5.みんなで課外授業
課外授業をどうするか。
それがわたくしとリーッタ先生とクリスティアンが目の前にした問題だった。
マウリ様とミルヴァ様が来てから、お昼寝をしているときでなければ、わたくしは子ども部屋でリーッタ先生の授業を受けることにしていた。足元で積み木やぬいぐるみを興味深そうに見て遊びつつ、マウリ様とミルヴァ様はちゃんとわたくしが傍にいるかを何度も見上げて確認する。酷い扱いを受けて来た二人にとってまだ大人は信用できる存在ではなく、わたくしとクリスティアンだけが心許せる存在のようだった。
特にその傾向がマウリ様は強くて、わたくしがお手洗いに行っただけで、追いかけて来てお手洗いのドアを叩いて号泣してしまう。ミルヴァ様は短時間ならば我慢できるのだが、それでも蜂蜜色のお目目に涙をいっぱい溜めて震えていたりする。
二人がもう少し落ち着くまで課外授業は無理かと諦めかけていたが、それで納得しないのがクリスティアンである。
「くりす、はくぶちゅかん、いちたい!」
「クリスティアン、マウリ様とミルヴァ様がまだお屋敷に慣れてないから、もう少し後でもいいですか?」
「いくって、やくとくちた!」
一度約束したことを破られるのが嫌いな3歳のクリスティアン。確かにクリスティアンと一緒に行こうとわたくしも誘ったのでそれを反故にはしたくなかった。
どうすればマウリ様とミルヴァ様を不安にさせずにクリスティアンとの約束も守れるか。
悩んだわたくしに乳母のサイラさんが助言をくれた。
「まだお小さいですが、マウリ様とミルヴァ様は大人しいですし、連れて行くというのはどうでしょう?」
お屋敷にも慣れていないマウリ様とミルヴァ様を博物館に連れ出すのは心配なこともあったが、サイラさんの案ならばクリスティアンの要望も叶えて、マウリ様とミルヴァ様も納得できそうだ。
子ども部屋に行ってマウリ様とミルヴァ様に、リーッタ先生とクリスティアンも交えて話をする。
「明日、博物館に行きます。マウリ様とミルヴァ様も連れて行きたいのですが、どうでしょう?」
「まー、ばいばい?」
「みー、いらにゃい?」
博物館を何か子どもを捨てる場所だと思い込んでいるようで、マウリ様とミルヴァ様が涙目になるのに、クリスティアンが一生懸命身振り手振りで説明する。
「はくぶちゅかん、すごい! れきちのものがある! みるの、べんきょうになる!」
「れきち?」
「こあい?」
「れきち、こあくない。かちこくなれる。かちこいと、みんな、ほめてくれゆ」
クリスティアンの説明がどこまで伝わったか分からない。3歳のクリスティアンの話を、蜂蜜色のお目目をくりくりさせながら2歳の双子が聞いている光景はただただ可愛かった。
「はくぶちゅかん、いく」
「まーも、いくぅ!」
ミルヴァ様が先に心を決めて、マウリ様が後からそれに続く。二人を引き離さずに引き取ることができて本当に良かったと改めて思う。
クリスティアンは二人の様子にとても満足したようだった。
「マウリたま、ミルヴァたま、いーこ。くりす、ミルヴァたまとけこんちる」
「クリスティアン、ミルヴァ様が好きなのですか?」
「ミルヴァたま、かーいー。すち」
3歳のクリスティアンはミルヴァ様を気に入ったようだ。確かにマウリ様もミルヴァ様も壁画の天使のような可愛さがあった。可愛いミルヴァ様と可愛いクリスティアンが結婚することになったら、周囲の反対がどれだけあろうとも姉であるわたくしが守ってあげなければいけない。
強く決意する弟馬鹿なわたくしだった。
博物館に行く日の朝は、ワンピースの上に毛皮のコートを着て、クリスティアンもコートを着て、マウリ様とミルヴァ様もわたくしとクリスティアンのお譲りのコートを着てもらった。もこもこの丸々としたマウリ様とミルヴァ様は動きにくそうだったが、サイラさんとリーッタ先生に抱っこされて大人しくしていた。
初日はわたくし以外に抱っこされると怖くて震えていた二人も、少しは慣れて抱っこしても落ち着いて自分からしがみ付くようになっていた。抱っこされ慣れていないせいか、身体をカチコチにして緊張しているが、それも少しずつ慣れてくるだろう。
博物館までは馬車で行った。
歴史の授業で聞いていた、戦争の時代の兵器の実物や、剣や鎧を見るのは少し怖かったけれど、ティーセットや宝飾品のコーナーに来ると緊張がほぐれた。
