【コミカライズ】政略結婚のすゝめ〜一途な令嬢は初恋の公爵令息を振り向かせたい〜
「政略結婚のお相手に、わたしなんていかがでしょう?」
このセリフを口にするのは、十歳の頃から起算して実に五回目。
お相手は毎回同じ人。金色のフワフワした髪の毛に神秘的な色合いのアースアイ、アンニュイな雰囲気が堪らなく素敵なわたしの幼馴染、ソルリヴァイ・アースレアド公爵令息だ。
「――――――毎回聞くけど、どうして?」
「だって、我が家はソーちゃんと同じ公爵家で、家格も釣り合っているし。持参金もたっぷり用意できるし。
年齢だって同じで、顔は――――まあ、そこそこというか。破滅的じゃないと思うし」
ここまでは前回までのプレゼンと全く同じ内容。だけど、今年は新しい要素をもう一つ用意している。
「この三年間、花嫁修業をしっかり頑張ったから、将来絶対にソーちゃんの役に立つよ」
言えば、ソーちゃんはピクリと反応する。こちらをまじまじと見つめながら、彼はそっと首を傾げた。
「具体的には?」
「それはもう! 公爵家の奥方様に必要な、ありとあらゆる知識を身に付けたんだから。
社交術や礼儀作法もバッチリだし! 刺繍や語学、乗馬にダンスといった貴婦人の嗜みは一通り修めたよ。それに、お父様から領地の経営方法だって学んでるの! もちろん、ソーちゃんがこれでもまだ足りないって言うなら、いくらでも必要な知識を身に付けるつもりだし」
この三年間、公爵夫人であるお母様を参考に色んなことを学んできた。
ソーちゃんと結婚するために。彼が『わたしで良いよ』って言ってくれる日を夢見て。
「そっか」
ソーちゃんはそれだけ言うと、くるりと踵を返してしまう。
連敗記録更新。どうやら今回もダメだったらしい。
「結婚、したいんだけどなぁ」
彼の後姿を見送りながら、わたしはため息を吐いた。
***
ソーちゃんと出会ったのは、わたし達がまだ八歳の頃。
お父様に連れられて、王宮で開かれた四大公爵家の会合に赴いたのがキッカケだ。
貴族の子どもっていうのは、同年代との出会いが極端に少ない。周りは皆大人ばかり。お父様やお母様、侍女や執事たちは優しくしてくれるけど、自分と同じ目線で遊んでくれる人なんて皆無で。
だからわたしは、ソーちゃんと出会えてとても嬉しかった。
ソーちゃんは素っ気なかったけれど、わたしが側に居ることを許してくれて。二人で王宮内を探検したり、それぞれのタウンハウスで本を読んだり。
途中から一つ年上のアルバート殿下も加わって、かけがえのない楽しい時間を過ごした。
翌年も、わたし達は二人揃って王都に赴いた。
数週間に渡る長い滞在期間。
ソーちゃんはわたしに色んなことを教えてくれた。
真剣な横顔が綺麗で、カッコよくて、勉強そっちのけで見惚れてしまう。
それからソーちゃんは、わたしのどうでも良い話を、時折相槌を打ちながら静かに聞いてくれた。本当は鬱陶しかったのかもしれないけど、それでも隣に居ることを許してくれた。
穏やかで優しい、温かな時間。
領地に帰って以降も、考えるのはいつもソーちゃんのことばかり。
どうやったらもっと一緒に居られるんだろう?
ソーちゃんの隣に居られるだろう?
そんな疑問を投げ掛けたら、お父様がこう答えた。
『すまなかった、ミラ! 父様としたことが、もっとミラとの時間を作るべきだったんだな! 母様とも話して、もっとおまえとの時間を作れるよう努力するよ』
『えぇ……? わたしが聞きたいのはそういうことじゃなくて……』
残念。わたしが一緒に居たい相手はお父様じゃない。
尋ね方を間違えたことに気づいたものの、今さら聞き返すのも面倒で。
だけど、お父様の頓珍漢な返答の中にもヒントはあった。
(そっか! 結婚したら良いんだ!)
