2.高等学校入学とマウリ様のやきもち
「ヘルレヴィ領の冬はラント領とは比べ物になりませんよ。防寒具を買いに行きましょう」
高等学校に入学する前に、冬の支度をしておかなければいけないと、スティーナ様は街にわたくしとマウリ様を連れ出した。ヘルレヴィ家でご用達の店があるようだった。
馬車に乗り込むとマウリ様が当然のようにわたくしの膝の上に乗って来る。自分の膝に乗ってくれなかったスティーナ様は寂しそうだった。
「高等学校が始めると、冬休みまで買い物に行けないかもしれませんからね」
到着したお店で毛糸の手袋やマフラーを見る。毛皮もあったが、店に置いてあるほとんどのものが毛糸のようだった。
「辺境域では牧羊が盛んです。その羊の毛を仕入れて、ヘルレヴィ領で毛糸に加工しているのですよ」
羊だけでなく、山岳地帯に住む山羊からも取れる羽毛で柔らかく手触りのいいカシミアも生産しているのだという。
果樹栽培が主な収入源だと思っていたヘルレヴィ領には、羊毛や山羊の毛の加工産業も起こされていた。
新しい学びをしつつ、手触りのいい暖かな手袋とマフラーを選ぶ。スティーナ様はマウリ様に可愛い小さな手袋とマフラーを選んでいた。
わたくしのものは綺麗な薄水色で、マウリ様のものは鮮やかな緑色に決まった。
「セーターやカーディガンも買っておきましょうね。冬場は暖房をつけていても部屋の中は寒いのですよ」
冬の寒さはマウリ様とミルヴァ様を迎えに来た二年前に隙間風の入る離れで味わっていたが、本格的な年明けにはもっと寒くなると聞いて恐ろしくなってしまう。温暖なラント領で過ごしてきたわたくしが耐えられるのだろうか。
「さむかったら、おふとんのなかにはいるの。ミルヴァといっしょに」
2歳の頃の記憶が蘇ったのであろうマウリ様が無邪気に言っているが、その内容は涙を誘わせるものだった。寒いからお布団の中に入り込んでいたトカゲのようだったマウリ様とミルヴァ様。人間の姿になることを恐れて、二人で絡まってベビーベッドに入り込んでいたのが、もう遠い過去のように思い出される。
「お布団に入らなくても、セーターやカーディガンがありますよ」
厚手のセーターやカーディガンをスティーナ様はマウリ様のために選んで買っていた。わたくしもクリーム色のセーターと青いカーディガンを選んで買ってもらう。
これでこの冬も暖かく過ごせそうだった。
入学式の当日には、スティーナ様とマウリ様も高等学校に来てくださった。
ラント領から入学するのはわたくしだけで、ヘルレヴィ領のひとたちは色素が薄く肌は白く、目も髪も薄い色をしているのにわたくしは気付いた。ラント領では小麦色の肌のひとたちや、褐色の肌のひとたちもいた。その中でわたくしは肌の色が薄い方ではあったけれど、濃いブルネットの髪が目立ってしまう。
三つ編みにして垂らしているブルネットの髪は、ヘルレヴィ領ではあまり見ないもののようだった。
「アイラ・ラント様」
「はい!」
入学式で名前を呼ばれて返事をすると、わたくしに視線が集まる。
「あれがスティーナ様を救ったアイラ様」
「スティーナ様の息子のマウリ様の婚約者」
「魔力があるらしいよ」
そうなのだ、わたくしはここ百年程なかったくらいに魔力のある存在のようだった。入学式が終わるとスティーナ様とマウリ様と一緒に別の部屋に呼び出された。
「私はメルヴィ・エロラ。君の魔法学の教師になる。確かにこれは逸材だね。こんなに魔力の高い子どもを、ここ二百年は見ていない気がするよ」
明るく挨拶をしてくれるさらさらの白銀の髪の女性は、耳が尖っていて、ほっそりとして背が高く、妖精種だとすぐに分かった。握手をしただけでわたくしの魔力がどれほどのものか分かったようだ。
「魔力自体は私より高いかもしれないが、操作力が全く育っていないね」
「操作力ですか?」
「魔力は水を溜める容器の大きさだと考えるといい。操作力はその容器から水を汲みだす能力だ。魔力がどれだけ大きくても、それを操作する能力がなければ全く意味がない」
説明されてもすぐには理解できない。
わたくしの魔力は零れだしそうなプールのように並々と力を湛えているのに、それを汲み出すものがバケツどころかコップすらないとエロラ先生は言っているのだ。
妖精種は人間よりもずっと長い寿命を持つために、エロラ先生は何百年もの年月を生きているのだろう。その年月で出会ったひとたちの中でも、わたくしの能力は極めて高いと言われる。
「魔法学を全く学んでこなかったようだね。これは、鍛え甲斐がありそうだ」
面白いおもちゃを見つけた猫のような表情で微笑むエロラ先生は、二十代前半くらいにしか見えなかった。これから六年間、わたくしはエロラ先生について勉強するのだ。
「アイラ・ラントです。よろしくお願いいたします」
「こちらこそ。アイラちゃんでいいかな?」
ちゃん!?
