10.マルコ様とニーナ様の来訪
他の教科は問題なくこなせたのだが、魔法学に関してだけは古代語との戦いだった。それに加えて実践もある。
「強化の魔法は編んだ術式を服のように着る感覚で」
「服のように、ですか?」
「防御の魔法は術式を盾のように頑強に緻密に固めていく感覚で」
全ての魔法には世界の理がある。
魔法学の教本に書かれていたことを思い出す。
「火を産み出すときには、空気中の酸素を術式で取り込むんだよ。魔法の炎も、マッチで付けた火も変わらず酸素を使用するから、狭い場所で発動させるときには二酸化炭素中毒に気を付けなければいけない」
「え? 魔法って万能じゃないんですか?」
「水や氷の魔法を使うときには、空気中の水分を集めるから、空気が乾燥して火が付きやすくなる。水や氷の魔法を使うときには、火の魔法で対抗されることも視野に入れなければいけないね」
魔法というのだから奇跡の力のようなもので、自然の理は完全に無視して火や水や氷が出来上がるのだと信じていたわたくしにとって、エロラ先生の説明はショックだった。世界の理に従わなければ魔法が発動しないというのはそういう意味だったのか。
教本で読んだだけの内容が、エロラ先生の説明を加えるとより深く理解できる。
エロラ先生が周囲に木々のたくさんあるサンルームで授業をしているのも、サンルーム内の酸素や水分の調整がしやすいからなのかもしれない。まだ魔法を使うことはできないが、エロラ先生は術式を編ませてみて、わたくしの魔法の才能を見ているようだった。
「基本的な魔法はそこそここなせそうだけど、得意な分野がどこなのかを絞れたらいいね」
「そんなにすぐに絞れるものですか?」
「ひとによるよ。すぐに自分の資質を知る者もいれば、卒業しても分からない者もいる。魔法学の勉強は一生続けて行かなければいけないだろうね」
才能を持って生まれた以上は一生続けなければいけない。
できるだけ早く自分の資質を知りたいのだが、それができるかどうかもわたくしにかかっている。課題の多い授業にわたくしは毎日頭を悩ませていた。
もう一つわたくしの頭を悩ませるのは、辺境伯からのお手紙だった。
いただいたときには驚いてスティーナ様にすぐに相談しに行ったのだが、お手紙の中に辺境伯の御子息との婚約を望まれているという文章があったのだ。
「マウリ様はお小さいし、結婚するまでに時間がかかるだろうからと言われても……。辺境伯の御子息は成人されているのではないですか?」
「確か、まだ高等学校を卒業していないのでは? 辺境伯家は研究過程まで進める気もなさそうですよ」
辺境伯は辺境域で他国からの侵略者と長年にわたって戦ってきた。大陸が獣国ハリカリにほとんどの地域を支配されるようになっても、他国からの反発はしばらくは止まなかった。それも百年は前の話で、この大陸の戦乱の時代は終わっている。
それでも辺境伯にとっては他国と接する領土を持っているということで、魔力があるわたくしが魅力的に感じたのだろう。
獣の本性を持たないだけのただの娘だった頃には見向きもされなかったのに、見事な手の平返しである。これが貴族社会なのだと言われれば仕方がないのだが、わたくしは辺境伯にはあまりいい印象は持っていなかった。
なにより、マウリ様との婚約が先に決まっているのに、後からわたくしに魔力があると分かったから割り込んで来ようという精神が信じられない。
「アイラ様はマウリの婚約者です。このことをマウリが知ったら、ブレスを吐いて怒るかもしれません」
兄のハンネス様にさえ非常に嫉妬深いところを見せていたマウリ様が、辺境伯がわたくしをご子息と婚約させようと考えていると知ったら、どうなることか。
お断りのお手紙を書いてその件は終わりにしたつもりだった。
慌ただしい一週間が終わって、週末、ニーナ様とマルコ様が弟さんと妹さんを連れてやってくる。
ニーナ様の馬車にマルコ様も乗せられてやってきた。
