2.二年生初日の高等学校
サンルームに行くまでの校舎の中でジャケットを脱いでいても汗をかく。残暑の厳しいラント領よりはずっと風も涼しいのだが、まだ季節は秋に入ったばかりで風がやむと暑さを感じた。
渡り廊下を歩いてサンルームに入ると涼しい風が吹いているのが分かる。窓を開けている気配はないのにこれだけ涼しいのは、サンルームの管理人の『彼』のおかげなのだろう。
長い白銀の髪を括っているエロラ先生は襟足の辺りを刈り上げているのが分かった。これまでずっと髪を降ろしていたから気付かなかった不思議な髪形を見つめていると、エロラ先生が挨拶をしてくれる。
「アイラちゃん、夏休みはお世話になったね」
「こちらこそありがとうございました」
お礼を言ってわたくしは肩掛けのバッグを開けた。蕪マンドラゴラが二匹、人参マンドラゴラが二匹、大根マンドラゴラが二匹飛び出してくる。
「びぎゃー!」
「びゃびゃ!」
「びょわ!」
「びゃうびゃう!」
「びょえー!」
「ぎょわー!」
それぞれに鳴きながらエロラ先生の周囲をぐるぐると回る元気のいいマンドラゴラをエロラ先生が無造作に掴んで捕まえていく。
「一匹エロラ先生がお好きなのを貰ってください。残りはエリーサ様に届けてくださいますか?」
「こんなにいいのかい? エリーサがとても喜ぶと思うよ」
一匹一匹検分して、エロラ先生は人参マンドラゴラを選んで、残りを移転の魔術でエリーサ様に送っていた。これで夏休みの魔法具とポーチのお礼ができたはずだ。
「エリーサともいい夏休みを過ごせた。残り五十年程度だから、折り返し地点には来ている。頑張らないとね」
エリーサ様とエロラ先生の試練の百年はもう半分過ぎていた。長期休みには会いに行けるけれど、そうでないとなかなか会えないヘルレヴィ領を滞在地に選んだのも、エロラ先生の決意が揺らがないようにだろう。
じっとエロラ先生を見つめていると、括った髪を持ち上げて刈ってある襟足から耳の下を見せて来た。
「これ、涼しいんだよね。女性がなんて髪型をしているって言われるけど、そんなのは知ったことじゃない。私は私の好きな髪形をするだけだ」
「素敵だと思います。ちょっと驚きましたが」
「髪の量が多くてめんどくさいんだよ」
耳より下の部分を刈り上げているので涼しいし、髪の毛も乾きやすいと言うエロラ先生。その髪型はエロラ先生にはお似合いだったので、わたくしは女性だからどうとか思わなかった。
初対面からエロラ先生は女性か男性か分からないような格好をしていた。声の高さや骨格で女性と分かったけれど、三つ揃いのスーツを隙なく着こなしているエロラ先生は格好いい。
「ヘルレヴィ家のご当主は再婚なさったんだっけ? おめでとう」
「夏休みの間にバタバタと話が決まっていったのですが、マウリ様も懐いているし、とてもいい方なのですよ」
「マイヤラ家か……王族の権力争いが嫌でさっさと他家に行った王弟殿下の家系だな。とはいえ、大公にはなっているから、ヘルレヴィ家の後ろ盾にもなってくれるだろう」
「エロラ先生は貴族社会にもお詳しいんですね」
「長く生きているからね」
見ただけでは想像できないような時間を生きているエロラ先生だが、見た目は美しい中性的な二十代半ばくらいの女性に思える。その耳が尖っていて、整った顔立ちをしていなければ、妖精種とは思えない……いや、やはりエロラ先生は妖精種特有のオーラのようなものを持っていた。
「次はケープをエリーサに作ってもらおう」
「え? ケープですか?」
「攻撃から身を守るように。魔法が暴発してもアイラちゃんが無事なように」
次々と魔法具職人のエリーサ様に作ってもらうのは申し訳ない気がするのだが、エロラ先生は片目を閉じて見せる。
「エリーサに注文をすれば、私が堂々とエリーサと連絡をとれる口実になるんだよ。だから気にしないで」
引き離されている二人は連絡を取るのも制限されているのだろう。愛し合っていて、いつでも移転の魔術で飛んで行けるし、連絡も取り合えるのに、それを制限されている状態など、わたくしの想像できないほどつらいだろう。連絡を取る口実になると言われてしまえば、わたくしはケープを作ることを拒めなかった。
「マウリくんには草色のポンチョ、ミルヴァちゃんには葡萄色のポンチョ、クリスティアンくんには水色のポンチョ、アイラちゃんにはブルーグレーのケープかな」
「マウリ様とミルヴァ様とクリスティアン様にまで!?」
「それだけの代価は君は払ってると思うよ」
わたくしがエリーサ様に送るようにお願いしたのは、夏休みに作ってもらったクリスティアンの乳歯の入った魔法具と、クリスティアンとミルヴァ様のポーチの分だと思っていたが、それ以上の価値があったようだ。マンドラゴラがどれほど価値があるかなんてわたくしは全く知らなかった。
