10.ハンネス様の悩みと精霊の話
マンドラゴラの種を収穫する日が来た。ラント領よりもヘルレヴィ領は冬の訪れが早い。ラント領にいたときの気分で収穫を待っていると種を取る株の葉っぱも根も完全に枯れてしまっている。
秋も深まった日にわたくしたちはマンドラゴラの種を収穫した。種を取った後のマンドラゴラはそのまま植えておけば越冬して来年も種を付けると植物園で聞いていたから、土から上の部分だけを刈り取ってしまう。
鎌は危ないのでわたくしとスティーナ様とカールロ様が使って、サロモン先生についてもらってマウリ様とハンネス様は種を選り分ける作業をお願いした。かなりの量の種が収穫できて、来年はその種を栄養剤の薬草を育てている寮のひとたちに届けて、マンドラゴラ栽培が始められそうだった。
残った土の中のマンドラゴラには藁をかけて雪をしのげるようにしておく。今年は種に栄養を取られて収穫できなかったが、来年は二年物のマンドラゴラが収穫できるかもしれないとわたくしは楽しみにしていた。
二年物のマンドラゴラを収穫してから来年は新しい種を植えることになりそうだ。
「マンドラゴラ、よくねて、おおきくなってね」
「雪が心配なので、時々見に来ましょうね」
冬場もマンドラゴラを見に来ることを約束して、今年の畑仕事は終わった。
もうかなり寒くなっているので、暖かいシャワーを浴びて身体を温めて、朝食を食べて、わたくしは高等学校に行く準備をする。ハンネス様も幼年学校に行く準備をしていた。
「アイラさま、ぎゅってして」
「はい、マウリ様、行ってきます」
「いってらっしゃい、アイラさま。はやくかえってきてね」
馬車の前まで見送りに来てくれたマウリ様を抱き締めて行ってきますをすると、マウリ様は寂しそうだがヨハンナ様の元に戻って手を振ってくれた。
馬車に乗っている間、ハンネス様が小さく呟く。
「母は私のせいで再婚できないのではないでしょうか?」
スティーナ様が再婚を決めて、ものすごいスピードで結婚してしまったことについて、ハンネス様も思うことがあったようだ。海で声をかけられたスティーナ様はカールロ様と出会って再婚を思い立ったが、ヨハンナ様の気持ちはどうなのだろう。
「そもそも、母は妾にされただけで結婚もしていない……私は、母に幸せになって欲しいのです」
切実な子どもの願いを聞いてわたくしはため息を吐く。
「ヨハンナ様はお幸せだと思いますよ」
「私の傍にいるために乳母をしていてもですか?」
「子どもと一緒にいられる仕事というのは、すぐに見つかるものではありません。特にヘルレヴィ領はオスモ殿に荒らされた領地を再建しているところです。ご実家に帰ることができないヨハンナ様にあれ以上の仕事はなかったのではないでしょうか」
ハンネス様と暮らせて、同じお屋敷で働ける。それをヨハンナ様が喜んでいるとわたくしは感じていた。
「サロモン先生にも恐れずに意見してくださるヨハンナ様は、マウリ様にはなくてはならない方です。ヘルレヴィ家に必要な方ですよ」
「それでも、母はそのせいで結婚を諦めてしまっているのでは」
自分がいるからヨハンナ様は結婚できない。ハンネス様はそう思っているようだった。
「一度ヨハンナ様とお話ししてみたらどうですか? ヨハンナ様はヘルレヴィ家に仕えることを後悔なさっているとは思わないし、結婚の意思があるとも限りませんよ」
スティーナ様のように出会いがあったらヨハンナ様も考えるのかもしれないが、オスモ殿のことがあるので男性に絶望しているのかもしれない。オスモ殿と縁が切れてまだ一年なのだから、ヨハンナ様が急ぐ必要はないのではないかとわたくしは考えてしまう。
「私がこんなことを考えていると知ったら、母はショックを受けるのではないでしょうか」
「息子が母親を心配することに、ショックは受けないと思いますよ。ヨハンナ様と話してみてくださいませ」
そこまで話したところで馬車が幼年学校に着いたのでハンネス様は登校して行った。一人になった馬車で揺られながらわたくしは考える。
