32.慮外ものの襲撃と魔法使用の許可
サンルームには魔法の結界が張ってあって、エロラ先生に会えるのは特別なひとだけだった。手紙をヘルレヴィ家の使用人に言づけても届けられない可能性があるので、昼食の後、わたくしはスティーナ様が書いてくださった返事のお手紙をエロラ先生に届けるべく高等学校に行くことにした。
馬車の準備をしてもらっていると、大根マンドラゴラを抱き締めたマウリ様が仁王立ちして玄関にいる。最近マウリ様は自分でルームシューズから靴に履き替えることができるようになっていた。靴下も上手に履いて、肩掛けのポーチも下げてお出かけの準備は万端である。
「アイラさま、いこう」
「マウリ様、眠くないのですか?」
「へいき!」
もう夏休みになったのだし、わたくしも私服でラフな雰囲気で行くつもりだったので、マウリ様を連れて行っても構わない気はしていた。一言スティーナ様とヨハンナ様に声をかけると、「マウリはアイラ様がお好きだから」と、「夏休みになったらずっと一緒だと楽しみにしていたので、お昼寝も絶対嫌と仰るんです」と苦笑されてしまった。
お母様のスティーナ様と乳母のヨハンナ様も諦めるマウリ様の行動に、わたくしも可愛さが上回って負けてしまうしかない。馬車に乗り込んだマウリ様をお膝に抱っこしていると、涎を垂らして眠ってしまった。
高等学校に着くまでの間マウリ様は眠っていたが、高等学校に着くと起きてわたくしと手を繋ぐ。もう片方の手はしっかりと大根マンドラゴラを抱き締めていた。
最初に危険を察知したのは大根マンドラゴラだった。
「びょええええええ!」
甲高い声で鳴いて相手を威嚇する。サンルームに向かう校舎の中で、わたくしは後ろから歴史学の辞めたはずの教授に腕を掴まれて止められそうになっていた。大根マンドラゴラが鳴いたのに驚いて手を引いた歴史学の教授は、舌打ちしている。
「お前のせいで高等学校を追われたんだ! あの妖精種に仕返しをしようと思ったが、どうしても居場所が見付からない。あの妖精種のところに連れて行け!」
相当追い詰められているのか、歴史学の教授は暗い表情でナイフを抜いている。通りがかった生徒が異様な雰囲気に悲鳴を上げて逃げ出した。
わたくしが逃げてしまったら、他のひとたちに迷惑がかかるのではないだろうか。身構えるわたくしに、震える手で歴史学の教授がナイフを向けてくる。
「古い頭のものなどいらぬと……どっちが古いか教えてやる! あの若作りの妖精種め!」
口の端から泡を吹いて怒鳴っている歴史学の教授の様子がおかしい。魔法の術式を編み始めたわたくしの目の前で、歴史学の教授はナイフを咥えた大型の犬の姿になった。
尻尾をバタバタと振ってわたくしを威嚇してくる歴史学の教授だった大型の犬に、どう対処していいものか迷っていると、マウリ様が大根マンドラゴラを床の上にそっと降ろして、小型の猫くらいの大きさのドラゴンの姿になった。
「獣の本性を出してまでアイラちゃんを狙うのか。心根まで腐っている」
後方からエロラ先生の声が聞こえた瞬間、マウリ様が口からブレスを吐いた。周辺のものは燃やさずに確実に歴史学の教授だけを狙った炎のブレスに、大型の犬の毛が焼け焦げてチリチリになっていくのが見える。
咥えていたナイフも床の上に落ちた。
泡を吹いて倒れて気絶している大型の犬が人間の姿に戻るのに、エロラ先生がわたくしの目を手で塞ぐ。何が起きているか分からないが、目隠しをされていると、マウリ様の無邪気な「すっぱだかー!」という声が聞こえた。
マウリ様の炎で毛を焼かれた歴史学の教授は、人間の姿に戻っても服を焼かれたようだ。目隠しをされて見せられないままに、エロラ先生が高等学校の警備員を呼んで歴史学の教授は連れて行かれたようだった。
ようやく目隠しから解放されて、わたくしはエロラ先生にサンルームまで連れて行ってもらう。
「あいつの気配がしたから来たんだが、妙なものを手に入れたようだね」
落としたナイフを拾っていたのか、エロラ先生が片手で柄を握り、刃に手を翳す。しゅうしゅうと煙が出ている様子にわたくしは嫌な予感を覚えた。
「毒、ですか?」
「恐らくね。これで私を亡き者にしようとした」
高等学校を追い出されたと逆恨みした元歴史学の先生は、エロラ先生のサンルームを探して校内をうろついていたが、探し出すことができなかった。毒の塗られたナイフでエロラ先生を亡き者にしようと自暴自棄になっていた元歴史学の先生の前に、わたくしが偶然来てしまったのだ。
「大根マンドラゴラが鳴いてくれなければ……マウリ様が守ってくれなければ、どうなっていたことか」
「びぎゃ!」
「アイラさま、わたし、こわかった……。おおきないぬさん、こわかったの」
人間の姿に戻ったマウリ様がわたくしに飛び付いてくるのを、わたくしはしっかり抱き締めた。5歳なのに勇敢にわたくしを守ってくれたマウリ様もまた怖かったのだ。怖かったのに勇気を出してくれたことに感謝しかない。
