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13.怖い夜のためのおまじない

 ヘルレヴィ領に雪が降るようになった頃、高等学校は冬休みに入った。冷える日は馬車の中も歯の根が合わないほど寒くて、高等学校に行くのにコートと厚手のカーディガンと手袋とマフラーが必須になっていたので、暖かい部屋で一日過ごせる時間ができるというのはありがたいことだった。

 畑には藁を被せて来年の春のために休ませている。

 窓の外で積もり始めた雪は、大量に積もると雪かきということをしなければいけないと聞いた。


「雪かき、ですか?」

「雪が積もるとひとも馬車も動けなくなりますから、水の流れている側溝に雪を落としに行くのです」


 積もっている雪を運んで側溝に落としに行く。そんなことをしなければいけないほど雪が積もるということが、私には実感がわかない。


「そのうちに分かりますよ」


 スティーナ様は笑って言っていた。

 朝食の席で雪かきの話題になったのだが、ハンネス様が話が終わるとおずおずとスティーナ様に申し出ていた。


「私、家名がエルッコなのですが、母と同じニモネン家の子どもになれませんか?」


 ずっと考えていたけれど恐れ多くて口に出せなかったというハンネス様。

 エルッコはオスモ殿の家名である。貴族同士は結婚しても家名が変わることはない。オスモ殿はヘルレヴィ家のスティーナ様の入り婿として結婚しても、エルッコ家のオスモ殿に変わりはなかった。

 しかし、生まれて来た子どもはどちらかの家名を選ばなければいけない。大抵の子どもは位の高い貴族の親の方の家名を名乗る。

 オスモ殿のエルッコ家の方がヨハンナ様の実家のニモネン家よりも身分が高いことは分かっているのだが、ハンネス様が家名を変えたいという気持ちも痛いほど分かった。

 実の父親とはいえオスモ殿はスティーナ様が産後に体調を崩したのを狙って、毒を盛り続けて体調が戻らないようにして、正当な後継者であるマウリ様とミルヴァ様がトカゲであることで侮り、自分の妾のヨハンナ様とその子どものハンネス様をヘルレヴィ家に連れて来た。マウリ様とミルヴァ様をラント家に追いやってしまって、ヘルレヴィ家をハンネス様に継がせようとしたオスモ殿は、簒奪者として責められるべき存在であったし、スティーナ様の毒殺未遂の罪にも問われていた。

 今は王都の牢獄に閉じ込められて裁かれているが、毒殺未遂の罪がそんなに軽いものではないと12歳のわたくしにも分かるし、罪を償って帰って来たところでスティーナ様が言い渡すのは離婚に違いない。

 その状態でハンネス様はオスモ殿の家名を名乗っていたくはないのだろう。


「手続きをしましょうね」

「お願いできますか?」


 頭を下げるハンネス様にスティーナ様が蜂蜜色の瞳に優しい色を宿す。


「ハンネス・ニモネンになることになんの問題もありませんよ」

「ありがとうございます」

「ただ、オスモの息子であることを恥じているのなら、その必要はないとわたくしはハンネス様に言いたいです。マウリとミルヴァもオスモの血を引いていますが、あの子たちは可愛く愛しい。ハンネス様もオスモの血を引いていても、マウリとミルヴァにとっては大事な兄ですし、わたくしにとっては命の恩人です」


 名前を変えることによってオスモ殿との繋がりを断ち切ろうとしているかのように見えるハンネス様だが、スティーナ様の回答は全く違うものだった。オスモ殿の血を引いていようとハンネス様自体には全く変わりはない。

 ハンネス様が清い心で母のヨハンナ様と共にスティーナ様を助けようとしていたことは変えようのない事実だった。

 そのことを告げられて、ハンネス様が涙ぐんでいる。


「おかあさま、にいさまをいじめた? ないてるよ?」

「苛めたつもりはないのですが」

「おかあさま、にいさまに、いいこいいこしてあげて」


 涙ぐんでいるハンネス様を心配して顔を覗き込むマウリ様がスティーナ様に促し、スティーナ様は席を立ってハンネス様の赤い髪を撫でていた。マウリ様の食事介助をしているヨハンナ様も涙ぐんでいる。

 冬休みの間にハンネス様がエルッコ家からニモネン家に籍を移す作業をスティーナ様はしてくださるようだった。

 冬休みになって、マルコ様が家庭教師として通ってくるようになった。

 わたくしは子ども部屋の机で勉強をしつつマルコ様とマウリ様のやり取りも何となく視界に入れている。冬休みの間に魔法学の教本の残り半分を訳してしまわなければいけなかったので、わたくしも休んではいられなかった。ノートに古代語を書き写し、辞書を引いて意味を書き込んでいく。


