19.フローラ様とオルガさんのために
食事やおやつの前にスティーナ様の飲み物に一滴、マンドラゴラの葉っぱから抽出した魔法薬を入れる。それでスティーナ様は悪阻が治まる。
「飲み物の味も変わりませんし、飲んだ後は食事が少しでもとれるので助かります。吐いてばかりだと、わたくしも消耗します」
「マンドラゴラの葉っぱのジュースとは違いますか?」
「あれもありがたかったのですが、葉っぱの青臭さや苦みは消えなかったので」
一滴の魔法薬で効くようになったスティーナ様は少量ずつでも食べて体調を取り戻して行った。食事のたびに吐いたり、食べられなくなったりする姿を見て心配していたマウリ様は少し安心した様子だ。カールロ様のお膝に乗ってスティーナ様のお腹を撫でている。
「げんきになぁれ! あかちゃん、げんきにおおきくなぁれ!」
「マウリがお腹をさすってくれると楽になりますね」
「おなかいたい?」
「痛くはないけれど、気分はちょっと悪いです」
スティーナ様の気分をよくするためにマウリ様は一生懸命お腹をさすっていた。
マウリ様もミルヴァ様も生まれてすぐにスティーナ様が床に伏してしまったので、母乳を飲んだことがない。ミルクを飲んで育ったのだろうが、2歳でわたくしの元に来たマウリ様とミルヴァ様は痩せて小さく、翼の生えていないトカゲそっくりのドラゴンの姿で震えていた。
「蕪マンドラゴラは母乳を出すのにいいと聞いています。今年は蕪マンドラゴラを多めに育ててみましょうか」
「びぎゃ!」
「ハンネス様の蕪マンドラゴラは、ハンネス様が大事に飼っているのでだめですよ」
自分を犠牲にすることも厭わない様子の蕪マンドラゴラに言い聞かせるわたくしに、ハンネス様も蕪マンドラゴラを抱き締める。
スティーナ様が妊娠で畑の世話はできなくなって、カールロ様も執務のために休むようになって、わたくしとマウリ様とハンネス様だけで畑の世話をするようになったが、冬場なので畑は休ませていていいはずだった。それでも毎日畑を見に行くのは、スティーナ様を心配してマンドラゴラが葉っぱを茂らせていたり、脱走して厨房に入り込もうとしたりするためだった。
冬場なのに葉っぱを茂らせて疲れているはずのマンドラゴラには、エロラ先生と作った栄養剤を与える。土の上の雪を掻き分けて、マウリ様が手をプルプルさせながら、一滴一滴マンドラゴラの上に栄養剤を落として行った。
「もう葉っぱは伸ばさなくても大丈夫ですからね」
「びゃ?」
「びょんと?」
え?
本当?
そんな声が聞こえた気がするが、マンドラゴラの言葉がわたくしに分かるはずがない。
「本当です。スティーナ様はまだ赤ちゃんを産んでいないので、蕪マンドラゴラもいりません」
「びょそ!?」
「びゃってびゃらびび?」
嘘!?
待ってたらいい?
