第9話-同じような力
男は大導路よりも背が高かった。髪は金色に近い茶色に染めており、白目が大きいのに対して黒目が小さいのが印象的だった。その双眸が大導路をまっすぐに捉えている。
「気付いていないはずはないが、すぐ目と鼻の先で家が燃え盛っているんだが、お前はこんな所で何をしている?」
男の表情には好奇心や親切といった感情は無く、警戒心に満たされているようだった。
その時、大導路は自分が迂闊だったことを痛感した。他の参加者がどういう心境か確認したい、という願望は明らかに甘かった。少なくとも目の前の男は、こちらが正体を曝け出したあとに質問してそれに気軽に回答してくれるような雰囲気は無い。
しかし男の警戒心は敵意にまではまだ発展していないようにも感じられた。
「何をしていると言われても、ここは俺の家だ」
大導路は横の民家を指さして大嘘をついた。賭けであったが、ごく自然な態度で言えたと手応えを覚えていた。
男は虚をつかれたというような、意外そうな顔をしたあと頭を掻いた。
「なんだ、それじゃ俺の方が部外者だな。それにしてもこんな所で何をしているんだ」
警戒は一気に解けたようだが、さらに来た問いの答えを間違えないよう注意しながら回答する。
「どのあたりまで火が来ているのか確認していたんだ」
「そうか。俺はブラブラしている野次馬だが、もう消火が始まるだろうしこの辺りは大丈夫そうだぞ。さっきは結構火の粉が飛んできていたようだが」
男の気さくな態度をやや意外に思いつつ、もう少し深入りしたいという危険な気持ちを覚え始めていた。
「野次馬なのに火事の目の前じゃなくて、こんな何もない路地に来たのか?」
「ああ、いや実は人を探している。同い歳くらいの女を見なかったか?肩まで髪があって、背は百六十くらいだ。目を離している間にどっか行ってな」
「いや…見なかったね」
その女子は恐らく、先程の紅針盤で表示されていたもう一つの点の人物であり、つまり同じ戦いの参加者だろうと大導路は推測した。
同じ参加者であるなら『目を離している間にどこかに行った』は言葉以上にずっと深い意味があることになる。
目の前の男はその女子と戦い、決着がつかないまま逃げられた。そして男はしぶとく追いかけている、ということではないか。
絶対者の戦いの宣言から一日しか経っていないというのに既に戦っている、という事態に大導路は内心混乱を覚えていた。
思考していると男は大導路を追い越して歩き出した。どこへ向かうのかと思っているうちにすぐに屈み始めた。
男の屈んだそばには古新聞の束が置いてあった。このあたりの家がゴミ捨て場に置く前に路地に溜めていたものだろう。
その束の角に火が灯っていた。
「飛んできた火の粉が、たまたま新聞に落ちてきて引火したってところかね」
男が何気ない言い方で解説する。屈んだからには消火するのかと思っていたが、男は真近で眺めるだけで何もしない。そうしているうちに火はどんどん強くなっていき乾いた新聞紙に炎が広がっていった。
「おい、消さないとマズいだろう」
近所の家の者と詐称している以上はこの注意は妥当な意見だと受け取られるはずだ、と心中で思った。
「そうだな、もう少し大きくしてもよかったんだが」
男は意味不明なことを言うと新聞の上で踊っている火に手を伸ばした。無防備な素手だった。
「おい」
思わず声を出したが男は全く意に介さず、何の懸念もなく火に指を突っ込んだ。
ジュッ、という有機物の焼ける音が聞こえたような気がした。しかし実際に聞こえてきた音は何も無かった。
気のせいか炎が小さくなっていっているように見えた。そしてすぐに気のせいではないことに大導路は気づく。男の指を舐めていた炎は明らかに徐々に弱くなっていた。
注視してよく見ると炎の揺らぎ方が妙だった。燃える炎は指に吸い込まれているかのように、常に炎の舌先は指の腹に当たっていた。
