第11話 泣いたチルちゃん
「駄目だ。屋敷に戻れ」
長い沈黙の後、扉はあっさりと閉められた。
「さっ。奥様。公爵様もああ仰ってるんだ。屋敷に戻ろうぜ」
とルイスは言うけど、それは困る!
「開けてください!旦那様!お願い開けて!旦那様!」
私は叫びながら両手で扉を叩き続けた。
「なんだよ。どうしたんだよ奥様。やめろよ。また来ればいいだろ。しつこいのは嫌われるって。な、奥様。ここは一回引こうぜ」
とルイスは言うけれど、引くわけにはいかないのだ。
「旦那様!開けてください!旦那様!!」
ため息が聞こえ、扉が細く開けられた。
私はすかさず扉を掴み、大きく開いた。
中には旦那様と、取り残されていたチルちゃん!
チルちゃんはさっきまで旦那様の後ろに回って、一生懸命闇を刺していたのだ。
急に扉を閉められ、一人だけ扉の向こう側に取り残されてしまっていた。
チルちゃんは今、口を開けてポロポロと涙を流しながら、私に向かって両手を差し出していた。
駆け寄り跪き抱きしめると「チルチルチル!」と抗議するように泣いていた。
「ごめんね。もう大丈夫よ。一人にしてごめんね」
「チルチルチル!」
カツン、と足音がした。
旦那様の足が私に近づき、片膝をついた。
旦那様の顔が私に近づいた。
「そこに何かいるのか?」
良い声でそう言うと、片手を差し出し、私が抱きしめているものを触ろうとしてきた。
もしかして、と思ったのだ。
旦那様なら私以外触る事の出来ないチルちゃんを触れるかもしれないと思ったのだ。
でも旦那様の手は、スッとチルちゃんを通り抜けた。
そう。
当たり前だ。
チルちゃんは私以外には見えないし触れない。
でも、今、少しだけ思ったのだ。
旦那様にはチルちゃんが見えればいいのにと。
触れたらよかったのに、と。
私はチルちゃんを抱えたまま立ち上がった。
「何もいませんわ」
旦那様を見下ろし言った。
見えない人に、説明したって無駄なのだ。
それは昔から分かってる。
散々試したから分かっている。
「扉を開けてくださって、ありがとうございます」
私は旦那様に向かって微笑んだ。
「また来ます。だから、また扉を開けてください」
旦那様は片膝をついたまま、黙って私を見上げていた。
顔が見えればいいのに、と思った。
そうすれば、何を考えているのか分かるのに。
私はそういうのが得意なのに。
旦那様は静かに立ち上がると、
「駄目だ」と良い声で言った。
「また来ます」
お願いしているんじゃない。
さっきから私は予告をしているのだ。
まだ小さく「チルチル」と泣いているチルちゃんを抱きしめたまま、屋敷に向かって歩いていると、ルイスが私の後ろからしきりに話しかけてきた。
「なあなあ、あれって、駆け引きってやつ?すげー!奥様!あんたやっぱすげえわ。俺、公爵様にあんな顔で駄目だって言われたら、膝がガクガクして絶対言い返したり出来ないわ。奥様!あんた、すげーよ!」
うるさい。
旦那様のあんな顔が私には見られないのだ。
あんな顔が見られるルイスに、私は無性に腹が立った。
☆
私は旦那様の塔に日参した。
「おはようごさいます!旦那様!開けてください!」
開けてもらえなかった。
それで塔の周りの闇を消し続けた。
チルちゃん軍は毎日頑張っているのだ。
私は料理長にもらった飴を舐めながら、チルちゃん軍を見守っていた。
そんな私の後ろで、護衛という名のルイスはいつも五月蝿かった。
「なあなあ、奥様ってさあ、まじ根性あるよな。これだけ公爵様に無視されてんのに、全然諦めないのな。すげーよ。奥様。あんたすげーよ。正直なとこさ、公爵様って、すげーいい人だけど、怖くね?側にいると、ゾッとしねえ?なあ、奥様」
奥様なのか、あんたなのか。
ルイスは日を追うごとに、私への尊敬を深め、馴れ馴れしくなっていった。
「ゾッとなんかしたことないわよ」
「マジで?やっぱ、すげーな。奥様。俺なんか、公爵様の側でいると、段々足元から恐怖が上がってくるのな。目眩までしてくるんだよ。公爵様も俺たちがそうなるって分かってるから、あんまり近づかないようにしてくれるけどさ。公爵様の顔見てても、最初は、すげーいい男だなと思って見てんだけど、段々ゾッとしてくるんだ。やっぱあれが呪いなのかな」
ふんふん。旦那様はいい男。
「旦那様は、そんなにいい男なの?」
「何言ってんの?誰が見たっていい男だろ!公爵様よりいい男なんて見たことないぜ、俺」
私も見たいな。いいなあ。
「旦那様の顔って、どんなふうなの?」
「はあ?さっきから何言ってんの?そんなの見れば分かるだろ?」
ルイスは呆れた声を出すけれど、私には闇が邪魔で、旦那様の顔が見えないのだ。
「ルイスから見た公爵様の話が聞きたいのよ」
適当に誤魔化すと、ルイスはすぐに納得した。
「ああ、なるほど。男から見た意見を聞きたいんだな。女ってそういう事聞くの好きだよなあ。やっぱ、奥様も女だな」
このように、ルイスはチョロい。
「そうだなあ。公爵様は眉毛がキリッとしてて、目の形もいいよな。髪も睫毛も目も全部真っ黒だからさ、なんか、マジで絵みたいないい男だよな」
チョロいけれど、表現力がアレだった。
役立たずめ、と言った目でチラリと見ると言い訳を始めた。
「な、何だよ。公爵様をあんまり見てると、マジでゾッとしてくるから、そんなに見てられないんだよ。ゾッとしない、奥様の方が珍しいんだぞ。俺達もあんたみたいになれれば公爵様の訓練のお相手も、もっと長くできるのになあ」
訓練?
