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0の庭  作者: 七星ドミノ
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1-2

 バッグからスマートフォンを取り出して時間を確認すると、午前九時五十九分だった。佐村哲と会う約束をした一分前だ。


 右手にスマホを持ったまま、慌てて左手でノックをしようとして、一度手を引っ込めた。左手首に付けたビーズ製のくつものブレスレットが擦れて鳴る。


 暑さのせいではないない汗が円の手のひらにじんわりと滲んでいた。緊張だ。探偵という観察眼に長けた人種に、自分という浅はかな生き物の内側を見透かされるのではないか。そんな懸念が緊張を呼んだのだ。


「どうぞ」と投げやりにも聞こえる男の声がドアの向こう側から聞こえて来て、円は飛び上がるほどびっくりした。


 ドアの上部に張られた曇り硝子越しに円の影が見えていたのだろう。


 円は観念してスマートフォンをバッグの中に押し込み「失礼します」と声を掛け、ひんやりと冷たいドアノブを回した。中に入るとクーラーの冷たい風が頬を撫で、暑さでぼーっとしていた頭が明瞭に働き出したような気がした。


 部屋の中央、書類などが乱雑に積まれたデスクの上に、組んだ足を行儀悪く載せてくつろいでいたのは若い一人の男だった。狭い室内には彼の他には誰も見当たらない。


 男は二十代半ばくらいだろうか、ラフにセットされた黒髪がなぞる輪郭は芸術的で、目鼻立ちも整っており、ひどく綺麗な顔をした男の人だな、というのが第一印象だった。


 ネイビーのシャドーストライプスーツに同系色のネクタイとジレを着込んでおり、いかにも探偵という雰囲気が出ている。とろこが男――佐村と思しき彼の、円に対して無遠慮に向けてくる視線が非常に痛い。


 睨むというレベルではない。目で相手を恫喝している。もはやそういう次元だ。おかしな依頼を持ち込んだので警戒されているのだろうか。


「あ、あ、ぁあの、お話をさせていただく予定だった、神無木ま、円ですが……」


 自分でもなんのコントかと思ったが、こうなってしまったものは仕方がなかった。彼は笑うでも気を遣うでもなく、座れ、と部屋の中央に向かい合って置かれた長ソファを顎で示した。


 革張りのソファの隅っこに身を寄せて縮こまる円を、怪訝に満ちたさらなる殺人視線で追い詰めながら、彼も向かい側に腰を下ろした。彼はデスクから持って来た飲みかけの缶コーヒーを、ことん、と硝子テーブルの端に置く。


 胸ポケットに手を入れた彼は、名刺を取り出し円に手渡してきた。いや、円の手が届く瞬間、急に面倒くさくなったのか若干投げて寄越した。失礼な男である。名刺にはしっかりと黒字で佐村哲の名前が書いてあった。


「それで、話ってのは?」


 答えようとして、その時ようやく円は自分の喉がからからに渇いていることに気が付いた。普通こういう状況では、美人秘書か何かが、冷たい麦茶を持って来たりするものではないのか。テレビの見過ぎか。


 それにしても今の季節に汗だくの女が駆け込んで来たら、冷えた飲み物の一杯でも出すのが常識だろう。だが、目だけで人が殺せそうな男にそんな意見をする勇気もなく、円はくっつきそうになる唇を動かして事の顛末を佐村に伝えた。


 話の間中、佐村がたびたび缶コーヒーに口を付けるので気になって仕方がなかった。水道水でもいいからがぶ飲みしたい。それくらい喉が渇いている。目が口ほどにものを言ってしまったのか、円の視線に気付いたらしい佐村は「飲むか?」と飲みかけのコーヒーを差し出してきた。円はげんなりしながら首を横に振った。よく知りもしない男となぜ一本の缶コーヒーを分かち合わなければならないのだ。この際本気で水道水でもいいから出しやがれ、と円は心の中で悪態を吐いた。


「神無木夫妻を確認できるような物は持ってるか? それから手掛かりになりそうなもの」


 円は家族写真を佐村に提示する。それに加えて父の友人を名乗る謎の人物から送られて来た手紙も硝子テーブルの上に置いた。手紙の内容を読んだ佐村の眉間にわずかに皺が寄る。


「ほとんど現役の探偵だな、こいつら」


 手紙に書かれた八人の助力者の名を指でなぞりながら佐村は呟いた。佐村にとっては商売敵ともなる相手に違いない。名前を見ただけで誰がどんな人物かわかるのだろう。


 数人の探偵を頼れと言った、手紙の差出人の真意はわからないが、今はただ協力者を一人でも多く増やしたい円にとっては些細な問題だった。こんな時に一般人の名前をあげられるよりも、人探しのプロの方が心強いというものだ。


 仕事内容は、神無木操と神無木薫子を無事な姿で見付け出すことだ。ただし手紙にはこうも付け加えてあった。


『現地に着いた日を一日目とし、三日以内に両名の無事を確認できなければ速やかに帰還するように』と。


「奇妙な依頼だな。警察には?」


「連絡しようか迷っていたところにこの手紙が届いて、内容を確認したら警察ではなく佐村さん達を頼れと書いてあったので、そのままここへ来ました」


「俺は神無木操なんて人間は知らないし、その友人に名指しで助っ人を求められる覚えもない。お前、本気でこの怪しい手紙の内容を信じてんのかよ」


「今は、これに頼るしかないと思ってます。実は少しだけ考えたんですよね。警察に連絡しなかった理由とも関係してるんですが」


「何を」と聞かれ、円は昨日から今日に至るまでに考えた自分の推測を口にした。


 両親はまったくの無事で、何事もない姿で待っていてくれているのではないか。こんな大掛かりなことをした理由はただひとつ、内に閉じ籠ってしまった円を外へ連れ出すために他ならず、そのために父は何日も前から準備をしていたのでは? という可能性だ。


