第56話-死地激戦 その④
誓囲と美刻に攻め続けられて、身体的なアドバンテージを有していた皆噛見も苦境に立っている自覚を覚え始めていた。
さらに一つの可能性を警戒していた。大導路を攻撃した時に大導路が落とした蒼刃は、今はリビング入口の大扉あたりに転がっている。あれを誓囲か美刻に拾われるとまずい。
皆噛見は隙をついて跳躍し、リビングの扉あたりに着地した。蒼刃は足元にある。ひとまずリスクを軽減させた。
誓囲と美刻は蒼刃に目を落としつつも、それを拾って攻撃することは容易じゃないと把握しているため迂闊には近づかない。
美刻はキッチン側が無警戒になったのを狙って再びキッチンに飛び込み、包丁を数本取り出した。持ちながら皆噛見へ詰め寄る。絶妙な位置に飛び道具を配置するつもりだ。
一瞬、誓囲が美刻へ近づいて何事か言葉を発した。美刻は誓囲の顔を様子見たあと頷いた。
誓囲が皆噛見と付かず離れずの距離を取って牽制しあっている間に、美刻は皆噛見の周囲を警戒しながら包丁を放った。包丁はいずれも空中で静止した。
皆噛見は敵二人の意図を読めていなかった。しかし何らかの策を黙って見過ごすわけにはいかない。自分も策を講じなくては。
防御に精一杯で体勢が崩れ出したと思われるように、少しづつ脚を広げて足元の隙を作った。蒼刃は一見すると皆噛見の警戒から解かれているように見える。
しかし皆噛見は蒼刃の位置と、敵二人と蒼刃の距離感を最大に注視していた。もし隙ありと見て蒼刃に向かって飛び込んでくれば何を放棄してでも優先してその者を殺す。負傷してでも一人殺せれば形勢は大いにこちらに傾く。
皆噛見の中で勝利のイメージが湧き上がっていた。そして誓囲が先程からチラチラと皆噛見の足元を見ている。
そして誓囲は飛び込んだ。それに合わせるように絶妙なタイミングで皆噛見は前方下方へ爪の一撃を繰り出した。
タイミングは合っていた。網に飛び込む魚のように誓囲の身体は凶気の爪へ飛び込んでいく。
恐るべき剣山の如き爪に誓囲自身が飛び込む状態になっていた。仕留めた、皆噛見は確信した。
しかし誓囲は強化された肉体を硬らせて急ブレーキを踏み動きを止めた。次に身体のバネを最大に効かして斜め後方へ跳ぶ。皆噛見の爪が空を切った。
誓囲が跳んだ方向には美刻が宙に浮かしていた包丁があった。誓囲の指示通りに配置された包丁だった。
誓囲は見ないまま腕を伸ばして包丁の柄を掴んだ。再び全身の力を込めて今一度前方へ跳躍する。
一撃が空ぶった皆噛見の体勢は不安定だ。
誓囲が目掛けたのは皆噛見の頭部、それも目玉だった。
いける!誓囲が包丁を握った時、大導路は苦痛に顔を歪ませなつつも心中で叫んだ。
皆噛見は隙だらけ、今の誓囲の身体能力なら…!
