元皇太子は困惑する。
私の前世の名前はクロード・アル・エーダス・アリナス。暗愚皇子と呼ばれた皇太子だった。
「孤児…院?」
気がつけば孤児院のクロムという名の孤児になっていた。呆然と見上げた先には優しく微笑む大地母神の像があり、目眩がした。
前世では私はどうしようもない男だった。皇帝の正統後継者として何不自由なく与えられてきた。
初めてエミリアと出会った日のことは忘れない。白金の髪が煌めき瞳がキラキラして、天使のように可愛らしかった。
彼女の兄達は元々遊び相手で、将来的に側近となる友達だった。彼女と婚約すると知った彼らは私にある忠言をした。
これが、私の破滅への道の始まりだった。
「エミリアはずるい子で、いつも両親の陰にかくれる心弱い子です。」
「兄である僕たちを敬う気持ちもない生意気な妹です。」
「この前、ちょっと躾けてやったら両親にチクって俺たち暫く懲罰されて外にも出れなかったんですよ。」
兄達の言で、私の中のエミリアは気弱を装う小狡い生意気な子と言う印象を植え付けられた。
だが、会うたびポヤポヤした感じが可愛らしくて本当にそんな子なのか信じられず、色々試した。小間使いのように扱ってどんな反応するかみたり、ピクニックに誘ってわざと置いて帰ったり…だが、やっぱりエミリアは悲しそうにするだけで私に悪態をつかず怒りもしなかった。
もしかして、私はエミリアに好かれていないのでは?と感じ始めた頃、デビュタントを迎えた。彼女の関心を引きたくて他の令嬢とのダンスを申し込んで、他の令嬢を優先した。そしたら、エミリアはとたんに顔を曇らせた。それを見て私は不思議な安心感を得た。
エミリアは私のことを意識している。私が他の令嬢と踊るたびに嫉妬してくれている。と
……その時の私はどうしようもない愚か者だった。
「…っく」
「エミリア…?」
エミリアが、晩餐会で血を吐いたのだ。
「エミリア!っエミリア!」
「殿下なりません!!毒の可能性がございます!お下がりを!」
「エミリア!離せっ!エミリア!」
「御身の安全の確保が第一です!!お下がりください!」
倒れ伏した婚約者に駆け寄ることさえできず、私は騎士達に部屋に押し込められた。エミリアを失う不安に駆られ、その日は眠れずにいたが、エミリアの容態を聞いた侍従が飛んで帰ってきた。
「お嬢様は、その持病の胃痛で、胃に穴が開いたせいで吐血されたようです。毒ではありません。」
「持病……?」
「医師の話では、心の痞でなる病だそうで…重篤になると胃に穴が開くまで痛み続ける病だそうです。…おそれながら治療には心を落ち着く環境でなければ完治しないとのこと…」
「そうか、ならば直ぐに西の離宮に部屋の支度を、あそこは温室もあるし、薔薇園が素晴らしい。涼やかな蓮池も近くにある、それに…」
「その必要はありません。」
ピシャリと言われた第三者の声に私は瞠目した。そこにはエミリアの父、シャルトナーク公爵が冷え冷えとした様相で扉の前に立っていた。
「……殿下、娘は別の場所で療養させます。今後、我が娘への介入はお断り申し上げます。」
「な、なにを申す。シャルトナーク公、宮殿には我が国屈指の宮廷医もおるのだぞ。」
「申し訳ございませんが、娘は連れ帰ります。」
「わかった、実家ならば、医者を公爵邸への派遣しよう。結婚を控えているのだ、婚約者のエミリアに何かあってはいかぬ。」
そう言い募ればシャルトナーク公爵は眉間に盛大な皺を寄せた。
「………何故、今になってそのように娘を気遣われるのですか。」
「私は婚約者だぞ、当たり前だ。」
「ならば、もっと早くにそうなさるべきでしたな。」
公爵は何を言いたいのか、諦めたようなため息をこぼすと私を真っ直ぐに見つめた。
「……先程、元老院と皇帝陛下の正式な承認を得てエミリアは本日より、殿下の婚約者ではなくなりました。」
