6.二つのベビーベッドのわけ
ラント領のお屋敷にマウリ様とミルヴァ様が来てから約一月後にわたくしの誕生日が来た。新年の同じ月にわたくしとクリスティアンは生まれた。同じ月なので誕生日お祝いは一緒でいいと言っているのに、両親はわたくしたちの誕生日を別々にしてくれる。
「可愛い娘の誕生日と、可愛い息子の誕生日を同じ月に二回も祝えるなんて、私たちは幸せな親だな」
「えぇ、この月に二人を産んで良かったですわ」
子ども部屋に持って来られたケーキを見てマウリ様とミルヴァ様が子ども用の椅子の上でそわそわしている。艶々の木苺と苺の乗ったケーキが美味しいものだという予感がしているのだろう。部屋中に木苺と苺の甘酸っぱい香りと、バターの香ばしい匂いが漂っていた。
涎を垂らしてケーキを見つめるマウリ様とミルヴァ様に早く食べさせたかったが、今日はわたくしの11歳のお祝いなのである。
「アイラ、お誕生日おめでとう」
「欲しがっていた薬草学の本を取り寄せましたよ」
薬草や毒薬に関しては、温暖な地域であるラント領では農業が盛んなので勉強しておかなければいけない。将来は領地を守るために薬作りができるように目指しているわたくしにとっては、その誕生日プレゼントは嬉しいものだった。
「わたくしからはこれを」
リーッタ先生からは美しい青い炎が軸に灯ったようなガラスペンとインクをいただく。インクはきらきらと煌めく群青で、夜の星空のようだった。
「ありがとうございます、父上、母上、リーッタ先生」
「ねぇたま、おめでとう」
クリスティアンがくれたのは庭で摘んで来たたくさんの小さな花だった。
「クリスティアン、ありがとう。嬉しいです」
貰ったクリスティアンの野草をコップに入れて飾って、誕生日お祝いの続きをする。おやつの時間に運ばれてきたケーキを切ってそれぞれに分けると、まずわたくしはマウリ様に一口大に切ってお口に運んだ。大きなお口を開けてマウリ様はぱくぱくとケーキを食べていく。この一か月でサイラさんに懐いたミルヴァ様も大きなお口を開けて食べさせてもらっていた。
マウリ様とミルヴァ様が食べ終わるとわたくしも食べる。その間にサイラさんがマウリ様とミルヴァ様にミルクを飲ませていた。
「やー!」
わたくしが世話をするせいかマウリ様はサイラさんにもなかなか懐かない。警戒して嫌がるマウリ様の口にサイラさんがカップを持っていくと、喉の渇きには勝てなかったのか渋々飲んでいた。
クリスティアンの誕生日も同じ月に祝われた。4歳になったクリスティアンは喋りも確りして来ていた。
「くりす、じぶんのこと、ぼくっていう」
「成長しましたね」
「プレゼントの草花の絵本ですよ」
何かとわたくしの真似をしたがるクリスティアンは、わたくしの持っているものを欲しがる。薬草学の本はまだ早かったので、両親はクリスティアンには草花の絵本を準備していた。
リーッタ先生はクリスティアンに色鉛筆を用意してくれていた。大事に絵本と色鉛筆を抱いて、クリスティアンが嬉しそうに微笑んでいる。
「ありがとうごじゃます」
「どういたしまして」
「いっぱい草花をお絵描きしてみてくださいね」
草花を覚えるのもラント領の領主になるには大事なことだ。いずれは農作物を管理するようになるのだ。
ラント領で栽培されているのは穀物から野菜、綿花にお茶まで様々だ。綿花は織物工場があって布に加工して他の領地に出荷している。お茶も発酵させて紅茶にしたり、そのままで緑茶にしたり、半発酵させて花茶にしたりして他の領地で売って儲けが出ている。
「ヘルレヴィ領は何を作っているのでしょう」
ヘルレヴィ領は果実栽培が盛んで、ラント領から仕入れたお茶に果実でフレーバーを付けたり、果実酒を作ったりしていることは知っている。それ以外にもわたくしのまだ知らない収入源があるのではないかとリーッタ先生に聞いてみると、答えが返ってくる。
「かつては宝石や金や銀の鉱山がありましたが、それも枯渇状態になっているようですね」
「マウリ様とミルヴァ様が、ヘルレヴィ領に帰ることがあったら領地の再建から考えて行かなければいけないんですね」
「そうですね。スティーナ様が床に臥せられて、オスモ様の統治下になって、領地は荒れていると聞きます」
スティーナ様の話題が出てわたくしはそのことに気付いた。
マウリ様とミルヴァ様の母親で、ヘルレヴィ領の領主であるスティーナ様の容体はどうなっているのだろう。自分が命を懸けて産んだ双子がラント領に追いやられたことをスティーナ様は知っているのだろうか。
「スティーナ様が鍵かもしれませんね」
「ねえさま、どういうこと?」
「スティーナ様のお身体がよくなれば、マウリ様とミルヴァ様はヘルレヴィ領に帰れるかもしれないということです」