お父様とお母様がわたしと一緒に居るのは、二人が結婚したからだもの。
周囲から『貴族の結婚とは』『政略結婚とは』という話を聞かされ始めていた当時のわたしにとって、ソーちゃんとの結婚はあまりにも魅力的かつ単純明快な最適解だった。
そんなわけで、翌年以降、わたしからソーちゃんへの『政略結婚プレゼンテーション』が始まったのである。
◇◆◇十歳◇◆◇
『結婚?』
『そう! 政略結婚! わたしをソーちゃんのお相手にどうかなぁと思って』
ソーちゃんがご家族から結婚についてどんな風に言われているかは分からない。だけど、話してみなきゃ始まらないもの。
尋ねながら心臓が激しく鳴り響く。
自分を売り込むのって思っていたよりもずっと緊張する。『嫌』とか『お前じゃダメ』とか言われたら凹んでしまうもの。ソーちゃんの返答を待ちつつ、ごくりと唾を飲み込んだ。
『まだ十歳だし、そういうこと、考えたこと無い』
ソーちゃんはそう言って、ふいと顔を背けてしまう。
まだ十歳――――ソーちゃんのお家はそういう考え方なのだろう。
家だって、お父様は『おまえに結婚なんてまだ早い』って言っていたし、貴族は幼い頃に婚約を結ぶものって考えが全てではないもんね。
『そっかぁ……じゃあ、来年会うまでに考えといてね!』
そんな感じで、この年のプレゼンはあっさりと終わった。
◇◆◇十一歳◇◆◇
迎えた翌年。
意気揚々と同じ提案をしたら、ソーちゃんは『なんで?』って理由を聞いてきた。
『だって、わたし達のお父様はどちらも公爵でしょう? そりゃあ、アルバート殿下の従弟であるソーちゃんの方が身分はずっと上だけど、同じ年ごろでわたしよりも高位の令嬢って居ないし、丁度良いんじゃないかなぁと思って』
できるだけ高位の貴族と結婚するのが望ましい――――ソーちゃんだって当然、そんな風に教えられている筈だ。
『……家柄だけじゃ決め手に欠けると思うけど』
ソーちゃんはそう言って首を傾げる。
『えぇ~? そうなの?』
『じゃあミラは、アルバート殿下に【家格が釣り合うから結婚して】って言われたら、それだけを理由に結婚する?』
『え? それは…………しないかも』
いや、相手は王族で、本気で『結婚しろ』って言われたら断れる立場にはないんだけど。
(そっか。家柄だけで十分な理由になると思っていたんだけどな)
政略結婚というからには、もっとメリットを提示しなきゃいけないものらしい。
十一歳のわたしはガックリと肩を落とした。
◇◆◇十二歳◇◆◇
翌年、わたしは更なる切り札を手に、ソーちゃんに挑んだ。
『ソーちゃん! わたしと結婚したら、持参金がたんまり貰えるんだって!』
これでどうだ!という気持ちで身を乗り出すと、ソーちゃんは目元をやわらげ、ふっと声を出して笑った。
『それ、誰に教わったの?』
『家庭教師よ。結婚の決め手になるのは何だと思う?って尋ねてみたら、そう教えてくれたんだ』
そもそも、政略結婚の形はいくつかある。
一つ目は、家名はあるけどお金のない高位貴族に資金援助を申し出て、地位や名誉をお金で買うパターン。
二つ目は、ビジネスパートナーなんかが繋がりを強固にするために行う形の結婚。
三つ目は、争いや戦を回避するために、人質を差し出すというもの。
等々。
わたしとソーちゃんの場合、二番目の結婚の形が一番近い。だけど、別に理由なんて一つじゃなくても良いわけで。お金があることは良いことだし、それでソーちゃん(のお父様)の領地が潤えばわたしも嬉しい。
『ミラ。うち、お金には困ってないよ? 寧ろ、結婚したらミラに今よりも贅沢をさせてあげられると思うけど』
『分かってるよ。だけど、それが一番理由としてしっくりくると思ったんだもの!』
そりゃあ、ソーちゃんは王族の一員で、お金なんて有り余るぐらい持っているんだろうけど、わたしと結婚するメリットを提示しろって言われたらさ。客観的にも『これだ!』って思える理由の方が良いじゃない? お金(=数字)って主観が入らない分、比べやすいし。