ニーナ様の後ろには、ニーナ様とよく似た麦わら色の髪に緑色の目の男の子が付いて来ている。マルコ様はむっちりとした太っているわけではないが肉付きのいい女の子を抱っこしていた。
「初めまして、ニーナ・ネヴァライネンです」
「ぼく、エーリク。6さいです」
ニーナ様のスカートを掴んで隠れながらエーリク様が挨拶をしてくれる。
「マルコ・ハーパラです。こっちが、妹のイーリス、2歳になったばかりです」
「う!」
マルコ様が妹さんを紹介してくれると、イーリス様は抱っこされたままお手手を上げて挨拶をしてくれた。
子ども部屋でハンネス様と待っていたマウリ様が、マルコ様を見上げてお目目を見開いている。自分よりも小さな子に驚いているのかと思ったら、マウリ様はマルコ様の前でドラゴンの姿になった。
鬣が逆立って、わたくしの肩に止まっているが、シャーシャーと威嚇しているような気がする。
「マウリ様、これからマウリ様の家庭教師をしてくださるマルコ様ですよ」
「よろしくおねがいします」
「やっ! アイラさまは、わたしの!」
そのままブレスでも吐きそうなマウリ様を抱き締めてわたくしは宥める。
「マルコ様はそういう方じゃありません。わたくしの婚約者はマウリ様でしょう?」
「うー……」
唸って納得していない表情のマウリ様を、マルコ様とニーナ様とエーリク様が興味深そうに覗き込んでいる。
「本当にドラゴンなのですね」
「翼と鬣があります。角はまだ生えていないみたいですね」
「グリーンドラゴンですね」
じろじろと見られてマウリ様は恥ずかしかったのか、人間の姿に戻ってわたくしのスカートを掴んでわたくしの後ろに隠れていた。
「マウリ様はアイラ様に近付く方はみんな警戒するんですよ。私も相当警戒されました」
兄なのにと苦笑するハンネス様に、エーリク様が近寄っていく。
「よねんせいのハンネス・エルッコさまですよね」
「そうですが……同じ幼年学校でしたか?」
「はい、せいせきがゆうしゅうだと、おはなしにきいています。あねのせいせきがわるいので、ぼくはがんばるようにりょうしんからいわれています」
「ちょっと、エーリク! あたしの成績について言わないでよね!」
成績があまり良くないニーナ様に関してはご両親も悩んでいるようだ。その分エーリク様の教育に力を入れているのかもしれない。
「イーリスが奨学金をもらえなくても、高等学校に行かせてやりたいんです。そのためにも、家庭教師のアルバイトは助かります」
マウリ様が幼年学校に入学するまでの二年間だけか、その後も続けるのかまだ分からないけれど、マルコ様がマウリ様に本性の制御の仕方や文字を教えてくれれば、わたくしが勉強している間にマウリ様も勉強できて助かる。
「だーこ」
「わたしのダイコンさん」
「ちょーあい」
「あげない!」
イーリス様とマウリ様は大根マンドラゴラを挟んでやり取りをしている。大根マンドラゴラをイーリス様は触ってみたいようだが、マウリ様はしっかりと抱き締めて放さない。
「マンドラゴラを飼っているんですね。あれがスティーナ様を助けたマンドラゴラのお仲間ですか」
「マウリ様に付いて来ているのです。春になればマンドラゴラをまた育て始める予定ですよ」
マルコ様に話すと、マルコ様は興味津々のようだ。
「マンドラゴラの栽培もこのお屋敷に通えば見せてもらえますか?」
「えぇ、もちろんです。遅くなったときには馬車でお送りしますし、夕食もご一緒にいかがかとスティーナ様も仰っていました」
「それはありがたいです」
わたくしとマルコ様の間では、マウリ様の家庭教師の件が着々と纏まっていたが、マウリ様はまだマルコ様を懐疑的な瞳で睨み付けている。
「だーこ! ちょーあい!」
「まーの!」
イーリス様には大根マンドラゴラを貸してほしいと言われて断るマウリ様。まだまだ周囲のひとたちと仲良くなるのは時間がかかりそうだった。
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