17.誕生日に裂けた本
ラント領に着いた翌日がわたくしの誕生日だった。
久しぶりに寝たわたくしの部屋は、わたくしがラント領を慌ただしく出ることになってから何も変わっていなかった。マウリ様も子ども部屋でミルヴァ様の隣りのベッドで寝てすっきりと起きてきたようだ。
朝食の席ではマウリ様とミルヴァ様の椅子がスティーナ様の両脇に据えられて、二人の可愛い我が子に囲まれてスティーナ様は幸せそうだった。マウリ様の隣りはわたくしで、わたくしの隣りにはクリスティアンが座っている。両親は少し離れているが充分声の届く場所だった。
「あねうえをマウリさまにとられてばかりでは、ぼくもいやだからね」
「クリスティアンったら、可愛いことを言って」
時に大人びて思えるが年相応のクリスティアンの言葉に微笑んでしまう。姉のわたくしがいなくなって、ラント領の子どもとして一人残されたクリスティアンはどれだけ寂しかっただろう。昔からあまり泣いたりしない賢い子だったからわたくしも配慮に欠けてしまったが、寂しくて夜に狼の姿になって遠吠えをするクリスティアンのために、ミルヴァ様がわたくしと入れ替わりでラント領で生活するようになった。
元気で可愛いミルヴァ様がいるとしても、クリスティアンがわたくしを慕い続けてくれているのは嬉しい。
お誕生日のお祝いは、おやつの時間に行われた。
マウリ様もミルヴァ様もクリスティアンもまだ小さいので、夕食後にケーキを食べるとなると夕食の量を減らさなければ入らない。それよりもおやつを食べるときにケーキでお祝いをして、夕食は夕食でしっかり食べさせようというのがラント家の方針だった。
厨房で作られるケーキも、みんなで着く食卓もどこか懐かしい。夏にラント領を後にしてから五か月程度だが、わたくしにとってはラント領はとても懐かしい場所になっていた。
「アイラさま、13さい、おめでとう」
「あねうえ、おめでとうございます」
「アイラさま、おめでとう」
次々とお祝いしてくれるミルヴァ様とクリスティアンとマウリ様をわたくしは一人ずつ抱き締める。みんな同じシャンプーとボディソープを使っているのに、それぞれ違った匂いがするのが不思議だ。
「アイラ、書庫の中の魔法学の本を集めました」
「ここに置いていても誰も読まないから、アイラが使いなさい」
先祖代々使っている書庫の本を、母上と父上はわたくしのために取り出して、持ち帰っていいという。数冊あるその本の中には、古代語ではなく現代語で書かれたものもあって、わたくしは驚いてしまった。
「現代語の魔法学の本があるのですか?」
「魔法学の歴史に関しては、最近でも研究されているからね」
魔法学の歴史は魔法使いを取り戻すための手段でもある。それを研究する研究者は現代にもいるのだ。僅かにしか残っていない魔法を使えるもののために、魔法を使えない者もこれまでの魔法の歴史を知って、魔法の便利さと恐ろしさを学ばなければいけない。
父上の言葉にわたくしは本を抱き締める。
「大事に読ませていただきます」
「どのような勉強をしているのか教えてください、アイラ」
母上に促されて、わたくしはエロラ先生との魔法学の勉強風景について語った。
魔法が決して無から有を作り出す奇跡ではないこと。自然の理に則って、編み上げられた術式を元に魔法を発動させるが、それがマッチで火をつけることと変わらないこと。魔法で火を作り出した際には酸素を消費するし、水や氷を作り出した際には大気中の水分を消費するし、作り出すきっかけを魔法が与えるだけで、魔法は万能ではないことなどを話していると、子ども部屋の方が騒がしくなった。
ケーキを食べ終えたマウリ様とミルヴァ様とクリスティアンは、子ども部屋でスティーナ様とサイラさんとリーッタ先生と遊んでいたのだ。
リビングから子ども部屋に駆けて行くと、マウリ様とミルヴァ様が言い争いをしていた。