なんて言っているような気がするのはわたくしだけだろうか。
「まってて。おかあさまのあかちゃんがうまれるまで」
マウリ様にも同じように聞こえていたようで、マンドラゴラに答えていた。
冬の間マンドラゴラ栽培に備えるヘルレヴィ領の領民のひとたちは、栄養剤を作る。そのレシピを書いて渡すつもりでいたが、問題が一つあった。
貧しく土地を失ってヘルレヴィ領で用意した寮に入ったひとの中には、文字が読めないひともいるのだ。
義務教育で幼年学校は卒業させなければいけないと国の法律で定まっているのに、文字が読めないひとがいることを、わたくしは驚きと共に知った。
10歳からヴァンニ家のお屋敷の使用人になったオルガさんも字が読めないと言っている。
「フローラ様に絵本を読んで差し上げたかったのですが、わたくしは字がほとんど読めないのです。わたくしの家は貧しく、幼年学校に行かせる余裕もなく、わたくしは家で働いておりました。10歳のときに12歳と年を偽ってヴァンニ家の使用人になったのです」
14歳でフローラ様の乳母に任命されて、オルガさんは今16歳。わたくしとあまり年が変わらないのにしっかりしている。
「マウリ様と一緒に文字を習ったらどうでしょう?」
「使用人がそんなことを、いいのですか!?」
「まー、おしえてあげる!」
胸を張ってオルガさんに言うマウリ様は、畑仕事から帰って雪と土塗れの手のままで胸を叩いて汚していた。ヨハンナ様がそっと子ども部屋のバスルームに誘導して、暖かなお湯で洗い流して、着替えもさせてくれる。
「マウリ様のお邪魔にならないでしょうか?」
使用人如きがと恐縮しているオルガさんに、サロモン先生は寛容だった。
「誰でも学ぶ権利があります。学ぶことによってオルガさんは更に良い仕事ができるでしょう。オルガさんに教えることによって、マウリ様の復習にもなります」
字を覚えることができればオルガさんはフローラ様やマウリ様に絵本を読んであげることができる。自分でも読めるのだが、ひとに読んでもらうのは特別なようで、マウリ様は絵本を読んでもらうことをとても好んでいた。
「オルガさんに、わたし、えほんをよんでほしい。わたしのすきなほんは、これと、これと……」
列車の本に動物図鑑が出て来て、オルガさんは困った顔になっている。絵本よりもかなり難しい単語が並んでいるその本をマウリ様は気に入って何度も読んでいた。
「お! ふーも!」
「フローラもよみたい?」
「あい!」
以前に本の貸し借りが問題でミルヴァ様と取り合いになって、本を破いてしまったことのあるマウリ様は、フローラ様が貸してと両手を広げると動物図鑑を渡してくれる。動物図鑑を手に取って、フローラ様はハンネス様のお膝に座った。
「はーにぃに! ちて!」
「読めばいい? 朝ご飯までの間だけですよ?」
「あい!」
朝ご飯までの間、わたくしは紅茶を飲んで子ども部屋で温まり、マウリ様は列車の本を読んで、フローラ様はハンネス様に動物図鑑を読んでもらっていた。わたくしのお膝に座って、マウリ様は隣りにオルガさんを呼んでいる。
「これが、ふつうれっしゃ!」
「ふ、つ、う、れっ、しゃ?」
「そう! こっちがとっきゅうれっしゃ!」
「とっ、きゅ、う、れっ、しゃ?」
「じょーずだよ!」
文字を一つ一つ追っていくオルガさんだが、いきなり難しい列車の本から文字の練習に入るのはハードルが高い。
「私が幼年学校の一年生のときに使っていた教本を持ってきますね」
「よろしくお願いします。わたくしが字が読めるようになるなんて、信じられません」
喜んでいるオルガさんに、わたくしも嬉しい気持ちになっていた。
「はーにぃに、おとと。ふー、おとと」
ハンネス様が外の畑に行っていたのに自分は取り残されたと主張するフローラ様に、ハンネス様が説明をする。
「フローラ様には外は寒すぎるし、畑仕事も早すぎますからね」
「ふー、いっくぅー!」
涙目でハンネス様を見上げるフローラ様にわたくしは気付いていたことがあった。フローラ様の服がミルヴァ様のお譲りで、その時期のミルヴァ様はあまり服を持っていなかったので、薄手のものばかりになっているのだ。
「フローラ様は靴も持っていません。靴下も、防寒着も必要です」
朝食の席でスティーナ様とカールロ様に話してみると、二人もフローラ様が洟を垂らしていることに気付いたようだ。部屋の中はストーブで温められていても、どうしてもヘルレヴィ領は雪に覆われて寒くなる。本格的な雪の季節は年末から年明けなのだが、今でも十分雪は積もっていた。
「これ以上寒くなる前に買い物に行かなければいけないな。サロモン先生、ヨハンナ様、ついて行ってくれるか?」
「フローラ様だけではありません。オルガさんの防寒着も手に入れなければ」
ヨハンナ様はオルガさんに対する配慮も抜かりなかった。朝食を食べてから、わたくしたちは馬車を出してもらって買い物に出かけた。
サロモン先生とヨハンナさんとオルガさんとフローラ様とハンネス様とわたくしとマウリ様。全員は一台の馬車に乗れなかったので二台に別れる。
フローラ様には靴と服と防寒着を、オルガさんにも服と防寒着を。
店に着くまで買うことを躊躇っていたオルガさんも、たくさん並んだ商品に我慢が出来ずにフローラ様に合わせたり、自分のものを見たりしていた。
やはりオルガさんも16歳の少女なのだと実感させられた。
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