5.ハンネス様の決意とマウリ様の成長
高等学校の帰りの時間、正門には馬車が何台も停まっていた。高等学校に通う貴族の子息や令嬢のためのものだろう。見慣れた馬車とヘルレヴィ家の御者を見つけて、わたくしは馬車に乗った。
貴族の中でも公爵家と辺境伯家は特に地位が高い。他の貴族よりも門に近い位置に馬車が停められていたのもヘルレヴィ家の馬車だったからに違いない。
「ハンネス様を迎えに行きますがよろしいですか?」
「今日は履修届を出すだけだったので、幼年学校と時間が変わらなかったのですね」
帰りにハンネス様を迎えに行くことを御者に了承すると、馬車は幼年学校に向かって動き出した。幼年学校までの道は舗装された石畳だが、がたがたと馬車が揺れるのは仕方がない。幼年学校の前ではハンネス様が馬車を待っていた。
「アイラ様、今日は早かったのですね」
「まだ初日ですし、履修届を出して、先生にご挨拶をするだけでした」
馬車に乗り込んでくるハンネス様は高等学校に興味津々のようだった。
「高等学校はどのようなことをするのですか? 魔法学はどのような授業になりそうですか?」
「ハンネス様ったら、気が早いですよ。まだ初日でわたくしは授業を受けていないのです」
「あ、そうでした。すみません」
妾の子どもの身分だったら行けなかったであろう高等学校に、マウリ様の兄として迎えられているハンネス様は当然スティーナ様は行かせてあげることだろう。今9歳のハンネス様にとっては、三年後に行く高等学校という場所を楽しみにしている。
「私は本来ならば高等学校に行ける身分ではありません。スティーナ様は私に高等学校まで行くように言ってくださいます。本当は学びたかったので、それがすごく嬉しいのです」
勉強できることが嬉しいと言うハンネス様は、ヨハンナ様の元で養育されていたら幼年学校を卒業した年から働きに出なければいけなかった。ヨハンナ様は平民というわけではないが、裕福な平民よりも余程貧しく、借金を抱えた下級貴族だった。
「母は借金のかたに父に身売りをするように妾にされました。父は教育のことなど考えていなかったので、私を後継者にすることを思い付かなければ、幼年学校も行けていたか分かりません」
「幼年学校もですか?」
義務教育だから幼年学校は誰でも行く。特に貴族の子息ならば貧しくとも幼年学校には行かせるだろうというわたくしの思い込みを否定されて、わたくしは動揺していた。
「そういう家庭もあるのです……。だからこそ、私は学べる機会をくださったスティーナ様に感謝しています。将来はマウリ様を支えられるようにしっかりと勉強しようと思っています」
立派なハンネス様の志にわたくしは感動してしまった。
ヘルレヴィ家に帰ると、子ども部屋の方が騒がしい。ハンネス様は自分の部屋に戻って着替えているので、わたくしが制服のままで行ってみると、ヨハンナ様が途方に暮れていた。
「マウリ様、出て来てくださいませ。お昼ご飯ですよ」
「アイラさま、かえってきた?」
「帰ってきましたよ」
子ども部屋の衝立の向こうの子ども用のベッドの下に隠れているマウリ様に声をかけると、のそのそとベッドの下から出てくる。ドラゴンの姿で出てきたマウリ様を手の平の上に乗せると、頭と手足と尾がはみ出るのだが、ヨハンナ様はほっと息を吐いた。
「アイラ様が高等学校に行ってから、ずっとベッドの下に隠れていて、出て来なかったのです」
脱走はしないと約束したマウリ様は、今度はベッドの下に引きこもることを覚えてしまった。今日は食事をせずにわたくしが帰って来たからいいのだが、わたくしが高等学校で昼食を食べて帰ってくるようになると、マウリ様はどうなってしまうのだろう。
「マウリ様、脱走はいけませんが、ベッドの下に隠れるのもやめてください」
「わたし、さみしかったの」
「寂しくても、わたくしは高等学校が終わったら必ず帰って来ますからね」
言い聞かせているとマウリ様が人間の姿に戻る。床に着地して、両腕を広げて待っているマウリ様を、わたくしはしっかりと抱き締めた。
「ただいま帰りました」
「おかえりなさい」
行ってらっしゃいのハグと、ただいまのハグがなければマウリ様は納得しないようだった。
部屋でシャツとセーターと厚手のスカートに着替えて、ルームシューズを履いてマウリ様とスティーナ様と食卓に着く。ハンネス様は幼年学校で早めの給食を食べて来ていたので、今日は一緒ではなかった。
