30.マウリ様の成長と夏休みの計画
ラント領の春は短く、初夏から夏までが駆け足に過ぎて行くイメージだった。ラント領育ちのわたくしにとっては初めて過ごすヘルレヴィ領の春。時々寒さが戻りながらもゆっくりと夏に向かって行くのが慣れない。
つい薄着で畑に出ようとして、ヨハンナ様に一枚上着を羽織るように言われてしまうのだ。
「朝は冷えます、アイラ様。上着をお持ちしましょう」
「すみません、ヨハンナ様」
「マウリ様ももう一枚着ましょうね」
ラント領では初夏と言っていい時期になっても、早朝に薬草畑に出るのは冷えるようだった。
夏休みが近くなってもヘルレヴィ領は気温はそれなりに上がるが、湿度がそれほどでもない。ラント領の毎年熱中症で何人ものひとが亡くなるようなむしむしした酷暑にはならないようだった。
それでも畑仕事をしていると汗をかいてくる。マンドラゴラの畝の中では、育ちつつあるマンドラゴラが蠢いて「ぴょえ」「ぴぎゃ?」と小さく鳴いているのを感じる。
エロラ先生にアドバイスをもらった通りに、抜いた雑草や除去した害虫は焼いて、畑の肥料として撒いていた。マウリ様がドラゴンの姿で害虫を焼くとそのまま焼けた害虫が土の上にぱらぱらと落ちるのでそれも肥料になっているだろう。
5歳の誕生日が過ぎてマウリ様は少し大きくなった。それに合わせるようにドラゴンの姿も大きくなった。
手の平の上にはもう乗せられないサイズになっている。肩の上ならば乗せられそうだが、結構に重くなっていた。小型の猫くらいのサイズになったマウリ様は、翼を大きく広げて自由に飛び回っている。
「マウリは大きくなりましたね」
「まー、おおきくなった!」
「これからは庭では飛んでもいいですが、室内では飛ばないようにしてください」
「おへや、とんじゃダメ?」
スティーナ様に言い聞かされて、マウリ様がショックを受けている。自分の大きさというのはあまり意識できないのだろう。まだ5歳だから仕方がない。翼を広げてしまうと、マウリ様はかなりの大きさになっている。室内で飛んでしまったら色んな場所に引っかかったりぶつかったりして危険だとスティーナ様は判断したようだ。
「すわってたり、あるいたりするのはいい?」
「マウリ、本性を見せるのはあまりお行儀のいいことではないのですよ」
マルコ様からも本性は隠すように習っているが、スティーナ様に言われてマウリ様も真面目な表情になった。
「わたしのほんしょう、はずかしいの?」
「いざというとき以外は本性は見せないのが、この国の礼儀なのです。考えてみてください、食事の場でわたくしたちが本性でいたら、どんな気持ちになりますか?」
テーブルについているマウリ様とスティーナ様とハンネス様を想像してみる。マウリ様は小型の猫くらいのドラゴンで、ハンネス様は大型の蛇、スティーナ様の本性はわたくしも知らないが、強いものに違いないから、獣の揃った食卓にぽつんと混ざる人間のわたくし。食事介助をするヨハンナ様も鳥の本性でマウリ様の傍らに留まっている。
「アイラさまが、ひとりぼっちになっちゃう!?」
マウリ様も同じ想像をしたようだった。獣の本性のないわたくしにはスティーナ様の本性を感じるようなことはできないが、ドラゴンの本性を持っているマウリ様にとってはスティーナ様の獣の姿も察せられているのかもしれない。
獣の本性を聞くことは失礼にもあたるのでわたくしは特に聞く気もないし、スティーナ様がなんであれ尊敬できる優しいマウリ様のお母様であることには変わりがないので、気にしていなかった。
「わたし、できるだけドラゴンにならない。はたけしごとで、ボーッてするときだけにする」
「分かってくれて嬉しいです。マウリは本当にいい子ですね」
「おかあさま、だいすき」
褒められてスティーナ様に飛び付いていくマウリ様。水を柄杓で撒いていたので濡れてしまったが、そんなことは気にせずスティーナ様はマウリ様を抱き締めて頬ずりをしていた。
「スティーナ様はマウリ様が可愛いのですね」
「わたくしが命を懸けて産んだ子どもですから……いいえ、マウリだからかもしれません。マウリとミルヴァだから、わたくしは可愛いのだと思います」