「マウリ様はドラゴンの姿になれますか?」

「なりたくない!」

「それでは、ドラゴンの姿にならないでくれますか?」

「えー……なら、なる!」


 4歳の微妙な反抗期を理解して、逆のことを言ってドラゴンになるように促すマルコ様は妹のイーリス様やニーナ様の弟のエーリク様と遊んで慣れているのだろう。

 ドラゴンの姿になったマウリ様がぱたぱたと飛んでマルコ様の頭の辺りをぐるぐる回っているのに、マルコ様は無造作にマウリ様の身体を掴んだ。


「元に戻れますか?」

「ぎゅって、しないでー!」

「人間の姿に戻れますか?」

「おちちゃうー!」


 暴れながら人間の姿に戻ったマウリ様をマルコ様は抱き留める。抱っこされて不本意そうにマウリ様が「おろして」とほっぺたを膨らませている。


「自分の意志で本性になったり、戻ったりすることはできるようですね。後は無意識に本性に戻らないかですけど……」

「朝、起きたときにはほとんどドラゴンの姿ですね」


 マルコ様がハンネス様とヨハンナ様に聞くと、ヨハンナ様が答えていた。


「なるほど……寝ている間にどんな夢を見ています?」


 夢の話を聞かれてマウリ様はよく分からないようだが、「寝ている間になにか考えていますか?」と聞かれて床に降ろしてもらって大根マンドラゴラを抱いてもじもじと答える。


「アイラさまとおさんぽして、マンドラゴラのはたけにいって、マンドラゴラがいっぱいはえてて、おかあさまがげんきになるの」


 そんなことを考えながらマウリ様は寝ているようだ。

 マウリ様にとっては自分が育てたマンドラゴラがスティーナ様の命を救ったことが誇らしい思い出として胸に残っているのだろう。


「畑では虫を退治しますよね?」

「うん、ボーッてするよ!」


 大きく返事をしたマウリ様にマルコ様が何かを突き止めたようだった。


「寝ている間が無意識で一番人間の姿と本性を切り離しにくい時間なのです。突然誰かが襲い掛かってきたら反射的に本性になってしまうかもしれませんが、それ以外ではマウリ様はドラゴンの本性を制御できているし、問題は睡眠時だけですね」


 睡眠時にどうやってドラゴンにならないようにするのか、マルコ様も考えあぐねているようだった。


「夜は怖いですか?」

「ちょっと、こわい……ずっと、みーがいっしょだったけど、いまはひとりで、さむくて、さびしい。アイラさまもおへやがちがう」


 ぽやぽやの蜂蜜色の眉を下げてしまったマウリ様に、マルコ様がわたくしに提案した。


「アイラ様、毎晩マウリ様がドラゴンにならなくても平気なように、おまじないをしてあげてください」


 古代語を訳していたわたくしは辞書から顔を上げる。


「おまじないですか? どんなことをすればいいですか?」

「内容はなんでもいいです。僕の母もしてくれました。毎晩眠るまでお腹を軽くとんとんと叩きながら『怖がらなくても私がいるよ』と言ってくれて」


 そんなおまじないを毎日続ければマウリ様も夜が怖くなくなるのかもしれない。5歳のクリスティアンでもわたくしがヘルレヴィ領に行って、マウリ様もミルヴァ様もいなくなったら夜は狼の姿になって遠吠えをしていたという。

 4歳のマウリ様は特に夜が寂しく怖いのだろう。隣りの部屋にヨハンナ様がいるとしても、ベッドに一人きりは寂しいのかもしれない。


「おまじない、ですか」


 おやつと夕食を一緒に食べて帰っていったマルコ様の言葉を、わたくしは夜の子ども部屋で反芻していた。

 もうマウリ様はお風呂に入ってパジャマに着替えて、眠る体勢に入っている。

 わたくしの両親はクリスティアンになにをしていただろう。

 思い出してわたくしはマウリ様の額にかかるふわふわの蜂蜜色の髪を掻き上げた。


「お休みなさい、マウリ様。夜も怖くはありませんよ。明日もたくさん遊びましょうね」


 そっと額に唇を寄せると、マウリ様の髪からシャンプーの甘い香りがする。


「アイラさま……おやすみなさい」


 頬を染めて嬉しそうにベッドの方に歩いて行ったマウリ様を見送って、わたくしも自分の部屋に戻った。

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