26.マウリ様の指導するサロモン先生の手紙
ラント領からミルヴァ様とクリスティアンとわたくしの両親が来る日、朝からマウリ様はそわそわとしていた。何度も玄関まで出て行って雪の中の庭を見るマウリ様にくっ付いて、フローラ様も何度も外を見に行っている。ルームシューズで出られるぎりぎりの玄関のマットに立って、ドアを開けて外を見ては戻って来るマウリ様とフローラ様に、心配でわたくしとハンネス様も何度もドアのところまで行った。
「アイラさま、みーとクリスさまとラントりょうのちちうえとははうえは、いつくるの?」
「おやつの時間くらいですよ」
「はーにぃに、ねぇね、くゆ?」
「お昼寝をして起きたら来ますよ」
マウリ様に聞かれて答えるわたくしと、フローラ様に聞かれて答えるハンネス様。和やかに午前中は過ぎて行くはずだった。
馬車の音にマウリ様が子ども部屋に帰りかけていた廊下から、踵を返してドアの方に走って行く。それを追いかけるフローラ様は転んで、泣き出してしまった。泣いているフローラ様をハンネス様が抱き上げて、わたくしがマウリ様を追いかける。まだ昼食の時間にもなっていないのに来た馬車に、わたくしは警戒していた。
「みー!」
疑いもせずに飛び付いて行ったマウリ様は、雪だらけの長身の女性の脚にぶつかって跳ね返って尻もちをついた。マウリ様の全身のタックルを受けても動じもしていない様子で女性がトランクを持ったまま膝をつく。
「わたくしを誰かと間違えたようですね。怪我はありませんか」
「アイラさまー! みーじゃない! みーじゃないのー!」
びっくりして泣き声になってわたくしのところに駆けて来るマウリ様を、わたくしは抱き留めた。灰色の髪にオレンジ色の目の長身の女性は誰かに似ているような気がする。
「初めまして、ソフィア・シルヴェンです。弟がお世話になっております」
「サロモン先生のお姉様ですね。初めまして、アイラ・ラントです」
「だぁれ?」
「マウリ様、サロモン先生のお姉様ですよ。こちらは、マウリ・ヘルレヴィ様です」
「マウリです」
泣き顔のままでわたくしに抱っこされて挨拶をするマウリ様の顔を、ソフィアさまが覗き込む。ぎょろりとしたオレンジ色の目にマウリ様がびくりと身体を震わせた。
「アイラさまー! グリフォンだよー! こわいー!」
「わたくしの本性を一目で見抜くとは、流石はドラゴンのマウリ様ですね。弟の教育も実っているようで良かったです」
表情があまり変わらないのはサロモン先生と似ているかもしれない。玄関先で話し込んでいるわたくしとマウリ様とソフィア様に、恐る恐るフローラ様を抱っこしたハンネス様が近付いていく。
「ハンネス・ニモネンです。母とサロモン先生のこと、聞いていますか?」
「ええ、あの馬鹿弟がご迷惑をおかけしております。わたくしがきっちりと教育いたしますので、少々お待ちください」
ルームシューズに履き替えてもらって、客間にトランクを置いたソフィア様はサロモン先生を呼び出していた。盗み聞きは良くないと思うのだが、どうしても気になって客間のドアにへばりつくわたくしとハンネス様の真似をして、マウリ様とフローラ様もへばりついていた。
「ニモネン家のヨハンナ様をお慕いしているという話、聞きました」
「姉上、反対しても無駄です。私は運命に出会ったのです」
部屋の中ではソフィア様とサロモン先生が話している。耳を澄ましていると、ドアが開けられてわたくしたちはバランスを崩して部屋の中に入ってしまった。
「す、すみません、盗み聞きをするつもりでは……あったのですが、どうしても気になって」
「私の母のことです、教えてください」
「まー、よくわかんない」
「ふー、まっま?」
真剣なわたくしとハンネス様の様子に、ソフィア様は同席することを許してくださった。
「シルヴェン家は王家に仕える家系。妾を持つなど許されませんよ」
「ヨハンナ様を妾の身にしておけるはずがありません」
「それでは、正式に結婚するつもりなのですか?」
「ヨハンナ様が了承して下さったら、正妻として迎え、他の女性に目を向けることはありません」