「随分と、めでたい思考回路だ」


「これには根拠があります。父は、遊び心のある人だったんですよ。私や弟の誕生日に、わざわざ自作した入れ子型のビックリ箱をプレゼントして来たことがあったんです。驚いて私が泣き出したら、本当のプレゼントはこっちだよって種明かしされて、連れて行かれた部屋は真っ暗でした。父が何かのボタンを押すと、途端に視界いっぱいに星座が浮かび上がって……父が作った簡易のプラネタリウムだったんです。私と弟の名前がその星の中にありました。いつでも私達を笑わせるために一生懸命だった父なので、今回もきっとそんな感じなのかもしれないって、どこかで思ってしまうんです」


 現に、円は自分の意志で家を出て、今こうして初対面の他人と関わっている。何か大きな切っ掛けがなければ円は絶対に外出しようなどとは考えなかっただろう。父はこの感覚を円に教えたかったのではないか。


「それなら俺が硝子の館とやらに行く必要もないわけだ」


「それは困ります。今のはあくまで私の想像で、実際に何かが起きている可能性だってあるかもしれません。もし何も起きていなくても佐村さんは来てくれるだけで百万円が貰えるんですよ。行かない手はないです」


 腕を組んでふんぞり返っている佐村は、何かを考えているようだった。


「ところで、そこに書いてある全員に本気で仕事を依頼するつもりじゃないよな?」


「するつもりですよ。この手紙の主が本当に父の友人だと考えるとして、この人は過去の祖父の失踪事件を危惧しているんだと思うんです」


「別荘へ単身向かった神無木緒之助……お前のじいさんが今現在も見付かっていないってやつだな」


「よく知ってますね、その話」


「当時テレビでもかなり騒がれていただろ。お前が話にくると知って、さっき軽く調べたら未解決事件だった」


「それなら話は早いです。つまり父の友人を名乗る人は、また同じことが起きるんじゃないかと心配してると思うんです。だから指示通りに、この人達全員と今日会う約束をしています。もし難しい問題だった場合、多角から捜査した方が見えてくるものもあると思いますし」


 佐村は呆れたように半眼になったが何も言わなかった。彼は神無木一家の写真を再び手に取る。「こっちがお前か」と指差したのは巴だった。子供の頃、円はあまりスカートをはかせてもらえず、髪も短かったため男の子とよく間違われたのだ。


 むっとして「こっちです」と言い返す。


「まとまりのない家族だな。見た目的に」


 失礼なことを言う男だ。それでもこの写真に写っている四人は、まだ家族として確かに繋がっていた気がするのだ。


「一年前に交通事故で弟が死んでからは、父と母にどんな顔で会えばいいのかわからず、ずっと部屋に籠り切りでした」


 なぜこんな話を初対面の得体の知れない男にしてしまったのか、円自身も疑問に思った。佐村は同情するでも気まずそうにするでもなく、缶コーヒーの残りに口を付けた。


「それで、引き受けてもらえますか?」


 正直こんな訳のわからない依頼、引き受けてもらえずとも仕方がないと思っていたが、意外にも佐村は迷いなく頷いた。


「俺は遣り甲斐で仕事を決める性質でね」


 それが本心から紡がれた言葉かどうかはわからないが、今の円にとっては有難かった。


 必要な書類にサインをし、礼を言って事務所を出る。白い肌に突き刺さる真夏の太陽はまさに暴力で、円は軽度の眩暈を感じた。鉄製の階段をおり、路地裏に足が付いたところで背後から追って来る足音に気付いた。


 振り向くと佐村が長い脚でゆっくりと階段をおりてくるところで、何か言い忘れたことでもあったのだろうかと考えていると、円の脇を通り抜けてすぐそばの自販機の前に立った。横を通り過ぎた時に改めて思ったが、佐村は円が低身長とはいえ、見上げなければならないくらい背が高い。彼は事務所前に設置された古い自動販売機に硬貨を入れ、迷いなく栄養ドリンクのボタンを押した。


「これでも飲んどけ」


 頬に押し付けられた瓶の底から、ひやりとした感覚が伝わる。普通にジュースかお茶にしてよ、と思ったが、せっかくなので渋々受け取った。


「顔色が悪いぞ、神無木」


 心配してくれることに関しては有難かったが、依頼主を呼び捨てにするとはどういう了見だ。


「雇い主に途中で倒れられたら敵わないからな。俺もつていってやる」


「暇なんですか」


「暇じゃなきゃ今時、探偵なんて成り立たねえだろ」


 佐村のもっともらしい言い分を聞き流しながら栄養ドリンクの蓋を開けようとして、神無木製薬会社の商品であることに気付いた。


「あ、これ、うちのだ」


 円の祖父が立ち上げた神無木製薬は今では大手に分類される会社だ。祖父が失踪後は父が跡を継ぎ、仕事は至極順調で、幼い頃からほしいものはなんでも買ってもらえた。


「次の待ち合わせ場所は?」


「司堂探偵事務所です」


 渇き切った喉に栄養ドリンクを流し込む。良く冷えたそれは水道水とは比べものにならないほど美味だった。


 通りではタクシーの運転手が待機しており、円の姿を確認すると軽く目で挨拶してきた。時刻は午前十時三分だ。


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