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ハミルトン亭シリーズ

ハミルトン亭の愉快な人々 レシウスさん 年齢:25歳 独身 種族:人間族 職業:居候の場合

初の短編投稿です。よろしくお願いします。

なんか黒づくめの人の影響を受けています(古い)

 アラリア大陸。その大陸はそう呼ばれている。人、天使、魔族。3つの種族が混在するその大陸は、それゆえ争いも絶えなかった。人間達に広範囲を管理する国家という概念は発達しえず、すべては町単位で運営されていた。

 かといって、文明が未発達かというと、そんなことはなく、この大陸7大都市の1つに数えられるウルハスでは河川での輸送が発達していた。

 大都ウルハス。またの名を森と泉の都。美しい森と、町の中央を十字に交差する河川、それに周囲の森の中にある泉の多さゆえにつけられた名だ。

 ある日のことだ。特に珍しいことでもない。夜明けと共に一隻の船が、町の中央にある港に入港した。

 朝焼けと共に降り立つ人々の中に、その男もいた。

 男は、20代の半ばほどだろうか、ぼさぼさの金髪に、どこか気だるそうな碧眼。身なりを整え、やる気をだせば、特殊な趣味の持ち主から金品を得ることができるだろう。それほど、顔立ちは整っている。腰には柄に精緻な装飾を施した剣を提げている。剣を持つこと自体は珍しいことではない。人類領域の中では治安がいいとされるこのウルハスでも、物取りや強盗などのトラブルは絶えない。一人旅をしようというのなら、武器ぐらいもっておくべきではある。

 だが、男は鎧や盾など、およそ防具と呼べるものは一つも身につけていなかった。身に纏っているのは、薄緑色の服に、黒色のズボン。それと腰には白い布を巻いていた。が、どれも薄汚れて擦り切れている。

 男は、ややふらつきながらも桟橋を降り、そしてひとりごちた。


「…腹減った」


 そのまま、ばたり、と倒れる。

 男の意識はあっさりとそこで途切れた。


(この、バカ…)


 だから相棒の嘆息も、聞こえなかった。



 夜明けが、訪れる。深い闇でしかなかったはずなのに。夜明けが。

 男は懸命に走っていた。逃げているのだ。


(何から?この俺が、何から逃げると?)


 男が走りながら自問する。自分は屈した事などない。そうやって、25年間生きてきたのだから。

 その自分が、何から逃げるというのか?

 未知の魔物から? むしろ戦いたい。

 真の恐怖から? そんなものはない。

 好敵手のいない戦いから?

 ――それはもうあきらめたはずだ。

 様々な疑問を浮かべては否定する。そして出た結論に従って、男は立ち止まった。

 逃げる必要などない。今までも、これからも。戦いつづけ、勝ちつづけるだけだ。

 だが、振り返った先には、それこそ真の恐怖が待っていた。

 朝日が、登りかけた太陽が眼前に迫っているのだ。にこやかな笑みを浮かべ、箸を持って自分をつまんでくる。

「おやすみ。休息も必要だよ」

 わけのわからないことを言ってくる夜明けの太陽に、真昼でも夕方でもない、夜明けの太陽に、男はあっさりと箸でつかまれた。

 そして、そのまま口に入れられる。

 圧倒的な熱が自分を包み――




「うわああああ!」


 ガバリ、と男は跳ね起きた。そしてそのまま、真後ろに裏拳を放つ。


「どりゃあああ!」


 めきっ……

 致命的な音を立てて、木造の壁があっさりと破られる。しばし、そのままの態勢で固まる。

 自分がいるのは、暗闇ではなく、ベッドの上のようだった。簡素なたたずまいだが、清潔ではある。クローゼットと、ベッド。それから小さな机以外には何もない部屋。小さな机に、存在を主張するように愛剣が立てかけられている。


(あんたねえ……)


 相棒が呟いてくるが、とりあえず無視しておく。

 いや、大きめの窓と、後は女性が1つ。

 女性……?

