第1話-大導路の夢
人生とは『戦い』だ。
哀しいことに我々全ての人間は、何かと戦わなくては生きられない。
精神的に豊かになるために。金銭的に豊かになるために。夢を現実にするために。欲しいものを手に入れるために。
我々は、同じ舞台に立つ誰かと戦わなければならない。誰かは『友人』であり『ライバル』であり『同僚』であり『面識は無い他人』である。
その者と争い、比べ合い、時に奪い、騙し、傷つけなければならない。
そして救われていることに我々全ての人間は、戦い勝つことで幸福を掴み取れる。
我々は戦わないと生きられない。
我々は戦うことで生きられる。
これは戦うことで多くを奪われ多くを奪い、多くを得て多くを失い、そして生き続ける物語。
高校三年生の大導路憧夢は五月に十八歳になった。
少年の雰囲気はなりを潜め、身長は百七十五センチまで伸びた。年齢相応に筋肉がついて健康優良そうに見える青年になっていた。
しかし大導路は快活とは縁遠い性格で、普段の日々を静かに大人しく生きていた。
周囲からの評判はほとんど皆無だった。評価できるほど大導路のことを知っている者は、誰一人いなかった。
誰とも親しくなかったがしかし暗い人物ではなく、誰かが何かの用事で話しかけると驚くほどハキハキとした態度で言葉を返した。しかしその態度にはどこか感情が希薄であるかのような、淡白な印象を誰もが感じた。
クラスメイトの一人は言う。
「あいつについては『悪い奴じゃない』って表現がしっくりくる」
また別のクラスメイトはこうも言う。
「あいつは多分、自分の中で色々と完結している」
そんな大導路にもわずか一人だが知り合いはいた。『知り合い』であって友人と呼ぶには薄い関係だったが、クラスメイトの園田とは毎日昼休みに一緒に弁当を食べる間柄だった。
大導路は窓側の席に座っており、一つ前が園田の席だった。
園田にとって昼飯を食べている間の暇潰しとして、大導路はちょうどいい相手だった。
「それでお前結局、進路相談の時に何て言ったの?」
園田が聞くと大導路は即答した。
「進学も就職も何一つ考えていませんと答えた」
それは何一つ後ろめたさが無さそうな、あっさりとした言い方だった。
単純明快且つ極めていい加減な発言の内容に園田は思わず笑った。
「遠慮というか怖いもの無しというか。もうちょっとオブラートに言えんのかね」
同じクラスになってからというもの昼休みに雑談するのが日課となっており、その習慣は一ヶ月以上続いていた。今では園田の喋り方もだいぶ気安くなっている。
「言うまでもなく我々は将来への岐路に立たされているわけで…何かしら決めなくてはいけないと思うぞ」
大導路達が高校三年生であることを考えれば園田の指摘は極めて的を得ていた。しかしこの指摘に対しても大導路は素っ気なく即答した。
「嘘を言うよりかは誠実だと思ったんだが」
「じゃあ進路アンケートには何も書かなかったのか」
「少しは書いた」
「見してみ」
興味深げに食いついてきた園田に対して、大導路はどこまでも無表情のまま引き出しを探り始める。出てきたプリント一枚を渡した。
園田は興味深々にプリントを覗き込んだが、すぐに怪訝な顔をした。
「『将来の夢』以外は何一つ書かないで、コレで進路相談に持って行ったのか…。この『将来の夢』に書いてあること…夢なのか?妄想じゃないのか?…まさか本気で目指してるのか?」
プリントを見れば見るほど困惑してしまう。
「何となく思いついたことを書いたんだ」
大導路は無頓着な態度を崩さないまま園田に聞き返した。
「園田はなんて書いたんだ」
聞き返したのは園田の将来に興味があったからではない。園田が自分のことも話したい気配を微かに感じたからだった。そしてその気配は事実であった。
「俺はさ、家がバイクの販売店だからそれを継ごうと思うんだよな。働く前に専門学校に行こうかと思ってたんだけど金かかるし、特別行きたいってわけでもないしな」
園田の親がバイク販売店を営んでいることは以前の会話で知っていた。しかし大導路は店に訪れたことはない。
「お前、ウチの店で原付買わない?免許なら一日で取れるし原付は楽しいぞ。趣味になる」
「趣味は映画だけで十分だよ」
何度目かの誘いを同じ答えで返す。
「趣味は多いに越したことないぞ。夢もな」
「それは確かにそう思うよ」
素直な肯定に園田は片眉を上げたが、それ以上の発言は無かったので会話は打ち切りにして、机に顔を突っ伏して昼寝を始めた。
園田が昼寝してからは、大導路はカバンから映画雑誌を取り出して黙々と読んでいた。
昼休み終了のチャイムが鳴る五分ほど前になり、大導路は雑誌をしまって授業の準備を始める。気配を感じて起きた園田も支度を始めた。五時間目は化学で教室移動があった。
「あ、そういえば大導路。今日放課後に皆でカラオケに行くんだがお前も行くか?」
園田の誘いに、大導路は首を横に振った。
「カラオケは行かない。映画を観に行くなら、行く」
言いつつも先に準備が出来た大導路は、速やかに教室を出て一人で理科室へ向かって行った。園田は去って行く大導路の背中を眺めている。
「悪い奴ではないんだがなあ」
園田は思ったままの感想を呟いた。そして先程に大導路が見せてくれた紙の記載内容を思い出す。
あいつの夢…あれは本気なのか?
他の生徒に声をかけられて談笑しながら理科室へ向かう途中も、頭では大導路のことを考えていた。
あれでは宝くじで一等を当てて残りの人生優雅に過ごしますと、真顔で書いたようなものだ。
本気のはずが無い。そう思うがしかし大導路の考えていることはなかなか理解できない。心の内が見えたことは一度としてないのだから。
廊下を歩いていて、園田はふと窓を見た。
窓は歩いている自分達の姿を薄く反射させていた。園田は微かに見える自身の姿を見つめる。少年時代が去りつつある、十八歳の自分がそこにいた。
「…あいつもあれで、夢が無いまま大人になり始めてることに焦ったりしてんのかね…」
「何の話?」
園田の呟きに反応したクラスメイトが聞き返してくる。
「何でもない。子供の妄想みたいな話を聞いたのが気になってな」
大導路は嘘を言うよりかは誠実だと言っていた。だからあの夢は嘘ではないのだろう。しかしあまりに大雑把であまりに荒唐無稽で、そして子供じみていた。
それは何かは分からないが何かを得たいという、雑然とした欲求であるようにも園田には感じられた。
…進路相談のプリントには『将来の夢』という項目だけに、極めて簡潔に文字が書かれていた。
たった三文字。
『絶対者』と。