『もっと他にないの? 俺達が結婚すべきだっていう理由』
『うーーん……』
正直、これならイケる! って思っていたから、他の理由は考えてない。しょんぼり肩を落としたら、ソーちゃんは小さく笑いながらポンポンと頭を撫でてくれた。
『思いついたら教えて』
ぶっきら棒な声音。おまけにいつも通りの無表情だけど、わたしにとっては十分で。
『うん! 頑張って考えてくる!』
十二歳のわたしは、満面の笑みで翌年のリベンジを誓った。
◇◆◇十三歳◇◆◇
『で? 今年の理由は?』
『今年は――――ほら、わたし達は同い年でしょう? 話題が合うっていうか、色々と釣り合いが取れているかなぁなんて』
さんざん悩んだ挙句、十三歳のわたしが用意できたのは、そんな弱々しい理由だった。
『年齢、ね』
『うん……年が離れていると、どっちが先に老いるとか、そういう話も出てくるっていうし。一度きりの人生を同じ目線で歩き続けることができるって、有難いことなんじゃないかと……』
自信がないせいもあって、段々声が小さくなってしまう。ソーちゃんは困ったように首を傾げながら、わたしをそっと覗き込んだ。
『他には? もっと何かないの?』
『他に――――――わたし、一応顔も悪くないと思うんだけど、どうかな? ソーちゃんの好みじゃない?』
全然何も思いつかなくて、そう口にしては見たものの、刹那。物凄い羞恥心に襲われてしまった。
(どうしよう! 穴があったら入りたい!)
自分で自分の顔を悪くないとか! 絶対痛い女だと思われてる。ううん、そんなの元々かもしれないけど、更に幻滅されたかもしれない。
『ミラ』
ハハッて声を上げてソーちゃんが笑う。わたしが知る限り、初めてのことだ。
悲しくて、俯いたわたしの手をソーちゃんが握る。ほんの少しだけ顔を上げたら、彼はひどく優しい顔で微笑んでいた。
『去年までの理由よりはマシかな』
『本当!?』
尋ねながら、思わず目を見開く。
我ながら、何が勝因なのか全く分からない。だけど、理由なんて分からなくても、ソーちゃんの気持ちを動かせたのなら、それが正解だ。
『来年も理由を考えてきてよ』
『……うん!』
頷いてはもらえなかったものの、結婚について少しだけ前進したのは確かだと思う。
わたしは嬉しくて堪らなかった。
だけど、翌年からお父様は、わたしを王都に連れて行かなくなった。
なんで? って尋ねてみても、『お前は知らなくて良い』の一点張り。
お陰でわたしは、ソーちゃんと会うことができなくなってしまった。彼に政略結婚の提案をすることも。
(会いたいなぁ)
心からそう思うのに、ソーちゃんの領地は物凄く遠い。簡単に会いに行ける距離じゃないし、当然お父様にも止められてしまった。
仕方がないから、わたしはソーちゃんに手紙を送ってみた。
だけど、返事は一通も返って来なくて。
毎日侍女達にわたし宛の手紙を確認し、落胆する。
もしかしたらソーちゃんは、わたしが側に居るのを物凄く迷惑に思っていたのかもしれない。優しいから嫌だって言えなかっただけで。
だけど、このまま終わるわけにはいかない。
我が国の貴族の子女は、十六歳になったら王都にある学園に集められ、学ぶことを義務付けられている。
十六歳になったら、わたしはソーちゃんと再会できる。
なんなら、毎日会える。
ソーちゃんに再会できるその日のために、わたしは自分磨きを始めた。
いつかソーちゃんに『わたしで良いよ』って言って貰える日を夢見て。
◇◆◇十六歳◇◆◇
しかし、現実はそう甘くなかった。
待ちに待った再会。
折角頑張って政略結婚の理由を用意して、きちんと努力もしてきたのに、ソーちゃんの反応はあまりにも薄い。
『そっか』って……そっかってさぁ!