 男は部屋をざっと見まわしてから、再び女性に視線を向けた。

 美しい、と言って差し支えないだろう。腰まであるライトブルーの髪と、白のカットソーがよく似合っている。こげ茶色のエプロンも、彼女の魅力を際立てているだろう。

 その女性は、男のわけのわからない、といった視線にも動じず、ニッコリと微笑んできた。


「お気づきですか?」


 ライトブルーの瞳が細められる。普通の男なら、魅力的な笑顔だった。

 が、男はそんな感性は生憎、これ以上ないほど希薄だった。


「ええと、あなたは? 俺は一体?」

「わたしはミレア=ハミルトンといいます。あなたが港で倒れていたので、とりあえずわたしの家へお連れしました」


 それでようやく納得がいった。自分は船を下りて、1分もしないうちに倒れたのだ。

 空腹で。

 やっちまった、という後悔が脳をよぎる。

 ミレアはにっこりと笑ったまま、尋ねてきた。


「それで、あなたは? なんとおっしゃるんです?」


 そう言われて初めて、名乗る必要に気づいた。倒れて、拾ってもらって、壁まで破壊してしまっては、名乗らないわけにもいかない。

 まあ、名乗りたくない理由もないのだが。


「俺はレシウスといいます。どうも拾って頂いて有難うございました」

「いえいえ。じゃあレシウスさん、起きられますか?」

「ええ。もう大丈夫です」


 相変わらず空腹で、このままではまた倒れるのは目に見えていたが。


「下でマークに食事を作ってもらっています。よろしければ、どうですか?」


 その時、レシウスにはミレアの笑顔が天使に見えた。


「ぜひ! 頂きます!」


 がばり、とシーツをのけて飛び起きる。その様子を見て、ミレアがくすり、と笑った。




 ミレアに連れられて剣を腰につけてから2階の部屋から階段を下りると、1階は大きな食堂になっていた。とは言ってもそれほどの規模ではなく、せいぜい20人程度が一斉に食べられる程度だ。厨房らしきところでは、12歳くらいの少年があれこれと料理を皿に盛っていた。


「マーク、お昼は?」

「今できたところだよ。兄ちゃん、起きた?」


 こちらを見もせずに、忙しくマークは動いている。それを優しく見つめて、ミレアはレシウスに言ってきた。


「レシウスさん、弟のマークです。マーク、こちらレシウスさん」


 紹介の言葉を言われて初めて、マークはこちらを向いた。利発そうな少年で、顔立ちもミレアに似ている。それほど背は高くない。

 マークは好奇心いっぱいの瞳で、こちらを覗きこんできた。


「兄ちゃんレシウスっていうの? 俺はマーク。よろしくね!」


 屈託のない笑顔だ。そのまま、厨房から出てくる。


「それじゃ、食べよっか。俺こう見えても料理得意なんだぜ」

「ああ、美味そうだ」


 ちょうど姉弟もお昼らしい。レシウスは大皿からいくつかの料理を取り分けて、早速食べることにした。


「お、美味い!」


 マークの料理はお世辞ではなく、本当に美味かった。これ以上ないほど空腹なせいもあるが。


(がっつくんじゃないわよ)

(うるせえな。そりゃお前はいいだろ。食わなくていいんだから)


 心の中では相棒と口喧嘩などしながら、レシウスは一心に料理を食べていく。

 ぱくぱくと料理を食べるレシウスを見て、マークは誇らしげに言ってきた。


「へへ、どうだい? でも姉ちゃんのはもっと美味いんだぜ」

「へえ、一度食べてみたいな」

「家は宿屋ですから。よろしかったら一泊どうぞ」


 商売上手な姉弟だった。寝かされていた部屋も、この食堂も、宿屋ならではである。が、レシウスは悲しくかぶりを振った。


「俺、金ないからなあ」

「じゃあ、下働きしません? お給金は少しですけど」

「ただで泊めてくれるってか? その代わりになにをすればいいんだ?」

「薪割とか、買い出しの手伝いとかして欲しいんですよ。マークは学校がありますし」


 ミレアが拝むようなポーズで頼んでくる。実際、女1人子供1人では難しい事もあるのだろう。

 だからというわけでもないが、この街に来るまでに色々あって、疲れ気味だという自覚があるレシウスはこれを承諾した。姉弟の喜ぶ声が食堂に響く。


「……」


 ま、いいか。などと思い、レシウスは2人の様子を笑顔で見つめていた。




 2時間がたつと、いきなりレシウスは後悔していた。ミレアにまずやらされたのは、自分が破壊した壁の修理だった。まあ、それはどうということもない。その後は部屋の掃除だ。マークと手分けしたが、全部で6部屋しかないこの小さな宿屋――ハミルトン亭というらしい――では大した仕事でもない。ただ、買い出しは地獄だった。これでもか、というほど買いこむミレアに思わず後ずさりなどしながらも、一旦引き受けた以上仕方がなかった。

 ありえない量の調味料や得体の知れない材料――レシウスが知らないだけだが――を両手どころか両足やら剣を留めるベルトやらにつけられる。剣を外せと言われた理由を今更ながらに理解する。本当に厄介だった。


「参考までに聞くが……、前までどうしてたんだ?」


 どう考えてもミレアで持てるわけはない。荷物に視線を邪魔されながらも、一応レシウスは尋ねてみた。ミレアはニッコリと笑って答えてくる。


「大八車で運んでいました」

「そうか……」

「はい」


 にこにことこちらを見つめてくるミレアに、それ以上何も言う気をなくして、レシウスは黙々と歩みを進めた。

 が、不意にミレアの足が止まる。止められた、という方が正しいのだろうか。


「ようミレア」


 男の声だった。声だけ聞いていると、不快なものを感じる。どこかねちっこく、卑屈な響きを含んだ声。レシウスも、仕方なく足を止めた。


「なんのご用ですか?」


 ミレアは口調を変えていない。加えて、脅えらしいものも、言葉にはない。とりあえずレシウスは荷物をゆっくりと脇に置いた。足に重りよろしく括りつけられた袋も、外しておく。

