第12話-噴上の愛憎
安在は恵まれた家で育っており、安在家はどう捉えても金持ちにしか見えない家族だった。年に何回も海外旅行に行き、その度に見たことのない美味しいお菓子を噴上に持ち帰ってきてくれた。透き通ったエメラルドブルーの海の話や、大きくそびえる山の話や、自然の色彩に溢れた市場の話や、その土地でしか食べられないごちそうの話をしてくれた。
そういう話を安在から聞くたびに心に小さな嫉妬の針が刺さる感触を覚えた。一方で安在の話は非常にためになった。住む世界が狭く見識が足りないため、安在の様々な話は教養を身に着けるうえで重要だった。
安在の家に行くと様々なものがあった。個室の中にはたくさんの本、綺麗なベッド、丸く膨らんだ綺麗なクッション、ぬいぐるみ、専用のテレビ。安在は惜しみなくそれらを見せてくれた。
本はどれも興味深い内容で、知らない音楽を聴くのは楽しく、DVDで一緒に映画を見るのはとても愉快だった。それでも時折、針が心に刺さる感触を抱いた。引っかかるような、どこかが痛かっているような落ち着かない感覚だった。
※
中学生になっても生活は依然として貧しかった。余計なことは何一つできない。部活には入れない。修学旅行も旅費が払えないので参加を拒否した。そんな学生生活であったため友達もほとんどできなかった。
貧しさは人間関係さえ奪う。自由は無い。それでも安在だけはそばにいてくれた。機会があるごとに噴上の知らない新しい何かを教えてくれた。
ひたすら地味でつまらない生活を送る噴上が不良にならなかった理由は、幼少期の頃に抱いた夢のおかげだった。必ず医者になるという思いが噴上を強くした。放課後は図書館で勉強に努めた。
…ある日、中学三年生に進級して数日たった頃の夜、両親にあらたまって話をされた。将来の話についてだ、と父は言った。
噴上にとって将来とは医者になることだ。だが両親にとっては違った。
「お前を高校に進学させるお金が無いんだ」
「申し訳ないんだけど、あなたには働いてもらわないともう家計がもたないの」
最初、話の真意を理解できなかった。アルバイトをして家に生活費を渡せ、という話ではない。もっと希望の無い話だった。
「俺は、俺は医者になりたいんだ」
「分かっている。分かっているよ。だからこうして俺と母さんで頭を下げるんだ。すまない。申し訳ない」
父親は頭を下げた。母親も同様だった。貧しくも優しく威厳のあった両親は、この時は深々と頭を垂れた。それだけ話は深刻で真実だということだった。
医者を諦めるしかなかった。中卒でたどり着ける道ではない。
いつかお金が貯まったら通信学校に行って高卒同等の資格を取って大学に行き…などと、そんな遠回りの将来設計ができる心の余裕は全く無かった。
両親も葛藤の末の告白だった。息子の夢を壊したくないあまり早い段階で言い出すことが出来なかったのだ。しかしその優しさが余計に噴上の心をえぐった。長い間抱いていた夢は既に強烈な心の芯となっていた。その芯が折れたのだ。
泣いて家を飛び出した。歩きながら大いに泣いた。
その時に安在とばったり会った。恥ずかしいやら、慰めて欲しいやら、様々な赤裸々な感情が混ざって結果的には全てを話した。
「大丈夫、大丈夫だよ」
安在は口下手だった。この時も何が大丈夫か分からないが、ただそう言い続けて噴上の頭を撫でてくれた。
※
両親の残酷な告白から一ヶ月、噴上はただ無気力に生きていた。何も良いことは思いつかない。
ある時、進路の話をクラスメイトとしている時に信じがたい情報を聞いた。
「安在が医者志望?」
「ああ、だから進学校の高校を志望しているってクラスの女子から聞いたぜ」
「いや、あいつは確か園芸の仕事に就きたいって言ってたぞ」
「そうなのか?まあ心変わりしたんだろう」
心変わり?何故?それもよりによって医者だと?廊下で安在を捕まえると噴上は聞いた。
