22.エロラ先生の課外授業
お弁当を食べながら話を聞いていたニーナ様は興味津々だった。
「エロラ先生って、国で客人扱いされてる妖精種ですよね。その方がヘルレヴィ家に来るなんて、ちょっと見てみたいかも」
妖精種自体が希少なので、この国のひとたちはほとんど妖精種と接触したことがない。結界の張られたサンルームに入って来られるのはわたくしと限られた数人だけで、一般の生徒にはサンルームの場所も分からないようにエロラ先生は隠している。
ひと嫌いなわけではなさそうだが、妖精種ということで不要なトラブルを避けたいのだろう。
同じ校舎内にいて、わたくしは授業も受けているのに、ニーナ様もマルコ様もエロラ先生には会ったことがなかった。その謎の人物がサンルームを出てヘルレヴィ家にやって来るのだ、興味を引かないわけがない。
「わたくしの魔法の制御のために来るのです。遊びではないのですよ」
「分かってるけど、あたし、妖精種って見たことがないから見てみたいんですよ。ものすごく綺麗なんでしょう?」
女性だが男性のような中性的な格好をしているエロラ先生は、とても美しいひとであることには違いない。ニーナ様のように騒がれて喜ぶような美しさかと言えば、ちょっと違うような気もするのだが。
騒がれたらエロラ先生は一蹴しそうな冷ややかな容貌でもある。わたくしの前では表情豊かな優しい先生だが、他のひとの前で同じ態度をとるかは分からないのだ。
獣の本性がないということで、両親の前ではわたくしに従うふりをしておいて、裏で陰口を叩いていた貴族をわたくしはどれだけでも知っている。両親には従順で、わたくしには冷たいなどという、ひとによって態度を変えるのが普通なのだと擦り込まれていた。
「その日にあたしもヘルレヴィ家に行ったり、できませんよね」
「残念ながら、ニーナ様はその時間は授業ですね」
あくまでも課外授業という形をとるので、わたくしは高等学校の授業時間にエロラ先生と一緒にヘルレヴィ家に行くことになっていた。馬車を用意してもらうつもりだったが、エロラ先生はそれをいらないと断ったので、どうやって移動するつもりなのだろう。
「マウリ様が仲良くできるといいですね」
ヘルレヴィ家で作られたお弁当を食べながらマルコ様が心配するのは、マウリ様のことだった。マウリ様はハンネス様にも最初警戒していた。家庭教師に来たマルコ様にも大いに警戒していたし、イーリス様とエーリク様とは仲良くなれたが、最初はわたくしのスカートの後ろに隠れていた。
マンドラゴラを貸さないとイーリス様と言い合ったり、喧嘩もした。マルコ様にはわたくしとの仲を疑って、ものすごく反抗的でもあった。それでも4歳なので列車の本を出されて、マルコ様に簡単に懐いてしまうのも仕方のないこと。そういうところもマウリ様は可愛かった。
「授業だから頑張りますよ」
気合を入れてわたくしは課外授業に臨んだ。
課外授業の日、いつもより早めに高等学校に登校してきて、わたくしは送ってきてもらった御者さんにお礼を言ってサンルームに向かった。速足で駆け抜ける校舎の中はひとが少なく、サンルームに入る渡り廊下には全く人気がなかった。
エロラ先生はクラシックな細身のロングコートを身に纏って、サンルームの前に立っていた。わたくしが来ると白い指の長い美しい手でわたくしの手を握る。
「そのうちに教えなければいけないと思っていた。実際に体験してみるのが一番だからね。移転の魔法を使うよ」
「移転の魔法?」
魔法学の本で少しだけ読んだことはあるが実感のわいていないわたくしの横で、エロラ先生は魔術を編み上げる。空間が捻じ曲がって行くのをわたくしは感じ取った。
「このサンルームの前とヘルレヴィ家の庭をドアで繋ぐようなものだよ。ドアを開いたら、ほら、もう着いた」
魔法が編み上がった瞬間、わたくしは何かを通り抜けたのが分かった。一歩だけ前に出たような感覚で、ヘルレヴィ家の庭に辿り着いている。空間を捻じ曲げて繋げたのだと感覚では分かっていたけれど、どのような術式を編んで、どういう原理で行われた魔法なのかはまだ全然掴めていなかった。
わたくしが戸惑っている間に、手を放したエロラ先生がコートの裾を翻し大股で歩いていく。雪かきがされた庭はそれでも尚降る雪にうっすらと包まれて、吐く息も庭の木々も白くかすんでいた。
エロラ先生の到着に気付いた使用人が扉を開けてくれる。
「室内ではルームシューズに履き替えていただいてよろしいですか?」
わたくしが声をかけて、わたくしとエロラ先生はブーツを脱いでルームシューズに履き替えた。