 荷物がなくなり開けた視界には、声通りに不快な顔の男がいた。3人だ。気配でわかってはいたものの、誰の声だったかはわからない。まあ、わかる必要もないと思えたが。


「ミレア、こいつらは?」

「借金取りの方々です」


 朗らかに、あくまで朗らかにミレアが答えてくる。思わずレシウスは頭を抱えた。


「まあ、そういうことだ。兄ちゃん、かっこつけるつもりだったのかもしれんが、あきらめな。この女の借金は合法的なもんだしな」


 にやにやと、誰かが言ってくる。が、レシウスにはチンピラの言語はわからないため、放っておいた。

 そのせいだろうか、男たちはいきなりミレアの腕をつかんだ。そして、下卑た笑みを浮かべながら言う。


「さ、アイスの旦那がお待ちかねだ、きな」

「放してください」

「いいから、こいってんだ!」

「放して!」


 はじめてミレアが声を荒げた。レシウスが努めて冷静に声を出す。


「嫌がってるんだから、放せよ」


 男たちの視線が動いた。全員がレシウスに、敵意の眼差しを向ける。

 豚に睨まれるのは、健康によくない。が、一応は黙っておいた。


「俺たちは合法的に金を貸してるんだ。手を出せばお前も犯罪者だぞ」

「へっへ、だからおとなしく帰りな。ミレアは後で俺たちが送っていってやるよ」

「ミレア」


 レシウスは呟くように言った。ミレアは、助けを求めるようにこちらを見つめてくる。


「どうする? 先に帰ってようか?」

「なんでそうなるんですか!」


 思いっきり首を横に振りながら、ミレアが叫んでくる。

 わかっていたことだったので、レシウスは剣の留め金に結んであった荷物も地面に下ろした。


「さて、畜生ども。その手を離すなら今だぞ。とってもお得だ。半殺しにならなくてすむ」


 レシウスは声に力をこめて、言った。が、男たちは同じことを言ってきた。


「俺たちは合法なんだ。俺たちの仕事を邪魔すれば、お前が犯罪者になるんだぜ」

「やれやれ……」


 レシウスは溜息をついた。そして、気だるそうな瞳を斜めに吊り上げる。


「法に守られてたら手出しができないと思ったら大間違いだぜ。なんせ俺はこの大陸に来たばっかりでなあ。よくわからねえんだ」


 壮絶な笑みを浮かべながら、レシウスが身体の正面を男たちに向ける。さすがに異様な雰囲気を察したのか、男たちもミレアの腕を離して、一様に腰の後ろから何かを抜いてくる。

 ナイフだった。とはいっても刃渡りは30センチ近くある。人を殺すには充分な凶器だ。


「いきがるんじゃねえ!」


 男の一人が、レシウスに向けて突進してきた。わずかにだけ打点をずらし、腕を少し斬らせてやる。通行人の悲鳴が聞こえたが、無視する。


「ど、どうだ? 命が惜しいなら……」

 男には答えず、レシウスは傷を軽くなめた。血の味が、口に広がる。傷そのものは、どうということもない、切り傷だ。


「一応、先に手を出したのはお前らだぜ」


 レシウスは、そこで言葉を切った。男の一人が調子に乗って、同じように突っ込んでくる。


「レシウスさん!」


 ミレアが叫んだ。さすがに、動じないとはいえど、平和に暮らしている人間ならば、当然の反応だ。

 が、もう触れさせてやるつもりはない。剣は置いてきてしまったが、素手でもどうとでもなる。

 突っ込んでくるチンピラに、半身を滑りこまして、密着する。ナイフはあっさりとはずれ、勢い込んで走っていくのを親切にも後ろ首をつかんで止めてやる。

 そしてそのまま地面に引きずり倒し、うつ伏せになった男の背中を思いきり踏みつける。

 ごきり、となれた感触が伝わってくる。背骨が何本か、確実に折れたはずだ。


「ぎゃああああ!」


 のたうちまわる男がうるさいので、もう一度、踏んづけた。悲鳴が止まる。あまりの激痛に気絶したらしい。

 呆然としている男たちに向かい、走る。そのままの勢いで、拳を鳩尾に撃ち込む。くの字になって折れ曲がる男の腕を一本、とりあえず折っておく。そこで、ようやく我に返った最後の一人の脇腹に強烈な回し蹴りをプレゼントしてやる。男は派手に吹っ飛んで、石造りの壁にぶつかってから沈黙した。