「そのほん、かーしーて!」
「マルコてんてーからかしてもらっただいじなごほんなの! いーやーだー!」
「かーしーてー! わたくしもみたいー!」
列車の中でも手荷物に入れて大事にしていた列車の本をミルヴァ様が見たがっているようだ。マウリ様はマルコ様から借りた大事な本なので貸したくない。どちらの気持ちも分かるので声をかけられずにいると、ミルヴァ様がマウリ様の手から本をもぎ取ろうとした。
マウリ様も負けずと本を引っ張って取り返そうとする。
「マウリ様、ミルヴァ様、本は乱暴に扱ってはいけません!」
リーッタ先生が止めたときにはもう遅かった。二人の間でビリッと音を立てて本は二つに裂けていた。呆然と本の裂けた半分を抱いて立ち竦むマウリ様に、ミルヴァ様が床の上に座り込んで大声で泣き出してしまう。
「ごめんなさいー! まーのだいじなごほん、やぶっちゃったー!」
ミルヴァ様の泣き声を聞いて、マウリ様も顔をぐしゃぐしゃにして泣き出す。
「みー、ごめんなさいー! わたしが、かさないっていったからー!」
二人してお互いを庇って謝って泣いているマウリ様とミルヴァ様を責められるものがどこにいるだろう。二人を抱き寄せてわたくしはハンカチで垂れている洟と涙を拭う。
「マウリ様は貸してあげられたらよかったですね。でもマルコ様から借りた大事な本だったから、貸したくなかったのですよね」
「わたしが、すなおに、いいよっていってれば、やぶれなかった」
「ミルヴァ様もマウリ様が貸してくれないからカッとなっちゃっただけなんですよね。破るつもりはなかったんですよね」
「まーがいっぱいおはなししてくれるから、どんなほんかしりたかったの」
お互いにぐすぐすと泣きながらマウリ様とミルヴァ様は抱き締め合う。
「ごめんなさい、みー」
「ごめんなさい、まー」
仲直りする二人にわたくしはどうにかしてその本を元に戻せないかを考えていた。新しい本を買って返すのはラント家にとってもヘルレヴィ家にとっても容易いことである。しかし、この本をマルコ様はマウリ様に準備して、持って来てくれた。普通の教本では興味を持たないことをハンネス様に聞いたのであろうマルコ様が、マウリ様のために特別に準備してくれたその本だからこそ、マウリ様は気に入って大事にしていた。
ちょっと角が擦れて丸くなっているのも、手垢で紙の色がちょっと変わっているのも、全部マウリ様とマルコ様にとっては大事なことだ。
「再生の魔法……元の姿にこの本を戻す方法……」
術式は既に頭の中に浮かんでいた。無機物ならば割れたカップや破れたノート、そんなものを対象にわたくしはエロラ先生の元で再生の術式を編むまではやったことがあった。発動させたことがまだないのだ。
エロラ先生はわたくしの魔力は強すぎて制御出来ていないと言っていた。強すぎる魔力をどうすればわたくしは制御できるのだろう。
どうすればいいかを考えたときに、エロラ先生が術式を編むときに刺繍を例に出していたことを思い出した。
「マウリ様、ミルヴァ様、応援してください」
裂けた本をくっ付けるようにして膝の上に置いて、わたくしは床に座ってマウリ様とミルヴァ様の手を取る。マウリ様からは緑の生気、ミルヴァ様からは赤い生気が流れ込んでくるのを感じる。
丁寧に編み上げた術式を、刺繍針に刺繍糸を通すように細く細く発動させる。編み上がった術式が裂けた本の元々繋がっていた繊維をもう一度繋ぎ直していくのが分かる。
術式を仕上げたときには、わたくしは額に汗をかいていた。
「ほんが、もどった!」
「まーのだいじなほん、もどったのね! よかった!」
「マルコてんてーにかえせる!」
飛び上がって喜ぶマウリ様とミルヴァ様を見ながら、わたくしは床から立ち上がれずにいた。
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