戦場奇譚 鬼火
大戦中、池田氏は帝国陸軍電信隊の通信兵として北支に赴き、同地で終戦を迎えた。
これは敗戦直後、八路軍に捕らえられた池田氏が体験した話である。
八路軍とは現在の中国人民解放軍の前身で、日本敗戦直後に再開した中国内戦、所謂国共内戦では中国共産党軍として国民党軍と交戦した。
日中戦争で消耗した人員を補うため、軍民問わず多くの日本人抑留者は八路軍に徴用され、国共戦争に投入された。
池田氏も八路軍に捕らえられ、日本人として中国内戦を中国人と共に戦い抜き、生きて復員された珍しい経験の持ち主である。
池田氏は東京系と呼ばれる大本営との交信を担当しており、敗戦の入電が入った際は何とも言えない気持ちで報告を行ったという。
所属隊は八路軍に捕らえらたのち厳しい尋問を受け、各地から集められた日本兵と共にある収容所へ入ることになった。
収容所といっても粗末なもので、狭く寒い小部屋に何十人、何百人と押し込められていたそうだ。
抑留者たちは厳しい重労働を科せられ、体力の消耗激しく栄養失調者が続出。
力のある者も睡眠不足や凍傷で徐々に摩耗し、尋問や処刑で亡くなった者も合わせ多数の死者が所内で発生した。
ある夜、池田氏は八路軍兵士の怒号で目を覚ました。
三八で武装したパーローたちが急にバラックに打ち入り、起床ラッパよろしく全員起床起立整列させた。
その列を端から、鹵獲した日本軍の軍刀を帯刀したパーローの士官が、田舎訛りの中国語で罵声を浴びせながら閲兵する。
その士官は不規則に立ち止まり、顎で「これ」と指すように合図をする。
すると彼の目前の日本兵はパーローに外へ連れていかれるのだ。
来てほしくないと念じるほど近づいてくるもので、運悪く池田氏の前でパーローの士官は立ち止まった。
「これ」と合図されるや否や強引に外に連れ出されそうだ。
連れ出された先では一個中隊規模の日本兵たちがまた整列させられていた。
そして整列する彼らの眼前には、焚火で照らされた山と積み上げられた日本兵と思われる死体の群れがあった。
そしてその死体の山を前に、パーローの士官は腰の軍刀に手を掛けてこう言ったそうだ。
「お前たちの同胞はお前たちが埋めてやらねばならない」
短い訓示が済むや否や日本兵たちはスコップや粗末な鍬を渡され、パーローに銃を向けられた。
今からこの死体を山を埋める穴を掘るよう言い渡されたのだ。
横一列になって穴を掘る日本兵たちをパーローが厳しい目を光らせながら監視する。
最初は皆もくもくと作業をしていたが、そのうち眠気と疲労に耐え切れず立ったまま居眠りをしたり、気絶したりする者が出たそうだ。
そしてパーローはそういった者を見つけると容赦なくその場で銃殺した。
パンパンと銃声が響くと一瞬起きるが、意識は朦朧としており、今にも寝てしまいそうなのは皆同じだった。
どこからともなく聞こえてくる
「寝るな、寝るな、死ぬるぞ、起きろ、寝るな」
とつぶやく声たちもいつしか薄れ、パンと銃声が響くと共にドサッと新しい死体が転がる音がしたそうだ。
軍刀を腰にぶら下げたパーローに見つかると刀で切り付けられ、激痛に呻き声を上げ失血死した。
池田氏も隣の名も知らない同じ境遇の兵士と寝るな起きろの掛け合いを続けていたそうだが、彼もまたいつしか声を潜め、立ったまま居眠りをしてしまい、パンという銃声と共に斃れたという。
「ワシも死ぬる」
池田氏はそう思い、意識を保つことに必死だったが、彼もほんの一瞬意識を失ってしまったそうだ。
しまったと思う間もなく、パーローの士官がちゃらちゃらと金具の音をさせ足早に迫ってきた。
「もう死んだも同然じゃな」
池田氏はそう回想する。彼は死を受け入れ目をつぶったそうだ。
目の前に誰かが立って、サーっと刀を引く音が聞こえた。
しかし待てど何も起こらず、どうしたものかと目を開けてみると、抜刀した士官が目を丸く見開いて池田氏の背後をジッと見ていたそうだ。
一体何が起こっているかわからず、かといって不用心に後ろを振り返って袈裟切りにされても嫌なので池田氏は直立不動のままじっとしていた。
数秒が何時間にも感じたが、ようやくその士官は抜いた刀を鞘に納め、一言
「作業中止」
と言い放ち、パーローたちを引き連れ官舎へ引き上げていった。
池田氏が右隣、左隣を見渡してみると、生きているものはちらほらと見える程度で、残りはほとんど自分の堀った穴に埋まる形で亡くなっていたそうだ。
放心状態のままへたり込んでいると、連れ出された人間を心配して収容所から抜け出してきた日本兵が数名現れた。
収容所の端の格子からなんとか墓穴掘りの現場が見えたので、パーローが引き上げたのを確認して救出に来たそうだ。
池田氏を含む生き残りは彼らに抱えられ収容所に戻り、明日に命を繋ぐことが出来た。
池田氏は助けが来た際、不思議な光景を見たという。
それは救出に来た日本兵の一部が、池田氏らが掘っていた墓穴の後ろにあった死体の山に対し、地に頭を付けて所謂土下座の姿で
「ありがとう」「ありがとう」
と口々にお礼を言っていたのだ。
最初は放心状態で気にも留めなかったが、後から気になり仲間に聞いて見たところ、こんな話しをされたそうだ。
まず青い鬼火が死体の山からふわふわと舞い上がっているのが、焚火が暗くなり始めたあたりで見えていたこと。
処刑される人間が出る度に鬼火の勢いが増していたこと。
池田氏が切られそうになった時、ブワっと鬼火の柱が死体の山から舞い上がり、それを見たパーローの士官が処刑を思い止まったこと。
そしてこの一連を収容所で見ていた日本兵が「死んだ戦友たちが御霊になっても我々を守ってくれている」と捉え、死体の山に感謝の意を示していたこと。
池田氏は幽霊や妖怪といった類は信じないそうだが、これだけは歳を取った今でも不思議だと語っていた。