第13話-『A』の『吸収』
「そろそろ…いいんじゃないかな…」
後方から疲れ切った声が聞こえてきて大導路は足を止めた。振り向くと既に止まっている安在が両膝に手をついて背中で息をしている。
「もう…三キロ以上は走ったはず…。ていうか速いよ…」
大導路は女子と一緒に走った経験など無かったため、スピードを合わせるという発想が無かった。ましてや命を狙われているという状況だったので全速力で走っていた。
しかし安在の様子を見る限り一旦は休むしかなさそうだ。
「分かった。休もう」
「…大通りで休むよりかは見つからなさそうな場所に隠れて休んだ方がいいと思う」
安在の提案により、二人は商店などが並ぶ大通りから細い路地へと入っていき閑静な住宅街の中を歩いた。
そして公営団地が集まっている地区に着いた。
「あのあたりで一旦休もう」
安在が提案したその場所は団地郡の敷地内にある小さな広場だった。団地の駐輪場に面しているその広場は砂場とチープな遊具しかない寂しい場所だったが、それゆえに誰も遊んでおらず住民でもない大導路達が休んでいてもそれに気づく者はいなさそうだった。
砂場の近くにベンチが置かれておりベンチの背後は団地の壁だった。広場の前の路地も人通りはほぼ無い。
「一回紅針盤を起動していいか?」
提案すると安在は肯く。
「お願いしていい?私はもう残数がゼロで使えないんだ」
紅針盤を使用すると表示された点は大導路以外に一つ、安在のものしかなかった。
「少なくとも二キロ以内にあの男はいないみたいだ」
それを聞くと安在は深くため息を吐きながらベンチに座った。
「この辺りは私が知らない場所…恐らく噴上にとっても知らない場所だと思う。多分大丈夫かな」
大導路が安在の横に座ると安在はこちらを見てきたが、どこか遠くを見ているような曖昧な目付きだった。
「…何だか不思議な気分…。昨日までごく普通の人生を過ごしていたはずなのに、たった一日で殺そうとしてくる人が現れて、殺されそうな人を見つけて、そしてその人を助けるなんて」
安在は内心かなり参っているのだと、大導路は理解した。
「まるでファンタジーの世界だよ…。こんなの」
「…俺も自分が置かれた状況にまで追いつけていないでいる。だけど君とあの男…噴上は事態を受け入れるのが早すぎないか?」
「受け入れるって?」
「絶対者に呼ばれたのは昨日の夕方から夜で、あれから丸一日しか経っていない。それなのにもう能力を使って戦っている。もうこの戦いを受け入れたのか?」
「私は受け入れたわけじゃないよ」
安在は首を振る。
「むしろ意味不明な状況に何も分からなくなって部屋で一人で泣いてたんだ。ふと窓から外を見たら噴上がいてこっちを見てた。何か不思議な表情をしていたから家を出て噴上のところへ行って、その時の会話で気づいたの。噴上もなんだって」
「それで何で殺されそうになったんだ。昔からの知り合いならこういう時こそお互いを頼りたくなるんじゃないのか」
「…私は彼に憎まれているから。私がそう思わせるようなことをしてしまったから」
今にも泣き出しそうな安在のか細い声に、大導路はどう返事をするべきか窮した。結局、下手な慰めは止めて自身が知りたい事柄を単刀直入に聞くべきだと考えた。
「前に何かあったとして、それで殺されるほど関係が悪化するものなのか」
「まさに今、そういう関係になっているんだよ」
「たとえば誤解があったりして、それを解消してこんな戦いを回避することはできないのか」
安在は少し黙ったあと首を横に振った。
「…きっともう、お互いが冷静に話せる機会なんて無いんだと思う。久しぶりに会話した時、彼は事情を理解したらすぐに何も言わずに私を攻撃した。どうにか逃げたけど紅針盤を使われて位置がバレてまた攻撃されて…やっとのことで隠れることができたのが、さっきの場所だったの」
「じゃあ逃げられそうなところを俺をかばって助けてくれたということか」
「もう一つの点が紅針盤に表れてそれが噴上の点と重なったから、何が起きたんだろうと思って見に行ったの。…噴上は何回か紅針盤を使っているだろうから、もしかしたらもう使えないのかもしれない」
「俺と遭遇した時に紅針盤を使われたからその時点ではまだ使えたんだ。だが使用するタイミングが遅かったから恐らく節約しようとしていたんだろう。そうすると残りの回数は一回か、もしかしたらゼロかもしれない」
二人で分析していくうちに、どうやら状況は安全になりつつあるという感覚を二人は覚え始めた。戦いそのものが無くなったわけでは当然無いが、先程の死地からは脱出できたのだと思えることができた。
