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0の庭  作者: 七星ドミノ
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第二章 硝子の館

 電車に揺られること約二時間。集合場所に指定したK県のH駅に到着した。


 古い改札を抜けると、広がるのは緑に覆われた山、山、山だ。四方八方どこに視線をやろうとも映るのは青々と茂る鮮やかな緑だけだった。


 秋には紅葉目的の観光客で賑わう場所も、今は夏ということもあり、片田舎の寂れた駅には円と佐村以外の人影は見当たらない。


 運転手の島津はまだ到着していないようだった。


 電車では佐村と同じ車両に乗り合わせ、席も通路を挟んだ向かい側だった。佐村は馴れ合いが好きではないらしく、円を見ても軽く視線を飛ばしてきただけで後は関せずといった態度を決め込んでいた。


 円は手持無沙汰で「もし暇なら、きのうの話をきかせてください。三原さんの事務所に駆け込んだ理由」と話し掛けてみたが佐村から返事はなく、結局H駅に到着するまで会話はなかった。


 目を瞑って静かにしていた佐村が狸寝入りなのか否かは、残念ながら円には見破ることができなかった。


 H駅に降り立ったのは円と佐村が一番乗りで、駅の駐車場の方へ行ってみると、木の木陰に停まった白いマイクロバスを発見した。


「島津さん、お久しぶりです」


 全開にされた窓から運転席を覗き込む。島津はうたた寝していたのか、はっと気が付いて慌てて車を降りた。


「これは、失礼いたしました。もうご到着になられていたのですね、円お嬢様」


 円は島津に笑顔で頷いてみせた。小さい頃から見慣れている、日に焼けた細面の顔には、いつも厳めしい表情が浮かんでいる。


 円を見て口にする言葉も下げられた頭もどこか仰々しく、完全に社交辞令といった感じは否めないものの、仕事熱心で寡黙な彼は、受け取り方しだいでは無愛想に映るかもしれないが、十数年、神無木家の臨時運転手を任されている信頼の置ける男だった。


「すみません。急にバスを出してほしいなんてお願いしてしまって」


「いえ。ほんの三日前にも、旦那様のお客人とおっしゃる方を乗せておりますので、帰路の要請があった時のために準備しておりました」


「父の、客人ですか?」


 思い当たるのは、円に謎の手紙を寄越した神無木操の友人を名乗る人間だ。


「はい。旦那様直筆の招待状を持っておいででした。ただ……目深に帽子をかぶり、サングラスにマスク、この季節に薄手ではありますがコートを着ておられたので、風変わりな方だなとは思いましたが」


 円は最後の電話で「誰か来たみたいだ」と言っていた父の言葉を思い出す。あれはその謎の人物のことを指していたのではないか。


「もう少し、その人に関する情報はありませんか?」


「他に、ですか? 旦那様の直筆で書かれた招待状を差し出されただけで一言も言葉を交わしませんでしたので、男性か、長身の女性かどうかもわかりかねます。それ以外に気になったことは特にはありませんね」


 なぜだろう。嫌な予感がする。一刻も早く父と母の無事な姿を確認したい。


「ちなみに、父と母、それにその客人という人は硝子の館から帰ってきていないんですよね?」


「旦那様と奥さまは二週間ほど前に。客人を名乗る方は三日前に硝子の館付近までお送りはしましたが、双方とも迎えが必要との連絡は受けておりません。車でも片道二時間かかる道のりですし、坂道も多いので徒歩で帰られたとは考えづらいと思います」


 特に父は運動が大嫌いだったたし、母は巴の事故死以降、ただえさえ細い体が枯れ枝のように痩せ細ってしまっていた。そんな二人がわざわざ険しい山道を徒歩で帰る選択をするとは思えない。


 客人の方はどうだろうか。まだ硝子の館にいるのかもしれないし、何かよからぬ目的を達成してすでに逃げた後かもしれない。


 いずれにしても現地へ行き、状況を見極めるしかなさそうだ。


 マイクロバスは車体の前三分の二がおよそ十五人が乗り込める席で占められており、残りは荷物を積むスペースとして区切られている。バスの後ろに荷物を詰め込もうとして、自分の荷物が持ち上げられずに苦戦していたら、島津が駆け付けてくる前に、佐村が横からひょいと片手で持ち上げて積み上げてしまった。


