14.マウリ様の勉強
2歳まではマウリ様とミルヴァ様はヘルレヴィ領の隙間風の吹く寒く古い離れで育てられた。わたくしが来たときには大急ぎでストーブを持ってきたのだろうが、柵も囲いもないストーブが2歳児のいる部屋にあって安全なわけもなく、取り繕うためのものだと一目で理解していた。
冬は暖房を入れていないと室内の温度が零下になるようなヘルレヴィ領で、暖房もなく布団の中に二人でトカゲの姿になって隠れていることで暖を取っていたマウリ様とミルヴァ様。当時の乳母はこう言っていたとヨハンナ様に聞いた。
「部屋を寒くしていると、布団から出て来ないから、煩くないし、世話が楽で助かる」
スティーナ様が回復してオスモ殿が警備兵に捕らえられ、たくさんの使用人が入れ替えになったが、その中でも乳母はかなり早い時期に辞めさせられていた。新しい乳母としてヨハンナ様が雇われることが決まっていたし、ヨハンナ様の証言で前の乳母がマウリ様とミルヴァ様に暴力を振るっていたことも分かったのだ。
ラント領に来てからすぐの頃、お漏らしをしたマウリ様とミルヴァ様が泣いてしまったことがあった。そのときのマウリ様とミルヴァ様の白い腕には、痛々しい赤い痣があった。
お漏らしをするたびに、乳母が定規でマウリ様とミルヴァ様の腕を叩いていたというのだ。二人はお漏らしをすると「ぱちん」されると恐れていた。それが定規によるものだなんて許せない。
乳母は辞めさせられただけでなく、幼児を虐待した罪を問われることになった。
そんな劣悪な環境で過ごしていたマウリ様が、ミルヴァ様と引き離されて一人の夜を過ごすのがどれだけ心細かっただろう。そこに気付けなかったわたくしも未熟者だった。
マルコ様に言われて、毎晩額にお休みのキスをするようになって、マウリ様は少し変わった。
「夜中にドラゴンの姿になったようですが、朝には戻っていましたよ」
「本当ですか?」
夜中に魘されているので様子を見に行ったらドラゴンの姿になっていたマウリ様は、朝ヨハンナ様が起こしに行くときには人間の姿に戻っていた。確かな進歩を感じられてわたくしは嬉しくなる。
「今日は人間の姿で起きて来たのですね」
「わたし、えらい?」
「とても偉いですよ」
褒めて髪を撫でて抱き締めると、マウリ様が笑み崩れている。褒められて嬉しいのは4歳でも何歳でも同じだろう。
マルコ様は冬休みも通ってきてくれていて、マウリ様に文字を教えてくれていた。
「まー、じぶんのおなまえと、アイラさまのおなまえ、かけるもん」
「それはすごいですね。もっと色んな文字を読めるようになりたいと思いませんか?」
「じぶんのおなまえと、アイラさまのおなまえがわかればいい」
分かりやすく断って列車で遊ぼうとするマウリ様にマルコ様が列車の書かれている本を持ち出してくる。
「列車にも色んな種類があるのを知っていますか?」
「え!? れっしゃ、ちがうの?」
「普通列車と、特急列車と、快速列車があって、それぞれちょっと形が違うんですよ」
「ほんとう? どうちがうの?」
食い付いたマウリ様にマルコ様が本を見せて違いを教えていく。
「特急列車は早く走れるように形が違います。普通列車は個室席の数が少ないので、その分デザインも違いますね。快速列車は特急列車の先頭に、引っ張る客席は普通列車に近いものになっています」
「へー、すごいねー」
「文字が読めるようになったら、この本も読むことができるんですけどね」
「このほん、かしてくれるの?」
お目目をキラキラに輝かせているマウリ様は特急列車と快速列車と普通列車の載った本がものすごく気になっているようだった。手を出して欲しがるマウリ様を座らせて、マルコ様が丁寧に本を読み聞かせている。
特急列車の個室席の数、快速列車の普通席の数、普通列車の先頭車両の形。蜂蜜色の目をくりくりと見開いて必死に聞いていたマウリ様の手に、読み終わった本をマルコ様が渡した。
「読んでみますか?」
「うん、よみたい!」
興味のあることをしっかりと掴んでの授業が始まる。文字の教本にはほとんど興味を示さなかったマウリ様も、列車の本には夢中になっている。そこでさり気なくマルコ様が本に書いてある内容を教えている。
