる時だけだ。公爵様は俺たちを呪いから守ろうとしてた。だからいつも俺達と距離をとってたんだ。その公爵様があんなに近くに来て普通に喋ってるなんて、嘘みたいだ。全然怖くないし。あんな顔してさ」
まただ!
「・・・あんな顔って、どんな顔なのよ」
今日こそは、はっきりさせてみせる。
「あんな顔はあんな顔だよ。見ただろ」
「よく見てなかったから聞いてるの。あんな顔ってどんな顔なの?」
「えーだから、前の顔と違うっていうか」
「だから前の顔ってどんな顔よ!」
追求したけれど、全然分からなかった。
誰か!誰かこの男に表現力を!
そうだ。チルちゃん達なら見ていたかもしれない。
チルチルとしか話せないチルちゃん達の方が表現力はあるかもしれない。
期待して机の方を向いたけれど、チルちゃん達の目は私の手元に釘付けになっていた。
え?これ?この絵本?
「チルチルチル!」
絵本を机に置くと、皆で囲んで表紙を眺め、遠くを眺める騎士を指差し、「チルチルチル!」と目を輝かせ、自分を指差した。
あ、なるほど。
この騎士が自分達だと言っているのね。
光の戦士かあ。
うーん。
確かにチルちゃん達のやってる事は、その絵本の光の戦士と同じだけれど、うーん、丸々とした小さい男の子の姿のチルちゃん達が、この大人で筋肉の立派な騎士様と同じかと言われると、うーん。
それでも早く絵本を開けろとせがまれて、みんなと一緒に絵本を読んだ。
騎士の姿の光の戦士様は、憂いに満ちた大人の表情をして、可憐な美少女に助けを乞うのだ。
そして二人で旅に出て、闇を倒す。めでたし、めでたし。
チルちゃん達は、何度も騎士様を指差して私を嬉しそうに見上げるけれど、うーん。
私もこんなに可憐な美少女じゃないし、うーん。
うーん。
結局三回みんなで読んだ。
その後、そろそろ旦那様の所へお茶を持って行って、闇討伐をしようと立ち上がったのだけれど、チルちゃん達はまだ絵本を読みたいらしく、皆揃って首を横にぷるぷる振った。
ふんふん、なるほど。
では、これでどうかしら。
私は右手を挙げてチルちゃん達にかざした。
不思議そうに私を見つめるチルちゃん達。
私は絵本の騎士様のような憂いに満ちた表情で、
「光の戦士達よ」と言った。
「え?何?突然何言ってんの?奥様」
ルイスは間の抜けた声で言うけれど、チルちゃん達は途端にハッとした顔をして立ち上がった。
さあ、行くのよ光の戦士達。
私が頷きかけると、チルちゃん達はキリリとした顔をして、素早く机から降り始めた。
かわいい。
そしてチョロい。
どうしてチルちゃん達の方まで、ルイスに似てきているのだろう。
私は、どちらも丸々と太らせればいいのだろうか。
「何してるの?ねえ、さっきから何してるの奥様」
騒ぐルイスの前で、そっと絵本を閉じると「旦那様にお茶を差し上げないとね」と図書室から出た。
光の戦士達と共に!
もちろん、執務室の闇なんて、あっと言う間にやっつけた。
さすが、光の戦士達!
☆
あんな絵本があると言うことは、チルちゃん達や私のような存在は、昔からあったのかもしれない。
そして今も、何処かに同じような存在があるのかもしれない。
そしてあの絵本の可憐な美少女は実は大食いで、大人な騎士様の鎧に隠れたお腹も、実はぷっくりしているのかもしれない。
でも、事実かどうであれ、今ここには可憐な美少女じゃない私と、丸々としたチルちゃん達しかいないのだ。
旦那様の闇は、私達でどうにかしないといけない。
そろそろ私は覚悟を決めないといけないのだ。
旦那様の顔を覆う闇は、チルちゃん軍が総攻撃をどれだけしても消せなかった。
直接攻撃では消せないのかもしれない。
それならきっと何処かにあの闇の原因があるはずなのだ。
旦那様のご両親が亡くなっていたという、あの場所が怪しいと思う。
でも、それを確かめに行く前に、旦那様の塔の中の闇も全て消しておきたかった。
ここに原因がないと確信してから、あの場所へ行きたかった。
でも、この塔の中には、私がどうしても入れない部屋が一つあるのだ。
そこの闇がこの塔の中で、一番濃いはずだけれど、入りたいと、なかなか言い出せない場所なのだ。
私は覚悟を決めないといけない。
旦那様から絵本を手渡された翌日、私はまた塔のドアを叩いた。
そして旦那様が現れるまで、目をぎゅっとつぶって自分に言い聞かせる。
一番重要なのは、旦那様の闇を消す事。
私の評判や羞恥心なんて、それ以下。
だからやる。
私はやれる。
旦那様がドアを開けてくれる。
「おはようございます、旦那様」
「おはよう、エルサ」
顔を闇で覆われた旦那様はそう言うと、私を塔に入れてくれる。
「今日も図書室か?」
階段を登りながら旦那様が言う。
「いいえ」
と私は言う。
「今日は旦那様の寝室に入れてください」
ガタン、ドタン、ガラガラガラ、と私の後ろにいたルイスが、階段を転げ落ちていった。
私と旦那様は、ルイスが「痛え」と立ち上がるのを確認してから、お互いの顔を見た。
旦那様は私の方へ顔を向けていたから、多分私を見ているのだ。
旦那様は何も言わない。
だから何を考えているのか分からない。
でも私は言わないといけない。
「旦那様もご存知の通り、私は光の戦士と共にいます」
私は考え抜いた言葉を話した。
「光の戦士は、この塔のほとんどの闇を倒しました。残っているのは旦那様の寝室だけです。私を、私たちを旦那様の寝室に入れてください」
旦那様が信じようと信じまいと、結局、真実が一番強いのだ。
探りを入れてきたくらいだから、この話に乗るかもしれないし。
さあ、どうするの旦那様。
旦那様はしばらく黙り込んだままだったけれど、ルイスがよろよろとまた階段を上がってきた後、
「では、エルサ。おまえを私の寝室へ案内しよう」と、言った。