3.クリスティアンの気持ちと双子の不安
わたくしとクリスティアンの乳母のサイラさんがマウリ様とミルヴァ様をお風呂に入れる。初めて見るサイラさんにマウリ様とミルヴァ様が怯えて泣いてしまったので、わたくしもバスルームに入って二人から顔が見える場所にいた。
涙と洟でぐしゃぐしゃの顔のマウリ様と、涙目で口を真一文字に結んで必死に耐えているミルヴァ様を見ると、そっくりだけれど性格は違うのだとよく分かる。
「いやー! ごあいー!」
「まー、じょぶ。あーたま、いゆ」
「あーたまー! ごあいよー!」
わたくしの呼び方は二人の中で「あーたま」になってしまったようだ。なんだか頭のようで可愛げがないが、「アイラ様」と呼ぶのはまだ難しいから仕方がないのだろう。
「わたくしはここにいますよ」
「あーたまー! らっこー!」
「お風呂から出たら抱っこしましょうね」
両手を広げて抱っこを強請るマウリ様も、涙を堪えているミルヴァ様もどちらも手足が細くて痩せている。お腹を空かせていたことも思い出して、わたくしはメイドに子ども用の食事を用意してくれるように頼んでおいた。
お風呂のお湯が真っ白になるくらい垢がたくさん出た二人は、じっとりと湿っていた髪もふわふわでいい香りになって、温まってほっぺたも赤みがさしてきていた。
子ども部屋に連れて行くと二人ともうとうとと眠りかけている。それでも食事が用意されているのを見ると、子ども用の椅子によじ登っていた。
わたくしが使っていた椅子はそのままに、クリスティアンが生まれたときに椅子を買い足したので、ラント家の子ども部屋には幼児用の椅子が二つある。子ども一人に一つ、お譲りはしないというのがうちの方針らしい。そのおかげでマウリ様とミルヴァ様は同時に食事の席に着くことができた。
並べられている湯気の上がる料理に手を突っ込もうとする二人に、乳母が素早くスプーンを握らせる。スプーンでは上手く掬えず涙目になっているマウリ様のお口にわたくしが吹き冷ました料理を運んで、乳母がミルヴァ様のお口に料理を運ぶ。お口に入れてもらうのが初めてだったのか、二人は最初何が起きているのか分からないままにもぐもぐとしていたが、料理を食べさせてもらえると理解するとスプーンを握り締めたままで大きなお口を開けて待っていた。
パンもスープも軟らかく煮た魚料理もお野菜も全て食べ終わる頃には、二人とも眠気で頭がぐらぐらしていた。
「あーたま、らっこ……」
「みー、ねんね……」
抱っこを求められて子どもの椅子からマウリ様を抱き上げるとそのまま眠ってしまう。ミルヴァ様は座ったまま眠っていた。
乳母がクリスティアンとわたくしの使っていたベビーベッドを持って来てくれて、そこに敷かれた布団の上にマウリ様とミルヴァ様を寝かせる。抱っこから降ろした瞬間、マウリ様はカッと目を見開いて泣き始めた。
「やー! あーたま、ないない、やー!」
どこにも行かないで欲しいと言われているようで、なんだか胸がざわつく。両親も弟のクリスティアンもわたくしのことは認めていてくれるが、それでも獣国で獣の本性を持たないわたくしに対する周囲の目は厳しいものがあった。まだ10歳なので社交界にデビューしていないが、そのうち公爵家の令嬢として出なければいけない場面が来る。その日にはどんな陰口も受け止めようと覚悟していた。
それが、マウリ様はわたくしの本性のことなど全く関係なく、わたくしを求めて慕ってくれる。
何度か抱き上げて寝かせるのを繰り返したら、体力の限界だったのか泣きながらマウリ様はベビーベッドで眠ってしまった。
「ねぇたま、あかたん、かーいーね」
「赤ちゃんではなくて、マウリ様とミルヴァ様ですよ」
「マウリたまと、ミルヴァたま、かーいー」
両親は狼の本性を持っていて、クリスティアンもしっかりとその血を受け継いで狼の本性を持っている。両親は親戚同士での結婚なので、血が濃くなりすぎてわたくしのような出来損ないが生まれたのだと陰で言われていた。
わたくしはわたくしを出来損ないだと思っていないし、両親もわたくしを出来損ないだなんて言ったことは一度もないけれど、わたくしは周囲からどう見られているかはよく分かっている。学べば学ぶほど、この国は獣の本性が強いものを重用する傾向にあることが分かるし、ラント公爵家は代々狼の家系だから、強く愛情深く忠実で王家からの信頼も厚い。
