12.ラント領の料理をヘルレヴィ領に
週末に気合を入れて教本を訳したおかげか、週明けのエロラ先生の授業は非常に頭に入って来やすかった。
「術式を編むのは、編み物をするのに似てるかな。アイラちゃんは編み物をしたことがある?」
「いいえ。刺繍ならば少しだけ」
貴族の令嬢の嗜みとして刺繍はしたことがあると答えると、それでもいいとエロラ先生は言い換えてくれた。
「刺繍糸を決められた場所に刺していくように、緻密に魔力を編み上げるんだ」
「魔力の放出は最終的に意識だけでできるようになるのが理想だが、最初は手を翳すなど手から魔力を放出するイメージを持つといい、と教本に書いてありました」
「そうだね。ちゃんと理解している。いい感じだよ、アイラちゃん」
褒められると努力が報われたようで嬉しくなる。マウリ様にも寂しい思いをさせないで、子ども部屋で勉強することによって、わたくしもマウリ様が寒い思いをしていないか、寂しい思いをしていないか気にしないで済んで集中できていたようだ。
子ども部屋での勉強は今後も続けていきたいところだ。
「魔力のないものには理解できない感覚なのだよね。私には獣の本性がない。本性の姿になる感覚と、戻る感覚が全く分からない」
「わたくしも獣の本性がないからそっちは分かりません。魔力の放出は分かりそうな気がします」
「やってみる?」
挑戦してみるかと促されて、わたくしはこくりと唾を飲み込んで「はい」と答えた。両手を合わせてから、拳一つ分くらい間を開ける。できた隙間に手の平から魔力を放出するイメージを固める。
細く伸ばした魔力を絡み合わせ、緻密に編み上げていく。
「待った! アイラちゃん、ストップ!」
止められて、わたくしはきょとんとしてエロラ先生を見た。編みかけだった術式は霧散して消えてしまう。
「今、何の魔法を使おうとした?」
「エロラ先生が最初に見せてくださった、火の魔法を使おうとしました」
「そうだよね。ただ……規模が大きすぎる」
「は?」
わたくしは自分のできる範囲で術式を編んだつもりだったが、エロラ先生に見えていたのは膨大な規模の術式だったようだ。
「サンルームが大火事になるところだったよ」
マッチ棒に火をつけるような小さな火をイメージしていたのに、わたくしの術式は大きすぎて炎の嵐を作り出しかけていた。エロラ先生が止めてくれなければ、わたくしは術式を完成させて発動させていたかもしれない。
「魔力が高いのに制御できないのは問題だな……魔力を制御できる魔術具の職人が故郷にいるんだが、手配するから、それまでは術式を編んでも発動させない方向で授業を進めて行こう」
魔力を制御できるのが一番いいのだが、術式も今回初めて編んだようなわたくしがすぐに魔力を制御できるようになるとは思えない。エロラ先生は神聖な森に住んでいる職人の妖精種の仲間にわたくしの魔力を制御できるような魔術具を作ってもらうつもりだった。
「魔術具にかかる金額については、ヘルレヴィ家に請求してください」
「こういうのはお金の問題じゃないんだ。一度アイラちゃんと友人を会わせるかもしれない」
職人に気に入られなければ魔術具は作ってもらえないかもしれないと言われて、不安になるわたくしの肩をエロラ先生が抱き締める。
「私が一目で気に入ったんだから、友人も気に入るさ」
「わたくしを、ですか?」
自信のないわたくしに対して、エロラ先生は苦笑していた。
「獣国ハリカリにおいては、獣の本性がないアイラちゃんは散々な評価を受けたかもしれないけれど、私たち妖精種においては、魔力が高く知能も高い、努力できるアイラちゃんの評価は高いものになると思っていた方がいい」
「わたくしはそんなすごいものではありませんよ?」
「マンドラゴラを育てたんだろう? 妖精種でもなかなかできることではないよ」
魔力が高いことだけではなく、マンドラゴラを育てたことも妖精種の中では評価される。森と共に生き、長命の妖精種は、マンドラゴラや魔法生物との関わりも深い。マンドラゴラの栽培の難しさを一番知っているのは妖精種かもしれないと言われて、わたくしは驚いてしまった。
