金庫の中は
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
つぶらやくんの家には、金庫はあるかい?
別にいま暮らしている場所じゃなくて構わないよ。実家に、大切なものをしまう道具、何かしらなかったりした?
自分以外の誰も、触るどころか見ることができない場所への避難。それはそのものを守ることかもしれない。ひょっとしたら隔離の意味合いで、近づく人の方を守る意味があるかもしれない。実際に行った本人以外は、その中身を知らずにいる。
そういう秘密って、暴きたくならないかい? 注意されたりするものだと、なおさらね。
どうしてだろう。こんな気持ちになるのは。ひょっとして、タブーを侵してほしい何かが、こっそり働きかけているのかな……なんて考えたり。
僕自身、この金庫をめぐって少し奇妙な体験をしたことがあるんだ。そのときのこと、聞いてみないかい?
僕が実家に、金庫が複数個あることに気づいたのが、小学校高学年になろうかというときだったっけな。
それまでは、家にある金庫って床の間の脇に置いてある、黒い立方体の箱。いかにもな雰囲気をかもす金属製のものがあった。
昔ながらのダイヤル製で、右回り左回りを考えつつ、数字を合わせれば開くのだろう。
僕自身は、ついぞ番号を教えてもらえることはなかった。一度、こっそりいじっているところを見つかってしまい、怒られた記憶がある。
それからはなんとなく、自分が触ってはいけないものだ、という印象がしみついてしまって、さほど気に留めることはなくなっていったんだ。
そして、その高学年間近のころ。
自宅へ遊びに招いた数人の友達が、僕の家が広いのをいいことに、かくれんぼをしようと言い出したんだ。
親からは侵入してはいけないところを、あらかじめ指示してもらっている。勝手知ったる我が家ということもあって、僕はどこへ隠れようが簡単に見つかりそうな気がしていたんだ。
せめて少しは分かりづらいところに……と、子供部屋の押し入れのなか。畳んで詰まった布団たちの奥へ奥へ入り込んだんだ。
そこに金庫があったんだ。
我が家では季節によって、厚さの違う布団を使うようにしている。使われていない布団は畳まれて、この押し入れの定位置におさまるようになっていた。それがあまりに当たり前の光景だったので、僕は無警戒だったんだ。
床の間にある金庫より、やや胴体は長いが同じ型のように思われる。いじることができるダイヤルがそこにはくっついていたんだ。
かくれんぼの最中ということも忘れ、僕はそのダイヤルをいじり始めた。
ヒントなんて、どこにもない。片っ端から試していく、総当たり戦術だ。子供部屋の近くを鬼が通り過ぎるのも、また鬼が部屋に入ってくるのにもビビることなく、ダイヤルをいじり倒していたんだ。
結局、鬼の方が根をあげて逃げる側の勝利となるも、それまでの時間で僕があの金庫を開けることはかなわなかった。
それからというもの、僕は親が隠しているだろうこの金庫を開けることに、どんどん心を惹かれていった。
床の間のものはあきらめよう。でも、まだ注意をもらっていないこいつであれば、いくら自分の手あかがつこうが構わないはず。実際に見られないうちは、存在しないのと同じことだ。
手前勝手な理屈を頭の中でこねながら、僕は尋常ならざる執着心で、連日金庫へ挑んでいった。
自分なりに集めたデータによると、この手の金庫は4桁の番号とダイヤルの回転によって成り立つらしい。もちろん正しいかどうか、分からないばくち。
それを僕は左回しの「0」から始めて、すべての組み合わせを試すつもりだったのさ。
メモを取りながら、長い時間が過ぎていった。途中でどこまでカウントしたか分からなくなり、日を置いたことだってある。なにより、親にばれてしまってはまずいんだ。
外出中、みんなが寝静まった夜中……時間を割いて、僕は金庫に挑み続けた。
そうして、その時が来たのは2カ月後くらいだったと思う。
「8193」の、それぞれ左3回、右1回。すると、何度も僕の引っ張りを拒んできた取っ手が、大した抵抗もなく開いていくじゃないか。
喜び勇んで、中身を確認する僕だけど、その中は空っぽだった。
外と同じ黒塗りの内部。大きく口を開けたそれは、ホコリひとつない中身を遠慮なく僕へと見せつけてくる。
そりゃ、宝探しにあこがれる時分。大きく期待こそしないけど何かあるんじゃないかと思っていて、その目論見を外されるや、僕はとたんに金庫から興味をなくしてしまったよ。
そのことは誰にもいわず、その日はさっさと寝ちゃったんだ。
翌日。親の部屋のタンスから、着替えを持ってくることで僕の一日は始まる。
大きくあくびをしながら、部屋の障子戸を開けて外へ出ようとしたんだが、同時に「ガン」と音がして、小指に激痛が走った。
油断しきっていて、なおさら痛く感じる。思わずうずくまって、戸の端などを確かめながら、その場を後にしたんだ。
でもそれから、学校へ行くまでの間で、僕は「なんでもない」ところでつまずきまくった。小指をぶつけつつね。
壁からも柱からも、あらゆるものから距離を取っている。にもかかわらず、爪を割りかねないほどしたたかにぶつけて、悶えてしまうんだ。
さすがに親に怪しまれ、問いただされたよ。
あの金庫のことを白状すると、ひとしきり叱られる。あの金庫は「無」を貯めるために置いていたというんだ。
「うちにはね、あんたがつまずいたみたいに、姿のないものが少しずつ少しずつ生まれる場所らしいんだよ。
そいつらのスペースのために、床の間の金庫も、あそこの金庫も、何もない無を置いているんだ。そいつをあんたが開けちまったのさ。
空気やチリ、そうしたものがわずかながら入り込み、奴らのスペースを奪った。だから表に出てきちまったんだ。
しばらく我慢しな。そのうちあの金庫が消化して、元の無をため込むだろう」