 野次馬達がおおお、と驚愕する中、レシウスは壁に激突した男に近づいていった。そして、あばらを砕いてやろうとするが、ぎゅっとなにかにしがみつかれて、動きを止める。


「ミレア?」

「そこまでやらなくても、いいです」


 わずかに瞳に涙を浮かべて、ミレアが首を横に振ってきた。

 その表情を見て、レシウスはいつもの、どこか気だるそうな瞳に戻った。


「あー、わるい。ちょっとやりすぎちまった」

「わたしに謝られても…」


 ミレアが冷や汗を流しながら呟いてくる。頭をすまなそうにかきむしるレシウスに、ミレアはいつもの柔和な笑みを浮かべて、言ってきた。


「でも、これだけ騒いだらお縄ですね」

「は?」

「明日の朝迎えに行きますから、臭いご飯でも食べててくださいね」

「ほ?」


 ミレアの言葉を飲みこめないでいるうちに、笛の音と、数人が走ってくる足音が聞こえてきた。

 さすがに逆らうわけにもいかず、レシウスは両手を縄でくくられたのだった。




 同日夕刻、ハミルトン亭。


「というわけなの」

「じゃあ、今日も2人? 楽できると思ったのになあ」

「諦めましょう」


 ふくれっつらになるマークをやんわりとなだめて、ミレアも厨房に入った。そうして、買ってきた――結局大八車をレンタルした――材料の下ごしらえをする。

 ハミルトン亭は労働者が大勢住んでいる町の南東の大通りを一筋ずれたところにある。そのため、昼間は暇だが夜となると大勢の客でにぎわう。

 ほとんど戦場らしい。

 忙しそうに働く姉弟を見ながら、彼女は溜息をついた。

 そこに、ポロリとこぼれるように声がした。


「なにやってんだか、あのバカは?」


 はっ、とミレアが声のあるほうを振り向く。そこにはレシウスがこきつかわれるどさくさで外したままにしてあった彼の剣が置いてあった。

 ミレアが、じーっと剣を見つめる。マークも不審な視線を向けてくる。


(あー、しまったわね)


 とはいうものの、相棒はここで休養でもとるつもりらしい。ならばいずれはばれるだろうと、前向きに考えて、彼女は口を開いた。


「ええっと、わたしはミラージュ。自己紹介が遅れたけど、レシウスの相棒の剣よ。よろしくね」

「えええええ? 剣がしゃべったああ」


 パニックにおちいるマークとは対照的に、ミレアはこちらこそよろしくお願いします、と丁寧に頭を下げてきた。思わず、拍子抜けする。無機物なりにうろんな視線を向けるが、ミレアに伝わるはずもなく、彼女は続けて言ってきた。


「あの、準備手伝ってもらえます?」

「無理です……。動けないの……」


 ミラージュとしてはそう言うしかなかった。気まずい。

 気まずさはレシウスに対する怒りにかえてしっかりと貯金することにした。




 そのころ、レシウスはというと、留置所でやはり1泊するはめになった。牢に入れられると同時に渡された白い布で、チンピラにつけさせてやった傷を縛っておく。

(こんなもんを罪人にくれるとは、ここの領主はよっぽどの金持ちかお人好しだな)

 どうでもいいことを考えながら、レシウスは意外と清潔な毛布にくるまり、に横になった。

 そのまま、中を改めてみる。所詮は喧嘩なので、入れられた留置所はあまり厳重とは言いがたかった。その気になったら、すぐに脱獄できる。


「ふあ……」


 あくびをして、レシウスは寝ることに決めた。やることも、特になかったし。

 そもそも、脱獄するほどの危機的な状況でもない。




 同じく、その日の夜。

 赤いじゅうたんを敷き詰めた豪華な部屋で、男は高級酒をあおりながら報告を受けていた。

 一通り報告が終わると、男は太った身体をゆするように立ちあがった。そのまま、テラスへと向かいながら言う。


「で、その男は?」

「留置所に入れられたようです」


 若い男が淀みなく答える。こちらは主とは対照的に、引き締まった肉体を持った若い男だ。


「どうせ明日には出てくるだろう。ミレアが迎えに行くんだろう?」

「恐らくは。流れ者のようですし」

「なら、その隙を狙え。いい加減あの女も自分の立場ってもんを知らなきゃな」

「はい、アイス様」


 若い男は主――アイス一家の、アイス――に一礼してから、部屋を辞した。

 そして、振り返りもせず歩き出した。




 翌朝、ミレアが迎えに来たのでレシウスはようやく留置所から解放された。意外と清潔だったとはいえ、長居したい場所ではない。レシウスはミレアに感謝と謝罪をした。

 するとミレアは朝早くからニッコリと、


「いいんですよ。そのかわり、今日は働いてくださいね」


 昨日も充分働いた、という言葉をどうにか飲みこんで、レシウスは頷いた。頷かないわけにはいかなかった。

 そうして、他愛もない話をしながら、レシウスはミレアと共にハミルトン亭にやってきた。

 ぎい、と音を立てて扉を押し開く。人の気配はない。長期滞在の客は、今日も全員出かけているようだった。

 人の気配が、ない?