抱き締めているマウリ様に目を細めてスティーナ様が言う。
「こんなに小さいのにマウリとミルヴァはアイラ様とクリスティアン様と共に、わたくしを助ける手助けをしてくれました。会えなかった期間に二人を守れなかった不甲斐ない母親ですし、最初はマウリもわたくしを警戒していましたが、今は慕ってくれている。可愛くないわけがないのです」
スティーナ様の言葉から確かな愛情を感じてわたくしは安心していた。
夏休みが近付くにつれて夏休みの計画が、マウリ様とスティーナ様との話題に上るようになった。朝食の席でマウリ様が口の中に入れたものをもぐもぐと咀嚼し、飲み込んでから小さなお手手を上げる。
「ラントりょうにいきたいです」
「わたくしもミルヴァと会いたいですね。夏のお休みは長めに取りましょうか」
「おかあさま、うみって、なんですか?」
好奇心旺盛に蜂蜜色の目をきらきらさせながらマウリ様が問いかける。海の話をマルコ様の持って来る本で読んだのだろうか。マルコ様は毎回一冊は新しい本を持って来てくれて、マウリ様の興味を引いていた。それが成功することもあれば、全く興味を持たないこともあるのだが、それはマウリ様もまだ5歳なので仕方がない。
「海ですか。ラント領は泳げる海岸もあると聞きましたね」
「ヘルレヴィ領では泳がないのですか?」
ラント領では海で泳いだり川遊びをするのが当然のようになっていたので聞いてみると、スティーナ様が答えてくれる。
「ヘルレヴィ領では水温があまり上がらないのに、肌が焼けるのであまり海水浴はしませんね」
「お日様が強いわけではないのですよね」
「ヘルレヴィ領の位置の問題だと思います。日光の中にも肌を焼く成分があって、それがヘルレヴィ領には多く降り注いでいるのだとか」
難しいことは判明していないが、恐らくはそのような理由なのだろうとスティーナ様は教えてくれた。初耳だったが、ラント領は水遊びでもしないと耐えられないような気温だが、ヘルレヴィ領はそれほど暑く感じられない夏なので、水浴びをして日焼けするよりもしない方がいいと判断されているのだろう。
「おかあさま、としょかんにも、しょくぶつえんにも、いきたいです! それから、どうぶつえんにも」
そこまで提案してから、マウリ様がハンネス様の顔を見る。ハンネス様は静かに朝食を食べていたが、マウリ様の視線に顔を上げる。
「にいさまも、いっしょがいい! にいさまのおたんじょうびもなつにはあります!」
やりたいことがいっぱいのマウリ様は、兄であるハンネス様と一緒に行動したいようだった。
「私は母と夏休みが過ごせたらそれで……」
「ハンネス、あなた、王都に行ってみたいと言っていたではないですか」
「それは……母さんと過ごす方が大事だよ」
ラント領には一緒に行かなくても、ハンネス様を王都の図書館や植物園や動物園にだけでも連れて行ってあげることはできないのか。
わたくしが考えているとスティーナ様は穏やかにハンネス様に問いかける。
「どこに行きたいのですか? 遠慮をせずにわたくしに教えてください」
「ですが……」
「ハンネス、スティーナ様にお願いしてみるといいですよ」
ヨハンナ様も背中を押して、ハンネス様はおずおずと話し始めた。
「図書館と植物園に行ってみたかったのです。今、私はマンドラゴラ栽培に関わらせていただいています。まだまだ分からないことばかりで、自分で調べようと思っても、ヘルレヴィ家の書庫の資料は限られているのです。それに、植物園に行けば原種のマンドラゴラを見られるのではないかと思って」
最初は躊躇いがちだったが、最後ははっきりとした口調になったハンネス様に、スティーナ様は頷く。
「分かりました。ハンネス様とヨハンナ様が過ごす時間も取れるようにしながら、王都に行く日も決めて、スケジュールを組みましょうね」
夏休みがもうすぐ始まる。
たくさんのことが経験できそうな予感がしていた。
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