「素敵なティーセット」
「公爵家にも王家から賜った金の縁取りのティーセットがありますよ」
まだわたくしたちが幼いので見せてもらったことはないが、大きくなったら見せてもらえるのではないかとリーッタ先生が話してくれるのに、わたくしは期待に胸を膨らませる。クリスティアンは昔の王族が着ていた軍服に興味を示していた。
「かっちょいー」
「クリスティアン様も成人される頃には誂えなければいけませんね」
「くりすも?」
「そうですよ」
まだ成人という年齢が想像できないが、いつかはクリスティアンはラント領の領主になる。この国の王族と肩を並べる公爵として立派に領地を治めて行かなければいけない。
その頃にはわたくしはマウリ様に婚約を破棄されているかもしれないが、そうであってもクリスティアンの補佐としてラント領に残る選択肢はあった。マウリ様との婚約関係が続いていれば、ヘルレヴィ領を取り戻してマウリ様と統治する未来もあり得るのだが、それは可能性が低いように感じていた。
「あーたま、らっこ!」
「どれが見たいんですか?」
「きらきら」
輝くネックレスが展示されている場所で、マウリ様がわたくしに抱っこを求める。抱き上げてネックレスを見せていると、マウリ様がもじもじとわたくしを見上げて告げた。
「あーたま、すち」
「わたくしが好きですか?」
「すち!」
嬉しそうに微笑んでいるマウリ様。
この笑顔を曇らせないようにするのがわたくしの使命のように思えてくる。
帰りの馬車の中で、マウリ様はわたくしのお膝に座って、ミルヴァ様はサイラさんのお膝に座って、クリスティアンはリーッタ先生のお膝に座っていた。三人ともまだ体が小さいので、馬車が揺れると座席から落ちてしまうので、お膝に抱っこしていないといけない。
「おとと、こあい」
「お外が怖いんですか?」
「ゆち、たむい」
窓の外を見ながら、外と雪が怖いと主張するマウリ様に嫌な予感がしてわたくしは穏やかに問いかける。
「お外の雪に埋もれたりしたんですか?」
「……まー、みー、いらにゃい。おとと、ぽい」
いらないと言われて外に出されたと言うマウリ様。もしかするとマウリ様とミルヴァ様が乳母を怒らせるようなことをしたのかもしれないけれど、雪の積もっている屋外に2歳の子どもを放り出すなんて論外だ。
いずれヘルレヴィ領の正統な後継者としてお屋敷を取り戻す暁には、乳母にもそれ相応の罰を与えなければいけない。
まだ小さくて未来が全然分からないマウリ様とミルヴァ様をお育てして、ヘルレヴィ領の後継者として領地にお返しするのがわたくしの役目ならば、それを全うしなければいけない。
その結果として、わたくしが婚約破棄されてラント領に帰るとしても、わたくしは一人ではない。わたくしにはクリスティアンもいるし、両親もわたくしに理解を示してくれている。結婚などしなくても一人でもわたくしはクリスティアンの補佐をして、マウリ様とミルヴァ様の地位を取り戻せたことに満足して生きて行けばいい。
好きと言ってくれているマウリ様の今の気持ちを疑うつもりはなかったが、博物館でもわたくしを見た客が陰口を叩いているのを聞いてしまった。
「獣の本性も持たない公爵家の娘ですって?」
「よく人前に顔を出せたものだな」
獣の本性を持たないことも、強くない獣の本性を持って生まれてしまったことも、自分で決められることではない。自分で決められないことで評価されることの虚しさをわたくしは知っている。
公爵家の娘だから獣の本性を持たなくても大事にされて、勉強もさせてもらえているのも分かっている。普通の10歳よりもずっと賢いとリーッタ先生に褒められるわたくしの頭も、年齢を重ねていく毎にどう変わっていくかは分からない。
それでも勉強を続けて、一日でも早くマウリ様とミルヴァ様をヘルレヴィ領に戻してあげることがわたくしの目的のはずだった。
「あーたま、まー、すち?」
無邪気に聞いてくるマウリ様を見ていると、胸が苦しくなるのは何故なのだろう。
「わたくしもマウリ様が大好きですよ」
答えるとマウリ様は嬉しそうに微笑んでわたくしのお腹の辺りにぎゅっと抱き付いてきた。
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