「高等学校はどうでしたか?」
「友人ができました。スティーナ様、友人に妹と弟がいるようなのです。その方たちをお屋敷にお招きしてもよろしいですか?」
マウリ様にも友人ができるかもしれないというわたくしの申し出に、スティーナ様は乗り気だった。
「それはいいですね。どこの家の子どもですか?」
「ニーナ・ネヴァライネン様と、もう一人は平民なのですが、マルコ・ハーパラ様です」
名前を告げると、スティーナ様は記憶を探っているようだった。
「ネヴァライネン……伯爵家の子どもですね。確か、弟が生まれていた覚えがあります」
「そうなのです。6歳になって幼年学校に通っていると伺っています」
6歳のニーナ様の弟さんと4歳のマウリ様。二人が遊べるのならば、きっと楽しいだろう。スティーナ様があまり記憶に残っていないのは、マウリ様とミルヴァ様が生まれて四年間、床に臥していてようやくこの夏に復帰したからだろう。
「構いませんよ。今度の休みにでも来ていただいたらどうでしょう?」
わたくしとスティーナ様で話を進めていたが、「休み」という単語を聞いたマウリ様が反応した。
「おやすみ! わたし、みーとクリスさまにあいたい!」
長期休みにはラント領に行くと約束していたが、マウリ様には週末の二日間の休みと、冬の長期休みの違いが分かっていない。
ミルヴァ様とクリスティアンに会いたいというマウリ様の気持ちはわたくしは尊重してあげたかった。
「まだお休みはありますし、次の週末にはラント領に行ってもよろしいですか?」
マルコ様と妹さんとニーナ様と弟さんに来てもらうのは別の日でも構わない。ミルヴァ様と別れたばかりのマウリ様がミルヴァ様を求めているのならば会わせて差し上げたかった。
「アイラ様の制服姿をご両親にお見せしなければいけませんね。ラント領から来ていただけるようにお手紙を書きますか?」
高等学校のあるわたくしがラント領に行くよりも、リーッタ先生に勉強を習っているクリスティアンがラント領からヘルレヴィ領に来る方が負担が少ない。両親も一緒に来てもらえば、わたくしの制服姿が見せられるとスティーナ様は考えてくださったようだった。
わたくしに魔力があったことを両親にも伝えてはいるけれども、実際に顔を見て報告はしていないので、わたくしも両親に一度会っておきたい気持ちはあった。高等学校に入学したとはいえ、わたくしもまだ12歳、両親を恋しいと思う気持ちがないとは言い切れない。
「両親とクリスティアンとミルヴァ様とリーッタ先生が来てくださるのなら、とても嬉しいです」
「アイラさまのちちうえ、ははうえ、みー、クリスさま、りーったてんてー、くるの?」
「スティーナ様がそうなるようにお願いしてくれるそうです」
「おかあさま、ありがとう!」
元気いっぱいにマウリ様にお礼を言われて、スティーナ様は目を細めていた。
食後にスティーナ様が眠ってドラゴンの姿になったマウリ様を手の平の上に乗せて、わたくしに見せてくださる。丸いお腹を見せて寝ているマウリ様をひっくり返すと、頭から背中にかけてもふもふの毛が生えていた。
「マウリに鬣が生えてきたようなのです」
「マウリ様に鬣が!?」
トカゲには毛は生えない。翼も生えていない。
ドラゴンだからこそ、翼と鬣が生えているマウリ様。生まれたときにはトカゲだと思われていたのが、少しずつドラゴンらしくなってきている。
「そのうちに角も生えてくるのでしょうね。マウリは身体も一回り大きくなったと思いませんか?」
「確かに、少し大きくなりましたよね」
眠っているマウリ様をひっくり返し、突いて観察していると、マウリ様がスティーナ様の手の平の上で呻く。
「うー……」
このままではぐっすり眠れないとわたくしとスティーナ様は反省してマウリ様を子ども部屋の子ども用のベッドに移した。布団をかけると完全に布団に埋もれてしまうまだ小さなドラゴンの姿のマウリ様も、10歳になる頃にはもっと大きくなっているだろうし、成人する頃にはお屋敷には入らないほどの巨大なドラゴンに育っていることだろう。
手の平に乗せて可愛がれるのももう少しだけかもしれない。
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