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4.2歳児のお漏らしは怒られません

 マウリ様とミルヴァ様が来てからラント家のお屋敷に変化があった。

 子ども部屋で寝起きしていたクリスティアンが、一人で自分の部屋で寝たいと言い出したのだ。夜だけは一応オムツを着けているが、もうお漏らしもほとんどすることのなくなったクリスティアンは、しっかりと長時間夜に眠れるようになっていたので、年齢的には早すぎるかもしれないが子ども部屋を卒業してもいいと両親は判断した。

 子ども部屋の隣りの部屋にクリスティアンの部屋が作られる。わたくしの部屋はその隣りなので、何かあれば子ども部屋からも乳母がすぐに行けるし、わたくしも気付けばすぐに行ける位置ではあった。


「くりす、もういちにんまえ」

「そうですね、クリスティアンも一人部屋になりましたね」

「くりす、にぃたんになった」


 マウリ様とミルヴァ様が来たことでクリスティアンは自分が兄になったような気分になっているようだ。可愛い弟が自分の思うように物事を進められて嬉しそうな様子に、わたくしもにこにこしてしまう。

 子ども部屋にはマウリ様とミルヴァ様が残されたのだが、翌朝、乳母のサイラさんの声で目を覚ました。


「アイラ様、マウリ様とミルヴァ様がいなくなりました。そちらのお部屋に行っていませんか?」


 ベビーベッドには柵があって逃げ出せるはずはないのだが、サイラさんが子ども部屋の隅で休んでいる間に二人の姿が見えなくなっていたのだという。心当たりがあったわたくしはすぐに小花柄のワンピースに着替えて子ども部屋に行った。

 ほとんど膨らみのない布団を捲ってみても、マウリ様もミルヴァ様も姿がない。


「マウリ様、ミルヴァ様、どこですか? どこに隠れていますか?」


 人間の姿ではベビーベッドの柵は抜けられないが、二人の本性は小さな手の平に乗るようなトカゲなのである。ベビーベッドの柵をすり抜けて逃げ出したとしてもおかしくはない。しゃがみ込んで探していると、ベビーベッドの下からか細い声が聞こえた。


「あーたま?」

「はい、アイラです。マウリ様ですね?」


 ベビーベッドの下を覗き込むと、緑と赤のトカゲの姿になった二人が体を絡め合って丸くなっているのが見えた。ヘルレヴィ領ほどではないが、今は冬だし、柵の中にあるストーブで部屋が暖められているとはいえ、床にいるのは寒かったことだろう。

 手を差し伸べるとマウリ様とミルヴァ様はわたくしの手の上に乗って来た。小さなトカゲの身体が冷え切っているのが分かる。


「寒かったでしょう。温かいものでも飲みましょうね」

「あちゃちゃかい?」

「あっち?」


 温かいが分からないマウリ様と、熱々のミルクティーを触った記憶が蘇ったのか熱さに警戒するミルヴァ様。二人とも人間の姿に戻ると、オムツが濡れて重く垂れさがっていた。手の平に乗せているときに元に戻ったので、なんとか抱き留められたが、ぐっしょりと下半身を濡らした二人を抱き締めてしまってわたくしのワンピースも濡れるのを感じる。


「よごちた」

「ぱちん、やー!」


 わたくしの服を濡らしてしまったことにショックを受けて涙目で固まるマウリ様と、叩かれると逃げ出そうとするミルヴァ様を下に降ろして、わたくしは膝を折って視線を合わせた。ロンパースの下の細い腕を優しく撫でながら語り掛ける。


「もう二度と、誰にもマウリ様とミルヴァ様を叩かせるようなことはしません」

「ぱちん、ちない?」

「しません。このお屋敷の誰もマウリ様とミルヴァ様のことを叩きません」


 誓うように言えば、マウリ様とミルヴァ様はもじもじしながら顔を見合わせていた。ミルヴァ様の方が勇気を出して口を開く。


「ちー、じぇた」

「おしっこが出たのですね。オムツを替えましょう。ちゃんと言えて偉かったですね」

「みー、えりゃい?」

「偉いですよ」


 ミルヴァ様を褒めると、マウリ様も慌ててお手手を上げる。


「まーも! じぇた!」

「マウリ様も出たのですね。着替えましょうね」


 これからはオムツが濡れたら教えればいい。そうすれば褒められて着替えさせてもらえるのだとマウリ様とミルヴァ様は覚えたようだった。オムツが濡れるのは幼児にとっては仕方のないこと。そのことでわたくしは怒られたことはないし、クリスティアンが怒られているのを見たこともない。