知らないことは素直に聞く。これがリーッタ先生から学んだわたくしの学習方法だった。
「マンドラゴラはそれほど価値があるものなのですか?」
「通常の人間にとっても滋養強壮や栄養補給、毒の緩和や病の治癒などに役立つけれど、魔法を使うものに対しては特に有効なんだ」
「魔法の補助になるのですか?」
マンドラゴラは魔法の補助になる。
それはわたくしの知らないことだった。
「マンドラゴラは魔力を上げる手助けをする。一匹いれば数回分になるから、特に重要な魔法を使うときに分けて使えば、五匹で何十回分にもなる。エリーサの仕事もはかどるだろう」
「マンドラゴラにそんな効力があるなんて知りませんでした」
「元々はマンドラゴラは魔力を上げるために栽培されていたんだよ。それが、大陸に魔法使いがほとんどいなくなって、今は人間の滋養強壮と病の治癒に主に使われるようになっている」
元々マンドラゴラは魔力を上げるための薬草だった。話を聞くにつれてわたくしはマンドラゴラに興味がわいてくる。
「新しくマンドラゴラの種を貰ったのです。ジャガイモやゴボウ、玉ねぎのマンドラゴラに……なんだったかしら、スイカと南瓜もいたような……」
もらった種をはっきりと確認しなかったが、数種類あったのは覚えている。スイカと南瓜と口にすると、エロラ先生の表情が明るくなる。
「それはマンドラゴラじゃないかもしれない」
「え? 違うのですか?」
「育ててみるといい。ただ、ネットが必要かな」
ネットが必要?
どういう意味なのだろう。
わたくしはまた新しい植物について調べなければいけない気配を感じ取っていた。
エロラ先生の魔法学の授業が終わると、お昼を食べに空き教室に行く。いつもの教室で待っていてくれたニーナ様とマルコ様に肩掛けのバッグを開いてマンドラゴラを見せる。
「お渡ししたいのですが、どうすれば?」
「あたしが帰るときに馬車の前で受け取ります。マルコの家にはあたしが届けるよ。イーリスちゃんが楽しみにしてるでしょ?」
「ニーナ様、お願いしていいかな?」
マルコ様は寮に入っているので、家族の元にマンドラゴラを届けることができない。代わりにニーナ様が請け負ってくれてわたくしはホッとした。
お弁当を食べながら夏休みの話をする。
「エロラ先生と魔法具職人さんのところに行って、ラント領で過ごして、海にも行って、王都にも行って……」
「スティーナ様、電撃結婚ですって?」
「そうなんです。お二人仲睦まじくて素敵なんですよ」
「羨ましいなぁ。マイヤラ家とヘルレヴィ家なんて、最高に釣り合いが取れてるし」
コイバナに乗って来たニーナ様は夢見るような表情である。マルコ様が苦笑している。
「ニーナ様は、夏休みの宿題、僕にほとんど聞いてたじゃないか」
「マルコ、言わないでよ!」
ヘルレヴィ家が慌ただしかったので家庭教師を断っていた間、マルコ様は実家に帰ってニーナ様のお屋敷に通ってニーナ様に勉強を教えていたようだった。
「マルコ様、今年度までは家庭教師をお願いすると思いますが、来年度からは新しい家庭教師に来てもらいます」
「マウリ様も6歳になりますからね。分かっていますよ」
マルコ様もそれは覚悟の上のようだった。イーリス様が高等学校に行けるように少しでも稼いでおきたいというマルコ様の助けにはもうなれないかもしれないと項垂れるわたくしに、ニーナ様が顔を出す。
「マルコは、あたしに勉強を教えて対価を貰えばいいんだわ」
「ニーナ様に今更?」
「これまでも払ってこなかったうちが悪かったんだと思う。アイラ様がちゃんとマルコを雇ってるのを見て思ったのよ。あたしが教えてもらうのにも正当な対価が必要だって」
マルコ様はヘルレヴィ家の家庭教師は辞めなくてはいけなくなるけれど、ニーナ様のネヴァライネン家から報酬が支払われそうな雰囲気だ。
「早く家庭教師に慣れた方がいいだろうから、もうマウリ様は新しい方を探したらいいと思います。マルコのことは、あたしが両親に掛け合います」
いつになく意欲的なニーナ様に、もしかするとマルコ様との仲が進んだのかと期待をしてしまう。二人が共に高め合える関係になれるのだったら、マルコ様がマウリ様の家庭教師を辞めるのが多少早まったところで問題はない。
マウリ様は寂しがり屋で頑固なところがあるから、それを理解した先生に来てもらった方がいいだろう。5歳のうちから慣らしておくというニーナ様の案も、マウリ様には必要に思われた。
ヘルレヴィ家に帰ったら、わたくしはカールロ様とスティーナ様に相談しようと決めていた。
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