「レシウス!」


 肉声で聞いてはいけない声を聞いて、レシウスは軽く舌打ちした。


「ミラージュ!」


 怒鳴って黙らそうとする。だが、すぐにミレアが驚いていないことに気づいた。


「知って……?」

「ええ」


 軽く頷いたミレアにほっとしながらも、レシウスは次の判断をした。相棒が声を上げるとはよほどのことだ。ミレアが何故知っているのかは後回しだ。


「どうした? 何があった?」

「マーク君がさらわれたわ」

「!」


 レシウスは驚愕した。思わず、拳を握り締める。

 防がなかったミラージュを責める気持ちが浮かぶが、すぐに引っ込める。まだこの街でミラージュがどこまで力を見せるか、見せていいかは話し合ってすらいない。

 歯がみするレシウスよりもミレアのショックはもっと大きかった。腰を抜かして、入り口に座り込んでしまっている。


「マークが? 嘘…」


 だが、確かに食堂には暴れた後がある。そして、奥のテーブルに紙切れがあるのを見つけ、レシウスは手に取った。


『弟を預かった。用心棒、あるいはミレアが一人で来られたし。アイス一家』


「……アイス一家ってのは?」

「借金取りです。でも、こんなことは…」


 ミレアは涙声になっている。


「マークは、わたしの、たった1人の弟で、家族なんです。だから…」

「俺が行く。ここで待っていろ」


 レシウスは拳を握り締めていた。その瞳はきちんと開かれ、怒りに彩られていた。


「俺がいない時はあいつらの脅しは?」

「いつもかわしていました。常連さんには強い人もいらっしゃるので、この中なら安全でした」


 涙声になりながらも、ミレアは答えてきた。大した娘だと思う。ミラージュを腰に吊るしながら、さらに尋ねる。


「長期滞在の客がいなくて、俺を迎えに行く絶妙のタイミングで来たわけか?」

「たぶん…」

「ふん。監視つきか。近くにまだいるな。どっちが行ってもミレアを拉致するつもりか。あめえな」


 レシウスは呟くと、ドアを押しながら片手を上げた。


「任せてくれ」


 レシウスの背中を見送ると、すぐにぎゃあ、とかぐわっ、とかいう悲鳴が聞こえてきた。昨日は止めたミレアだが、今日は止める気になれなかった。




 恐ろしく迅速にハミルトン亭のまわりのチンピラを叩き潰すと、レシウスは人々の視線も気にせず、走り出した。


(場所はわかっているの?)

(ご丁寧に手紙に地図があった。覚えた)


 ほとんど町の外れまで走り、そこからは息を整えるために歩く。しばらくいくと、街の二つ名の理由にもなっている美しい泉が1つあった。ほとりには、小屋が立っている。


「あそこか」

(みたいね。どうするの?)

「下手なことはできない。まずは入る」

(それしかないわね)


 レシウスは会話を打ち切ってドアを開けた。入ると、小屋は意外と広く、3人のチンピラと、一人の傭兵らしき男がいた。

 もちろん、傭兵がリーダーだろう。


「お前が、うちのをやった奴か?そっちが来たか」

「予想通りだろう。何が望みだ?」


 猿轡をかまされて涙を浮かべてイスに縛られているマークに微笑んでおいて、レシウスは同じ人間とは思えない視線を傭兵に叩きつけた。


「そういきり立つな。俺はバタッド。まあ用心棒みたいなもんだ。お前の名は?」

「レシウスだ。用件は?」


 マークさえいなかったら瞬時に飛びかかりそうな気配を出すレシウスを愉快そうにバタッドは見つめた。


「まあ焦るな。なかなか激しい性格のようだな」

「自分でも驚いているがな」


 正直に答える。自分はまだここまで怒れるのだ。そう捨てたものではないかもしれない。わずかに冷静になって、レシウスは姿勢を改めた。再び、バタッドを見据える。バタッドは感心したようにほう、と声をあげた。


「それがお前の本当の瞳か。なるほど」


 バタッドは笑みを浮かべた。その笑みに自分と同じものを感じる。すなわち、好敵手に餓えた笑み。


「では用件を言おう。とりあえず、表に出ろ」

「なぜだ? この優位さを捨てるのか?」

「気が変わった。嬲り殺すつもりだったが、俺が相手してやる」


 バタッドに嬉しそうに言われて、思わずレシウスは納得した。この男も用心棒などしているせいで、餓えていたのだろう。


「いいだろう」

 



 レシウスがバタッドについて外に出ると、マークは、少し外れた草の上に縛られたまま転がされた。チンピラたちもその側で観戦モードに入る。


「やっちまえ! 兄貴!」

「頼みますよ!」

「死ねコラー!」


 声援やら野次やらが飛ぶが、レシウスには付き合う気はなかった。改めて相手の装備を観察する。バタッドの武器は長剣だ。防具は黒の服の下に鎖を着込んでいるようだった。

 腕のほうは自信があるようだったが、レシウスから見れば隙だらけだ。

 剣を抜く気にもならず、片手で手招きする。

 今はマークに手を出したりはしないだろう。


「来な」

「抜かないのか?」

「いらねえよ」

「なめるな!」


 バタッドが怒りの声をあげて突っ込んでくる。真っ向からの突きの一撃。余計なことをするつもりはないらしい。嫌いなタイプではないが、こんなことをするようでは仲良くする気もない。


