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0の庭  作者: 七星ドミノ
14/53

2-1

 和泉は倉内の迷惑とも思える猛アピールにも嫌な顔ひとつせずに付き合っている。あれが大人の余裕というやつなのだろうか。それとも紳士の嗜み。もしくは倉内のような女性が好みの奇特な男性なのかもしれない。


「犯罪者の娘のくせに自分の父親と同年代の男口説いてんじゃないわよ、自分の立場わかってんのかしらね」


 背後から、わずかにだが抑えた声で悪態をつく門野の声が聞こえてきた。


 犯罪者の娘?


 倉内のことを指しているのだろうか。気にはなったが、突っ込んで聞いていい質問には思えなかったので、円はこの問題は聞き流すことにした。


 それにしても、ともすれば倉内に聞こえてしまいそうなぎりぎりの声量で、悪し様に雑言を吐くとは門野という女性はかなり図太い神経をしている。


 おそらく世界中の人間に憎まれようとも自分の生き方を曲げないタイプの人間だろう。円とは正反対だ。


 そういう人間を羨ましく思ってしまうのは、傍から見れば滑稽に映るのかもしれないが、円にとっては、誰が敵に回っても曲げない生き方ができる人生ほど羨ましいものはない。


「親が犯罪者だって、未歩さんが何かしたわけじゃないんだろう?」


 マイクロバス全体に響く、無遠慮で無神経な声だった。門野の隣に座っていた司堂のものだ。


 弾かれるように席を立った倉内が、そちらに視線を送る。その瞳はわずかに潤み、グロスがたっぷりと塗りたくられた厚めの唇は何か言葉を吐き出そうとする寸前で震えている。


 司堂の言葉は内容的には倉内を庇ったものなのだろうが、当の本人にしてみれば親が犯罪者であることを暴露された以外の意味には取れなかっただろう。


「パ、パパは、正当、防衛だって……言って……」


 倉内の語尾が小さくなり、最後は両手で顔を覆い声を上げて泣き出した。


 倉内が通路にしゃがみ込んだのと同時に席を立ったのは和泉だ。長い脚で司堂の席まで歩み寄ると、感情の読み取れない無表情のまま、右手の甲で司堂の左頬を弾いた。


 パンッと渇いた音がバス内に響く。


 いきなり頬を張られた司堂をはじめ、皆が呆然としている中、和泉は良く通る低音で言った。


「恥を知りなさい」


 静かだが、和泉の怒りが伝わってくる、低く、腹の底に響くような声だった。


「……ッてぇな! いきなり何すんだよ、あぁ!?」


 いきり立った司堂が和泉の胸倉を掴みあげる。和泉は少しも動じた様子を見せずに、胸倉に食いつく司堂の手を、まるで汚いものでも触るかのような手付きで払った。


「私は君のような品性と知性の欠片もない人間が一番嫌いでね」


 司堂が歯を食いしばる音がここまで聞こえてきそうだった。握りしめた拳を、なんとか押しとどめようと震わせながら耐えている。


 今の司堂の顔は、はじめて会った時の柔和な顔付きとはまるで別人だ。どちらが彼の素顔なのかは、置かれた状況を考えれば容易に想像できる。人間は咄嗟の時に本性が現れるものだ。


 この状況をどうするべきか、依頼主として仲裁した方がいいのか。迷って隣の佐村に視線を送ると、この騒ぎの中で佐村は腕組みしたまま居眠りしていた。どういう神経をしているのか。


「あ、あの、お二人とも席に戻ってください。この先、道が悪くなりますので、危ないです」


 そんな当たり障りのないことしか言えない自分が情けなかった。


 それでも多少の効果はあったようで、和解とはいかなくとも双方は無言のまま自分の席についた。円はとりあえずこの場を収められたことに、ほっと息をつく。


 泣き止んだ倉内は化粧が崩れた顔に弱々しい笑みを浮かべ、和泉に礼を言っていた。和泉はそんな倉内にハンカチを差し出す根っからの紳士ぶりだ。あんなにスマートな振る舞いは自分が男だったとして、逆立ちしても無理だなと円は思った。


 この一件で倉内の目は完全に和泉以外の男を映さなくなった。傷付きやすいが復活も早いのだろう倉内は、ポシェットから取り出した細長い棒状のチョコレート菓子を和泉にも勧めていたが、和泉が丁重に断るとすべて自分の腹の中に収めた。


 円の背後からは司堂のものだろう、かつかつと床を叩く踵の音がした。貧乏揺すりだろうか。相当イラついているらしい。


 こんな険悪な空気の中でよく眠れるな、と佐村に視線をやれば、ばっちりと視線が合った。


「起きてたんですか」


「なんの得にもならない面倒事には極力関わらない主義でね」


「今回の仕事は面倒事になるかもしれませんよ。いいんですか」


「百万円がもらえるんだろ。面倒な仕事だったとしても特にはなる」


「遣り甲斐で仕事を決めるとか言ってませんでしたっけ」


「あんなもん建前に決まってるだろ。遣り甲斐だけで飯が食えんのか?」


 円は返事の代わりに嫌悪を顔に表すことしかできなかった。この男は相当の食わせ者だ。



 窓の外に目を向ける。辺り一帯、緑に覆われた渓谷で、道路の遥か下には穏やかな渓流が流れている。


 小さい頃はよく硝子の館から獣道を下って行って、あの渓流で釣りをしたものだ。深みへ足を踏み入れた円の手を咄嗟に引いてくれたのは弟の巴だった。


 懐かしい思い出が、円の脳裏に次々と浮かんでは消えた。家族全員が揃っていた時が一番幸せだった。硝子の館は不便な場所だったが、家族四人で訪れた場所は、今ではどこもいい思い出ばかりだ。


 一体いつから歩く道を間違えてしまったのか。

 神無木家の不幸が始まったのはいつからだ?


