3.初登校
夏に植えた薬草はよく茂っていた。収穫を終えた薬草の中で、種を取る株は残してそれ以外を処理した畑は、寂しく土だけになっている。収穫した薬草で栄養剤も作り終えていたので、後は種を取るだけだった。
ヘルレヴィ領の秋は短く冬に差し掛かって外の風が冷たい。マフラーを巻いた首筋が暖かかったが、マウリ様はマフラーを上手に巻けずに解けそうになっていた。
「マウリ様、種を取る前にマフラーを結ばせてください」
膝をついてマウリ様のマフラーを結ぶ。ちょっと不格好になってしまったが、これで解けて踏んでしまうことはないだろう。マフラーとセーターでもこもこになっているマウリ様はほっぺたを真っ赤にしていた。鼻の頭も赤くなっているので、きっと寒いのだろう。
「種を取って行きましょうね」
「やくそう、かれてきたね」
「もう冬になりますからね」
まだ雪が降る季節にはなっていないが、風は冷たく、むき出しの耳がちぎれそうに痛かった。手袋を着けていると細かい作業ができないので素手で種を取るのだが、冷たさに指が震えて種が落ちそうになってしまう。
落ちた種もマウリ様は大事に一粒残さず拾っていた。
ラント領ではまだ種を取る時期ではないのだが、ヘルレヴィ領ではこれ以上は種を取る時期を遅くはできなかった。
高等学校に行く前に一仕事して、部屋に戻って種を小袋に分け終わると、温かいミルクティーを飲む。初めてヘルレヴィ領に来たときに、ミルクティーのミルクが温められていて、触ってしまったミルヴァ様に軽い火傷をさせてしまったが、ミルクを温める理由が分かる寒さだった。
熱々のミルクティーは飲むとほっと体の中から温まっていく気がする。マウリ様には少し冷ましたホットミルクが与えられていた。
朝食前にミルクティーとホットミルクで身体を温めて、着替えて朝食の席に着く。マウリ様は自分で食べるのが上手になっていたが、最後はヨハンナ様に集めてもらって、スプーンに乗せてもらって、食べ終わっていた。
わたくしの手を離れてマウリ様が自分で食べられるようになっているのが、嬉しいが少し寂しい。こうやってマウリ様も成長していくのだろう。
制服の上にコートを着て、馬車に乗り込むとハンネス様も乗り込んでくる。じっと庭から見送りのマウリ様がヨハンナ様に付き添われてわたくしを見つめているのが分かる。
「勉強が終わったらすぐに帰りますからね。行ってきます、マウリ様」
「いってきますのぎゅーがなかった!」
涙目になってぷるぷると震えているマウリ様のために、一度馬車から降りて、マウリ様を抱き締める。
「いい子で待っていてくださいね」
「はい。まー、いいこでまってる」
絶対に脱走しないことをスティーナ様とわたくしの前で約束させられたマウリ様は、馬車を追いかけてきそうだったが、目の前で門が閉まってしまって、門にへばりついて涙を零していた。
これから毎日今生の別れのようなものをしなければいけないのかと思うと、胸が痛む。幼年学校までは家庭教師でも良かったけれど、高等学校は通わなければいけない。特にわたくしは特殊な授業を受けるために高等学校に行かなければいけない理由があった。
「幼年学校とはどういうところですか?」
「平民も通ってきています。給食も学費も無料なので、一食を浮かすために平民の子どもは積極的に通ってきていますよ」
子どもたちに教育を行き届かせるためにどうすればよいか、国で考えた際に、打ち出された法案が給食と学費を無料にすることだった。給食が無料ならば、ただで一食を食べさせてもらえると平民は子どもを積極的に通わせる。その結果として、子どもたちは教育を受けることができる。
6歳からの六年間は国で義務教育と定めていて、貴族、平民問わずに幼年学校に通わなければいけない。とはいえ、子どもも立派な働き手であるから、貧しい平民の家では幼年学校に行かせたくない。それを打開するのが給食の無料化だった。
今のところその政策は上手くいっているように思われる。
わたくしは公爵家の令嬢なので、家庭教師を付けて勉強することで、幼年学校に通うことは免除してもらっていた。貴族の中にはそんな風にして家庭教師で勉強させる家も少なくはない。元々平民に義務教育を広めようという政策なのだから、家庭教師を雇う余裕のある貴族はそれに当てはまらない例外として扱われていた。
ハンネス様はオスモ殿の妾の子どもということで、当然のように幼年学校に通っている。
「私は歩いて通ってもいい距離なのですが、スティーナ様が貴族の子どもは何があるか分からないからと馬車を出してくださるのです。スティーナ様にはどれだけ感謝してもし足りません」