「おせえよ」


 つぶやいて、突きを半身になってかわす。かわされると、諸手突きというのは隙だらけだ。しかもレシウスは半身になることで剣の間合いの内側に入ることにも成功した。

 黙って、バタッドの右肩に肘を打ち下ろす。ごきり、と音がした。


「があああ!」

「身のほど知らずが」


 悲鳴をあげて剣を落としたところをわずかに間合いを開けて回し蹴りを見舞う。

 ずしゃああ、と派手に音をたてて、バタッドが一瞬浮いてから地面に転がった。

 鎖のおかげであばらこそ折れなかったようだったが、バタッドは顔を真っ赤にしている。


「くそっ!」


 歯軋りしながら、また向かってくる。その根性は大したものだった。が、根性ですませてやる気はない。

 べキッ!

 瞬時に拳を繰り出し、鼻を砕くと、さすがにバタッドはまた吹っ飛んでこんどこそ沈黙した。

 ざわりっ、とチンピラたちが色めき立つ。その一人が、マークに短剣を押し当てた。


「う、動くんじゃねえ!」

「つくづくゲスだな」


 レシウスは苦笑しながらも、言われた通りに立ち止まり、腰の剣を鞘ごと放った。


「で? どうするんだ?」

「こうすんだよ!」


 別の男が砂袋で思いっきり殴ってきた。刃物を使わないのは、もう勝ったと思っているからだろう。

 脳震盪を起こしかけながら、レシウスは一歩よろめいただけで踏みとどまった。


「このやろう!」

「やっちまえ!」


 怒声をあげて二人が殴り、蹴り飛ばしてくる。蹴りなどどうということもないが、砂袋やら棍棒やら、どこに隠し持っていたのかは知らないが、そういった鈍器は確実にダメージをくれる。


(どうするの?)

(手をだすな)


 心配そうに言ってくる相棒に釘をさしておいて、レシウスはじっと耐えた。そして、チャンスを待つ。

 チャンスは、いい加減フラフラに――常人ならもう死んでいる状態に――なってやってきた。レシウスの背後にマークと、短剣をつきつけたチンピラがいて、正面から蹴られたのだ。


「しぶてえんだよ!」

「ぐっ!」


 うめきをあげてレシウスが大きく吹き飛ぶ。そして、まるで計ったかのように、マークの側に倒れこむ。


「!」


 マークがミレアによく似た瞳で心配そうに覗きこんでくる。そして、チンピラが短剣を振りかぶる。

 げし。調子に乗っていたチンピラの顔面に寝てる状態から靴底をプレゼントしてやる。チンピラが短剣を取り落とすのを受けとめ、足の腱に刺しこんでやった。


「ぎゃああああ!」


 大きな悲鳴を上げ、チンピラがのたうちまわる。とどめをさしてやろうかと思ったが、マークが見ているのを考えて、やめておく。


「大丈夫か?」


 猿轡と縄をはずしてやりながら、マークに尋ねる。少年は涙を浮かべながらもしっかりと頷いてきた。


「よし、帰るぞ」

「うん」


 ダメージはあったが、マークの手前ふらつくわけにもいかない。そのまま、残ったチンピラに殺気の塊を叩きつけた。


「次があると、思うなよ」


 そうして、1人の用心棒と3人のチンピラは木にぶら下げられ、ほっとかれた。



 帰ってみると、無事なマークの姿を見て、ミレアは泣きながらレシウスに感謝の言葉を述べてきた。店を閉めていたため、夕食はその材料を使った豪華なものだった。レシウスは遠慮なく食べまくったが、身体中の痣を発見され、ミレアにもう危ないことはしないでくれとなぜか釘を刺されてしまった。

 だが、怪我をしていて、なおかつマークのためであるせいか、さすがのミレアもこれ以上働かせようとはしなかった。加えて、気のすむまでただで泊まっていてもいいと言う。食費はいるが。

 その言葉にとりあえずは甘えて、レシウスは部屋に帰って横になった。すぐに睡魔が襲ってきて、特に逆らいもせずにレシウスは眠りについた。




 夜がふけ、朝を迎えるよりはだいぶ早く、レシウスは身を起こした。痣から鈍痛がする。


「やっぱり行くの?」

「ああ。まずは傷を治してくれ」

「仕方ないわね」


 相棒が呟くと、柄にはめ込んである宝石が輝く。次の瞬間にはレシウスの身体の傷はきれいに消えていた。


「場所はわかるの?」

「残念ながらな。泊まらされた時に聞いといた」


 少しも残念そうではない。むしろ、嬉しそうだ。だが、相棒は溜息をついてきた。


「刺激がないからって、自暴自棄になるのはやめなさい」

「自暴自棄じゃねえよ。感謝されちまったからな」

「ここに、いたいんでしょ」

「しばらくは。そのためにもな」


 もうミラージュは何も言ってこなかった。ただ、溜息を一つついただけ。


「行くぞ」


 レシウスはミラージュを引っつかむと、ひらり、と2階の窓から飛び降りた。



 しばらくして、アイス邸。大きな建物と、まわりの庭に見合うだけの立派な門。見張りも、真夜中だというのに2人いる。この屋敷の主が、それなりの力を持っているのは明らかだった。

