現エミリアは困惑する。
私の名前はエミリア・ル・レアン(15)。レアン公爵家次女である。
現在、私は前世の自分の黒歴史を目の当たりにしている。
「はい、皆さん。静かに。コチラで眠られているのが聖エミリア様です。」
案内役の司教様は大聖堂に鎮座するクリスタルガラスの棺桶の前で膝を折ると祈りを捧げる。
棺の中には100年前の死体と思えない、まるで寝ているかのような女性の亡骸が鎮座していた。
白金の髪に美しいマリアヴェールと品が良い聖人のみ着ることを許される白いシルクの修道服にロザリオを胸に懐く姿は実に神聖だった。
彼女の名前はエミリア・フィ・オルフェ。激闘の時代に散った前世の私である。
「エミリア様、ぼんやりしてどうなさったの?」
「え、あ、ああ。そのわたくしの名前の由来がこちらにおわす聖エミリア様なので、こうしてお会いできて感動いたしておりました。」
「まあ、エミリア様の名前の由来が?」
「は、はい。父は信心深く、聖エミリア様のように清く心美しい子に育つ様にと。姉様も聖ヨハンナ様から名前を頂いてますのよ?」
「まあ!…さすが公爵様ですわ。」
……本当は名付けした曾祖母様の意向があったのだけど…ま、いいか。
前世の時は聞いた事ない聖女だなぁと思ったらまさか前世の自分だとは思わないじゃないか。
思わず、気が遠くなった。アレは私の黒歴史そのものだ。
100年前、私は日本人の魂を持って生まれた。公爵家の令嬢として生まれた私はあまりのカルチャーショックに混乱をきたした。
世界、貴族社会、社交界、宗教観…食文化…魔法技術。
日本の一般人には何もかも馴染めずにいた。食事も濃い味や脂っこいものが多く、肉料理中心。
女の子の扱いもわからない従兄弟や兄達に可愛がりと言う名の遊びに付き合わされ、泣いて嫌がれば女なら男の言うこと聞かないなんて生意気だー!てかえっていじられたし、剣士ごっこにつきあわされた時には、肋骨と右腕を骨折させられて軽い男性不信になるよね。普段、兄弟仲がいいのね。と流していたおっとりした鈍い両親だけどその時は流石に激怒して叱ってくれた。それ以来、兄はもちろん剣を帯刀した騎士とか怖くて近寄れなくなった。
女の子の友達を作ろうとしたけど、兄目当てか利用目的の女の子しか寄ってこないし、いつもイケメンな従兄弟や兄達といる私は男好きな女と嫌厭した子もいる。軽くストレス性胃炎になった。
そんな時、公爵家の令嬢として縁談が決まった。相手はこの国の皇太子だった。
皇太子は兄達タイプの男子だった。何かにつけて私を連れ出しにかかり困らせた。レディではなく小間使いのように馬鹿や、ノロマと罵られ、ピクニックに行くと急に言いだして私を連れていくと飽きたら私を置いてとっとと帰るし、舞踏会では綺麗な令嬢とのダンスが好きらしく、私とのファーストダンスをそこそこに美人とのダンスを大いに楽しまれた。
当然、他の令嬢からは嘲笑されたし、他の貴族からも舐めた態度をとられた。両親は慰めてくれたが兄や従兄弟からはお前がしっかりしないからと叱責され、親戚からはがっかりされた。
その時点で私は限界にきていた。胃に穴が空いたのだ。
皇太子が臨席する晩餐会で、吐血した私は倒れた。
身体も心も限界だったのだ。涙する両親に、その時生まれてはじめてお願いをした。
『お願いです婚約解消させて下さい。』
両親に、今まで兄達や従兄弟達との遊びが辛かったこと、骨も折られ、男性が怖くて仕方ないことや、社交界の令嬢たちの私への嘲笑、私を舐めた貴族達の理不尽な態度、皇太子のモラハラパワハラ、公爵家令嬢として一度として敬意をはらわれたことがないこと、溜まっていた心の内を全て言った。
『公爵令嬢として失格なのは分かっています。ですが、もう耐えられません、兄達や皇太子殿下が来られない、北の聖マグノリア修道院での聖導への道をお許しください。』
聖導とはすなわち修道女になりたいと言う言葉である。
両親はただ、私の胸の内を聞いて黙ってその通りにしてくれた。
私は、公爵家のエミリアから修道女のエミリアになった。
修道院の暮らしは快適とは言いがたかった。今まで下働きをしたことのない公爵令嬢が水汲みや掃除まで身分関係なく分担する。手は途端に荒れたが公爵家にいるより心が楽だった。朝早くに神に祈り、修道女仲間と談笑しながら孤児院の子達の分まで朝食をつくって卓をならべ、一緒に神に感謝して食事をする。
食事も芋や野菜が中心で、お肉は贅沢品だった。たまに、肉料理が出るが、その時は食べ盛りの孤児達に自分の分をあげたりしていた。いまだに肉料理が苦手だったのもある。
土いじりも苦じゃなかった。野菜を育てるのは気が紛れたし、成長する過程をみるのも小学生の理科の宿題以来で楽しかった。慣れない農作業で小馬鹿にされたけど、ブランクが違うのだしかたない。来年は何を植えようかとワクワクしていたのを覚えている。
なにより、大聖堂で歌うのは楽しかった。聖歌だけだけど、聖歌隊のみんなと綺麗な音を出せると明るい気持ちになれたし、穏やかなきもちになれた。皇太子や兄達が面会に来たことまであったが、お優しい大司教様方が追い払ってくださり、心底ホッとしていたのを覚えている。
そんなささやかな幸せと穏やかな暮らしは終わりを迎える。