「妖精種の方がマンドラゴラを育てるのですか?」
「魔法薬の材料としてマンドラゴラは優秀だからね」
マンドラゴラを育てれば妖精種との交渉にも役立つかもしれない。
マウリ様というグリーンドラゴンの存在があってのマンドラゴラ栽培だったが、わたくしはこれから続けていくことに大きな可能性を感じていた。
「教本は今訳しているところまでをもう一度復習して、残りは冬休みに纏めて訳すといい」
「はい、分かりました」
「今日の授業は終わりだけど、お茶を飲んでいくかな?」
「嬉しいです。いただきます」
授業の始まりと終わりにエロラ先生はお茶を淹れてくれる。スタンダードな紅茶だったり、ラント領を思い出させる花茶や緑茶だったりして、その時間をわたくしはとても楽しみにしていた。
今日は果物の香りのついたすっきりとした緑茶をいただいた。
魔法で冷やしてある緑茶は、サンルームの暖かさの中で喉を潤す冷たさだった。
週末の頑張りのご褒美のような緑茶をいただいて、わたくしはサンルームから出た。お昼ご飯を食べるために食堂に行くと、ニーナ様とマルコ様が席を取っておいてくれる。
「マルコ様、これ、うちの厨房からお弁当です」
「え? いいんですか?」
「マウリ様の家庭教師になられるのですから、どうぞ受け取ってください」
ヘルレヴィ家で作られたお弁当をマルコ様に渡すとニーナ様が羨ましそうに覗き込んでいる。
「あたしも、明日からお弁当作ってもらおうかな……」
「ニーナ様もお弁当になったら、空き教室で待ち合わせしても良いですね」
お昼時の込み合った食堂ではなくて空き教室ならばゆっくりと静かに食事ができる。提案するとニーナ様も明日からお弁当を持って来ることに乗り気だった。
「アイラ様は、お米を食べたことがありますか?」
「お米ですか? ありますよ」
ラント領ではお米の栽培もされているし、食べたことがないわけがない。ヘルレヴィ領では野菜の一種として出されるお米だが、ラント領では主食としてパンの代わりに出されたりしていた。
「ヘルレヴィ家ではお米のボールを作ったりしますか?」
「あぁ、おにぎりのことですね。ヘルレヴィ家ではみませんね」
マルコ様の問いかけに答えると、眉を下げて残念そうにしている。
「一度食べてみたかったんですが……」
「それなら、厨房に話してみます」
ラント領ではおにぎりとおかずのお弁当もなかったわけではない。ヘルレヴィ家でもわたくしがラント領を懐かしんで食べたいと言えば、作ってくれるだろう。
「マウリ様も大好きだったんですよ」
小さなおにぎりはマウリ様のような小さな子どもでも食べやすかったようで、手で握り潰しながら食べていたのを思い出してわたくしは笑顔になる。
そういえばラント領では普通に食べていたのに、ヘルレヴィ家に来てからはあまり食べていないものがたくさんあるような気がしていた。ラント領が農業が盛んでこの国の食物のほとんどはラント領で収穫されたものだと言われるくらいだから、料理も多彩だった。
「スパイシーに味付けされたチキン……カレー、薄焼きのパン……」
「アイラ様は色んなものを食べて育ったのですね」
ニーナ様も貴族だがそういうものは食べたことがないと言っているので、ヘルレヴィ領では料理の種類は限られていたのだろう。その代わりにフルーツをたくさん使ったデザートやフルーツの香りのするお茶はとても多彩で美味しい。
「ヘルレヴィ領とラント領はそれぞれに特産品が違いますからね」
ラント領の食べ物をヘルレヴィ領にも広めるのは、悪くないのではないかと思い付くわたくし。ヘルレヴィ領からラント領に注文が来て、食材が行き来するようになれば、また二つの領地の仲を深めることができる。
将来はわたくしがマウリ様と結婚して、クリスティアンがミルヴァ様と結婚するのだ。ヘルレヴィ領とラント領の結びつきは確実に強くなるだろう。
二つの領地の未来もわたくしは背負っているのだという自覚を持たなければいけなかった。
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