まあ、そんな塩対応もソーちゃんらしくて好きなんだけど。
その時だった。
「ソルリヴァイ様!」
愛らしい令嬢の声音に振り返る。
見れば、わたしが居るガゼボから少し離れた所に、ソーちゃんと数人の令嬢が居た。
公爵令息であり、まだ婚約者の居ないソーちゃんはモテモテで。中には、わたしとは別口の幼馴染なんかもいるみたいだから、戦々恐々としてしまう。
(嫌だな)
ソーちゃんが他の子と一緒に居る所を見たくない。
他の子がソーちゃんと結婚しちゃうなんて、考えたくもない。
これまでは二人きりで会うことが多かったから、こんな想いに駆られることはなかった。頑張ったらいつかは想いが届いて、ソーちゃんと結婚できるんじゃないかと思っていたのだけど。
「驚いた。君もまだアイツとの結婚を諦めてなかったんだ」
揶揄するような声音。
振り向けば、想像した通りの人がわたしのことを見つめていた。
「アルバート殿下。ご無沙汰しております」
「うん、久しぶりだね。ミラ」
ガゼボの向かいの席に腰掛け、殿下はゆっくりと目を細める。
「ところで『まだ』って……どうして殿下は、わたしがソーちゃんとの結婚を目指しているとご存じなんですか?」
「どうしてって……君がソルリヴァイに政略結婚の提案をしていた時、僕もその場に居たんだけどな」
「えぇ?」
そうだっけ? 正直、全く覚えていない。
だけど、よくよく考えたら、いくら幼くとも男女を二人きりにはしないかもしれない。
それにしても、アルバート殿下か……一体どのタイミングで居たんだろう?
頑張って記憶を辿ってみても、ちっとも思い出せそうになかった。
「政略結婚の相手に最適、だったっけ。ミラはポジティブで良いよねぇ」
「……殿下が良いと思ったところで、ソーちゃんに響かなきゃ意味無いですけどね」
くそう、アルバート殿下め。
彼は底意地が悪い人なので、全く褒められている気がしない。
「アプローチする相手を僕に変えてみる? そうしたらすぐに響くよ」
殿下はそう言って、ニコニコ笑いながらわたしの頭を撫でる。
「謹んでご遠慮させていただきます。わたしじゃ王太子妃は務まりませんよ」
十七歳になる殿下には未だ婚約者が居らっしゃらない。王家が妃に相応しい女性を探しているのはわたしも聞き及んでいるけど、幼い頃からの付き合いなので、単に妹のように扱われているだけだ。
「そう? だけど、君と政略結婚をするメリットを聞くに、十分当てはまっているように思うんだけどなぁ」
「いえいえ。あれはソーちゃんに対してだからこそ言えたことであって、殿下にはとてもとても」
だってわたしは、ソーちゃんと一緒に居たいだけだもの。そのための手段が結婚というだけ。自分が政略結婚の相手として最適だって誰にでも言える程、自惚れてはいない。積み重ねてきた努力だって全部、ソーちゃんに向けたものだし。
「しかし殿下。やっぱり男性は、あれぐらい慎ましい女性の方が好みなのでしょうか?」
視線の先にはソーちゃんと、数人の令嬢。彼女達はソーちゃんを『ソルリヴァイ様』と呼び、己を過度に売り込むこともなく、いと優雅に微笑んでいる。
ソーちゃんだっていつもの無表情じゃない。少しだけど微笑んでいて、とても心穏やかではいられない。
「どうだろう? 僕は積極的な女性の方が好きだけど」
「そうですか……。いや、そうですよね」
結局のところ、ソーちゃんの心はソーちゃんにしか分からないのだ。
会えない間ソーちゃんにはソーちゃんの世界があって。その中にはわたしは入ってなくて。彼にはもう、心に決めた結婚相手が居るかもしれないのに。
(ソーちゃんの馬鹿)
完全に自分勝手だけど、そう呟かずにはいられなかった。
***
その翌日のこと。
寮から教室に着くなり、ソーちゃんはわたしを校庭へと連れ出した。
「昨日、殿下と何を話していたの?」
「あれ? ソーちゃん、気づいていたの?」
結構距離があったし。ソーちゃんは全然こっちを見ていなかったから、わたしたちが居ることを知らないと思っていたのに。
「当然だろう? それで、何を話してたの?」
ソーちゃんはそう言って、まじまじとわたしを見つめる。
「何って、挨拶とソーちゃ――――ううん、ソルリヴァイ様の話を」
「なにそれ?」
眉間にグッと皺を寄せ、ソーちゃんがわたしの肩に手を置く。
「何でいつもみたいに『ソーちゃん』って呼ばないの?」
「えっ……? それは、その……いつまでも『ソーちゃん』呼びじゃ子どもっぽいかなぁって。
あと、他の令嬢みたいに上品に振る舞った方が良いのかなぁとか、ソルリヴァイ様も実は嫌だったんじゃないかなぁと思って」
彼と出会ったのは八歳の頃。当時のわたしはどうしても『ソルリヴァイ』って名前がうまく発音できなくて。仕方なく『ソーちゃん』って呼び出したのが始まりだった。
そんな経緯に甘えて、いつまでも仇名で呼び続けていたわけだけど、昨日のソーちゃんの反応を見るに、本当は嫌だったのかもしれないなぁとか。わたしももっと、令嬢らしく振る舞った方が良いんだろうな、なんて思ったんだけど。
「ミラの馬鹿」
その瞬間、わたしは何故か、ソーちゃんにギュッて抱き締められていた。
(ええ? えぇええええ!?)