その言葉に、私は一瞬何を言われたのか分からず瞠目する。
「公爵、今、何を言われたのか…?」
「婚約解消と相成りました。」
「っな、認めぬ、私は認めぬぞ!!何故だ、何故」
「何故?何故と、私にお聞きになるか。」
公爵は複雑な様子で、額に手を当てて首を横に振った。
「……娘は生来、体も弱く気弱な子です。だけど人一倍、優しく忍耐強い子です。あの子は滅多に私達に我儘を言ったことはありません。事実、そんな子が胃に穴を開けて、吐血するまでずっと私達はあの子に忍耐を強いていたのです。お分かりにならないのですか?どうしてあの子が倒れたのか。」
「………っ」
「私も貴方も、エミリアを蔑ろにし過ぎた。ただ、その事実は変わりようもないものです。殿下、どうぞ娘にこれ以上の苦痛を強いるのはやめてください。」
「公爵、待って、待ってくれ…私はまだ」
―――まだ、伝えていない言葉がたくさんあるんだ。
「私と殿下ができることはありません。あの子の思うまま手放すことが今、あの子の望みなのです。殿下、我々がエミリアを諦めることが、最善であり最大の罰なのです。これ以上を望まれますな。」
そう言うと公爵は部屋を退出して行った。どうして、なんでと声が出ず、ただ現実を受け入れられず私はその場に座り込んだ。
それから、暫くしてエミリアは逃げるように修道女となった。
その知らせを聞いて、私は愕然として暫くなにも手が付かず放心していたところ、父の乳母である女官長が私の惨状にため息をこぼした。
「……殿下、あれほどエミリア様を大切にとお願い申し上げましたのに」
「婆や、私は何を間違えたのだ?」
「殿下、この際はっきりと申し上げます。あのシャルトナークの三公子様の言葉は鵜呑みになされませぬように。あの三公子は真の紳士ではございません。身体が弱い幼いエミリア様を子分のように連れまわし、言うことを聞かないと暴力を振るい泣かせたと聞きます。騎士ごっこと称して、幼いエミリア様の肋骨と腕の骨を折ったという話は有名でして、今でも同格の家から縁談が来ないと聞きます。」
「は?」
「さらに言うなら、殿下も殿下でございます。婚約者であるエミリア様を放って夜会では名だたる美しい令嬢とあんなに懇意になされて、エミリア様がどれほど馬鹿にされたことか…さらに小間使いのように扱い、出先で置いていくなど愚の骨頂。婚約が解消されてもおかしくはございません。わたくしなら、とっくのとうに解消しておりました。」
女官長の言葉に私は打ちのめされた。私は最初から何もかも間違えていたのだとこの時ようやく悟ったのだ。
私はあの3人の言葉を鵜呑みにして、エミリアを勘違いしていた。あのポヤポヤしたエミリアこそ、彼女の本質だったのだ。
「皇帝陛下も公爵閣下も何度も殿下にエミリア様のことで苦言を呈されていたのに、聞く耳もなくエミリア様を追い詰めた。まさしく殿下の自業自得でございます。」
「婆や、私はエミリアに何ができる?なんと謝ればいい?」
「何も。何もなさらないことが、殿下にできることでしょう。そっとして差し上げるのも優しさでございます。」
返す言葉もなかった。
後悔ばかりが私を苛み、エミリアがただただ恋しかった。
あの控えめだけど優しく微笑むエミリアに会いたい。
何故、私はもっと彼女と過ごす時間を大切にしなかったのだろう。
何故、私はもっと彼女に言葉を尽くして自分の想いを伝えてこなかったのだろう。
何故、私はもっと彼女を大事に、優しく出来なかったのだろう。
何故、何故、何故、何故、何故……。
ぐるぐると回る後悔に吐き気がした、救いのない悔恨ばかりが私の日常を蝕み、行き場のない恋情が私の胸を刺す。
痛い、苦しい、恋しい…ただその繰り返しでやがて私は食欲をなくし、窶れていった。
「殿下、妹に逢いたくありませんか?」