 退屈そうに愚痴を言い合う門番達。それが、この屋敷の主の力の限界を教えてもいた。そして、そこに1人の男。

 暗闇でもわかる、ぼさぼさの金髪。いつも気だるそうな碧眼に今は野獣のような光がある。

 男は音もなく門番の1人を昏倒させると、もう1人の首をしめながら、言った。


「帳簿はどこにある?」




 それからまたしばらくして、屋敷の主アイスは何やら騒がしいことに気がついた。酒のせいで少し注意力が散漫になっているようだ。


「何事だ?」

「侵入者です。1匹ですのですぐに捕らえます」

「うむ」


 汗をかきながら言ってくる側近の言葉にアイスは鷹揚に頷いて見せた。そう頻繁にあるものではないが、たまにはそんなことがある。逆恨みする顧客とかが、ごく希に忍び込んでくるのだ。

 だが、彼は大きな考え違いをしていた。今宵の侵入者は正面から乗りこんできたのだ。そして、今まだ暴れ回っている。

 どがあん!

 その間違いを訂正させるべく、豪華な扉が音を立てて壊れた。細工は見る影もなくなり、分厚い木の破片が赤い絨毯に散らばる。

 現れたのは一人の男だった。瞳に鋭いものを浮かべた、レシウスが。

 アイスの側近をゴミでも捨てるように絨毯の上に投げ捨て、背中を踏んづける。その態勢のまま、言ってくる。


「帳簿は?」

「なんだ?貴様?」


 アイスはレシウスに答えず、イスから立ちあがった。ふてぶてしいその瞳に怒りを覚え、酔いが急速に冷めるのを自覚する。

 レシウスは、笑みすら浮かべながら言った。


「ハミルトン亭の、居候さ」

「なるほどな。だが、お前がやっているのは違法行為だぞ」

「そんなことはどうでもいい。帳簿を見せろってんだ」

「断る、と言ったら?」

「潰すぜ」


 あまりの物言いにアイスの顔が白くなる。そして、この若造を殺そうと決意する。何、正当防衛だ。


「氷よ!」


 指に嵌めていた指輪の一つが輝き、アイスの手のひらから氷の矢がレシウスに向かって飛んでいく!


「魔法か!」


 かがみこんでかわし、そのまま走る。魔法は素養のある人間が相性のいい属性の精霊を行使して魔力を物理に作用する力に変えるものだ。強力だが、欠点もある。

 魔力は精神力から出すものだから、当然使えば疲労するし、何よりも精霊に呼びかける呪文や動作が人間ならば必ず必要になる。どれだけ熟練した魔導士でも、動作や言葉なしでは発動できない。

 だから、魔導士と戦う場合、いかに素早く接近するかが鍵になる。

 レシウスは充分そのことを承知していた。だから迷わず突っ込んだ。だが――


「槍よ!」


 離れすぎていた。アイスの2撃目が先に発動してしまった。氷の槍がレシウスの左肩を貫く。


「てっめええ!」


 だがそれでもレシウスは止まらない。痛みを無視して、左拳を鳩尾に差し込む。アイスの口から息が出るのを確認もせずに、そのまま上段回し蹴りにつなげた。

 ぐるん、とアイスの瞳が白目をむく。そのまま、壁に激突して動かなくなる。生きてはいるようだが。


「けっ」

(なにくらってんのよ)

「うっせえ。魔法なんて久しぶりだったからな」

(しょうがないわね)


 ミラージュの呟きと同時に左肩の傷が消える。それを当然のようにレシウスは気にも止めずに部屋の隅にある金庫の前へと歩いていった。


「どう思う?」

(どう思うも何も、これでしょ)

「だよな」


 呟いて、剣を抜き打ちに一閃する。金庫はあっさりと斬られた。そしてレシウスが覗きこむと――

 ボンッ、と爆発した。沈黙。レシウスが黙っただけだが。


「けほっ…」


 黒焦げになったまま、棒立ちになる。何かをこらえている表情が、妙に受けたらしく、ミラージュが大笑いしているのがわかる。


「……」


 さらに棒立ちになっていると、金庫のあった位置に紙が落ちている。とりあえず拾って、何かを確かめようとすると、実に明快に書いてあった。

『ハズレ』

 実に明快だ。あまりにも。明快過ぎて、レシウスの中の何かが音を立てて壊れる。


「だあああああ! やってられっかー!」


 とうとうキレてしまった。この町についてからずっと沈んでいたレシウスだったが、とうとう沈むことすら耐えきれなくなったらしい。


「ぶっ壊せ、ミラージュ!」

(…やれやれ)