何で? どうしてわたし、抱き締められてるの?
どうして? どうして?
っていうか、抱き締められてることも謎だけど、何でわたし馬鹿って言われたの? 全部全部、ソーちゃんを思ってしたことなのに。
ちっとも訳が分からない。
だけど、ソーちゃんは何も言わない。
ソーちゃんの腕の中、彼の香りを強く感じる。こんなに近付くのは、出会って以降初めてのことだ。
温かくて、逞しいソーちゃんの腕。わたしと違って、男の子なんだなぁって実感して。
驚きと緊張から、変な汗が流れ落ちる。これ、ソーちゃんに嗅がれたら嫌だな。
心臓がバクバク鳴り響いているの、絶対気づかれてるし。
どうしよう? これ、どうしたら良いの?
「そのままで良い」
「……え?」
「ミラはそのままで良いんだ」
呟くようにソーちゃんが言う。
わたしは首を横に振った。
「だけど、わたしは変わらなきゃ。今のままじゃ、ソルリヴァイ様に結婚をオーケーして貰えないでしょう? そりゃ、変わったところでダメかもしれないけど、それでも」
誰だって、少しでも可能性を上げたいって思うじゃない?
言えばソーちゃんは不服気な表情で、わたしを真っ直ぐに見つめた。
「それは――――」
「それに、わたしだって少しは焦るよ。他の子から結婚を持ちかけられて、ソルリヴァイ様がオーケーしちゃったら嫌だなって思うから。だから」
「しない」
ソーちゃんが即答する。
思わぬことに、わたしは目を見開いた。
「本当に? 他の子から結婚を申し込まれても、オーケーしない?」
「うん。ハッキリ断るよ」
目頭がグッと熱くなる。
ソーちゃんはこれまで、わたしからの結婚の提案に頷くことは無くとも、完全に否定することもなかった。いつだって次の機会を与えてくれて、わたしは『また来年頑張れば良い』ってそう思えて。
「ミラ、どうして泣くの?」
ソーちゃんが首を傾げる。涙を拭いながら、無表情のままわたしを見つめる。
「何でだろう? 嬉しいから?」
完全に望みが無いわけじゃなかった。少なくとも、わたしはまた、スタートラインに立つことを許されている。チャンスを与えられているんだもの。
「名前」
「ん?」
「ミラ、呼んでよ。俺の名前。いつもみたいに」
ソーちゃんが言う。
いつもと同じ無表情。だけど、頬が少しだけ紅く染まっているように見えて。
「……ソーちゃん」
恐る恐る口にすれば、彼はゆっくりと目を細めた。
「ソーちゃん」
「うん」
別に用事なんてないのに。嬉しくて何度もソーちゃんの名前を呼んでしまう。
だけどソーちゃんは、邪険にすることなく、優しくそれを受け入れてくれた。
(結婚相手に、わたしなんてどうですか?)