「訓練って、何の?」
尋ねると、ルイスは途端に、しまった!という顔をした。
そして露骨に目を逸らし「え?何?何の事?俺、そんな事言ったっけ?」と言い出した。
ふんふん。なるほど。訓練については口止めされているのね。多分、旦那様に。
私は口の中の飴をガリガリと噛み砕き、全てお腹に収めてしまう。
そして準備万端でルイスに向き直った。
「ローズって可愛いわよね」
「な、何だよ。急に。ローズは可愛いよ。当たり前だろ。それが何だよ」
「ローズとお話しは出来たの?」
「・・・出来たよ」
「何を話したの?」
「・・・もうすぐ雨が降りそうだ、とか話したよ」
「ローズはなんて言ってたの?」
「本当だわ早くバスケットをしまわなきゃ、って・・・」
「それで?」
「それで・・・俺がバスケット仕舞うの手伝ってやろうとしたら、あなたは奥様の護衛をしなければいけないのでしょうって怒られて・・・・」
「それで?」
「・・・それだけだよ」
「ふうん」
「!何だよ!」
「ローズともっと楽しくお話し出来るとしたらどうする?」
「どうするって、何だよ。どうするも何もないよ。話すよ。ローズと。何だよ」
「私、多分、上手くやれると思うの。ルイスがローズと楽しく話せる場所を作ってあげられると思うわ」
「そりゃ、あんたは奥様だからさ。出来るだろうけど。何だよ。急に」
ここからが本題だ。
「どこで訓練するの?」
ルイスは一瞬目を見開き、慌てて両手で口を塞いだ。
「塔の中?」
ルイスは私を睨んでいる。
「なるほど。外なのね」
ルイスの目がまた大きく開き、慌てて辺りを見回した。
分かりやすい。
ルイスが相手の訓練なら、座学の何かじゃないし、難しい何かでもない。
外でやるならきっと、
「剣の訓練なのね」
私の言葉にルイスが驚きの為か、瞬きを始めた。
私は更に続ける。
「何処でやってるの?」
ルイスは両手で口を塞いだまま、激しく首を横に振り続ける。
「あそこから行くのね」
塔の真後ろにある木々の隙間を指さすと、ついに両手を口から離し、
「何で分かったんだよ!」と、絶望的な目をして言った。
「教えてくれてありがとう。ローズとのお話しの場所は用意するわ」
「違う!俺は何も言ってないぞ。何も教えてない。何でバレたんだ?
俺、公爵様を裏切ったのか!?嘘だろ!」
崩れ落ちるルイス。
「裏切ってなんかないわよ。あなたは何も言わなかったじゃない」
私は優しく囁いた。
「で、でも、あんたに訓練のことがバレた。公爵様は、ご自分が外で剣の訓練をしているなんて皆に知られたら、皆が怖がって屋敷から出られないだろうって、秘密にするように言われてたのに。どうしよう。俺。どうしよう」
旦那様はまた人を気遣っている。
気軽に秘密を暴いたことを、少し申し訳なく思った。
「ルイスは悪くないわ」
「でも、俺!」
「本当に悪くないのよ」
ルイスに聞かなくったって、本当に最初から分かっていたのだ。
旦那様の騎士のような体つきは、どこかで鍛錬をしないと維持するのが無理だ。
塔の中で鍛錬をしているのかとも思ったけれど、訓練の相手をルイス達がしていると聞いて、塔の外だと思ったのだ。
塔の中なんて闇の濃い場所でルイス達が剣の相手を出来るわけがない。
ルイス達が何処へ行っているかなんて、塔の周りの地面を見れば踏み跡ですぐ分かる。
あそこに何かあると、最初から思っていたのだ。
だから、ルイスに聞かなくても分かっていたんだけれど、ちょっと意地悪をしたくなったのだ。
ローズと話したいばっかりに秘密を漏らしたように思わせてしまった。
私はルイスが少し羨ましかったのだ。
旦那様の顔を見られて、旦那様の側にいられて、旦那様の声で話しかけられて。
全てが羨ましかったのだ。
あと少し、うるさかった。
だから意地悪をしてしまった。
きっと闇のせいだと思う。
旦那様の顔が闇で見ない事以外、全部話して謝罪した。
ルイスは少し泣いていた。
チルちゃんみたいだった。
15話ぐらいで終わらせようと思っているのに、ついルイスが面白くなって長々とやってしまった。
公爵様の魅力も伝えなくてはいけないのに。ルイスめ。