「ありがとうございます」と礼を言ったが佐村は答えなかった。


 あからさまに優しさを前面に押し出して来る人間は信用できない。佐村までいくと少し冷たい気もするが、どちらかといえば彼のような態度で接してもらった方が、慣れ合いが得意ではない円は気が楽だった。



 マイクロバスに乗り込もうとしたら安来、百瀬、司堂と門野が駅の方向から荷物を引きずって歩いて来た。集合時間の関係から全員が同じ電車に乗っていたことは当然だが、一度も顔を合わさなかったことを考えると別の車両に乗り合わせていたようだ。


 島津に荷物を運び入れてもらい、みんながバスに乗り込む。


 安来は持参して持って来た荷物の中で、レース装飾の付いたリュックサックだけを抱えて席を選んでいる。リュックサックの重心の掛かり方を見るとかなり重そうだが、一体何が入っているのだろうか。


 円が中間の左列、窓際の席を陣取ると、隣を当たり前のように佐村が座った。

 佐村の前席、左列最前列の席には安来が座り、すかさず隣を百瀬がキープする。

 司堂と門野は円達の後ろの席に隣合って座った。


 全員が席を決めたタイミングで和泉と、彼に続く形で三原が駅から出てきた。

 円は視力には自信があったが、和泉と三原の持っているチャコールグレーの大きなボストンバックがそっくり同じものに見えた。


 和泉は時たまボストンバックから手を離すと、右肩辺りを押さえながら回転させる運動をし、再びバックに手を掛けるといった動作を数回繰り返してバスに辿り着いた。五十肩が相当きているらしい。


 バスの後ろを開け、島津が二人の荷物を積み込もうとした時だ。三原の声が「ちょっと待ってくれ」と島津の手を止めた。


「これじゃあ、どっちがどっちのバッグか、わからなくなっちまうな」


 それに対して和泉の落ち着いた声が答える。


「名札でも付けておきましょうか」


「俺は名札なんて持っちゃいないが、何か丁度いいもんでも持ってんのかい?」


「ええ、代用できそうなものなら」


 そんな会話をして、二人はバッグに名札を付けたようだった。


 和泉と三原の二人が搭乗口に回るのを、円は窓から眺めていた。すると背後から司堂と門野の会話が聞こえて来て、盗み聞くつもりはなかったものの、自然と内容が耳に入って来た。


「着けて来てくれた?」


 門野の甘い声が言う。あのきつい性格の門野に、こんな甘ったるい声が出せたのかと驚いた。


「もちろん。効果抜群だね。だいぶ楽になったよ」


 司堂は嬉しそうな声で返したが、一体なんの話をしているのかわからなかった。


 椅子の隙間から後ろを窺うと、門野は艶めかしい手付きで、司堂の首筋を人差し指でなぞっていた。周りにこれだけ他人が乗っているというのに、一体何をしているのか。


 それから司堂と門野は意味深な笑みを交わし合うと、各々のポケットからスマホを取り出した。現地は電波が届かないと伝えておいたはずだが、今時スマホには重要な情報などを記憶しておくものだから、何かの情報確認のために手にしたのだろう。


 左列の通路側に座っている安来に軽く会釈して、右列の窓際席に和泉は腰をおろした。


「誰も座ってないみたいだから、俺は最後尾の席をもらおうか」


 車内全体に響く声で言い、三原は後部座席に歩いて行く。その途中ちらりと円の背後にいる門野に目をやって、舐めるような視線を彼女に這わせた。タイプの女性なのかもしれないが、あんな目で見られて気分をよくする女性はあまりいないだろう。


 幸いにもスマホをいじるのに忙しい門野が、三原の視線に気付くことはなかったようだ。

 三原は後部席に足を大きく開いて行儀悪く腰掛けた。


「やだぁ! もしかして私が一番最後ぉ!?」


 大声を張り上げて大量の荷物を引きずりながら、どたどたと駅から走って来たのは倉内未歩だ。島津に荷物を任せ、慌ててバスに乗り込んだのはいいが、ぜぇぜぇと息を切らせて膝に手を突いた。


