7.サロモン先生と畑仕事
住み込みになったサロモン先生とカールロ様は知り合いのようだった。正確にはカールロ様は覚えていないようだが、サロモン先生が研究課程でカールロ様を一方的に知っていたようなのだ。
「破天荒な方だとお聞きしていました。研究課程を卒業するとすぐに家から出てしまって、国中を平民に混じって働きながら旅をしているとお聞きしました」
「スティーナ様と会う前のまだ愛を知らない時期だったからな」
「愛を知らない時期と言っても、カールロ様はまだ25歳でしょう?」
突っ込まれてカールロ様が苦笑する。
「サロモン様もまだ23歳だろう」
「そうですね。マウリ様が私にとっては初めての生徒になります」
初めての生徒がドラゴンということで、難しいこともあるだろうが、カールロ様のご両親の大公殿下夫妻が選んだ方なのでわたくしはそれを信じていた。問題はマウリ様がサロモン様に慣れるかどうかだけなのだが、まだ妙な膠着状態が続いている。
「明日の朝には畑仕事についていってもよろしいですか?」
「えー……」
嫌そうなマウリ様にわたくしが膝を折って目を合わせながら話をする。
「サロモン先生に畑のことを知っておいてもらったら、もっといい栽培方法を一緒に考えてくださるかもしれませんよ」
「アイラさまがそういうんなら、いーよ」
渋々という雰囲気で唇を尖らせて言うマウリ様に、サロモン先生は僅かに落ち込んでいるような影を背負っていた。マウリ様は臆病で泣き虫なところがあるから、気を付けて接しないといけない。それをサロモン先生は分かっていないのだ。
「アイラ様、私はどうすれば」
「ダメー! アイラさまにちかよらないでー! アイラさまはわたしとけっこんするのー!」
わたくしに相談しようとするサロモン先生にマウリ様がわたくしのスカートに抱き付いて必死に威嚇している。大根マンドラゴラはマウリ様のためにシャドウボクシングのようなことをして、サロモン先生に見せつけている。
「マウリ様、わたくしはマウリ様の婚約者ですからね」
「アイラさまとしゃべっちゃいやー!」
「マウリ様のことで相談したいのに、わたくしと喋ってはだめなのですか?」
「だってぇ、サロモンせんせい、まーよりおおきいから」
自分よりも大人のサロモン先生がわたくしを奪っていくとでも思っているのだろうか。わたくしはヘルレヴィ家の後継者の婚約者なのだし、ラント家の令嬢として望まぬ結婚は拒むことのできる立場にあった。
獣の本性がないので結婚自体望まれたことがないのだが、マウリ様だけがわたくしを望んでくださる。
「マウリ様以外、わたくしに興味などないですよ」
「アイラさまがほかのひととなかよしだと、まー、おむねがちくちくするの」
5歳なりに嫉妬しているのだというのは分かるのだが、誰にでも警戒しなくてもいいのだと教えなければいけない。
「わたくしはマウリ様の婚約者です。これはヘルレヴィ家とラント家との間の約束でもあります。公爵家同士の約束を誰かが邪魔をして破るようなことはありません」
ハンネス様にも嫉妬していたし、マルコ様にも嫉妬していたマウリ様。今度はサロモン先生が標的になっている。
「わたし、サロモンせんせいに、アイラさまはわたしのこんやくしゃだって、ちゃんといってくる!」
「それでマウリ様が納得なさるなら言ってきてくださいませ」
鼻息荒くサロモン先生に近寄ろうとしたが、歩いていくに連れてマウリ様の歩みが遅くなってくる。途中でくるりと踵を返してマウリ様はわたくしの元に戻って来た。
スカートに顔を埋めて、もじもじと握ったスカートの生地を捏ねている。
「やっぱり、こわかったの……ゆうきのないまーをゆるして」
「許すも何も、悪いことはしていませんよ。二人でお話に行きましょうか?」
手を繋いでサロモン先生のところに行くとヨハンナ様と話をしていた。
「とにかく、目線を合わせることだけは忘れないでください。サロモン様は背がお高いから。それと、話しかけるときは優しい声で。難しい言葉は使ってもいいですが、意味を聞かれたらきちんと教えてあげてください」
「難しい言葉……?」
「そのときに話題を切るようなことになるかもしれませんが、意味を聞かれたときにちゃんとお答えするのが信頼を築くための大事な手順です」