部屋の中でも靴の生活が多いこの国だが、ヘルレヴィ家は小さなマウリ様がいるので、室内ではルームシューズに履き替えて、できる限り外の土を持ち込まないようにしている。マウリ様はまだ床の上に座り込んでしまうことがあるし、床を手で触ることもある。
子ども部屋の絨毯は常に清潔に保たれているが、それもルームシューズのおかげでもあった。ルームシューズを採用したのは、ラント領でわたくしの両親がわたくしが小さい頃や、クリスティアンが生まれてからルームシューズを使うようにしていたと、マウリ様とミルヴァ様がこのお屋敷に返されるときにわたくしの両親からスティーナ様が聞いたからだった。
ヘルレヴィ領の習慣でもラント領の習慣でもない。
それでもエロラ先生はヘルレヴィ家の決まりに従ってくれた。
ルームシューズを履いて子ども部屋に行くと、大根マンドラゴラを抱いて、葉っぱに顔を隠すようにしてマウリ様がエロラ先生を見つめていた。ちょっとお口が空いていて、エロラ先生の美しさに驚いているのが分かる。
「初めまして、メルヴィ・エロラだよ。君がマウリくんだね?」
「はじめまして、マウリです」
上手にご挨拶ができたマウリ様にわたくしは拍手をしてあげたい気持ちだった。大根マンドラゴラの葉っぱから顔を出さないけれど、マウリ様はしっかりとエロラ先生を葉っぱの隙間から見つめている。
「マンドラゴラか、珍しい。これは君が育てたのかな?」
「わたしと、アイラさまと、クリスさまと、みーと、リーッタてんてーで、みんなでそだてました」
「今年の春も育てる予定がある?」
「はい、たねがあります。わたし、アイラさまとおかあさまといっしょにがんばるの」
ハンネス様やマルコ様のときのように妙な態度をとらずに素直に返事をするマウリ様の蜂蜜色の髪を、エロラ先生が手を伸ばしてくしゃくしゃと撫でる。撫でられてくすぐったそうに目を細めて、マウリ様はやっと大根マンドラゴラを手から放した。
解放された大根マンドラゴラはエロラ先生を見てもじもじと膝をすり合わせていた。いつもならば踊り出しそうなのにエロラ先生の美しさは大根マンドラゴラにまで作用するようだ。
「マンドラゴラが育ったら、私にも一匹分けてくれるかな? ぜひ研究したい」
「アイラさま、エロラてんてーにわけてあげていい?」
「もちろんですよ。育ったら必要なだけお分けします」
わたくしの方を見上げてマウリ様が許可をとる様子にわたくしは慌てて答えた。これだけお世話になっているエロラ先生なのだ。魔法学にはマンドラゴラを媒体とする魔法もあったはずだし、必要ならば分けるのは異存はなかった。
来年ヘルレヴィ領でマンドラゴラを育てるための種を取る株だけは残しておかなければいけないが、それ以外はエロラ先生や必要な方に譲っても構わない。譲れないのはマウリ様が大事にしている大根マンドラゴラくらいだった。
「ねぇ、アイラさま、エロラてんてー、すごくきれいだね」
「マウリ様ったら、お声が大きいですよ」
「アイラさまのほうが、かわいいけど」
「まぁ!」
これだけ美しいエロラ先生と比べられるとは思わなかった。しかもマウリ様はわたくしの方が可愛いと言ってくれている。驚いていると、エロラ先生は膝をついてマウリ様に視線を合わせた。
「大好きなアイラちゃんは魔法を使うのに、今、すごく苦しんでいる。上手に使えないんだ。マウリくんの助けがあれば使えるかもしれない」
「まー、たすけられる?」
「それを見るために今日は私は来たんだよ」
エロラ先生の美しいアメジストのような目に見つめられて、マウリ様はもじもじとしていたが、わたくしのところに歩いてくる。
「アイラさま、わたし、なにをすればいい?」
「えーっと、どうすればいいでしょう?」
エロラ先生に指示を仰ぐと、エロラ先生はわたくしとマウリ様の手を繋がせた。
「ラント領で魔法を発動させたときにはこの状態だったんだよね?」
「もう一人、ミルヴァ様もいましたが」
「二人に助けられていたわけか。でも、制御も上達しつつあるから今回はマウリくん一人の助けでもできるかもしれない」
促されてわたくしは術式を編み出した。少し怖かったけれど、炎の術式を編んで指先に小さな小さな火を点すイメージをする。魔力の放出は細い縫い針に縫い糸を通すような感覚で。繋いだ手からは緑色の生気が流れ込んでくる。
ぽうっと指先に小さなマッチのような火が点った瞬間、わたくしは力が抜けて床の上に座り込んでいた。
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