「手紙を届けに来てくれたのか」
「あ、そうです。エロラ先生の元に使用人さんが行けるか分からなかったので」
サンルームのソファに座ってお茶を淹れてくれるエロラ先生に手紙を取り出してテーブルの上に置くと、申し訳なさそうな表情になっている。
「手紙くらいのものならば移転の魔法で送っていいと教えておけばよかったね」
「移転の魔法を使っていいんですか?」
移転の魔法は失敗したときに危険だから魔法を習い始めて三年間くらいは一人では使ってはいけないとエロラ先生から厳しく言われていた。術式は練習しているが、わたくしは一度も発動させたことがない。
「手紙で最初は練習した方がいいし、手紙や小さな荷物程度なら使ってもいいよ」
許可をもらってわたくしは嬉しさに先ほどまでの恐怖も胸から消え失せた。マウリ様はまだわたくしの膝の上に乗ってお腹の辺りに抱き付いて怖がっているが。
「ラント領にお手紙を送れますね。有難いです」
手紙を送るのも届くまでに一日はかかってしまうので計画の変更がラント領に伝えにくいことに悩んでいたわたくしにとっては、エロラ先生からの許可は本当に嬉しいものだった。
スティーナ様が書いたラント領への手紙も移転の魔法で送ってしまえばいい。
「ラント領に行ったら、私が魔法のかかった便箋と封筒を幾つか作ろうね。滞在のお礼に」
「魔法のかかった便箋と封筒ですか?」
「アイラちゃんが送った手紙の返事が、ヘルレヴィ家に移転の魔術で届くようにするんだよ」
そうしてもらえたらどれだけ嬉しいことだろう。
普段の手紙は普通に送るとしても、今回のように急な計画変更など重要な手紙は返事も早くもらえた方がいい。
わたくしが喜んでいると、エロラ先生が紅茶にジャムを入れてくれる。今日はサクランボのジャムだった。
マウリ様もお膝の上で紅茶を飲んで少しずつ落ち着いてきたようだ。
「エロラ先生のお茶は不思議です。鎮静効果があるみたい」
「ちょっとだけね」
「あるんですか!?」
エロラ先生はお茶にも魔法をかけていた。それを知らずにわたくしは授業のたびにエロラ先生の淹れてくれた魔法のかかったお茶を飲んでいたのだ。
「魔法はかけているけれど、アイラちゃんがお茶と相性がいいのもあるみたいだよ。アイラちゃんはグリーンドラゴンのマウリくんと相性がいいように、植物と相性がいいね」
「あいしょう? エロラせんせい、あいしょうってなぁに?」
「お互いがお互いを好きってことだよ」
知りたい盛りの5歳児に問いかけられて、エロラ先生が茶目っ気たっぷりに答える。
「わたし、アイラさま、すき! アイラさまも、わたしがすき! うれしい!」
涙はすっかり引っ込んでマウリ様も上機嫌になる。
「傍にグリーンドラゴンがいるから、影響を受けているのかもしれないけれどね。その辺の見定めは私は得意じゃないんだ。エリーサなら分かるんだろうけれど」
「エリーサ様、お会いするのが楽しみです」
エリーサ様が魔法具を作ってくださったと話せば、クリスティアンもミルヴァ様も会いたがるような気がする。
「会うのはわたくしとエロラ先生だけですか?」
「心配しなくても、エリーサは私のように偏屈じゃない。子どもは大好きだよ?」
その答えにエロラ先生がわたくしがマウリ様とミルヴァ様とクリスティアンを連れて行きたいと思っていることが伝わっているようで安心する。
「まー、エリーサさま、あう!」
「マウリくんにも会いたがるだろうね。魔法具に加工した鱗の本体だからね」
「みーも、クリスさまもいっしょ?」
「アイラちゃんはそうしたいんだよね。私もエリーサもそれで構わないと思うよ。エリーサはレッドドラゴンにも会えるとなると喜ぶかもしれない」
会ったことはないが、公爵家のミルヴァ様がレッドドラゴンであることは公表されているのでエロラ先生も知っているのだろう。
「ラント家の狼くんも、抜けた乳歯とかあれば欲しがりそうだけど」
「クリスティアンは、乳歯が生え変わる時期でしょうか」
会っていないから分からないけれど、年齢的にはそういう時期になっているはずだ。わたくしは獣の本性を持たないので普通に乳歯は人間のものだったが、クリスティアンは狼の乳歯かもしれない。それならば魔法具の材料として使えるかもしれないとエロラ先生は言っている。
「指標を作ってもいいかもしれないね」
「指標?」
「そこに物を置けば、指定した場所に自動的に移転される目印みたいなものかな」
お互いにそれでやり取りができるのならば、日常的なわたくしの手紙や、クリスティアンやミルヴァ様からの手紙もヘルレヴィ家に短時間で届くことになる。
「指標……まだまだ学ばねばならないことがありますね」
「作るときには見ておけばいいよ」
エロラ先生とのラント家への旅は勉強の旅にもなりそうだった。
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