「冷静に考えてみると…殺し合いをしないといけない君を助けたことになるのね、私…」
安在のボヤきに大導路は真剣な顔で答える。
「君にとっては俺はそういう対象だが、俺は君を殺すつもりはない」
安在は「え?」と言いたげな、推し量るような顔でこちらを見た。
「…それは…この戦いというものをまだ信用していないから?それとも理解したうえで現実逃避しているから?」
「どちらかと言えば後者だと思う。俺はまだ人を殺す覚悟ができていない」
「覚悟?」
安在が聞き返してくると大導路は自らの胸中を正確に伝えるべく、ゆっくりとした口調で言葉を紡いだ。
「この戦いが現実で、俺達は今や能力者という存在になり殺し合いを余儀なくされていること、それは理解した。ただそれは頭で理解しているだけなんだ。本当のところで受け入れられていないんだ」
それはありのままの想いだった。
「自分の中で現実味を帯びていないんだ。それを曖昧にしたままでも戦うことはできる。殺すこともできる。しかし決断がついていない」
「決めないと殺せないの?自分がさっき殺されそうだったのに」
「決めないといけない、と思う。その場の状況で結果的に殺してしまうのは違う気がする。他の能力者がどう思うか、どう行動するかは重要じゃない。俺自身の問題なんだ」
「なんだか君、面倒くさい性格してるね。だけどその性格のおかげで今、私は君に襲われなくてすんでるということかな」
「そういうことだな」
肯くと安在はおかしそうに微笑んだ。言ったことを全て信じているわけではないだろうが、大導路への警戒心は解けたようだ。
「安在はどうなんだ。戦わないといけないこの状況を受け入れられそうか」
「私?そんなはずないじゃない。つい昨日変な子供に殺し合いをしろと言われて、それが何一つ夢じゃない現実なのだとしても、そう簡単に受け入れられるわけないじゃない」
一息に言って、自嘲気味に笑う。
「…たとえ何日経っても何ヶ月経っても私は受け入れられないんだと思う。そしてきっと最後まで何もできないんだと思う」
「どうしてそう思う」
「私は大事なことは何一つできない人なんだ。自分の中の芯が無くて、だから相手の顔色ばかり見て自分の意見を通せない。そんな私がこの独りで挑まなきゃいけない戦いに勝てるわけがない。意志を貫いて勝ち残れるわけがない」
安在の表情は見る見るうちに暗くなっていった。
傾き始めた夕陽の光が安在の顔に当たり、夕陽と反対側の顔半分が闇に塗られる。安在の精神の表れのように深く黒い色だった。
「たとえ今日生き残れたとしても、きっといつか能力者の誰かに私は殺されると思う。私は心も身体もこんな戦いで生き残れるほど強くない」
「…」
大導路には何も言えなかった。この殺し合いに生き残れる保証などどこにも無く、何も約束することはできない。それは自分自身に対しても言えることで何一つ楽観的な発言はできなかった。
「…それでも君は自分を守る能力を持っている。俺を守ってくれた力だ。それで乗り切れる局面もあるはずだ」
「…あれは確かに守りの能力。『A』の能力『吸収』…。でもこの能力の弱点も私は知っている。私に上手く使いこなせるとは思えない」
「『吸収』という名前なのか、君の能力は。あれは炎を吸収したのか」
「炎だけじゃない。大体のエネルギーは吸収できるみたい。…そういう力をあなたも持っているでしょ?」
「…俺は」
「あなたも、起きた時にはもう自分の中にあったはず」
「…ああ。俺の中にもあった」
大導路は自身の手を眺める。そして今朝のことを思い出す。割れた洗面台のガラスは今も家の中でそのままの姿のはずだ。現実に自身の力の痕跡が残ってある。
「あなたのは、どういう能力なの?」
「…俺の能力は…」
手から目を離して安在を見る。
「俺のは『D』の…」
安在はこちらを見ていなかった。大導路の上を見ていた。大導路の上方の何かを感じ取り、それを見ていた。
「危ない!」
突如、安在は大導路を突き倒した。全く予想していなかった行為に、一切の抵抗もできずに上半身のバランスを崩してベンチから落ちた。
落ちている最中も視線は安在から外していなかった。腕を伸ばして突き倒してきた安在もまた大導路を見ていた。安在の目に敵意は無い。
ゴシュッという何かが砕ける音がした。その音は安在の顔に影が差したと同時に聞こえた。
突如灰色の何かが降ってきたのだ。明らかに硬い質感の何かだった。
塀に使うコンクリートブロックであると気づいたと同時に、事態の深刻さを大導路は理解した。
安在の頭部にブロックが直撃したのだ。安在の顔は一気に下に向き、体重が前のめりになった勢いで受け身も取らずに地面に突っ伏した。
「安在!」