文字の教本ではわたくしの名前と自分の名前しか覚えなかったマウリ様が、「コンパートメントせき」とか、「ふつうせき」とか大きな声で指さして読んでいるのを聞きながら、わたくしは驚いてしまった。
幼年学校で使うような教本をハンネス様が一年生にときに使っていたものを出して教えていたが、わたくしはそれがその年齢には一番合っているのだと勝手に思っていた。しかし、マルコ様は教本に興味のないマウリ様に、興味のある「列車」という分野に絞って本を用意して、マウリ様には難しいかもしれない単語を教えている。単語が読めるようになれば、文字も読めるようになるので問題はないのだが、その発想がなくてわたくしは大いにマルコ様を尊敬した。
「その本はマウリ様に貸しておきますね」
「ありがとうございます! だいじにする! やぶらないよ! おえかきもしない!」
ぎゅっと大事に借りた本を抱き締めるマウリ様は、マルコ様が帰った後も「ふつうれっしゃ」とか「とっきゅうれっしゃ」とか指さしながら本を読んでいた。
「マウリ様、難しい本だけど、読めるんですか?」
「わたし、マルコさまにかしてもらったの。だいじによむよ。にいさま、みて」
ハンネス様がマウリ様に付き合わされて、指さして「ふつうせき」とか「コンパートメントせき」とか読むのを聞かされている。弟に本を読み聞かされて、ハンネス様は照れ臭そうに微笑んでいた。
マウリ様とハンネス様の距離も近くなり、マウリ様も今回の件でマルコ様にちょっと心を許し始めたようだった。
ラント領から招待の手紙が来たのは、年末のことだった。
「わたくしとクリスティアンのお誕生日は一緒に祝いたいと書いてありました。スティーナ様、ラント領に行ってもいいですか?」
「わたくしもお伺いします。アイラ様とクリスティアン様のお誕生日をラント領で祝うのなら、マウリとミルヴァのお誕生日はぜひヘルレヴィ領で祝わなければいけませんね」
わたくしとクリスティアンのお誕生日はラント領に滞在して祝ってもらって、マウリ様とミルヴァ様のお誕生日はヘルレヴィ領に来てもらって祝う。これが毎年恒例になればラント領とヘルレヴィ領の交遊も盛んになるだろう。
「ラントりょうにいくの? あした?」
「年が明けてからですよ」
「まー、はやくいきたいなー。みーにも、クリスさまにも、あいたいよ」
可愛くおねだりしてもスティーナ様にも執務があるし、新年にはヘルレヴィ領でパーティーを開かなければいけないので、そこを外すことはできない。それが終わってからしかラント領に行くことはできなかった。
早く行きたいマウリ様のために、わたくしは紙に日付を書いた。今日の日付から、ラント領に行くまでの日付。
「今日はここです。ラント領に行くのは、この日です」
「きょうは、ここ。あしたは?」
「ここですよ」
「アイラさまのおたんじょうびは?」
言われてわたくしは紙にさらに日付を書き加える。わたくしのお誕生日とクリスティアンのお誕生日の日の数字の横には、ケーキのマークを書いておいた。
「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ、やっつ……いっぱい」
「いっぱいですが、一日過ぎるごとに、一つずつ数字を消していきましょう」
明日には今日の日付にバツを書いて、明後日には明日の日付にバツを書いて、少しずつ近付いてくるラント領に行く日をマウリ様が理解して待てればいいと思ったのだ。
「わかった。これ、かべにはってもらうね」
ヨハンナ様に子ども部屋の壁に貼ってもらった紙をマウリ様は何度も確認しに行っていた。
一つずつ、日付は減っていく。日が過ぎるにつれて、バツの数が増えて、残りの日付が少なくなってきた。
「もうちょっとだね」
「その前に新年のパーティーがありますけどね」
年の瀬、終わった日にバツを付けながらわたくしはマウリ様とラント領に行く日を待ち望んでいた。
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