 考えたってわからない。


 祖父が死んだ時だったかもしれないし、円が知る以前よりそれは始まっていたかもしれないのだから。


「そういえば、これから行く硝子の館って、あの話で有名ですよね」


 マイクロバスの中を満たす険悪な空気を払うためか安来が努めて明るい声で言った。


「有名、というと?」


 安来と少しでも会話を交わしたかったのだろう。最初に食いついたのは安来の隣に陣取っている百瀬だった。安来を見る百瀬の目が他に向けられる目と違うのは明らかだ。


「ものすごい価値の宝が眠っているって話です。建設業に携わっていた父に小さい頃に聞いただけなので詳しくは知りませんが、風変わりな洋館に眠る財宝って、知る人の間では有名みたいですよ」


「へぇ、それはロマンがありますねぇ。オレも宝探ししちゃおうかなぁ」


「えぇー! 未歩も宝とかすっごくすっごく気になるぅ! 和泉さん、一緒に宝探ししましょうよ!」


「宝探しという言葉には、そそられるものがありますね」


 勝手に盛り上がる面々を、円は冷めた目で見やった。今はそんな目的で硝子の館へ向かっているのではない。


「待てよ、お前ら。宝が見付かったとして、ここに正当な後裔がいるんだからお前らのものにはならないんじゃないか。なぁ? 円ちゃん」


 一番後ろの席でくつろいでいた三原が、良く通る太い声で話に割り込んだ。


「私は、正直宝とかどうでもいいです」


 考えてみれば、その宝とやらのせいで神無木家に不幸が舞い込んだような気もするのだ。硝子の館で自殺したという祖母も、根幹には実在するかどうかもわからない宝の噂が深く絡んでいたという話を聞いたことがある。


「あの、忘れないでほしいんですけど、皆さんには父と母の安否確認を最優先事項として依頼しているので、その点は踏み外さないようによろしくお願いします」


 口にしてから少し棘のある言い方だったかな思った。あれでは言われた人間が気を悪くしてしまうかもしれない。両親のことが心配とはいえ、もっと別の言い方があったのではないかと後悔する。


「お前が思うほど周りは気にしちゃいないさ」


 気まずそうな円の表情に気付いたのだろう。佐村がフォローを入れてきたが、彼の言う通り、宝の話で盛り上がっていた面々は逆に申し訳なさそうな顔を円に向けてきたものの気を悪くした様子はなさそうだ。


「もっと堂々としてろ。見てるこっちが疲れる」


 それだけ言って、佐村は腕組みをして再び眠る体勢を取った。


 堂々と。子供の頃から色々な物に負けて、隠れて、逃げて生きてきた円に、それは不可能に等しい難題だった。染み付いているのだ。この情けない生き方が。拭おうとしても、振り払おうとしても、簡単には円を解放してはくれない。


 半身を引き剥がされたあの日の光景のように、円のもっとも深くに根付いて、焼き付いて、出て行ってはくれないのだ。


 人の気も知らないくせに。何も知らないくせに。気安く相手を追い詰める言葉を吐き出す佐村という無神経な男に恨めしい視線を送る。


 狸寝入りなのか本当に寝ているのかわからないが、佐村は軽く身じろぎしただけで円など意にも介していないようだった。


「喉が渇いたな。ああ、後ろに積み込んだ荷物の中に飲み物を入れたままだった」


 重苦しい空気を払うつもりで言ったのではないだろうが、乗車スペースからは手の届かない積載スペースに三原が物欲しそうな視線を向ける。


 するとリュックサックをなぜか後部には積まずに足元に置いてあった安来が、チャックを開けて中から五百ミリリットルのペットボトルを取り出した。


「お茶しかないんですけど、よかったら皆さんどうぞ」


 安来はウーロン茶や麦茶、蕎麦茶や紅茶、ミルクティーに緑茶など、様々な種類の飲み物をみんなに配った。


「私、お茶が大好きで、色々な種類のものを持って来たんです」


「ありがたいなぁ。喉がからからで仕方なかったんですよ」


 そう言って百瀬は蕎麦茶を、佐村と円はさっぱりとしたウーロン茶、倉内は甘いミルクティー、和泉は無糖の紅茶、司堂は麦茶、門野と三原は緑茶を、安来は最後に残ったミルクティーを選んだ。


「あ、冷たい。どうして?」


 付け睫毛がびっしり生えた目をぱちぱちさせながら倉内は安来に首を傾げてみせる。


「保冷剤を入れてきたの。もう溶け掛けてるけど」


 安来は気の利く女性だ。感心しながら円は、まだ充分に冷たいお茶を遠慮なく飲ませてもらうことにした。


 窓の外を通り過ぎて行く景色は、隆々と茂る緑に覆われ、人の姿も人家も一切ない。


 聞き慣れない声で鳴く鳥の羽ばたきが、風と共に木の枝を揺らした。


 道は砂利道となり車は上下に小さく揺れる。祖父が頑なにこの道を舗装しなかったのは、硝子の館にはあまり多くの人間に来てほしくなかったからだと父に聞いたことがある。


 祖父はそこまでして必死に何を守ろうとしていたのだろう。硝子の館には本当に隠された宝が眠っているのだろうか。唯一その答えを知っているはずの祖父は十四年前に忽然と消えた。すべての真実を引き連れて。


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