37.突然の求婚者
ラント領での楽しい日々はあっという間に終わってしまった。
涙ぐんでわたくしとマウリ様とスティーナ様を見送るクリスティアンを、ミルヴァ様が小さなお手手で撫でている。
「おかあさま、またきてね」
「今度はミルヴァが来てください。待っています」
クリスティアンを慰めてはいるがマウリ様とスティーナ様が帰るのが寂しそうなミルヴァ様の小さな手をスティーナ様が握る。ミルヴァ様はスティーナ様に抱き締められた。
そこで馬車に乗ろうとするまでは、特に問題はなかったのだ。
駅に向かうために馬車に乗ろうとしたわたくしたちの前に、先日の海に行ったときに出会った男性が走って来たのだ。
「その馬車、ちょっと待ってくれ。頼む」
「どなたですか?」
驚いてとっさにマウリ様を守る動作をしたスティーナ様に、その男性は両手を掲げで害意がないことを示す。一瞬誰かと思ってしまったのは、ラフなシャツにハーフパンツにサンダル姿ではなくて、ぴっしりとスーツを着こなして、よく磨かれた革靴を履いていたからだった。ぼさぼさだった髪も整えてある。
「スティーナ・ヘルレヴィ様、あんたに運命を感じたんだ。俺の話を聞いてくれないか?」
「おかあさま、だぁれ?」
「カールロ・マイヤラ。君たちの父親になりたい男だ」
喋り方も仕草も洗練されていない印象はあったが、名前を聞いてわたくしとスティーナ様は驚いてしまう。
マイヤラとは王族の名前である。確か王太子殿下の一族の名前ではなかっただろうか。王太子殿下の兄君は他の貴族と結婚していて、王家のハリカリの家名は名乗れないので、結婚した妻の家名を名乗っているのだ。
カールロ・マイヤラ様といえば、マイヤラ家の末の男子で、まだお若く、結婚をずっと拒んで国中を自由に放浪しているという噂だった。
「王族のお血筋……そんな方がわたくしに、何を?」
「も、もう、言ったつもりだ。マウリ殿とミルヴァ殿の父親になりたい。あんたと結婚したいんだ」
年下の熱烈なアプローチにスティーナ様は戸惑っていた。
「まだ、わたくしはオスモと別れておりません。結婚などできる身分ではありません」
「別れれば、あんたは公爵家の当主。そして、俺は王家の血を引く男子。ヘルレヴィ家に俺が行けるのなら、うちの両親も大歓迎だと言っている。頼む、俺を選んでくれ」
懇願するように言うカールロ様に、わたくしたちは馬車を待たせて困惑していた。
ミルヴァ様が小さな手を上げる。
「わたくしと、クリスさまは、ヘルレヴィりょうにいっていいかしら?」
騒ぎに驚き出てきた両親もカールロ様の存在に驚いていた。
「おかあさまと、まーとおわかれするのいや! おとうさまのおはなしもききたい」
「ミルヴァ、その方は父上ではありませんよ」
「わたくしのおとうさまっていったわ?」
父親が欲しかったのだろうか、ミルヴァ様は既にカールロ様を受け入れている。マウリ様も大根マンドラゴラを抱いてわたくしのスカートの後ろに隠れながら、「おとうさまなの?」ともじもじしている。
「再婚のお話ならば、ミルヴァ様が聞かなければいけませんね」
「クリスティアン、ミルヴァ様、すぐに準備をしてヘルレヴィ領に行ってきてください」
許可をもらった二人はエリーサ様の作ったポーチに着替えを詰めて馬車に乗る。馬車にはカールロ様も乗り込んでいた。スティーナ様を熱い眼差しで見つめるカールロ様にスティーナ様はひたすら戸惑っている。
「漁師と言っていたような気がしたのですが」
「漁師の手伝いをしてたんだ。俺は貴族社会に馴染めなくて、国中を彷徨ってその土地土地で働いて暮らしてた。運命になんて出会えないって思ってたけど、俺はあんたに出会った……いや、あんただなんて失礼だな。美しいスティーナ様。あなたに出会って俺は一目で恋に落ちた」
マンドラゴラを連れているところから普通の貴族ではないことは勘付いていたというカールロ様はすぐに王都の家族に連絡を取って調べてもらったのだという。そしたら、スティーナ・ヘルレヴィ様の名前が浮かんできた。