そんな風に呼ばれたことがなかったのでわたくしが驚いていると、エロラ先生は悪戯っぽく微笑む。三揃いのスーツを身に纏った中性的な雰囲気の先生だが、女性だろうということは声の調子や骨格から分かっていた。
公爵家の令嬢であるわたくしを「ちゃん」付けできるのは、エロラ先生が妖精種であるからに違いなかった。妖精種は希少種としてこの国では王族と並ぶくらいに大事にされている。魔法を使える存在というのはそれだけ珍重されるものなのだ。
「お好きに呼んでくださいませ。わたくしは、エロラ先生と呼ばせていただきます」
「硬いなぁ。もっと面白い子だと思っていたのに」
どんな子をエロラ先生は期待していたのだろう。
「ヘルレヴィ領でオスモを恐れずに10歳にして後継者の二人を領地に連れ帰ったと思ったら、トカゲではなくドラゴンだということを見抜き、スティーナ様の体調を治すべくマンドラゴラを育てたなんて、君はヘルレヴィ領の英雄になっているんだよ」
「わたくしが英雄!?」
驚きで大きな声が出てしまった。
わたくしはマウリ様とミルヴァ様が元の領地に帰れるように最善を尽くしただけだし、マンドラゴラを育てようと言い出したのもクリスティアンで、マンドラゴラが品種改良されたものだったのに薬効が高く育ったのもマウリ様の能力があってのことだ。それを全てわたくしの功績のように言われてしまうと、ちょっと違うと言いたくなる。
「わたくしだけの力でできたことではありません。弟のクリスティアン、家庭教師のリーッタ先生、ドラゴンのマウリ様とミルヴァ様、そして、何より理解のある両親がいたおかげです」
答えるとエロラ先生は苦笑する。
「それを12歳で言えるってことが、まずすごいよね。自分の功績にしてしまわない。君が期待に沿う子だってことは分かった。これからが楽しみだ」
面白くないと言われたり、面白いと言われたり目まぐるしかったけれど、わたくしの入学式は終わった。これからは毎日馬車に乗って高等学校に通わなければいけない。
「ハンネス様は幼年学校に通っていますし、マウリもそのうちに通うようになるでしょう。馬車はハンネス様と同じものでよろしいですか?」
「もちろん構いません」
ハンネス様を幼年学校に送ってから、同じ馬車で高等学校まで行くのがわたくしは構わなかったが、ぴしりとマウリ様の眉間に皺が入った。
「にいさま、アイラさまといっしょ、いやー! アイラさまは、わたしのー!」
「マウリ、何を言い出すのですか?」
「にいさまとアイラさまがけっこんしちゃうー! アイラさまはわたしとけっこんするんだからー!」
わたくしと年の近いハンネス様に関して、マウリ様はやきもちを焼いてしまう傾向にあるようだった。子ども部屋に帰るとひっくり返って泣いて我が儘を言うマウリ様に、ハンネス様が苦笑している。
「私はアイラ様と結婚するようなことはありませんよ」
「ほんと?」
「私はそのような地位にありません。アイラ様に相応しいのはマウリ様です」
ハンネス様に言われて、マウリ様の機嫌が直って来る。
「アイラさまは、わたしのもの!」
誇らしげな顔で宣言するマウリ様に、スティーナ様が沈痛な面持ちで額に手をやっていた。
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