16.ラント領への列車の旅
ラント領へ行く日、マウリ様は早朝から起きて着替えて準備万端で子ども部屋にいた。列車の本を広げて、テーブルについて真剣に読んでいる。
「おはようございます、マウリ様。早起きされたんですね」
「おはようございます、アイラさま。わたし、おべんきょうしてたんだよ」
手招きしてわたくしを隣りの椅子に座らせて、マウリ様が一生懸命列車の本を読み聞かせてくれる。
「これがふつうれっしゃと、かいそくれっしゃ。まちがえてこれにのったらダメなんだよ。のるのは、このとっきゅうれっしゃ。まちがえると、ラントりょうにつくのがすごーくおそくなっちゃうんだ」
「よくご存じですね」
「ふつうれっしゃだと、よるまでかかるよ。かいそくれっしゃでも、ばんごはんにまにあわないって。とっきゅうれっしゃだったらおやつのじかんにまにあうよ」
実はマウリ様はラント領に行くための列車に乗ることを物凄く楽しみにしていたのだった。それまでは列車にそれほど興味はないと思っていたのだが、ハンネス様がレールを敷いてくれて、列車の玩具で遊びだしてからマウリ様は急激に列車にのめり込んでいった。
それをハンネス様から聞いていたのか、マルコ様は文字の教本として列車の本を準備してくれていた。
文字の教本として準備されたものとは知らないマウリ様は、列車の本をマルコ様が貸してくれた宝物として大事に何度も読んでいる。自然に書いてある文字は全部読めるようになったし、内容も理解できるようになったのだから、好きだという熱量は勉強にとって不可欠なものだと実感させられた。
「アイラさま、わたしがおしえてあげるから、れっしゃをまちがえないよ、だいじょうぶ」
「それは心強いですね」
朝食を食べて馬車に乗る間もマウリ様の解説は止まらなかった。
「ふつうしゃはふつうせきがおおくて、とっきゅうれっしゃはコンパートメントせきがおおいんだよ。こしつせきともいうよ。わたしたちがのるのは、コンパートメントせき!」
「六人乗りですから、ゆったり乗れますね」
「おかあさま、わたしについてきてね!」
「頼りにしていますよ、マウリ」
わたくしにも認められ、スティーナ様にも認められて、マウリ様は終始にこにこしていた。ハンネス様とヨハンナ様は母子で新年を過ごすためにお屋敷に残っている。ヨハンナ様がマウリ様の乳母の仕事で忙しいので、ハンネス様はあまりヨハンナ様に甘えられない。
主人たるヘルレヴィ家のマウリ様の兄として迎えられているハンネス様と、使用人の乳母として迎えられているヨハンナ様では身分の違いもあった。わたくしたちのいないところでハンネス様がたっぷりとヨハンナ様に甘えられていればいいと思う。ハンネス様もまだ9歳なのだ。お母様に甘えたいときもあるだろう。
ラント領にはスティーナ様とわたくしとマウリ様の三人で行くことになったが、大根マンドラゴラも同行しているし、賑やかな旅路になりそうだった。
実物の列車を見て、マウリ様が指さし確認している。
「あれが、とっきゅうれっしゃ。おかあさま、アイラさま、のっていいよ」
「マウリが言うのならば間違いないですね」
「マウリ様、一緒に乗りましょう」
列車の本の入った肩掛けのバッグを下げているマウリ様と手を繋いで、わたくしは買ってある切符の個室席に入っていった。馬車の御者が荷物の積み込みを手伝ってくれた。
個室席に座るとマウリ様が列車の本を広げる。
「まどはしたのほうだけあくけど、あけたらけむりがはいってくることがあるよ」
「気を付けなければいけませんね」
「ざせきのしたに、にもつをおくスペースがあるんだって」
「わたくしの手荷物は座席の横に置いておけばいいので平気ですね」
一つ一つ説明して誇らし気な顔をしているマウリ様が可愛くてたまらない。
「マウリがこんな難しい本を読めるようになったなんて、わたくしは誇らしいです」
「わたし、れっしゃのほん、よめます」
「本当に賢いこと。マウリは素晴らしい領主になりますね」
褒められてマウリ様は大根マンドラゴラを抱き締めて、もさもさの葉っぱに顔を隠して恥ずかしそうにしていた。その顔がにやけているのも仕方がないだろう。
厨房で作ってもらったお弁当を列車の中で食べる。わたくしのリクエストでヘルレヴィ家ではお米の料理も出るようになっていた。