今なら頷いてもらえるかも――――そんなことを思うけど、オーケーを貰えなかったのはつい昨日のこと。
わたしは必死に言葉を呑み込んだ。
***
それから数週間後のとある休日のこと。
わたしはアルバート殿下に連れられて、王宮へと向かっていた。
「わざわざお声掛け戴き、ありがとうございます。四大公爵家の会合――――もうそんな時期なんですね。父も意地が悪いなぁ。報せてくれれば良かったのに」
「ミラには報せられない事情があったんだよ。まあ、だからこそ、こうして僕がお膳立てしているわけだけれど」
そう言って殿下は朗らかに微笑む。
「事情、ですか?」
そもそもお父様は、三年前からわたしを王都に連れてこなくなった。理由も教えてくれないし、ソーちゃんに会える機会を一方的に奪われて、釈然としないのだけれども。
「そういえば、ソーちゃんは? ソーちゃんだってお父様にお会いできる貴重な機会でしょう? 誘わなくて良かったのですか?」
「大丈夫。あいつは既に王宮に居るよ。ソルリヴァイにとって、この会合はとても大事なものだからね。僕が声を掛けなくても問題ないんだ」
「……そう、なのですか?」
わたしと一緒に王宮に通っていた頃はそんな風には見えなかったけど、ソーちゃんは未来の公爵様だもの。後継者として、意識が変わってきたのかもしれない。
「さて、着いたよ」
アルバート殿下にエスコートされ、王宮に用意された控えの間へと向かう。
何もかもが懐かしい。ここでソーちゃんと遊んだなぁとか、色んなことを思い出してしまう。
殿下はそっと人差し指を立て、控えの間の扉を開ける。
豪奢で広々とした室内。そんな中、二人の男性が突っ立ったまま、何かを言い合っているのが目に飛び込んでくる。どちらもよく知っている顔――――お父様とソーちゃんだ。
「ソッ……!」
「しっ」
殿下はわたしの口を塞ぐと、無言で聞き耳を立てるような仕草をする。どうやら黙って見守れということらしい。理由はいまいち分からないけど、わたしはコクリと頷いた。
「――――お願いします。今年こそ、ミラとの結婚を認めてください!」
「君もしつこい男だな! 毎年言っているが、ミラに結婚など早すぎる! あの子は私の元でゆっくり過ごしてくれれば良い」
(は?)
予想だにしなかった会話の流れに、しばし呆然としてしまう。
今年こそ!?
毎年!?
っていうかソーちゃん、わたしとの結婚を認めてほしいって言った!?
つまり、わたしとの結婚を望んでくれているってこと!?
本当に!?
「俺達はもう十六歳です。学園内でも既に、大多数の令嬢に婚約者が居ます。
第一、ミラ自身が俺との結婚を望んでくれているのに、そんなことを仰って良いのですか?」
「本人がそう言ったのか? 三年間、手紙の一枚すら寄こさなかったような男と、ミラが結婚したいと?」
「手紙を握りつぶしたのは貴方でしょう? 俺はこの三年間、ミラにずっと手紙を送っていました。恐らくミラの方も同じでしょう。再会した時、ミラは変わらず、俺と結婚したいと言ってくれましたよ」
ソーちゃんの言葉に心が震える。
どうしよう。今すぐソーちゃんのところに行って、ギュッて抱き付きたい気分だ。
だけど、アルバート殿下は首を横に振り、事の顛末を見守るよう諭してくる。頷きつつ、わたしは静かに二人を見つめた。
「正直俺は焦っているんです。もしもアルバート殿下が、本気でミラを妃にと望めば、さすがの貴方も断ることができない。
そうなったら、俺の想いが叶うことは未来永劫無くなってしまう。その前に、何としても彼女と婚約したいんです!」
差し迫った表情のソーちゃん。
どうしてここでアルバート殿下の名前が? と思ったけど、見れば殿下の唇は大きく弧を描いている。彼の性格を鑑みるに、どうやら一芝居打ったらしい。
本当はわたしと結婚するつもりなんてないのに。ソーちゃんを焚きつけたんだ。
おまけに殿下はお父様とソーちゃんが毎年このやり取りをしていることを知っていて、わたしをここに連れてきたのだもの。中々の策士だ。
「お願いします! どうかミラと結婚させてください!」
「ダメだ! あの子に結婚はまだ早い! 大体、君なら政略結婚の相手はより取り見取りだろう! ミラじゃなくても良い筈で――――」
「俺は政略結婚がしたい訳じゃありません! ミラだから――――ミラのことが好きだから! 彼女を幸せにしたいから、結婚したいんです!」
「本当に?」
気づいたら、わたしはそう呟いていた。
アルバート殿下も、これ以上わたしを止める気はないらしい。部屋の中へと駆け込めば、二人は目を丸くした。
「ミラ! 一体いつからここに……」
「お父様は黙ってて!