「結婚は惚れた相手としかしないと決めてたから、俺がスティーナ様の名前を出したら、一族総出で応援してくれると言っている。領主の仕事は始めは慣れないかもしれないが、なんでもやる。やらせてくれ。あなたがその細腕で領地を一人で治めていると思うと気が気じゃない。俺が力になりたい」
わたくしの周囲には自分のことを「俺」というようなひとは存在しなかった。貴族なのでそれなりに礼儀を弁えるように教育されているのだ。初めて「俺」というカールロ様の話を聞いているけれど、全く嫌な感じはしなかった。
「急すぎて、わたくし、混乱しています」
「それもそうだろう……でも、俺はこの運命を逃したくない」
頼むともう一度言われて、スティーナ様は赤くなった頬に手を当てた。
「まずはオスモとの結婚を終わらせなければいけません」
ですが、とスティーナ様は続ける。
「マウリとミルヴァの父親になってくださるという話がわたくしへの告白よりも先に出て、わたくし、少し嬉しかったのです」
マウリ様とミルヴァ様は父親を知らないままに育つ。そう思っていただけにカールロ様が真っすぐに自分が父親になりたいと言ったことがスティーナ様の心に響いたようだった。
列車に乗って、カールロ様は王都で降りる。
「家族や親戚にちゃんと話をしてくる。もう一度、正式にプロポーズをしにいくから、待っててくれ」
列車を降りるカールロ様にスティーナ様は小さく頷いていた。
王都を過ぎるとわたくしとスティーナ様とマウリ様とミルヴァ様とクリスティアンだけになって、わたくしたちは一気にスティーナ様に視線を集めた。スティーナ様は顔を真っ赤にして頬に手を当てて、狼狽えている。
「こんなことになるとは思いませんでした。急すぎて心臓が止まりそうです」
「おかあさま、だいじょうぶ?」
「おとうさま、いつくるの?」
「マウリ、あの方は父上ではありませんよ?」
説明してもマウリ様とミルヴァ様は納得した様子はなかった。
ヘルレヴィ家に戻って来ると、子ども部屋に指標の箱が設置されていた。銅の色の箱の上にクリスティアンの乳歯の入ったガラス玉を置く。底が平らになっているので、転がることなく置くことができた。
「スティーナ様のご不在の際にエロラ様がいらっしゃって、これを設置していきました。許可は取ってあるということでした」
「ヨハンナ様、ありがとうございます。エロラ様がご好意で作ってくださったものです」
お礼を言ってからスティーナ様がヨハンナ様に真剣な眼差しで問いかける。
「わたくし、オスモと離婚をしようと思っています。オスモとの縁が切れてもヨハンナ様はこちらにいてくださいますよね?」
「もちろんです。わたくしも、オスモ様とは縁が切れたものと思っております」
明るく答えられてスティーナ様が安心しているのが分かる。今日はスティーナ様にとっては怒涛の展開で、疲れた一日だっただろう。興奮しているマウリ様とミルヴァ様は、ハンネス様のところに走って報告に行っている。
「にいさま、おとうさまがいたの!」
「うでにはねのえがかいてあるんだよ!」
腕に羽の絵と言われてわたくしは気が付く。
マイヤラ家は鷲の家系だ。刺青を見た時点でわたくしも気付いておかしくはなかった。マンドラゴラがいたのにほとんど視界に入っておらず、驚いたりしていなかったのも王族だったからと、スティーナ様に一目惚れしていたからなのだと思えば理解できる。
その後、スティーナ様が迅速にオスモ殿との結婚を解消したのは言うまでもない。罪人でスティーナ様を殺そうとしたオスモ殿は、牢獄に閉じ込められている。異議申し立てもなく、スティーナ様は無事に離婚できた。
ハンネス様と王都の図書館と植物園に行く約束をしている。そのときにカールロ様とは会えるのではないかとわたくしは思っていた。
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