「大丈夫ですかな、お嬢さん」


 和泉が心配そうに声を掛けた瞬間、倉内の目がハートになった気がした。


 優しい声を掛けられたせいなのか、それとも和泉が見るからに金持ちそうだったからかはわからないが、倉内は意気揚々と「お隣、いいですかぁ?」と甘えた声を出して和泉の隣にぎゅうっと巨大な尻を詰め込んだ。


 和泉は若干気圧されたように目を見開いたものの、あからさまな嫌悪などは滲ませないどころか、目元を優し気に細めて、ただでさえ細い体をさらに窓際に寄せた。


「お名前なんていうんですか?」


「和泉源と申します」


「下の名前で呼んでもいいですかぁ?」


「いや……ファーストネームにはあまりいい思い出がありませんのでね、できればファミリーネームで呼んでいただきたい」


「はぁい! じゃあ、わいずみってどんな字か教えてくださぁい!」


 彼女の体と比べるとやけに小さく見えるポシェットの中からメモ帳とペンを取り出した。倉内は、たじたじしている和泉にそれらを押し付ける。


 和泉は断ればいいのに、人がいいのか断り下手なのか、要望通りに丁寧に書き込み、倉内にメモを返す。


「倉内さんと和泉さんはスマホを持って来てないのかな」


 メモに名前を書いて倉内に手渡した和泉を不思議に思って円は小声で言う。字が知りたいだけなら、スマホに打ち込んだ方が早いのにと思ったのだ。


 当然、佐村に向けて投げ掛けた質問だった。隣の佐村は「倉内の方は知らねえが、和泉の左手首を見てみろ」と言った。


「アンティークの腕時計をしているだろ。あれは磁気に弱い。スマホは微弱だが磁気を発してるからな。時計の遅れや進み、下手すると止まる原因になる」


「詳しいんですね」


「そういのを学ぶ環境に、ガキの頃いたってだけの話だ」


 面倒くさそうに話を切り上げて、佐村は再び腕組みしたまま目を瞑った。なぜ佐村はすぐに寝たふりをするのだろうか。


「やった、わいずみさんのサインゲット!」


 そのきゃいきゃいした声で、倉内がメモ帳に名前を求めたのはサイン目的だったことが判明した。


「って、あれれ? これって安来ちゃんの名前と同じ字じゃないのかな?」


 倉内は通路を挟んで隣の席に座る安来にメモ帳を見せようと腕を伸ばす。気になった円が身を傾げてメモ帳に視線を伸ばすと、漢字のへんつくりが同じくらいの存在感で書かれた少し丸みを帯びた特徴的な文字が目に映った。


 そういえば小学生の時、これと似たような字を書く女子がいたことを思い出した。和泉のような紳士風の大人の男性にしては珍しい筆跡だ。


「私の名前は〈なごみ〉って読むけど、本当だ。同じ字だね」


「うんうん、すっごい偶然!」


 倉内のはしゃぎようは、まるで子供のようだ。少なくとも二十歳を超えているだろう女性には到底思えない幼い口振りで話す。


 彼女の場合、可愛らしさを表現するためにわざと狙ってしていることなのだろうが、狭いマイクロバスの中が彼女の黄色い声で満たされると、迷惑に思う人間もいるようで、円の背後から不快そうな舌打ちが聞こえた。


 十中八九、門野だろう。ここまで舌打ちの似合う女性もそうそういないな、と円は思った。


「綺麗なネックレスをしていらっしゃる」


 和泉が倉内の付けていた銀色の小さな星型チャームのネックレスを褒めた。倉内はそれが嬉しくて仕方ないようだ。


「これ、誕生日にパパに買ってもらったの! パパには返さなくてもいいよ~って言って、お金を貸してくれる友達が沢山いるんですよぉ」


「そんな都合のいいダチがいるわけねえだろ」と小声で吐き捨てた佐村の言葉を円の耳は聞き逃さなかった。


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