自分が産んだ子どもが可愛くないということはないだろう。楽観的な考えかもしれないが、床に臥せっているスティーナ様が回復すれば、仮初の領主代理であるオスモ殿とその妾と子どもこそ追い出されて、マウリ様とミルヴァ様が正当な後継者として連れ戻される可能性がある。
「まー、ばいばい?」
「みー、いらにゃい?」
美味しいケーキを前にしているのに蜂蜜色の眉毛をふにゃりと下げて泣き出しそうな顔になっているマウリ様とミルヴァ様に、わたくしは真剣な表情で告げる。
「お二人が正統な後継者としてヘルレヴィ領に迎えられるのです」
「まー、あーたま、いーの!」
「みー、さーらたん、いーの!」
ヘルレヴィ領に余程嫌な思い出があるのだろう。マウリ様は涙をぽろぽろと流してわたくしといたいと言うし、ミルヴァ様は口をへの字にしてサイラさんがいいと言う。
「あーたま、ばいばい、ちないで?」
小さなお手手を伸ばしてわたくしのワンピースを掴むマウリ様に、わたくしはため息を吐いてしまった。もう少しマウリ様が大きくなって物事が分かるようになってくれば、小さな頃に優しくしたとしても、わたくしは獣の本性を持たない出来損ないの娘で、マウリ様の婚約者に相応しくないことが分かってしまう。そのときになってマウリ様に「ばいばい」されるのはわたくしの方に違いなかった。
「マウリ様とバイバイなんてしませんよ」
「あーたま、すち!」
「わたくしもマウリ様が大好きです」
手を握って約束すると、マウリ様は少し落ち着いたようだった。頬を伝い落ちていた涙と、垂れた洟を拭いて切り分けたケーキを目の前に持っていくとマウリ様とミルヴァ様の蜂蜜色のお目目が輝く。口の端から涎が垂れるのは仕方がない。
今回はコンポートした林檎を薔薇のように飾ったケーキだった。
「けーち、おはな」
「きれー」
マウリ様とミルヴァ様が切られていくケーキを見て話している。二人でこうやって身を寄せ合ってヘルレヴィ領でも過ごしてきたのだろう。
林檎のケーキにはアイスクリームが添えてあって、それがマウリ様とミルヴァ様には衝撃的だったようだ。一口食べさせると、お目目を大きく見開いて飛び上がる。
「ちめたっ!」
「まー、ゆち!」
「ゆち? あまぁいよ?」
「あまぁい、ゆち!」
ミルヴァ様の中ではアイスクリームは雪を思い出させた様子だった。外に出されて積もる雪の中立たされていた怖い思い出が蘇るかとハラハラしたが、そんなことはなく、二人でほっぺたを膨らませてもぐもぐと食べて話している。
「ゆち、おいちーね」
「あまぁい、ゆち、おいち!」
アイスクリームは二人のお気に召したようだ。
暖かな守られた部屋の中で食べる甘い雪のようなアイスクリーム。それが二人の恐ろしい思い出をかき消してくれればいいと思わずにはいられない。
季節が変わって、春先には二人のお誕生日が来るとわたくしは両親に教えてもらった。3歳になるのだから、いつまでも赤ん坊のようなロンパースを着ていなくてもいい気がするのだ。
ロンパースを着ているのも、マウリ様とミルヴァ様が栄養失調で成長が遅く、オムツも外れる気配がなく、動くのも苦手で、すぐにトカゲの姿になってベッドの下に逃げ込んでしまうからだった。
「父上、母上、そろそろマウリ様とミルヴァ様にも普通の服を着せてもいいのではないかと思うのですが」
「マウリ様にはクリスティアンのお譲りを、ミルヴァ様にはアイラのお譲りを着せるのは失礼に当たるかな?」
「よいのではないですか? 男の子同士、女の子同士ですし」
そこでわたくしは初めて両親にわたくしとクリスティアンのベビーベッドや子ども用の椅子を年が離れているのにお譲りにせずに、別々にした理由を聞いてみた。
「わたくしとクリスティアンのベッドや椅子を別々にしたのはどうしてですか?」
その答えを両親は恥ずかしそうに答えてくれた。
「二人は女の子と男の子で違うから、可愛いデザインと格好いいデザインのどちらも買いたかったのだよ」
「それに、二人ともこの家で結婚した後も過ごすと思っていたので、二人の子どもが生まれたときに、それぞれに譲れるようにと思っていたのですよ」
両親がわたくしとクリスティアンのベビーベッドや子ども用の椅子を別々にしたのには、きちんと理由があった。結婚してからわたくしの使ったベビーベッドと子ども用の椅子をわたくしの子どもに譲って、クリスティアンは自分の使ったベビーベッドと子ども用の椅子を子どもに譲る。それはとても素敵なことのように思えた。
「二人が生まれた時点で孫のことまで考えているなんて、気が早いですけれどね」
「どうしても、二人の子どもたちにはそれぞれの使ったものを譲りたかったんだ」
そのおかげで双子のマウリ様とミルヴァ様が来ても対応できているのだが、両親の優しい思いにわたくしは胸が暖かくなった。
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