第32話-配信者
帰り道、大導路は人生史上最高に遠回りをした。高校を出たらすぐにタクシーを拾ってその場を離れた。家の最寄駅とは違う駅に降りたあとは、紅針盤を複数回使用しながら長々と歩いて十分に警戒しつつ帰宅した。
家に居ても心は休まらなかった。顔が割れた。恐らく名前も知られている。終いには襲撃されたのだ。
いつ住所を特定されるか分からない。大導路の家に高校の生徒が尋ねてきたことは一度も無かったので、尋ね回って把握するのは難しいことが救いだった。当然教師達は知っているが、今のご時世では簡単に個人情報を提供しないだろう。
しかし絶対に把握されない、などと楽観するのは絶対に危ない。何かちょっとしたきっかけで知ることができればそれで一巻の終わりだ。寝首をかかれることになる。
明日にでも殺されるかもしれない。その恐怖感がジワリジワリと大導路の心と身体を重くした。
いっそ逃げるか、とも思う。
この家も高校生活を全てを捨てて逃げ出す。それは一つの正解のように感じられた。そうすればあの八方にただちに殺される可能性はだいぶ低くなる。
しかしどこに逃げるというのか。逃げた先で別の能力者と接触したらどうすればいいのか。その時はまた逃げないといけないのか。
逃げる、逃げる、逃げる。
深く考えるとうんざりな気分になった。
大導路の頭には一つの選択肢が先程からチラついてる。
『今日死ぬかもしれないという恐怖から解放される』
あの男はそう言っていた。
これから大導路が選ぼうとしている選択は、さらなる窮地に追い込まれる可能性があることにも気づいている。
八方に正体をバレて、このうえさらに他の能力者にも自分の正体を知らせるわけなのだから。
しかしリスクの高そうなその選択こそ実際は最善手なのではないか、と思いつつあった。
※
男は待っていた。状況を変える新たな展開を。神妙な面持ちでパソコンのモニターを見続けていた。
ふと、モニターの右下に何かのメッセージが表示された。
『新着メールが一件』
男は一度大きく息を吸った。このメッセージが表示される設定にしていたアドレスは極めて限定的にしか他人に教えていない。先日、生配信の際に映像に載せたアドレスだ。
このアドレスにメールが来た理由は一つしかない。男は早る気持ちを抑えながらメールを開いた。
『能力者のことについて相談に乗って欲しい』
ただ一行、そう書いてあった。
明らかに様子を伺っているニュアンスのあるメールだったが、しかし男は微笑んだ。待望の連絡だった。
男はすぐに返信の文章を作った。
『僕でよければ助けになる』
男も一行のみだった。まるでメールではなくチャットのようなやりとりの仕方だったが、相手が警戒している以上、多くを述べてもしょうがいない。今はシンプルにこちらが無害であることを示すべきだ。
男はメールを送信した。
※
深夜、大導路はまたもインターネットカフェのパソコンの前にいた。配信者と連絡を取ると決めたあと、ここに移動してもう数時間は滞在している。
配信者にメールを送ったあとすぐに相手から返信があったのは好都合だった。こちらは連絡を送る際はネットカフェのパソコンを利用したいため、後日返信が来たとしたらその返事のためにまたネットカフェに来ないといけない。
配信者からの返信にはシンプルに、助けになってくれる旨が書かれていた。その後は自身の正体を隠したまま、何度かメールの往復をして現在の状況を配信者に伝えた。
『君が行える最も安全な選択は高校への通学を辞めて、特定される可能性のある家を引き払い今住んでいる町からも離れることだと思う』
何度目かのやりとりのあとに、配信者はそう助言してきた。
無論、大導路もその選択には気づいている。
『それは分かっている。ただ愚かかも知れないが、逃げるという選択を選んでいいものかとも迷っている。今逃げてしまったらこの場は助かっても、逃げた先でまた能力者に見つかった時にまた逃げることを繰り返してしまうと思う。一度逃げたらそれを何度も繰り返してしまいそうな気がする』
『それなら逃げるかどうかを決めるのは、他に打つ手が無いと決めた時でもいいかもしれないね』
ここまでのやりとりを見る限り、配信者は明らかに親身だった。
当初は警戒していた大導路の態度も幾分和らぎつつある。
『教室の床が消滅したということは、敵の能力は物体をどこかに転送しているか、あるいは消滅させているかだと思う。後者だとして且つそれが人間も対象にできるのだとしたら、かなり脅威的だ』
配信者の分析にはまるきり同意できた。
『俺もそう思う。しかも効果範囲が分からない。俺の机や椅子、あるいは床に直接触れたのか、それとも遠隔で行ったのか』
『僕は君の能力を知らない以上、今後の具体的な戦略を練ることはできない。できることは敵の能力がどういうものなのかを予想することだけだ。だが君がどう戦うにしても、君の助力になれる方法が一つある』
『それはどんな?』
『それを提案する前に聞かせて欲しい。君はその能力者を殺したい?』
確かめられている。そう感じた。
『殺す意志は正直言って無い。俺はただその敵が、今後俺を襲ってこないように仕向けたいだけだ』
『つまり君に対する戦意を喪失させればいいわけだ。君と戦うのは割に合わないと相手に思わせて、退散させたいということだね?』
『そのとおりだ』
『それならばきっと役に立てると思う。ただ一つ答えてくれ。君は僕のことを信じられるかい?』
本来は殺し合うべき敵、しかし不思議と大導路は男のことを信じる気になっていた。何よりリスクを踏んで連絡を取った以上、今更中途半端な態度を取るのも賢い動きとは言えない。
『ああ。信じるよ』
『よし、これで…』
その次に続く言葉を見た時、大導路は目を見張った。
『条件は満たされた』
どういう意味か、と書き込もうと思った矢先、身体に変調が起きた。
目の前に大きな光を突きつけられたような眩しさを感じた。モニターが強く発光したのだと思った。同時に周囲の音が極めて細かく聞こえてきて聴覚を神経質に揺さぶった。
しかし環境が変わったのではなく、自分の感覚が敏感になっているのだと気づいた。瞳孔が開いて、モニターのライトにより目に沁みるような痛みを感じた。
一体何が起きたのか、薄目でモニターを見ると、新たなメールが送られていた。
『僕の能力は発動した』
術中にかかった。そう気付いた時には既に大導路の身体は相手の能力の影響下にあった。