ソーちゃん、さっきの言葉、本当? わたしのことが好きだって。わたしだから結婚したいって、本当?」
尋ねながら、目頭がとても熱くなる。
ソーちゃんがそんな風に思ってくれていたなんて、全然知らなかった。だって、政略結婚に頷いてくれなかったぐらいだもの。わたしのことなんて、少し仲の良い程度の幼馴染ぐらいの認識だと思っていたのに。
「――――好きじゃなかったら、こんな風に直談判したりしない」
「だって! だって‼ ソーちゃん全然そんな素振り見せなかったし! わたしの政略結婚のすすめにも、全然頷いてくれなかったじゃない?」
「それだよ」
「え?」
「ミラが『政略結婚』の相手にどう? って聞くから、頷くことができなかったんだ。理由も『家格が』とか『持参金が』としか言わないし。俺はそうじゃなくて――――ミラが好きだから結婚したいって、そう思って」
ソーちゃんの言葉に心が震える。
どうしよう。そんな風に考えてくれてたなんて全く知らなかった。
物凄く、嬉しい。
「だけど、それならそうと、一言言ってくれたら良かったのに」
「最初の頃は、ミラの真意が分からなかったんだよ。結婚について周囲が教え始めたから、興味が湧いたんだろうなぁとか。ミラの父親や母親からの期待――――本当に家格や家同士の繋がり目当てで、俺と結婚したいって言ったのかなって思ったんだ。
だけど、俺はミラが好きだし。
当時はまだまだ子供で、そんな状態で想いを告白する勇気は無かったんだよ」
ソーちゃんは照れくさそうに顔を背けつつ、そんなことを口にする。
「だったら、再会してからは?」
「――――最後に会った十三歳の時、ミラの父親に初めて『ミラと結婚させて欲しい』って伝えたんだ。結果は惨敗。ちっとも取り合ってもらえなかった。
それ以降ミラは、王都に来なくなってしまうし。手紙のやり取りすらさせてもらえないし。
ここまで来たら、きちんと結婚の許可を貰ってから、ミラに想いを打ち明けたいって思っていたんだ。ミラと公爵様を仲違いさせたくはないし、再会したミラは相変わらず『政略結婚』って口走るから」
「だって、政略結婚ならいつかはオーケーして貰えるかなぁって思ったんだもの!」
まさかそのことが、わたしの念願を妨げていたとは。
ソーちゃんは苦笑いをしつつ、わたしの頬をそっと撫でた。
「ミラ」
ソーちゃんがわたしの額に口づける。
お父様がギャーギャー言ってるのが聞こえるけど、今回の件は完全に自業自得だもの。殿下が抑えてくれてるし、全く気にならない。
勝手に娘の幸せを潰していたんだもの。少しぐらい――――ううん、猛省するべきだと思う。
「ミラ。俺と結婚したいと思う、本当の理由を教えてくれる?」
すりすりと頬擦りをしながら、ソーちゃんが強請る。
「俺は――――素直で天真爛漫で、いつも明るいミラが好きだ。強がりで、その癖物凄い寂しがり屋で、俺が側に居て護ってやりたいと思う。
それにミラは可愛い。物凄く可愛い。俺はミラの笑顔が好きだ。くるくる変わる表情が好きだ。本当に、好き」
飾り気のない言葉。
だからこそ、それがソーちゃんの本心だって実感できる。
「わたしも! ぶっきら棒だけど温かくて優しい、ソーちゃんが好き! ソーちゃんが頭をポンポンって撫でてくれると、心がポカポカと温かくなる。物凄く嬉しくなる。
ソーちゃんが時々見せてくれる、くしゃくしゃな笑顔が好き! 大好き!
ソーちゃんとずっと一緒に居たいって思った。離れたくないって思った! だから、ソーちゃんの結婚相手になりたいって……」
ソーちゃんがわたしを抱き締める。
「『ミラで良い』じゃなくて、ミラが良いんだよ。
改めて、俺と結婚してくれる?」
それは、ずっとずっと欲しいと思っていたお返事の言葉より、何十倍も何百倍も甘やかで。
おまけにソーちゃんの方から求婚されたんだもの。返事なんて最初から決まり切っている。
「喜んで!」
わたし達は顔を見合わせると、声を上げて笑うのだった。