2.外れくじはどっち?
連れて来られた離れの部屋は隙間風が入る古い建物だった。ストーブが部屋の真ん中に置かれているが、けば立った絨毯のへこんだ様子から見ても普段から置かれているのではなく、わたくしたちが来るので大急ぎで置いたのがよく分かる。炎を上げるストーブを囲いもなく幼い子どものいる部屋に置いている時点でおかしいと思われると考えなかったのか。
呆れながらわたくしの婚約者を探すと、ベビーベッドの布団に僅かな膨らみがあった。
「マウリ様とミルヴァ様ですか?」
マウリ様がわたくしの婚約者で、ミルヴァ様がその双子の妹。教えられていたのでお名前を呼んで布団をそっと捲ると、赤と緑の小さなトカゲが二匹、しっかりと布団の上で絡み合っていた。お互いしか頼れるものがいないのだろう、震えながら絡み合っているトカゲにわたくしは手を差し伸べる。
「抱っこさせていただけますか、マウリ様」
「まー?」
緑色の方のトカゲがくりくりと丸い目を動かして小さく呟く。どうやらこちらがマウリ様のようだ。
手の平の上に乗せて抱き寄せると、もう一匹の赤い色のトカゲが泣き出す。
「ふぇ……まー!」
「みー!」
お互いに呼び合っているのは、それだけ兄妹の絆が強いからだろう。赤い色のトカゲも手の平に乗せると、二人が同時に人間の姿になった。あどけない顔立ちのまだ2歳の二人。ふわふわの蜂蜜色の髪と目をしている。
一度に2歳児を二人も抱っこできるだけの腕力のないわたくしが落としそうになるのを、素早く母上がミルヴァ様を抱き留めてくれた。二人とも下半身がぐっしょりと濡れている。急いでストーブで温めたのかもしれないが、隙間風の入るこの部屋は寒くて、濡れたオムツではどれだけ寒かったことだろう。オムツが濡れてしまっても替えてもらえなくて、寒くて二人はトカゲの本性になっていたのかもしれない。
「マウリ様とミルヴァ様のお着換えをして差し上げて」
乳母に渡そうとするとマウリ様とミルヴァ様が大声を上げて泣き出す。
「ぱちん、やー!」
「いちゃいー!」
泣いている二人に驚いて乳母を見ても、目をそらされてしまう。弟のクリスティアンのオムツを替える手伝いはしたことがあったので、わたくしが着替えを貰って服を脱がせてオムツを替えていると、マウリ様は小さなお手手で自分の腕を摩っていた。そこには赤い痣がある。
「この痣は……?」
「転んだのではないですかね。子どもはよく転ぶものですから」
乳母の言葉が嘘だというのは、目に一杯涙を溜めて「ぱちん」と呟いているマウリ様の様子からも分かった。オムツが汚れて替えてもらうときに、マウリ様とミルヴァ様は乳母に折檻を受けていたのだろう。
2歳の幼児がオムツが汚れるなど普通のことなのに、そのことに罰を与えるなんて許されない。
「母上、父上、このままお二人をここに置いてはおけません」
この様子では食事もちゃんと摂らせてもらっているか分からない。ふくふくと丸くておかしくない時期なのに、マウリ様もミルヴァ様も手足が細くお腹だけが妙に目立っていた。明らかな栄養失調だと見て取れる。
「アイラ、しばらくマウリ様とミルヴァ様とここにいなさい。私たちはオスモ殿と話をしてくる」
信頼できる父上の言葉に頷いて、わたくしは子ども部屋の椅子にマウリ様とミルヴァ様を座らせた。ラント領の娘であるわたくしのためにお茶菓子とミルクティーが運ばれて来るが、マウリ様とミルヴァ様の分はない。
じっと蜂蜜色の瞳で焼き菓子とミルクティーを見て涎を垂らしているマウリ様と、親指を舐めているミルヴァ様。二人ともお腹が空いていることを口に出せないのだろうか。
「この焼き菓子はマウリ様とミルヴァ様も食べられると思います。わたくしの弟も大好きな焼き菓子ですよ」
フィナンシェを割って半分ずつマウリ様とミルヴァ様に握らせると、じっとわたくしとフィナンシェを見つめた後に、一気に全部口に入れてしまう。
「おいちっ!」
「おいちーねー」
焼き菓子の美味しさに感動の声を上げながら、栗鼠のようにほっぺたを膨らませてもしゅもしゅと食べる二人。喉が乾いていないかとミルクティーを差し出したが、わたくしもまだ10歳で判断が甘かった。
ラント領は暖かい土地なので紅茶に入れるミルクは特に温めたりしない。ヘルレヴィ領は寒い土地なので、紅茶が冷めないようにミルクを温めて熱々の状態にしておくのだ。そのことを知らないわたくしが差し出したミルクティーを飲もうとしたミルヴァ様が、カップに手を突っ込んでしまって悲鳴を上げた。
