第13話 塔の中へ
「おはようございます!エルサです!旦那様!開けてください!」
旦那様に会えた翌日、いつものように朝から塔の扉を叩き続けていると、扉が開かれた!
驚いた。
今日もまた開けてくれないと思っていたのだ。
扉を叩いていた手を上げたまま、驚きで固まっていると、扉を開けてくれた旦那様が、私を見下ろしていた。
また闇の中にいる。
でも、以前より、闇の量が少ない気がした。
塔の周りの闇を消して回ったせいだろうか。
それにしても、どういう心境の変化だろう。
無理やり抱きついたのが良かったのか、それとも名前を呼ぶ事が良かったのか、それとも無理やりあの場所へ行ったのが良かったのか。
どれ?心境の変化の原因はどれなの?
分かれば何度だってそれをやるつもりだった。
「また来たのか」
旦那様は呆れたようにポツリと言った。
「また来ました」
「諦めないのだな」
「諦めません」
「今日も駄目だと言ったらどうする?」
「明日来ます」
「そうか・・・」
旦那様の声には諦めが含まれていた。
良い傾向だった。
私はよく人を諦めさせているのだ。
「体調は?」
「良いです」
「目眩は?」
「目眩なんてした事がありません」
「そうか・・・」
そこでしばらく沈黙があった。
私は旦那様の顔の闇を眺めながら、待った。
顔が見られればいいのに、と思いながら。
「・・・私の塔に入りたいのか?」
「!はい!」
あれ?これはもしかすると入れてくれるのかもしれない!
やっと塔に入れるのかもしれない!
期待に胸を膨らませ旦那様の顔を眺めていると、旦那様が少し体を引いた。
「少しでも気分が悪くなったら、すぐ塔を出るのだ。約束できるか?」
「もちろんです。約束します!」
「大切な者の名に賭けて誓え」
大切な者?それはもちろん、
「マリーの名を賭けて誓います。少しでも気分が悪くなったら塔を出ます」
「マリーか」
旦那様がため息混じりで言った。
「マリーをご存知ですか?」
「ああ。直接会った事はないが、知っている」
どういう事?
疑問を顔いっぱいに出して見つめていたけれど、答えはもらえなかった。
旦那様は体を引き「入るといい」と言った。
やった!やった!
足元のチルちゃん軍を見ると、チルちゃん軍は、丸々とした顔をキリリとさせて、もう武器を構えていた。
今日はローズが悲鳴を上げるほど大量に朝ご飯を食べて来たのだ。
チルちゃん軍にも、たっぷりと魔力をあげている。
公爵家に来てから食糧事情がより良くなったせいか、私の魔力量が増えていた。
魔力の質も良くなったのか、チルちゃん軍が以前ほど頻繁に魔力補給に駆け込んでくる事も無くなっていた。
チルちゃん達の体も少し大きくなり、武器も少し大きくなっていた。
私達はより強くなっていた。
おまけに私が握りしめている小さなカバンには、料理長が入れてくれた飴がずっしりと入っていた。
塔に入れなければ、あの広場の闇を消しにいくつもりで、準備を万端にしてきたのだ。
大丈夫。私たちはやれる!
私と、栄光のチルちゃん軍なら必ずやれる。
チルちゃん軍が全て塔に入るのを見守った後、私は塔に入った。
旦那様は闇の向こうからそれを見ていた。
「ルイス。おまえも入れ。エルサの体調が悪くなったら、屋敷に連れ戻ってくれ。おまえも少しでも体調が悪くなったら、エルサと共に屋敷に戻れ」
「はい!」
塔に入る時、ルイスは一度息を大きく吸い、覚悟を決めた顔で入ってきた。
ここは、ルイスにとって、そういう場所なのだ。
☆
塔の中は簡素で、莫大な財産と権力を持つ公爵様の住処とは思えないほどだった。
壁につけられているのは、一昔前の型をした魔導ランプ。
赤い、チロチロとした頼りない灯りで塔の一階を照らしていた。
一階には家具らしいものは置かれていなかった。
レンガが剥き出しの壁には、無造作に剣が何本か立てかけられているだけだ。
床は、石造り。
階段は狭く古い木製だった。
闇が、呆れるほどたっぷりと、あった。
「こちらへ」
旦那様はそう言うと、軋む階段を登っていった。
後ろからチルちゃん軍が闇を消しながら続いていく。
その後に私が、ルイスは一番後ろからついてくる。
一番闇が濃かったのは一階で、階段を上がるほど闇は薄くなっていった。
薄いと言っても、十分濃い。
こんなところで暮らしているなんて。
階段を上がった先に、居間らしき部屋があった。
広くはない。
簡素なテーブルと椅子が置かれていた。
「紅茶でも入れよう。座ってくれ」
「俺がやります」
ルイスが慣れた様子で部屋の隅に置かれた道具をカチャカチャと触り出した。
きっとあれも一昔前の魔道具だ。
私は椅子に座り、辺りを見渡した。
ここにあるものは、皆古びていた。
なんとなく、マリーの家を思い出し、懐かしく思えた。
平民は新品の物なんてほとんど持っていないのだ。
チルちゃん軍はすでに部屋の闇を消し始めている。
それほど広くはない部屋だ。きっとすぐに終わる。
旦那様はテーブルを挟んだ向かい側に座った。
「気分は?」
「最高です」
「そうか・・・」
旦那様はしばらく黙り込んだ後、また話し出した。
「どうだ。塔に入った感想は?若い娘には面白くもない場所だ。あれほど毎日扉を叩いて、入りたがるほどの価値はない場所だと分かっただろう。だからもうここに来るのはやめなさい」
入りたがるほどの価値はない?