近くの国境で戦争が起こったのだ。負傷した兵士や周辺住人が修道院に傾れ込んできた。兵士や騎士を見て正直びびっていたが、前前世が看護師だった私は根性で怪我人の世話をしたり、両親に救援を依頼したり、隣の領主達に救援をお願いし食糧確保に回った。戦争中に兵士の衛生面を改善して生存率を上げたナイチンゲールを心の底から尊敬した。
内臓深くまで怪我したひとの手当したり、疲労困憊で食欲が湧かなかったせいか結果的に過労と栄養失調で私は倒れた。
その最後は夕方の包帯替えをおえて、大聖堂で一休みするつもりで椅子に腰掛けたのは覚えているが、気がついたらまた転生していた。
あまりにも呆気ない死に方に自分でも乾いた笑みしか浮かばない。
そしたら、また公爵令嬢に生まれていた。
幸い今世の兄は文官気質で気性が柔らかく、姉のヨハンナは淑女として名高く、来月には皇太子妃となられる。今世の両親も良い人達だった。
……また修道女になりたいとはとてもじゃないが言えない。
自分の将来に悩み、女学院に入学し今、課外授業でかつての自分の死体を見ながら途方にくれていた。
「…エミリア様はこの大聖堂の椅子に座りながら亡くなられていたのを発見されました。その姿はまるで神様にお祈りしているようだったそうです。」
「司教様、エミリア様は何故、お亡くなりに?」
「当時、当院の近くで国境侵犯がおこり、隣国との戦争になり多くの兵士が死傷しました。その際、当院は負傷兵の療養所となっていました。エミリア様は、当時からお優しい方で孤児たちに自分の食事を分けておられ、怪我人の兵士達の治療をするさいも飲まず食わずで手当てをされていたそうで、栄養失調と過労から亡くなられたそうです。」
「……なんと、」
涙ぐむクラスメイト達の中で、私は冷や汗を垂れ流していた。
そんな崇高なもんじゃない。あの時、他の修道女達だって不眠不休で兵士達のお世話してたし、孤児院の孤児たちも避難してきた人たちのお手伝いを頑張っていた。大司教様だって老体に鞭打って亡くなった兵士の弔いや、食糧医療物資の確保に奔走していた。あの時、誰も休む暇なんかなかった。
少ないながらも食事だってきちんと用意されていた。なのにこれは血だらけの兵士さんの傷の手当てをしてたら食欲失せちゃってろくに食べなかった自分の不摂生が招いた死だ。恥ずか死ぬとはこういう事を言うのじゃないかな。
「エミリア様の功績はそれどころに収まりません、なんと隣接する領主達への救援要請をし、ご実家のオルフェ公爵家からの救援を呼ばれ、支援物資の迅速な補給をされました。医療や食糧、薬も万端となり、皇国軍は防衛に成功。早期戦争の終結をもたらしたとか…。残念ながら、エミリア様は終戦を見る事なく逝去されましたが、人々を助けんとするその心にうたれ、大神はエミリア様を列聖をする旨を神託として聖オーナテリア教国の教皇府に下されたとあります。その証として、エミリア様の額をご覧ください。」
…恐る恐る、額のあたりを見ると、うっすら赤い紋様が浮かんでいる。十二大神の一柱、大地母神エリアナリアの吉祥紋である。それを見て、エミリアは顔を青くさせる。
アレはエミリアが前世、エリアナリア神の像の所で移動中に転んで頭から吉祥紋のレリーフに突っ込んで拵えた痣だ。死後になんで残っているか謎だが、まさかの解釈に全身小刻みに揺れる。
違うの、ちょっとドジって転んで出来た跡なの、聖痕とかじゃないのぉおお!
羞恥心に私は思わず手で顔を覆った。もう見てられない。
「司教様、何故エミリア様のご遺体はこのようにお綺麗なままなのですか?」
あ、それは私も知りたい。転んだ痣までキッチリ残っているのは不思議だし、
「…それは私達にも未だにわからない事で、神の奇跡と言われています。」
案内役の司教様曰く、今から20年前、北のクルーシカ火山の麓にあった聖マグノリア修道院は火山の頻繁な小規模噴火により、首都のこの地に移転することになり、大聖堂の地下墳墓の遺体も同じく移転することになった。その際、発掘された私の棺桶も老朽化しており、遺体を別の棺桶に移し替えることになったそうだ。そして蓋を開ければあの姿のままで大騒ぎになったらしい。
「当時の大司教様の手記では戦争中のゴタゴタのため、ご遺体を防腐処理ができないまま簡素な棺桶にいれて埋葬されたことを嘆かれておられました。しかし、朽ちた棺桶で眠るエミリア様はあのように腐っておらずその亡き骸からは薔薇の香りすらしたと言われ、生前のままああして奇跡を体現されているのです。」
違うの、司教様。多分だけどあの初代エミリアは屍蝋化しているだけなのよ。火山の近くで湖も近かったし、何らかの条件を満たして身体が蝋燭化してしまっただけだと思う。薔薇の香りは多分だけど前世の母が餞別に薔薇のポプリ袋を棺桶に入れておいてくれたからじゃないかな。前世の私はよく庭の薔薇でポプリを作っていたから。
「詳しく知りたい方はこのブライド大司教の手記をお読み下さい。当時のエミリア様のご様子が克明に書かれておりますよ!」
笑顔の司教様に私は苦言を呈したくなった。亡き大司教様の手記で商売すんじゃないと。あのお優しいブライド大司教様もまさか自分の手記がお布施の商品になっているとは思わないだろう。私は思わず大司教様の冥福を祈った。
。
自分の死後の死体を晒されるのも嫌だけど、日記を晒されるのも嫌ですよね…