グリフォン同士の睨み合いは迫力がある。本性を感じ取れないわたくしでもサロモン先生とソフィア様のお二人が言い合っている様子に気圧されてしまった。
「問題はそこなのです。サロモン先生の書いた詩が難解すぎて、母は全くサロモン先生の気持ちに気付いていません」
「それは、本当ですか? サロモン、詩など書いているのですか?」
責める口調のソフィア様にサロモン先生が口ごもる。
「私は女性と縁のない生活をしてきました……。女性のほとんどは私を怖いと言って逃げます。ヨハンナ様は私を恐れずにマウリ様の接し方に関して意見をくださった。あんな勇気のある素晴らしい方はいません。私の初恋で一目惚れなのです」
「初恋……それで詩を?」
「恋文を書いたのです。宮廷では愛しい方に詩を贈るのだと聞いていました」
「あなたはいつの時代の生まれですか? そんな百年以上前の風習を」
呆れたソフィア様が額に手をやっている。やはり詩を書くのは一般的なことではなかったようだ。
「わたし、おてがみに、『アイラさま、だいすき』ってかくよ! サロモンせんせい、おてがみのかきかたをおしえてあげる」
「マウリ様これは大人の話なのです」
「サロモン! マウリ様の方がずっと分かっているではないですか! マウリ様の言う通りに書くのです」
「え!?」
まさかわたくしもソフィア様がマウリ様の言うとおりに手紙を書かせるとは思っていなかったので驚いてしまった。厳しい表情で見つめるソフィア様に、マウリ様は任されてこくこくと頷いている。
客間の机について、サロモン先生はマウリ様に手紙の書き方を習うことになった。
「えっとね、アイラさま……じゃなくて、『ヨハンナさまへ』ってかくんだよ」
「は、はぁ」
「『だいすきです』ってかいて、アイラさま……じゃなくて、ヨハンナさまだ、『ヨハンナさまといっしょにいるとうれしいです』おおきくなったら……は、サロモンせんせいはおおきいからいらないか、えっとね、『けっこんしてください』ってかくの」
「姉上、本当にこれでいいのですか?」
「いいから書きなさい」
マウリ様の指導の元、ヨハンナ様への手紙が出来上がった。
5歳のマウリ様が考えた文面で本当に良かったのかわたくしには分からないが、サロモン先生がヨハンナ様にその手紙を渡しに行く。
受け取ったヨハンナ様は怪訝そうな顔をしていたが、封筒を開けて便箋を見た瞬間、耳まで真っ赤になった。
「サロモン先生、これは、本当ですか?」
「私の正直な気持ちです」
「どうしましょう……わたくし、シルヴェン家に嫁げるような身分ではありません」
驚いたことにマウリ様の考えた手紙の内容でヨハンナ様に気持ちが通じている。やはり今まで書かれていた詩は難解すぎたのだ。
戸惑うヨハンナ様にソフィア様が大股で近付いていく。
「シルヴェン家のことはわたくしに任せてください」
「姉上!?」
「シルヴェン家はわたくしが継ぎます」
堂々と宣言したソフィア様に、サロモン先生が驚きを隠せない様子である。
「今まで宰相は男の仕事だと言っていた奴らを見返してやります。わたくしがこの国初の女性の宰相になるのを見ていてください」
「ご両親は……」
「それも、わたくしが説得します。一生誰とも結婚しないで過ごすよりも、サロモンの愛した相手と結婚することが幸せだと分かってくれるでしょう。それに両親にはわたくしが宰相を継ぐことも納得してもらわねばなりません」
長い戦いになるかもしれないけれど待っていて欲しい。
その言葉がソフィア様の口から出て、ヨハンナ様は安心したようだった。本来ならばサロモン先生が言うべき言葉だったのかもしれないが、全てソフィア様が持って行ってしまった。
「わたくしも気持ちをすぐには切り替えられません。少し、時間をください。マウリ様が6歳になられて、わたくしの手を少し離れるようになるまで、もう少しだけ待っていてください」
「お待ちしています。愛しています、ヨハンナ様」
サロモン先生の言葉にヨハンナ様が頬を染めて俯く。それをわたくしたちは暖かく見守っていた。
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