「おにぎりだ! おかあさま、おにぎりですよ!」
「えぇ、アイラ様に言われて海苔も取り寄せたのですよ」
「わたし、おにぎりすき!」
喜んで座席の上で飛び跳ねるマウリ様を落ち着かせて、おにぎりを持たせて食べさせる。マウリ様用には小さめのおにぎりが用意してあった。
国立図書館に行った際に、マウリ様はサンドイッチの中身を零して服を汚してしまって悲しい思いをした。おにぎりならばそんなことはないだろうと考えたのだが、口の周りと手がご飯粒だらけになるのは、まだ4歳なので仕方のないことだった。
食べ終わると手を洗って、口の周りも拭く。デザートのミカンを剥いて食べて、お腹がいっぱいになったマウリ様は大根マンドラゴラを抱いて眠り始めていた。
座席からずり落ちないようにスティーナ様がマウリ様を抱き締める。すやすやとマウリ様は眠ったままでラント領まで列車は向かう。早起きをしたわたくしも眠くなってしまって、少しだけ寝てしまったようだ。
ラント領に列車が着いたのは昼過ぎのことだった。
駅で待ってくれていた馬車の御者が荷物を降ろしてくれて、馬車に積み込んでくれる。列車を降りるときにはマウリ様も目を覚ましていた。
「もうついちゃった。かえりもれっしゃにのろうね」
「帰りも特急列車を教えてくださいね」
「まかせて!」
スティーナ様にお願いされてマウリ様は大喜びで答えていた。
ラント領の馬車に乗ると、巻いていたマフラーも手袋も、着ていたコートも暑く感じられる。ラント領では一年で一番寒い時期なのだが、雪に覆われるヘルレヴィ領と違って、小雪がちらつくことがあっても積もることはほとんどない。積もってもほんの少しだ。
馬車の中でコートやマフラーや手袋は外してしまって、ワンピースの上に厚手のカーディガンという格好になったわたくしは、寒さを感じなかったわけではないが、暑すぎるよりもマシだった。マウリ様も汗をかいていたのでコートもマフラーも手袋も外してしまう。スティーナ様も同じようにしていた。
ラント領のお屋敷に着くと、庭でクリスティアンとミルヴァ様が遊びながら待っていた。この時期でも外で遊べるのだからやはりラント領はヘルレヴィ領に比べて温暖なのだ。
マウリ様を見た瞬間、ミルヴァ様が走り出す。マウリ様も走り出した。
「まー!」
「みー!」
お互いにしっかりと抱き締め合う双子の姿に、わたくしは心が和んだ。スティーナ様は目頭を押さえている。
「びぎゃー!」
「ぎょえー!」
駆け寄って抱き締め合う大根マンドラゴラと人参マンドラゴラの周りを、蕪マンドラゴラが飛び跳ねて踊っている。
「あねうえ! おかえりなさい」
寒さで鼻の頭を真っ赤にしたクリスティアンが駆け寄って来て、わたくしがクリスティアンの身体をしっかりと抱き締めた。もうすぐ6歳になるクリスティアンはほっそりしているが背は高くなっていた。
「ははうえとちちうえも、まってるよ」
クリスティアンに手を引っ張られて、わたくしはお屋敷の中に入る。ミルヴァ様はマウリ様とスティーナ様の手を引っ張っていた。
「おかあさま、いらっしゃい。わたくし、おおきくなったのよ」
「髪も伸びましたね。サイラさんが結んでくれているのですか?」
「そうなの。アイラさまみたいにしたいの」
わたくしはブルネットの髪を長く伸ばして三つ編みにしているけれど、ミルヴァ様もそうしたいようだった。顔の両脇に頑張って編んだと思われる細い三つ編みがちらりと見えている。
ミルヴァ様はわたくしのストレートの髪と違って癖毛なので、尚更三つ編みは難しいだろう。それでもサイラさんは努力してくれているようだ。
「アイラ様お帰りなさいませ」
「アイラ様、大きくなられて」
サイラさんからもリーッタ先生からも声をかけてもらって、わたくしは実家に帰って来たのだと実感する。
父上と母上もリビングで待っていてくれた。
「いらっしゃいませ、スティーナ様、マウリ様。お帰り、アイラ」
「アイラは大人びた顔になって来ましたね。少し合わない間に子どもは成長してしまうものですね」
嬉しそうな父上と、少し寂しそうな母上に迎えられて、ソファに座る。持って来られたティーセットはわたくしがラント家で使い慣れた白い花模様のものだった。
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