そんなおり、私は再び悪魔達の言葉に乗ってしまった。
エミリアは北の聖マグノリア修道院で修道女になっていた。
視察にかこつけてエミリアの兄達と共に修道院に押しかけたのだ。
だが、修道院を統括していた大司教にすげなく追い出された。
「あの大司教、殿下を蔑ろにするとは許せん!」
「殿下、我々にお任せを。必ずや御前に妹を連れて参ります。」
「………もう、いい。私が全て間違えていたのだ。これ以上はもう望まぬ。」
帰りの馬車の中で私はそう言うと、窓の外を見るまいと瞳を閉じた。
暫くして、私は次の縁談を決めるようにせっつかれていた。国内の高位貴族の令嬢は婚約、結婚をしており国外からの縁談が飛び込むように毎日釣り書きが送られてきた。
失恋の痛みが疼くなか、その釣り書きを見て私は余計に気鬱になる。鬱鬱としていた私を見かねた側近達が狩猟会を私のために開いてくれたのだ。場所は鷹狩りに最適な北の地で、秋に狩猟するにはぴったりな森がある。獣害報告が例年以上にあり獲り過ぎても構わない狩場だ。私は側近達の気遣いに、嬉しくなり気持ちを切り替えようと久しぶりに遠出することにした。
狩りを楽しんでいると、狩場の近くにある無数のテントに私は違和感を覚えた。
「……護衛の兵士の数が多くはないか?」
「尊い御身をお護りするためでございます。」
「……だが、王城から連れてきたのは近衛師団だけのはずだが…」
目を逸らす側近達に言いようのない不安にかられた時、1人の騎士が陣に飛び込んできた。
「伝令!伝令っ、」
「何事だ!」
「隣国バルムが北のサナル砦に侵攻し、現在こちらに進軍中っ!!現在サナル辺境伯とバーチ辺境伯が抗戦してますっ!今のうちにお逃げ下さいっ!」
「なっ!?」
「そんなっ馬鹿な!!」
騒然とする狩猟場に、私は嫌な予感がして先程のテントに飾られた旗の紋様に目を凝らす。
「……狼に、盾……あれはサナル辺境伯の家紋…」
一気に血の気が下がり、私は公爵家の三兄弟を眼を向けると、3人とも青ざめた表情を浮かべ震えていた。
「答えよ、何故あそこにサナルの兵たちがおるのだ…」
「で、殿下。」
「何故だと聴いておる、答えよっ!!」
「…っ」
「………っの、馬鹿者があっ!何故砦の兵士を私的な狩猟会に連れてきた!!これはまごうことなき反逆行為ぞ!!」
「そんな、私たちは殿下の事を想って…」
「私のため?ふざけるなっ!!狩猟会の主である私も同罪となりうる。父や、辺境伯、国民になんと詫びればよいのだ!?」
「…くっ」
「…っここはエミリアのいる修道院が近いっ」
「殿下、どこにっ、なりません!!お逃げ下さい!」
「放せっ!エミリアが危ない。我が辺境伯らと共に先頭にたち、隣国を押し返さねばっ」
「なりません!!誰か殿下を首都にっ」
「放せぇえっ!!エミリア、エミリアぁああっ!」
私は兵士達に傍を固められ、首都に護送されることとなる。
その後、私は父の厳しい叱責と共に戦争が終わるまで謹慎を余儀なくされた。
……私の心が死んだのはエミリアが死んだと言う訃報を聞いた時だった。
「エミリアが…死んだ?何の冗談です…修道院までは敵は進軍出来なかったと聞きました。それならば、エミリアは無事なはずですっ、父上、何かの誤報です、そうです…そのはずですっ」
「……」
「そう、と言ってください、お願いですっ父上っ….」
「……皇太子よ、エミリア嬢は亡くなった。」
「うそだっ、うそだ嘘だ嘘だっウソだ…」
「エミリア嬢は弱い身体をおして、負傷兵の世話と手当てに当たった。食事もとらず、運びこまれてきた兵士たちの傷の治療に懸命に当たっていたそうだ。その無理が祟り、大聖堂で眠る様に亡くなっていたという。」
「っ――、」
私が、私が、狩猟なぞに行かなければ、戦争なんて起きなかった、私のセイデ、私の私の、私のせいで、エミリアが死んだのか?