「ぎゃーーーー! あっちぃ!」
「ミルヴァ様!? 大丈夫ですか?」
熱さに泣いているミルヴァ様の手は真っ赤になっていて、わたくしは慌てて離れの洗面所に入って冷水でミルヴァ様の小さなお手手を冷やした。水は氷るように冷たく指先がじんじんと痺れてくる。
すぐに冷やしたのでミルヴァ様の手は少し赤くなっただけで酷い火傷にはならなかった。
「ごめんなさい、わたくしが気を付けていれば……」
「みー、へーち」
「ミルヴァ様……」
大丈夫だと言ってミルヴァ様は、心配で椅子から降りて来てミルヴァ様を抱っこするわたくしの脚元で泣いているマウリ様の方に降りて行った。ミルヴァ様に抱き締められて、マウリ様もひっくひっくとしゃくり上げながらどうにか涙を止める。
この二人を引き離すことはできない。
例えマウリ様がわたくしの婚約者としてラント領に来ることが許されたとしても、残されたミルヴァ様は今よりも酷い環境になってしまうかもしれない。こんな寒い部屋でたった一人で過ごさせるのも可哀想だ。
このことを両親に伝えなければと二人の手を引いて母屋に戻ろうとしたところで、両親が戻って来た。母上がマウリ様を、父上がミルヴァ様を抱っこする。
「どうなりましたか?」
「双子を引き離すことはできないとお話しした」
「マウリ様とミルヴァ様はラント領で養育されることになりました」
妾腹の子どもを後継者として立てるためには、マウリ様とミルヴァ様の存在はヘルレヴィ家を乗っ取ろうとしている入り婿のオスモ殿にとっては邪魔でしかない。二人とも引き取るというラント領からの申し出は、渡りに船だったのだろう。
フィナンシェを分けたせいかすっかりとわたくしに懐いているマウリ様とミルヴァ様のふわふわの蜂蜜色の髪を撫でる。
「この領地はマウリ様とミルヴァ様のものです。いつか必ず取り返しましょう」
その日まではオスモ殿とその子どもにこの領地は預けておくとして、わたくしはラント領に帰ったらマウリ様とミルヴァ様をお育てして、自分も知識を深めていく必要があった。今すぐにはマウリ様もミルヴァ様もお小さくて領地を取り戻すことはできないけれど、ヘルレヴィ領の正当な後継者はマウリ様とミルヴァ様なのだ。
健康に二人が育った暁には、どうにかしてヘルレヴィ領を取り戻したい。
それがわたくしの目標になる。
ラント領のお屋敷まで列車と馬車で戻ると、弟のクリスティアンがわたくしたちの帰りを待っていた。
「ねぇたま、あかたん、ふたり」
「こちらはマウリ様、わたくしの婚約者です。こちらがミルヴァ様、マウリ様の双子の妹です」
「おなじおかお」
「双子ですから似ていますね」
ふわふわの髪のマウリ様とミルヴァ様はよく似ている。マウリ様が緑色のロンパースを着ていて、ミルヴァ様が赤いロンパースを着ているが、逆にしてしまえばどちらがどちらか分からなくなるのではないかと思うくらい二人は似ていた。
「まー」
「よろちく」
「みー」
「クリスティアンだよ」
3歳のクリスティアンと2歳のマウリ様とミルヴァ様は仲良くなれそうだった。
8歳も年下の婚約者だなんて、10歳のわたくしにはすごく年が離れているように思える。
「外れくじを引いたのは、マウリ様の方かもしれません……」
今はまだマウリ様はわたくしの獣の本性がないことについて気にしていないが、大きくなって物事が分かるようになってきたら、わたくしのような相手が婚約者であることを嫌がるようになるかもしれない。
そのときが来たらちゃんとお別れもできるように心の準備をしておかなければいけない。
「だぁれ?」
「わたくしは、アイラです。マウリ様」
「あー?」
「そうですよ、アイラです」
マウリ様に名乗るとにぱっと微笑んで抱っこを求めてくる。抱き上げたのは良いけれど、嫌な予感がしていた。
「マウリ様、くさい……?」
「まー、くたい!?」
「ミルヴァ様も……」
あんな状況だから碌にお風呂に入れてもらえなかったのかもしれない。汗と排泄物の匂いがするマウリ様とミルヴァ様のために急遽、お風呂が用意された。
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