もう一つの公爵家であるヘルレヴィ公爵家は、かつて最強と言われたドラゴンの家系だった。周辺諸国と戦争をして領地を奪い合っていた時代には、ヘルレヴィ家は最強の武力を持っていると誇られていた。
ドラゴンの血を受け継ぐものが少なくなって、その血をどうにか残そうと大型のトカゲや蛇の家系と結婚を繰り返した結果として、ヘルレヴィ家は蛇やトカゲばかり生まれる家系になってしまった。純粋なドラゴンはここ百年以上生まれていないのだから、ドラゴンの血は途絶えたのだと言われていた。
指をしゃぶりながら眠る小さな双子はトカゲである。トカゲが生まれる可能性は十分あったのに、実際に生まれた子どもがトカゲだということで父親のオスモ殿は双子を冷遇した。
その当時はまだ10歳なので分からなかったが、ヘルレヴィ家のオスモ殿と妻のスティーナ様との結婚には様々な理由があって、オスモ殿がスティーナ様と愛し合っていなかったことをわたくしが知るのは、もう少し後のことになる。
双子はお腹いっぱいになって、清潔な服で眠ってしまったので、ようやくわたくしの時間がやってくる。お昼寝を拒否するクリスティアンはわたくしとリーッタ先生の授業に加わりたいのだ。
歴史の授業を受けるわたくしの隣りに椅子を持って来て、座って一緒になって聞いている。
「アイラが勉強熱心だから、クリスティアンも勉強してくれてとても嬉しいです」
「クリスティアンは小さいのに頭がいいとよく言われているよ」
わたくしの可愛い弟が褒められるのは、わたくしにとっても嬉しい。ブルネットの髪に水色の目のわたくしたちはよく似ていると言われる。クリスティアンが少し癖毛で、わたくしがストレートの髪であるところがちょっとだけ違う。
顔立ちはよく似ている弟がわたくしは可愛くて堪らない。
「クリスティアン、明後日はリーッタ先生が博物館に連れて行ってくれるんですよ」
「はくぶちゅかん、なぁに?」
「歴史的に重要なものが実際に見られる場所です」
「くりす、いちたい」
「クリスティアンも行っていいか聞きましょうね」
この国では平民の子どもたちは6歳から幼年学校に行く。貴族の子どもも行くことが多いようなのだが、わたくしは公爵家の娘で、獣の本性も持っていないということで家庭教師のリーッタ先生に勉強を習っていた。12歳になれば高等学校に入学するが、そのときまでにたくさんのことを学ばせるためにリーッタ先生は課外授業として博物館や美術館にもわたくしを連れて行ってくれていた。
いつものようにクリスティアンに聞いてから、わたくしはマウリ様とミルヴァ様のことを思い出す。まだラント領のお屋敷に来てから日が浅い二人は、乳母にも警戒心を抱いているようだった。
細い腕に残る赤い痣を思い出して、それも仕方のないことだと思う。
幼児としてできなくて当然のことで折檻されていたなら、大人全体に対して不信感も抱くだろう。
わたくしはなぜか懐かれているようなので、わたくしが課外授業でいなくなってしまったら、二人はわたくしを探さないだろうか。
「リーッタ先生、課外授業は延期にしますか?」
「どうしてですか、あんなに楽しみにしていたのに。クリスティアン様はお連れして構いませんよ?」
「マウリ様とミルヴァ様が心配なんです」
正直にリーッタ先生に言えば、リーッタ先生も難しい顔になる。
「お二人が乳母のサイラさんに懐いてくれればいいのですがね」
「明後日では、まだ時間が短すぎるでしょう」
「そうですね……」
話していると聞いていたクリスティアンが唇を尖らせているのが分かった。
「くりす、はくぶちゅかん、いちたい!」
「クリスティアンも行きたいですよね……でも、二人が」
「ねぇたま、いちたい!」
3歳のクリスティアンも言い出したら聞かないところがある。
どうすればいいものか。
10歳のわたくしにはまだ処理しきれない難問だった。
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