見る見るうちに炎は弱くなり、そして完全に消えた。乾いた新聞紙の上で燃えていた炎は、消化剤も無く水一滴も無いのに完全に消滅した。干渉したものは男の指一本のみだ。
大導路には炎が指に吸い込まれたように見えていた。何が起きているのかと思考するが、すぐに真実にたどり着く。
能力。絶対者に与えられし一人一つの力。
あまりに非現実的で超越的であるため眼前の事態を見てもなかなか受け入れられないが、しかし確固たる事実がある。
自分も同じような力を持っているという事実だ。
それならば目の前の男に何ができても不思議ではなく、今起きている事象も受け入れるしかないのだ。
「今なにか…変わったことをしなかったか?」
思っていた疑問をそのまま男にぶつけた。極めて素直に質問できるのは、自身が同じ能力者だと知られていないがゆえだ。
「ん?いや別に。気にしなくていい。どうせ言っても分からないだろ」
男は雑に受け流す。
「どこに行ったかな…。このあたりはタクシーも通らないし、すぐに遠くに移動できるとは思えないが…」
「さっきの女子のことか」
「そうだ。探しているが自力で探せる気はしねーな」
瞬間、脳裏に電撃が走った。心臓の鼓動も早くなる。
自力で探せないのは確かで、この住宅街で一人の人間を見つけるのは容易ではない。しかし自分と同じように相手も探す道具を持っているはずだ。背中に嫌な汗が伝った。
探している相手が能力者なら、紅針盤を使おうと考えるのは自然なことだ。実際に何回か使ったうえで今の状況である可能性が高い。
しかし今この場で使われてしまうのは極めてまずかった。バレてしまう。自分も参加者であるという事実が。
男が本気で探しているのならすぐにでも紅針盤を使うはずだが、まだ使っていないということは考えられる可能性は二つあった。
既に五回使っていて残数が無いか。あるいは残数はあるものの残り一、二回しか無いので容易には使えないか、だ。
前者なら安全だが、後者だとしたらこんな至近距離にいるわけにはいかない。
大導路はゆっくりと、未だ屈んでいる男の背中を見ながら後ずさった。無言で後ずさるのも不自然なので声はかける。
「残念ながらお役に立ちそうには無いので、俺は失敬するよ」
二歩、三歩。ゆっくりだが確実に離れていく。これでいい。路地の角を曲がって相手の見える範囲から消えたなら走り出す。短時間で二キロ離れるのは至難だが、しかし急がねばならない。
集中して慎重に動いていると声がかかった。
「なぁ、今何時だ?」
男は屈んだまま、そして背中を向けたまま声を発した。
「今は何時なんだ?ふと気になってな」
「時間か、ちょっと待ってくれ」
心臓が高鳴ったが平静を努める。
時間を聞かれただけだ。制服のズボンのポケットに入っているスマートフォンを取り出そうとした。
「いや、そうじゃない。腕時計だ。腕時計を着けているだろう」
大導路がスマートフォンを取り出そうとしていることに男が見ないで気づいたのは、ポケットをまさぐっている音が聞こえたからだろう。
しかし男の意図の分からない発言に、大導路はただただ不気味な予感を覚えた。
「腕時計?俺は時計を着けていないんだ。時間はスマホを見ないと分からない」
「そうなのか?俺はてっきり腕時計を着けていると思っていた。だってお前…」
男は依然として背中を向けたまま、しかし背中から威圧感を放ちながら喋った。
「俺が最初に後ろから話しかけた時、腕を上げていただろう。胸の高さまで。こういう感じに、まるで時計を見るときのように腕を上げていただろう」
男は左腕を胸の高さまで上げていた。
「ふと気になったというのはそれだ。あの時、何で時計を見るような仕草をしていたんだ?まるで…」
男は今、どんな表情をしているのかは分からない。分からないが尋常でない気迫が男にあった。
「まるで、左手にあった何かを見ていたみたいじゃないか」