「価値はあります。ここには旦那様がいます」
「・・・?私はいるが、それがどうしたのだ?」
「ここに来れば旦那様に会えます」
「・・・私に会いたかったのか?」
「はい。もちろんです」
旦那様がまた黙り込んだので、旦那様の顔を覆う闇を眺めていた。
早くあの闇が消えるといいなと思いながら。
「何故だ」
良い声がポツリと言った。
「何故?と言いますと?」
「何故私に会いたいのだ?」
何故。何故?
何故って闇を消す為だけれど、それじゃあ闇がなければ旦那様に会いたくないのかと言われれば、そんな事はない。
会いたい。
会ってできれば顔を見たい。
その為に闇を消したい。
あれ?私は闇を消すために旦那様に会いたいのか、それとも旦那様の顔が見たいから闇を消したいのか、卵が先か鶏が先か、あれ?どっち?
どっちもだ!
「旦那様に会いたいから会いに来ているのです。何故と言われれば、それが答えです」
闇の説明が出来ない以上、それが私の答えで、それも私の本心だった。
また沈黙だ。
チルちゃん達は戦いを終えたのに、魔力を強請りに来る事もなく、部屋のあちこちで目を輝かせながらこちらを見ている。
紅茶の用意が終わったはずのルイスの方をチラリと見ると、両手で口を押さえ、目を輝かせながらこちらを見ている。
何故、ルイスは日々チルちゃんに似ていくのだろう。
日々私の側にいるからだろうか。
やっぱり丸々と太らせてしまおうか。
旦那様は、大勢に注目されているとも知らず続けていた沈黙をやっと終えた。
「エルサ」
「!はい!」
名前を呼ばれて、思わず笑みを浮かべてしまう。
あの良い声で、私の名前を!嬉しい。
「・・・私達が会うのは、今日で四度目だ」
「はい」
「私は会うたびに、おまえに酷い言葉を言ったはずだ」
酷い言葉?
何か言われたかしら?
「私を思い遣る言葉しか言われた覚えがありませんが」
「思い遣る?」
「はい。今日も言ってくれたではありませんか。気分は?と」
「・・・それは他の者にも言っている言葉だ」
「ええ。旦那様は他の方達の事も思い遣っているんです」
「・・・私は呪われている」
「ええ。でも、私は呪いに強いのです」
「呪いに強い?」
「はい。旦那様の呪いは、私に何も出来てないでしょう?私は呪いに強いのです」
正確には、私とチルちゃん軍が強いのだ。
消し切れてはないけれど、負けてない。
そしていつか必ず消してみせる。
部屋を見回すと、チルちゃん軍が、嬉しそうに「チルチルチル!」と跳ねていた。
「この呪いを甘く見てはいけない。父も母も呪いにやられたのだ。残っているのは私だけだ。私の周りの者達も、死に至りかけた事が何度もある。私は死神公爵と呼ばれているのだ。知っているだろう、エルサ」
重々しくそこまで話した後、不思議そうな声で、
「何故、おまえはこんな時でも、名前を呼ばれると、そんなに嬉しそうに笑うのだろう」と呟いた。
「何故って、そんな事決まってます。嬉しそうに笑うのは、嬉しいからです」
☆
黙り込んだ旦那様の前で、ぬるい紅茶を飲んだ後、塔から出た。
「いやあ!いいもの見せてもらったわ。すげー。奥様マジすげー。尊敬するー。俺、ドキドキしちゃったよ。俺も、あんなのやってみたいわあ。ああ、ローズ、俺の名前呼んでくれないかな。そしたら、俺、めっちゃ笑うのに。いいわあ。憧れるわ。マジでいいわあ。あの時の公爵様の顔も良かったよなあ」
あの時の公爵様の顔って、どんな顔よ!
どうして私がその顔を見られず、ルイスなんかが見てるのよ!
苛立ちの中、屋敷に帰った翌日から、旦那様は私を塔の中へ、すんなり入れてくれるようになった。