「マウリ様が領主になれば、ハンネス様はそれを補佐する兄になるのですよ。大事にされて当然です」
例え母親が違っても、ハンネス様はマウリ様の兄に違いなかった。最初は警戒していたマウリ様も「にいさま」と言ってハンネス様を慕っている。慕っているからこそ、わたくしと一緒に馬車に乗せたくないなどという我が儘が気軽に口に出せるのだ。
怖がっていたらマウリ様はハンネス様と口も利かなかっただろう。
「マウリ様はハンネス様を慕っていますよ」
「私はマウリ様を弟と思っていいのでしょうか?」
「ハンネス様、あんなにマウリ様を可愛がっていながら、弟と思っていないのですか?」
ハンネス様の問いかけに逆に問いかけると、ハンネス様は頬を赤くしていた。
「私はそんなに馴れ馴れしかったでしょうか?」
「マウリ様のことが大好きなのでしょう?」
問いかけるとハンネス様は赤い頬のまま「はい」と小さく答えた。
ヘルレヴィ領でマウリ様はこんなにも愛されている。
ハンネス様を幼年学校に送った後で、馬車は高等学校に向かう。高等学校では自分で学ぶ教科を決めなければいけないので、わたくしは緊張していた。
高等学校の入口で馬車から降ろしてもらって、教科を選ぶための書類を受け取りに行く。これから学びたいのは、古代語、歴史、薬草学、農学などたくさんあったが、わたくしには外せない教科が一つあった。
「魔法学……項目にありませんね」
魔法学は履修できる生徒がわたくし以外いないために、項目がなかった。そのことを教務課で告げると、あっさりと返される。
「アイラ・ラント様は魔法学の授業は必須で履修することになっています。メルヴィ・エロラ先生が既に手続きを終えていますよ」
わたくしは魔法学は必須だったようです。
獣の本性がない公爵令嬢という立場から、魔力が極めて高い逸材として高等学校で珍獣を見るような目で見られるようになるなんて、全く予測していなかった。わたくしが魔力が高いことは高等学校中に知れ渡っているようだった。
書類を記入するために空き教室に入って席に座ると、隣りに麦わら色の髪の毛に緑の目、そばかすが印象的な女の子が座ってくる。
「こんにちは……?」
初めましてと挨拶をすると、彼女わたくしに人懐っこく話しかけてきた。
「ヘルレヴィ家は、ドラゴンの当主と魔法使いの妻で、安泰のようですね」
「わたくしはまだヘルレヴィ家の妻ではありません」
「失礼。ヘルレヴィ家には花嫁修業に来ていると聞いたもので」
声をかけて来たのは貴族の令嬢のようだった。上級生だろうか。制服を着崩して、タイも結んでいないし、ジャケットの仕立てのいい明るい色のカーディガンを着ている。
席を変えた方がいいのかもしれないとわたくしは椅子から立ち上がる。するとその女の子も椅子から立ち上がった。
「ニーナ・ネヴァライネンです。ヘルレヴィ家を救った英雄と同じ高等学校に通えて光栄です」
芝居がかった仕草で一礼する麦わら色の髪の毛と緑の瞳のニーナ様は、わたくしと同じ学年のようだった。ニーナ様が何を言いたいのか分からずに立ち尽くしていると、薄茶色の髪と瞳の真面目そうな男の子が声をかけてくる。
「ニーナ様、あなた、アイラ様に失礼なことしてないでしょうね? 僕は、マルコ・ハーパラ。ニーナ様とは幼年学校で一緒だったんです」
背の高いマルコ様はニーナ様の様子に呆れているようだ。こちらはきっちりと制服を着ているが、中に着ているカーディガンがちょっとくたびれている気もする。
「誤解しないで上げてください、ニーナ様はちょっと軽いけど、いい奴なんです。平民の僕とも仲良くしてくれていたし」
ニーナ様の方は貴族で、マルコ様の方は平民ということは、マルコ様は成績優秀者で奨学金を貰って高等学校に来ている可能性が高い。
「ニーナ様、友人になってくださいませんか?」
「あたしでよければ」
「どの教科を履修されますか?」
女の子の友人は欲しかったので喜んで飛び付くと、マルコ様が苦笑している。
「ニーナ様に教科のことを聞くんですか? 幼年学校の六年間、僕が教えていたのに」
「それは……マルコが勉強ができるからでしょう! 友達なんだからいいじゃない!」
長身で制服を着崩していたので上級生と思ってしまったニーナ様は、マルコ様に頭が上がらない様子だ。
「これから六年間、一緒に勉強する仲間が必要でしょう?」
「そうですね」
「マルコと一緒にあたしに勉強を教えてください」
明るく言うニーナ様は、どうやら成績がいい方ではないようだ。
これからの六年間、一緒に過ごす友人ができそうだった。
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