オスモ殿との愛人関係はヨハンナ様の望んだものではなかった。借金のかたに両親に売られるようにしてオスモ殿の元に連れて行かれたヨハンナ様。確か今のヨハンナ様が28歳だというから、ハンネス様を産んだときにはまだ18歳だったのだ。
この件に関してはヨハンナ様とよく話し合わなければいけないだろう。
考えているうちに馬車は高等学校に着いていた。
午前中は魔法学の授業なのでサンルームに行くと甘いリンゴの香りがする。エロラ先生は簡易キッチンに立って紅茶を淹れているところだった。
「今日はアップルティーですか?」
「リンゴのジャムをいただいたから、紅茶に入れて飲もうと思っていたところだよ」
いつもは授業の終わりか休憩時間にお茶を淹れてくれるエロラ先生だが、今日は最初からお茶を淹れている。ソファに座って待っていると、綺麗な水色のカップに紅茶を淹れてエロラ先生が差し出してくれた。紅茶にジャムを入れて、ミルクポットからミルクも入れて、スプーンでかき混ぜる。ふわりとリンゴの香りが立ち上る。
「ヘルレヴィ家にはグリフォンが来たのだってね。グリフォンは風の精霊と相性がいい。精霊の話を聞いたかな?」
「グリフォンも精霊と相性がいいのですか?」
「精霊や妖精の存在は、私のような妖精種がいるのに信じないひとたちが多いからね。あまり話題にはしないかもしれない」
話題にしたくないことでも、わたくしとマウリ様のためにサロモン先生は口に出してくれた。サロモン先生にも風の精霊が傍にいるのだったら、マウリ様はもっとそのことについて深めていけるかもしれない。
「妖精と精霊の違いとはなんですか?」
「妖精と精霊は基本的には同じものだ。ただ、目に見える姿のあるものを妖精、姿を持たない目に見えないものを精霊と呼び分けている」
妖精と精霊は同じで、妖精も精霊の一種なのだとエロラ先生は教えてくれる。精霊は姿を持たないが、妖精は姿を持つ。
「ということは、サンルームの管理人さんも?」
「一度見せたよね」
「はい、見ました」
エロラ先生の作った指の輪を通してわたくしはサンルームの管理人の妖精さんを見ていた。あまり姿はよく見えなかったが、確かに小さなひとのような形をしていた。精霊にはあのような形がなく、目に見えない力の集合体なのだという。
「四大元素の魔法は精霊の力を借りているところがある。術式を編み上げて発動させるときに、精霊に魔力を与えて、術式通りの魔法を作り上げてもらっているようなものなんだ」
「そうだったんですか!?」
わたくしは知らない間に精霊の力を借りていたようだ。
「私は妖精の姿が見えるけれど、アイラちゃんは見えない方がいいと判断しているから、無意識に見ないようにしているのだと思うよ」
「わたくしにも見えるのですか?」
「感じるだけでも世界がものすごく騒がしくなるから、アイラちゃんは見えない方がいい。感じられるくらいで留めておいた方が、人間としては幸福に暮らせる」
妖精は善良なものばかりではなく、悪いものも存在するのだとエロラ先生は教えてくれた。全ての妖精が見えて声が聞こえてしまうと、騒がしくて普通には暮らしていけない。だからわたくしは無意識に聞こえないようにシャットダウンしているのだと言われて、少し勿体ないような、それでもこのままでいたいような、複雑な気持ちになってしまう。
「精霊の存在はそのうち感じられるようになると思う。そのときに教えればいいかと思ってたが、マウリくんの家庭教師がグリフォンだからね、教えてもらうといいよ」
「エロラ先生は教えてくれないのですか?」
「どんな風に教えるのか興味がある。グリフォン先生が教えた後にでも私の講義を始めようかな」
長く生きているせいか、エロラ先生はわたくしの授業に関しても面白さを求める傾向にある気がしていた。わたくしに関しても、面白い子だと認めてもらえなければ授業が受けられていたか分からない。
これからサロモン先生にも教わって、エロラ先生の授業にも出る。学びの場は多い方がいいし、教えを乞う相手は多い方がいいのだが、忙しくはなりそうだった。
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