「何故医者なんだ。医者になりたいなんて一回も聞いたことなかったぞ」
安在は何も言わなかった。余裕のない噴上は語気を荒げる。
「どういうことなんだ!」
怒張した声に対しても安在は何も言わなかった。ただ、笑った。
ニヤついた、神経に障る笑みだった。不敵で真意を掴みかねる笑みだった。噴上はその不気味さから嘲笑のニュアンスを感じた。
「安在…」
瞬間、噴上は気付いた。安在の笑みを、安在のこれまでの行動を。そして医者を志望する意味を。
『あなたができないことを、私はいとも簡単にできる』
満身の力を込めて突き進んだものの叶えられなかった夢。夢へと続く道にすら乗れなかった。それをいともたやすく、いとも簡単にその道に安在は乗った。
これまでのことも全て、優しさではなかった。全ては嘲りで全て見下されていた。そう気付いた瞬間、絶望に落ちた。
自分の何かを与えてくれる相手なんて、最初からこの世には一人もいなかった。
…翌年度、中学を卒業した噴上は親の紹介で近所の工場に就職した。無気力だった。このやるせない無気力を抱えながらあと何十年も生きるのかと思うと憂鬱だった。
※
絶対者に呼ばれた時、最初は全く信じられなかったが起床して自分に能力が備わっていることに気づくと、全て現実なのだと素直に受け止めた。
目的が無くなった人生、唐突ではあるが絶対者になるという新たな目標が生まれたのは幸いだった。
着替えてすぐに実家に向かった。戦いが事実ならいつ死ぬか分からない。最低限のものしか与えてくれない両親だったが真摯に育ててくれたのは事実で、そこには愛情も確かにあった。最後のつもりで両親の顔を見ようと思ったのだ。
実家を目の前にしてふと紅針盤の存在を思い出した。一度も使っていないコレを何気なく使ってみようと思った。
紅針盤、と心の中で唱えると手の甲に円盤が展開された。
円盤の中心に自分の点があったが、中心点のそばにもう一つ点があった。すぐ近距離、自身の斜め後方だった。
振り向くとそこには見知った家がいつものようにそこにあった。この家はよく知っている。何度も遊びに行った。
安在の家だ。
そしてこの時起きた現象が奇跡なのか運命なのか、あるいは悪夢の始まりなのか、家の二階の窓のカーテンが開いた。そこにいたのは安在だった。
紅針盤は誰かが使用しても他の者はそれに気づくことができない。噴上が紅針盤を起動した直後に安在がカーテンを開けたのは、全くの偶然である。
安在は少しの間、驚いた表情で噴上を見ていたが、やがて窓から姿を消した。一分もしないうちに玄関の扉の窓に人影が映り、そして扉が開いて安在が出てきた。
噴上は安在の家を、そして安在を呆然と眺めていた。この奇妙な再会に呆気に取られていた。そして知ってしまった真実をゆっくりと飲み込んだ。
こいつもなのか。
紅針盤に表示された位置と安在が居た位置は一致していたように見える。そして何より参加者は全員十八歳だ。安在は一人っ子だ。
参加者の一人。能力者。殺したり、殺されたりしなくてはならない関係。
考えている噴上を見ながら、安在は恐る恐るだが近づいてきた。
「噴上…?」
「お前も参加者なんだな」
安在の呼びかけを遮るように話かけた。安在は理解しかねると言いたげな、訝しげな表情をしていたが、噴上の言葉の真意に気づくとハッとした表情に変わった。
「噴上も…?」
その返しと表情が答えだった。
噴上は意図せずに笑っていた。自然と口角は吊り上がっていた。今俺はどんな笑い方をしているのだろう、と考えてしまう。
他の参加者二十五人を殺す権利を手に入れた一方で、その者達に殺されても仕方がない立場にも立っていた。法律は守ってくれない。二十五人の敵が自分を殺しにかかってくる。それは安在も全く同じだ。安在もいつ、どのように殺されるか分からない。
それならば、それならば俺が速やかにお前を殺さねば。




