第17話-蒼刃
自宅へ戻る直前に紅針盤を起動する。紅針盤からは他者の存在が示されなかった。それでも誰かに見られていないか念の為確認しつつ、自宅に入って素早く扉を閉めた。鍵をかけて二、三秒玄関で茫然と立っていた時、疲れがドッと押し寄せてきてそのまま倒れた。
傷のせいか能力の使いすぎか、あるいはその両方か。
どうにか抗って洗面台の前に立ち、顔を洗うべく蛇口の栓を捻った。割れたガラスと折れた歯ブラシが転がっていた。顔を上げると自身の顔を映すはずの鏡は派手に割れていた。
そうか同じ日か、とぼんやりした気持ちで気づいた。
絶対者からの宣言に目覚めた朝、歯ブラシを鏡に向けて『方向』を使用すると、歯ブラシは手からすっぽ抜けて鏡に衝突した。当たり所が悪かったのか鏡は割れて歯ブラシも折れた。
呆気に取られつつもこの能力をどう使用するべきか思案した気持ちには、純粋な好奇心も含まれていた。
それが今や疲労しか頭にない。
長い、長い一日だった。
顔を洗ったあとは押入れから治療箱を取り出して、服を脱いで噴上に攻撃された傷の具合を確かめる。『方向』で炎は受け流していたがやはり完全には防げておらず、掌と腕に軽度だが火傷を負っていた。
しかしいずれの傷も大事ではないと分かり、安堵しつつアルコールやガーゼや包帯で簡単な処置をしたあと、ベッドに転がりこんだ。
安在はどうなっただろう。噴上は…。
心配する想いはあったが極度の疲労が眠気に変わり、どうにも抗えず深い深い眠りに落ちていった。
※
いったいどこで寝ていたんだっけか。
意識を覚ました大導路は最初にそれを考えた。確か自室のベッドで寝たはずだ。しかし目を覚ますソファーに座っていた。
自宅にはソファーは無い。そしてこのソファーには見覚えがあることに気づいた。
ハッとして辺りを見回すと辺りにも同じようなソファーがあちこちにあり、そして各ソファーに黒い人型の霧が鎮座していた。
また来てしまったのだと、理解した。
「やあ、どうだったかな最初の一日は」
前方から声がしたので見ると、黒い霧ではなく確たる実体をもってソファーに座っている子供がいた。
絶対者だ。
以前立っていた場所と同じだが今回はソファーに座っている。
「能力者としての最初の一日。驚きばかりだったろう。僕もそうだよ。とても驚いている」
絶対者は驚きと困惑が混ざったような表情をしていた。非常に人間臭い表情だ、と大導路は思った。
「まさかたったの一日で死亡者が出るとは。僕は能力の試運転のための一日になると思っていたのに。それにまだ優勝者への報酬も説明していない。前回の時はこんなことにはならなかったんだよ」
ザワッと周囲の空気が揺れた気配を大導路は感じた。戦いに優勝した者に与えられる『報酬』とやらに反応したのだろうか。
否、そうではない。『死亡者』という言葉に揺れたのだ。誰かが死んだ、自分と全く同じ立場の者が死んだ。それは他人ではあるが、あまりに自分に近い存在に感じられたのだ。
「死んだのは『F』の能力者。能力者同士の戦いで死亡した。僕から話せる情報はそれだけだ」
大導路は、自身の視界の焦点が定っていないのを自覚した。考えが上手くまとまらないが一つ分かったことがある。
死んだのは噴上だ。安在は自身の能力を『吸収』と呼んでいた。つまり『A』の能力だ。逆に言えば現時点で安在は死んでいないことも示している。
そこまで考えたところでハッとなって周囲を見渡した。安在を探そうとしたが黒い霧のような外見ではどう見張っても分かりようがなかった。
大導路が周囲を眺めている間も、絶対者は話を続けている。
「僕は昨日、段階的にこの戦いについて説明すると言った。だが説明が全部終わる前に戦闘が始まってしまった。衝撃だ。だがそれはもうしょうがない。戦った能力者達にとって、僕の説明よりも重要な何かがあったのだろう。それもまたよしだ」
この話はここまで、といった感じで絶対者は両手を叩いた。
「今日君達を呼んだのは昨日の説明の続きをしたいからだ。二つ説明をする。まず一つはこれだ」
絶対者はポケットに手を入れると何かを取り出した。十センチくらいの平たく細長い棒だった。一昔前に流行っていたガラケーのようにも見える。
「君達に武器を渡す。この戦争で勝ち抜くための、能力者殺しの武器だ。名前は『蒼刃』」
突然、蒼刃と呼ばれた棒の端から光が伸びた。青く輝いている強い光が伸びていったが、まるでバーナーの炎のように十五センチほど伸びたところで止まった。
「僕が握っているのは鞘、そして今伸びた光は刃だ。この刃で攻撃するわけだが、刃は身体を透過するので外傷は与えられない。また能力者以外にはこの光は見えない。光が見えているのは能力者だけだ」
すなわち、ここに居る全員には見えているということだ。
「刃は能力者に対してだけ効果がある。と言っても身体のどこに当てても効果があるわけじゃない。脳と心臓、そこだけだ。そこ以外には全く効果は無い。刺しても身体をすり抜けるだけだ」
絶対者は自身の頭をトントンと叩く。
「しかし脳か心臓にこの光の刃が届いた時、その能力者は即死する」
能力者達は再びどよめいた。大導路も即死という言葉を聞いて、蒼刃の刃をまじまじと見た。宝石のように綺麗な青い光に吸い込まれるような感覚を覚えた。
「蒼刃の刃の出し方は単純。敵意だ。鞘を握って敵意を思えば刃が出る。刃渡りは見ての通り十五センチというところかな。敵意を無くしたり身体から離したら刃は消える。これを皆に渡すよ」
絶対者は少し黙って皆を眺めた。絶対者には能力者達の顔が視認できているらしく、話を聞いてどんな表情をしているのか観察しているようだった。
他の者と同様に、大導路もまた蒼刃という武器について思案していた。他の者と違うのは、思考を遮るように噴上の顔が何度もチラついてくることだった。
受け入れなくてはならない。ついさっき話していた、戦っていた噴上はもうこの世にいないのだ。悲しいとか寂しいとかではなく、得体の知れない空虚感に襲われていた。
「この蒼刃という武器なんだが渡す理由はいくつかあるんだ。君達それぞれの能力は総合的な強さという点で均等になるように調整している。それでも直接的な攻撃力を持つ能力とそうでない能力の違いはあるから、より戦闘力を均等にするための武器が蒼刃だ。そしてもう一つの理由は…蒼刃による攻撃はグロテスクじゃないということだ」
絶対者は握っている蒼刃の刃を自身の手に当てる。刃は掌を貫通して手の甲から刃先を出した。
「蒼刃による即死は痛みが無い。血も出ない。急に眠りに落ちるように死んでいく。これは人を殺す君達への配慮なんだ。何故なら君達は人を殺したことがない。意思が感じられる生物を殺すことに抵抗を感じてしまうだろう」
それは当たり前の話だった。日本に生きるほぼ全員の人間が殺人に強い抵抗を覚えるだろう。まして全員十八歳だ。
「蒼刃は殺す感覚を極力抱かずに人を殺せる。血や内臓が出るナイフを使う必要が無い。それに街中で凶器は簡単に持ち歩けないしね。蒼刃は能力者以外には見えないから、人前で出しても問題はない」
絶対者は突如片手を上げてピースマークを作った。
「というわけで今のが一つ目で、これから説明するのが二つ目ね」