 言いながらも、ミラージュはまんざらでもなさそうに、大きく叫んだ。


「光よ!」


 瞬間、圧倒的な量の光が満ちて、次の瞬間にアイス邸を崩壊させた。

 そして、外に出てみると、何時の間にか夜が明けかかっていた。

 ひらり、と隠し金庫にでもあったのだろう、帳簿や契約書らしき紙切れが、瓦礫の上に落ちてくる。レシウス以外は、全員が気絶していた。そして、夜明けを、なぜか理不尽に感じる夜明けを見つめていると、レシウスの頭にも紙切れが落ちてきた。


「……」


 見てみると、ミレアの契約書だった。それを無言でビリビリと破ると、レシウスはどうでもいい気持ちで、夜明けを見つめ続けていた。

 あいも変わらず、迅速な警備隊の笛の音が聞こえてくる。が、それすらどうでもよかった。

 きれいな、あまりにもきれいな朝日がやけに目障りだった。




 当然のように、レシウスは捕まった。臭い飯を3日も食わされた。それでもあれだけ破壊して臭い飯だけですんだのは、帳簿の中に裏帳簿があり、麻薬の取引が記されていたからだ。

 もしもアイスが本当に健全な金貸しだったら、確実に地下牢から首斬りコースだっただろう。まあ、死者はいなかったから焼きゴテの刑ですんだかもしれないが。

 完全に結果オーライでしかないが、とりあえずレシウスは自由の身となった。

 ふらふらと留置所から出て、レシウスは誰にともなく呟いた。空では、太陽が元気に働いている。


「これからどうしようか……」

(あのねえ……)


 何かをひたすらに耐えている口調で、相棒がうめいてくる。それに反論する気にもなれずに、レシウスはのろのろと歩き出した。


「ミレアは知っているよな」

(ていうか、町の人はほとんど知っているでしょうね)

「やっぱ、追い出されるよな」

(当たり前でしょ。露骨に危険人物よ、あんたって)

「おまえもだろうが」

(わたしは人じゃないですから)


 とりあえず反論を試みるが、まったくの無駄だった。とりあえず、ハミルトン亭まで行かなければならない。荷物があるからだ。

 でも行きたくねえなあ。まあいいか、暴れてすっきりしたし。

 などと、気持ちが開き直りかかっているうちに、宿の前へついた。

 なるべく音を立てないように入る。が、掃除をしていたミレアにあっさりと見つかった。


「あら、レシウスさん。また放りこまれたんですって?」

「……はい」


 努めて明るく言ってくるミレアは、やはりすべて知っているようだ。レシウスはうなだれるしかなかった。


「あー、荷物をとったら……」


 出ていく、とレシウスが口にする前に、ミレアの意外な一言が割り込んだ。


「おなかすいているでしょう? 用意してありますから、どうぞ」

「え……?」


 思わず、聞き返す。ミレアは前と変わらず、ニッコリと笑ってきた。


「食べますよね?」


 そう言うと、レシウスの返事も待たずにパタパタと厨房に入っていく。そして、パンとスープを持ってすぐに戻ってきた。


「はい、どうぞ」

「ありがとう……」


 呆然と並べられるままに席に座る。向かいに、ミレアも座った。そのまま、2人とも黙る。

 なんとなく間が持たずに、どうでもいいことを聞いてみる。


「マークは?」

「今日は学校」

「そっか」

「ええ」


 再び沈黙。ミラージュがくすくすと笑っているのが分かった。覚えとけよ、と心の中で唸っておく。

 不意に、今度はミレアが口を開いた。


「レシウスさん」

「ん?」


 レシウスは戻ってきてから初めてミレアと視線を合わせた。わずかに恥ずかしそうに、ミレアが視線を逸らす。


「ありがとうございます」


 レシウスには、すぐに意味が飲みこめなかった。だが、理解するとホッとした気分になる。

 ミレアだけは、感謝してくれているのだ。他の誰が、感謝してくれなくても。たとえ、自分が暴発しただけでも。

 レシウスが照れくさそうに頬をかくと、もういつもの、ここ数日で見なれたミレアに戻っていた。


「レシウスさん、何か言い忘れてませんか?」


 ニッコリと微笑む。レシウスは、嬉しくなった。自分は、まだここにいていいのだ。自分が暴れても、許してくれる町なのかもしれない。そして、もちろん、許してくれる人なのだ。


「ただいま」


 レシウスはこの街に来てはじめて笑顔を浮かべた。

 ずいぶん長いこと、笑っていなかった気がする。

 ミレアは一瞬驚き、すぐに同じく笑顔で答えた。

 それは、レシウスには今まで見た中で最高の笑顔に思えた。


「お帰りなさい」

お読みいただきありがとうございます。

お気に召しましたら、ぜひ他の拙作もお楽しみください。


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