指導されてサロモン先生も真剣に聞いている。
「サロモンせんせい!」
勇気を出したマウリ様の声はちょっとひっくり返っていたが、凛々しく響いた。サロモン先生がヨハンナ様からマウリ様に向き直って、膝をつく。目線が合って、マウリ様が「ぴゃ!」と飛び跳ねてわたくしのスカートに隠れる。
「あの……もしかすると、ちょっと近いのかもしれません」
「え?」
「お話をするときは、仲良くなるまでは少し下がって聞いてあげてくださいますか?」
いきなり目の前に膝をつかれて驚いて逃げ出してしまったマウリ様も、わたくしの位置まで下がるとスカートの陰からひょこりと顔を出した。
「わたし、アイラさまとけっこんするの」
「存じております。アイラ様とマウリ様は婚約者です」
「ぞんじておりますって、なぁに?」
「分かっていますということを、丁寧に言った言葉です」
「わかってるの? それなら、アイラさまをとったりしない?」
心配だから聞いているのは分かるのだが、わたくしは13歳でサロモン先生の恋愛対象になるような年ではない。サロモン先生はそんなことを笑わずに真剣に聞いてくれていた。
「アイラ様はマウリ様と結婚する、そのことは分かっております。私がアイラ様に恋愛感情を持つことはありません」
「れんあいかんじょうって、なぁに?」
「好きになって、結婚したいと思うことです」
「それ! まーはアイラさまにれんあいかんじょうしてるの!」
使い方が間違っているが、気持ちは伝わってくる。恋愛感情の意味も知らなかったマウリ様の「すき」は本当に結婚したい「すき」なのか分からないが、本人がそう言っているのでわたくしは信じることにする。
次の日も休みだったので、早朝にはサロモン先生も畑仕事に行った。マウリ様がスーツ姿のサロモン先生に指導をしている。
「はたけしごとはよごれるから、よごれていいかっこうじゃないとだめなの」
「私はこれしか服を持っておりませんので」
「かいにいかないとだめだね。あと、おぼうしがないと、あたまがいたくなっちゃうんだよ」
「帽子も必要でしたか。畑仕事の経験がありませんので、失礼しました」
5歳のマウリ様に対しても大人にするような喋り方をしているサロモン先生は本当に子どもに慣れていないのだろう。マウリ様の方は丁寧に接せられて嫌な気分にはなっていないようだった。
「アイラさま、サロモンせんせいとおかいものにいく?」
「サロモン先生がご自分で選ばれた方がいいような気がしますが」
「まーがえらんであげなくてもへいき?」
畑仕事に関しては自分の方が慣れていると分かったマウリ様は、サロモン先生の畑仕事の服を選ぶつもりのようだった。
「私は知識がありませんので、選んでくださると助かります」
「しかたがないなぁ」
「マウリ様は優しいのですね」
無表情のまま零れた言葉にマウリ様の表情が明るくなったのが分かった。誇らし気に胸を張っている。
「わたし、やさしいから、サロモンせんせい、わからないことはなんでもきいていいよ!」
家庭教師はサロモン先生のはずなのに、立場が逆転している。それを受け入れているからこそ、マウリ様はサロモン先生に好意を抱いたようだった。
何がマウリ様の心を動かすか分からない。
気が変わらないうちにお店に衣装を買いに行こうとスティーナ様に許可を貰いに行くと、スティーナ様がマウリ様に優しく言う。
「サロモン先生とヨハンナ様とハンネス様とカールロ様とお出かけできますか?」
「アイラさまは?」
「アイラ様には、わたくしが少し用事があるのです」
わたくしが同行しないとなるとマウリ様の表情が曇って来る。
「サロモン先生に教えて差し上げるのでしょう? マウリは本当に立派ですね。そういえば、カールロ様も衣装が整っていないようでした」
「あ! おとうさま、おぼうしがなかった!」
「マウリ、カールロ様に帽子を被るように説得してくれますか?」
重大な任務を受けてマウリ様が表情を引き締める。
「はい! わたし、がんばります!」
意気揚々と出かけていくマウリ様を見送って、わたくしはスティーナ様の話を聞くことになった。
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