第31話-緩やかな日常の中の命のやりとり
大導路の心臓がドクンと一際大きく震えた。
俯きがちに歩いていた八方が顔を上げて、こちらに気づいたからだ。当然、園田が指差していることにも気づいた。
園田は悪くない、全く悪意がないどころか、むしろ善意で教えてくれたのだ。結果的に名前だけでなく顔も知ることができた。
しかし代償として、今この瞬間大いに怪しまれつつある。
しかしまだだ。まだ致命的ではない。園田が集団の誰を指差しているかは分かりにくい。大導路はうろたえず、怪しまれないように平然とした態度で園田と歩き続けた。
「あいつがどうしたんだ?」
既に指を差すのをやめた園田が大導路の顔を見る。
「いや、もう大丈夫。解決した」
園田にも怪しまれないよう、最初からどうでもいい話だったと言わんばかりの表情で返した。
大導路と八方の距離は、互いが互いに向かって歩いているゆえにドンドン近づいていった。
このままやり過ごすのが良い。そう考えていた。疑惑は持たれたかもしれないが確信には至れないはず。しかしこちらは敵の正体を知ることができた。自分が圧倒的に有利だ。
平然とごく普通に、なんならつまらなさそうな表情で、緊張とは無縁の態度で歩く。
すれ違う少し前だった。八方がブレザーのポケットから何かを取り出した。
最初はスマートフォンだと大導路は思った。だがすぐに気付いた。
蒼刃だ。
音はしなかったが、空気を切り裂いたような音が聞こえた気がした。
八方の持つ鞘から蒼い刃が飛び出た。一撃必殺の刃だ。
大導路が身構えて頭部と心臓を守るように手を当てて後ろに跳び下がったのは、決して悪手とは言えない。
そうしなければ八方が無差別に切り掛かった際に、抵抗もできずに即死していたかもしれない。
しかし実際は八方は攻撃をせず、ただ刃を取り出しただけだった。
園田や他の生徒が大導路を訝しげに見る。その視線の中に八方の視線もあった。
大導路は戦慄した。八方の視線だけ他と明らかに違う。敵意、警戒、殺意。他の視線に紛れているが、こうも攻撃の意志を身に浴びたのは初めてだった。
以前、対峙した噴上が見せた敵意は、あくまで目標を完遂するうえでの邪魔者を見る敵意だった。これは違う。ただ純粋に殺すための敵意だ。
「大導路、大丈夫か?」
園田が声をかけてくる。
「ああ、大丈夫…だ」
大導路に返事する余裕が生まれたのは、八方が蒼刃の刃を戻して鞘をポケットにしまったからだ。
正体を知るためだけ、ということか。そしてその思惑にまんまとハマってしまった。思わず歯噛みした。
…大導路には知る由は無いが、事実は大導路が後悔するほどの惨敗ではなかった。八方は実際にこの場で決着をつけようと考えていた。抜き出した蒼刃をそのまま大導路の心臓に突き刺してやろうと、飛びかかるために両脚に力を込めていたところだった。
しかし後ろに下がって距離を空けた大導路は、心臓を守っていた手を下ろしてズボンのポケットに入れていた。
自分も持っている、そういう態度だった。
無論、能力者であれば蒼刃の携帯は基本である。八方もそれを承知のうえで仕掛けたのだが、大導路のその隙のない戦闘態勢の切り替えに想定以上の手強さを感じたのだった。
大導路と八方は違和感がない程度に距離を取りつつ、すれ違った。
一見して、何事もないごく普通の高校生の集まり。
しかしその中で、確かに命のやりとりが起きていた。
※
「早退する?」
園田が聞き返した。授業が終わって廊下を歩いている最中、大導路の突然の早退発言に大いに怪しんでいる。
「どう見ても体調悪くないだろ」
「いや、体調が悪い」
大導路は断言した。
「言い方が悪そうじゃないな」
指摘するも園田自身には早退反対の意思があるわけではないようだ。