 ヘルレヴィ家のお屋敷ではそんな当然のことですらマウリ様とミルヴァ様には与えられなかった。

 マウリ様とミルヴァ様が着替えさせてもらっている間に、わたくしもワンピースを着替えて来た。

 食事を用意してもらってクリスティアンとわたくしとマウリ様とミルヴァ様で食べているときにも、マウリ様とミルヴァ様はスプーンを全く使うことができず、手で食べようとして熱さに泣いていた。これまでは冷えたものしか食べさせてもらっていなかったのかもしれない。

 熱いのに吹いて冷ますことも知らず、必死に頬張って熱さにぽろぽろと涙を流すのが可哀そうで、わたくしがマウリ様に、乳母がミルヴァ様に食べさせる。食べる速度も味わっているとは思えないものすごい勢いで吸い込んで行って、クリスティアンが目を丸くしていた。

 お上品なクリスティアンは飢えた経験もないし、テーブルマナーも教え込まれている。ゆっくり上手にスプーンで食べていくクリスティアンと、素手で食べ物を掻き込むマウリ様とミルヴァ様が1歳しか年が変わらないなんて信じられなかった。


「マウリたま、ミルヴァたま、おかちいね」

「クリスティアン、二人はまだお小さいのですよ」

「くりす、できうよ?」

「クリスティアンは3歳ですからね。食べるのがとても上手です」


 褒められて誇らしげなクリスティアンだが、3歳のクリスティアンも怪訝に思うくらい二人の食事風景は尋常ではなかった。


「くりす、マウリたまとミルヴァたまにおちえてあげゆ」

「クリスティアンは優しいですね」


 これからマウリ様とミルヴァ様にテーブルマナーを教えてくれるというクリスティアンの優しさに、わたくしは我が弟ながら立派だと感動してしまう。クリスティアンの頭を撫でていると、マウリ様とミルヴァ様の視線が痛いほどこちらに向いていた。


「そえ、なぁに?」

「みーも! みーも、ちて!」


 頭を撫でている様子が羨ましかったのか、頭を突き出してして欲しがるミルヴァ様と、頭を撫でる行為自体分かっていないマウリ様に、二人が置かれていた境遇を思い浮かべて怒りがわいてくる。マウリ様とミルヴァ様の本性がトカゲとして生まれて来たのは、本人が選んだことではない。

 わたくしに獣の本性がないこともわたくしが選んだことではないので、そのことで両親もクリスティアンもわたくしを差別することなどなかった。

 それなのに、マウリ様とミルヴァ様は自分が選べなかったことで差別されて、ヘルレヴィ家のお屋敷で冷遇されていた。


「マウリ様、ミルヴァ様、お二人のことはわたくしが責任をもって大事に育てます」


 年齢が8歳も上なのも、わたくしがマウリ様とミルヴァ様の面倒をみられるように年上に生まれて来たのではないだろうか。二人のことをあの最低のお屋敷から救い出して、育てることができるようにわたくしは早く生まれて来た。わたくしが獣の本性を持っていたら、ヘルレヴィ家のトカゲの本性のマウリ様と婚約することもなかったので、獣の本性を持って生まれなかった意味もここにあるような気がする。

 わたくしはマウリ様とミルヴァ様を助けて、正当な後継者としてオスモ殿からヘルレヴィ家を取り戻すためにこのような姿で生まれたのではないだろうか。

 両親は小さな頃からわたくしが獣の本性を持たずに生まれたことにもきっと意味があると言ってくれていた。その意味こそが、マウリ様とミルヴァ様なのかもしれない。

 これが全くの見当違いの勘違いでも、わたくしにとってマウリ様とミルヴァ様が可愛い存在で、大事な家族のようなものになっていることには変わりはなかった。


「これからは、マウリ様とミルヴァ様のことも撫でましょうね」


 ふわふわの蜂蜜色の髪を撫でると、マウリ様がへにょりと笑って、ミルヴァ様がきゃっきゃと声を上げて笑う。二人共が愛おしくてわたくしは一人ずつぎゅっと抱き締める。

 抱き締めたところで二人の下半身が濡れていることに気付く。


「じぇた!」

「ちぃ、じぇった!」


 またワンピースが濡れてもう一度着替えることになってしまったが、こういうことは小さい子のいる家ではよくあることだ。怒られないか蜂蜜色のお目目に涙を溜めて様子を伺っているマウリ様とミルヴァ様をわたくしは撫でる。


「お着換えをしましょうね。ちゃんと言えて偉かったですね」

「みー、えりゃい!」

「まーも?」

「マウリ様も偉いですよ」


 褒めると安堵した様子の二人に、まだまだ落ち着くまでは時間がかかりそうだと思っていた。


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