緊張と期待で目が見開く。しかし痛みゆえか唐突に視界がぼやけだしてきた。
負傷による意識の低下…この肝心な時に…見届けなくては…そう自分に喝を入れるが、明らかに視界に異常が来しており、皆噛見が二体に見えた。
…それが自身の変調ゆえでないと気づいたのは、二体の皆噛見は全く同じポーズを取っている残像ではなく、それぞれ違う姿勢を取っていたからなのと、跳躍した誓囲の顔が遠くからでも分かるほど明らかに動揺を浮かばせていたからだ。
誓囲の突き出した包丁の一撃が皆噛見の顔に突き刺さった。目玉に深々と突き刺さり、バキッという破壊音を出した。
この破壊音は…?何かがおかしい。何かが違う。
見ているものと感触が合わない。
直後、皆噛見の一撃が誓囲の腹部に刺さった。鋭く尖った爪が腹に食い込んで刺さったのを大導路は見た。
皆噛見が串刺した腕をそのまま振ると、空中で爪が抜けて誓囲がボールか何かのように雑に投げ出された。血飛沫を上げながら床に叩きつけられた誓囲の身体には、何か紐のような物が傷口に付いていた。
それが破れた腹から飛び出した内蔵の一部であることに気づいた時、大導路は凍りついた。
誓囲からは何の反応も無く放置された人形のように力無い姿勢の身体から、ドンドンと血が溢れ出てきた。
一体何が起きたのか、大導路は誓囲から目線を外して皆噛見を見た。
そして気づいた。二体いたように見えた皆噛見の片方の姿が薄くなり、消えていこうとする瞬間を見た。
皆噛見に見えていたそれは皆噛見のビジョンが消えると正体である木製の大扉に変わっていった。扉には皆噛見の目の高さと同じ位置に突き破られたような穴が空いている。
扉が変身していたのではない。扉に対する視覚情報が騙されていたのだ。皆噛見に見えるように大導路も誓囲も能力をかけられていた。
そして扉の隙間から顔を覗かせている者がいた。
異界だ。
「…おまえっ!!」
吐き気と喉の奥からの血の匂いを覚えつつも、大導路は吠えた。異界は大導路に一瞥をくれたあと廊下へと身を隠して消えた。
完全にしてやられた。誓囲が跳び下がって包丁を掴んだタイミングで、皆噛見の真後ろにあった扉を皆噛見に見えるように全員の視覚を騙したのだ。皆噛見自身は横に跳び、誓囲が攻撃を繰り出す際に皆噛見本体でなく偽装の皆噛見に攻撃するよう誘導したのだ。
その恐るべきコンビネーションに気づいたと同時に、決定的な打撃を与えられてもう形成は覆せないという残酷な真実にも気づいた。
絶望しているのは大導路だけではない。今はたった独りで皆噛見に応戦している美刻も、敗北の予感を多分に抱いていた。
大導路が戦闘不能になった時も心が折れかけたが、思わぬ誓囲の参戦で意気を取り戻すことができた。しかしその誓囲も倒れたとなると、もうこれ以上の助力は望めそうにない。
そして独りではこの皆噛見に勝てる気がしない。
諦めきれずしかし勝利の自信が欠けたまま、延命するかのように美刻は己を守り続けた。
「ち…ちくしょおぉぉぉぉっ!」
叫ぶ声に込められたのは罵倒か悲哀か、あるいはそれは悲鳴かもしれなかった。
大導路は負傷した身体を引きずってどうにか誓囲のところまで来た。安在と遠見も近寄る。三人の誰が見ても誓囲の傷は明らかに致命傷だった。
大導路は誓囲の手を握る。反応は無い。まだ温かいが体温が徐々に失せていっているような感覚がする。
意を決したように大導路はふらふら立ち上がって言った。
「二人共、俺と美刻が戦っている間に逃げるんだ。今やこれは負け戦だ…」
「大導路くん…?」
安在が心配に満ちた声を上げる。
「勝機は無い。戦いに固執する必要はもう無いが、俺はこの身体では到底逃げられない。眼鏡の男が建物内のどこかに隠れているのかもしれないがここよりはマシだ。すぐに階段を降りて逃げるんだ」
そう言ったものの恐怖に怯える二人を追って殺そうと思えば、皆噛見なら容易にできるだろう。眼鏡が不意打ちしてくる可能性も高い。
それでも、この惨状にいつまでも居るよりかはずっと生存の可能性がある。何より非戦闘計画は誓囲が倒れた瞬間に完全に瓦解したのだ。
大導路自身は既に生還を諦めつつあった。玄関にある蒼刃をどうにか回収したところで、この身体で皆噛見に挑んでもすぐに殺されてしまうだろう。
それでも歩を進めた。独りで戦っている美刻への恩義か、勇敢に戦った誓囲への恩義か。いずれにせよ隠れる気は全く無かった。
歩を進めて皆噛見の視界に入り且つ攻撃は届かない絶妙な距離に立って、皆噛見の警戒心を誘った。少しでも美刻への攻撃の手を緩めさせるためだった。
これには少しの効果はあったが、それでも美刻は苦境に立たされていた。最も長く戦っている美刻の身体的な負担は誰よりも多い。
戦いの決着は近い。