「何かしかの具体的な理由を言わないと、担任が納得してくれないぞ」
「死ぬほど頭が痛い、と言うよ」
「言うよってやっぱ仮病なんじゃねーのか」
そんな会話をしながら教室近くまで戻ってくると、自分達の教室から出てきた男子学生の姿を見た。
「あれ…八方か?」
園田が指摘する。たしかに見慣れたクラスメイトとは違う風貌に見えた。しかし男子は大導路達に背を向けて歩き去って行ったので正体が分からない。
「…」
大導路が危機感と警戒心を一層強めたことに、園田は気づいていない。
教室に入ると他の生徒達は次の授業の準備を進めていた。二時間目の授業はこの部屋でやるが、大導路にはもはや授業を受ける意思はない。机の横に下げていた鞄を取り出して教科書を乱暴に詰める。
何もしないままに八方と同じ放課後に下校しては、尾行されて家を特定される恐れがある。
家を知られるわけにはいかない。もし知られれば最悪、家を出なくてはいけない。
既に通学を続けるのも困難となってしまった。日常を絶対に続けたいというわけではないが、それまでの日々が急速に崩れていくのを黙って見過ごすつもりはなかった。
よし、と支度を終えて大導路は席を離れる。
「なんかあったのか?さっきの八方と何かあったのか?」
去る大導路の背に向かって園田が話かける。八方、という名前に反応して足を止める。
「八方は関係ない。そして俺がそいつを気にしていたことは忘れて欲しい」
振り向いて園田に言うが園田は大袈裟に肩をすくめる。
「気にするな、と言われる方が気にするものだがね」
どう取り繕うべきか。取り繕えるものなのか。大導路は思案しつつ園田の方へ一歩戻った。
その時だった。
大導路と園田の間にあった、大導路の机と椅子が突如として消えた。
瞬間移動?突然の消失?
真実は『落下』だった。
大導路の自席の真下の床にポッカリと穴が空いていた。空いた穴に吸い込まれるように机も椅子も落ちていったのだ。
大導路も園田も呆気に取られているうちにガラガラと鋭い金属音が穴から響いた。園田はおそるおそる下を覗く。
「机が、下の教室に落ちちまった」
間の抜けた言い方で呟いたが、その発言は全くの事実だった。
派手な金属音は、真っ逆さまに落ちた机と椅子が下階にぶつかったことによるものだった。
「園田!離れろ!教室の床が崩れるのかもしれない!」
大関が後退しながら忠告する。言われて急に恐ろしくなったのか、園田は腰を抜かしそうになりながら中腰で逃げた。他の生徒達も怯えた声を上げながら教室から出た。
大導路は茫然とその穴を見つめた。綺麗な真円でくり抜かれたようにぶ厚い教室の床は穿たれていた。建設用工具を使ってもこうはいかないだろう。
大導路だけがこの事象の原因を分かっている。そして原因そのものはもしかすると穴の下にいて、こちらの出方を伺っているのかもしれない。
早々に仕掛けてきたということか。大導路は踵を返すと一目散に走り出して教室を出て行った。
「大導路!?」
園田の呼びかけにも応えなかった。ただ一秒でも早く、この場を離れないといけないと考えていた。
…絶対者が参加者全員に付与した各能力は、総合的な強さという点で互角になるように調整が行われていた。
発動すれば効果は絶大だが発動条件が難しいもの。能力の威力に欠けるが発動条件が易しいもの。
攻撃性能は無いが索敵に長ける能力や、防御に特化した能力、近距離の戦闘には向かないぶん効果範囲が広い能力など、その性能は千差万別だが等しく一長一短となっている。
この日、大導路が遭遇した八方の能力は、効果範囲は狭く、近接戦闘以外の戦法が向かないうえ、防御や身体強化もできない極めて使い勝手の悪い能力であった。
しかしその攻撃力は全能力の中で最強。
不運にも八方の『H』の能力『深淵』に出会ってしまった。