「エミリアぁあぁああ゙ああ!!」
「皇太子っ!!皇太子っ、しっかりするのだ!!誰か侍医をっ!」
―――その後のことはよく覚えていない。
幸せな夢を見ていた。エミリアと結婚し、愛を育む夢を。
……夢を、儚い夢を見ていた。
私の意識がハッキリと戻ったのはバチンッと思いっきり平手打ちをされた時だった。
「わたくしはエミリアではありません!」
あ、いや確かにエミリアには似ても似つかない女性に私は首を傾げた。
「……確かに其の方は私の知るエミリアではないが…誰であろうか?」
その言葉にその女性は目を見開き、おかわりと言わんばかりに私の反対の頬を平手打ちした。
「……つまるところ、私は正気を失くし、貴女と結婚。ずっとエミリアと重ねあわせ、子まで儲けたと。しかも、皇帝位を継承できず廃太子となったと…己のことながら何と不甲斐ない。」
「…正気に戻られたのですか?」
「………私はどれほど正気を失くしていた?」
「……っ」
エミーリアと言う妻に私は力なく笑った。申し訳ない気持ちと救われたような不思議な気持ちだ。長い間かかっていた深い霧が晴れたような気持ちになった。
「………苦労をかけた。貴女への償いは…限られているだろうが精一杯、報いたい。」
彼女は私の被害者であり私の恩人だった。誰一人触れようとしなかった腫れもののような私を文字通り正気に戻してくれたのだ。
「すまない……ありがとう。」
その言葉がやっと出せた時、私は涙が止まらず、暫く泣き続けた。
この時、私はようやく幼い日から続いた恋への別れと、最愛の女性の死を受け入れることができたのだ。
その後、北の辺境の地で私は軟禁されることを受け入れた。
毎日、首都にいるエミーリアと息子の幸を願い、花壇に花を植え水遣りが日課になった。その花を邸内にある礼拝堂に飾り、エミリアの冥福を祈る。
やがて、病に罹ったが延命は望まず私はひとりその地で最期を迎えた。
気がつけば孤児のクロムとして生まれ変わった私はそのまま聖職者となった。私の罪はまだ償えていないと神に言われているような気がしたのだ。
案の定、なんの巡りあわせか私は聖マグノリア修道院の司教に任じられたのである。大聖堂には水晶の棺に眠るかつての婚約者の亡骸が見せ物のように安置されている。
エミリアはその後列聖され、聖女となり様々な要因でその亡骸は腐敗しないと言う奇跡を起こしていた。
私は彼女の亡骸を管理せよと神様に言われているような気がした。だから、朝は棺桶の周りの清掃から始まり、参拝客が帰ればベルベット生地の幕で棺桶を包む。その後の祈りは忘れない。
その日は、貴族の女学院の生徒達が課外授業で大聖堂に訪れていた。大聖堂を案内しながら、私はふと一人の少女を見て瞠目する。
……彼女だ。エミリアだ。
恐らく、私と同じように転生したのであろう。
だが、不思議と気持ちは凪いでいた。昔の私なら高揚していただろう。彼女の幸せそうな横顔に、心底安堵した。
もしかしたら神様は、この日のために私を転生させてくれたのだろう。赦されてはいないが、温情を下さったのではないだろうか…彼女の幸せそうな姿を見れただけで充分だ。
その日の夕方、いつも通り聖櫃に幕をかけると大地母神の像を見上げた。
「……慈母よ…感謝いたします。どうか、今世のエミリアの未来に幸在らん事を。」
でも、彼女が結婚する時、結婚式はできればこの修道院では勘弁してほしい。たぶん、結婚式の最中に号泣してしまうから。
まさかの冒頭に出てくる案内役の司教が実は元皇太子でしたー。
この皇太子はかなりお間抜けさんです。実はただ失恋しただけで、自分の罪を自認して諦めようとしてました。戦争起こす気はありませんでした。だがね積もれば山。エミリアにした理不尽な罪のせいで今世も来世も結ばれることはありません。
この物語は、どこかしらに出てくる登場人物と前世と今世がリンクします。次に出てくる人は誰でしょうね笑