1.出来損ないの娘とトカゲの双子
獣国ハリカリは大陸の大部分を占める大国で、そこには二つの公爵家がある。
二つの公爵家の治める領地と、辺境伯の治める領地と、王都。この四つにこの国は分かれている。
わたくし、アイラ・ラントは二つある公爵家の内、温暖な南に領地を持つラント家の長女として生まれて来た。この国の人間は皆、人間の姿の他に獣の本性を持っているのだが、わたくしは生まれたときにそれがないことを告げられた。
獣国と呼ばれるハリカリに於いて、獣の本性がないことはわたくしが出来損ないとして生まれて来たことを意味する。
聡明だったわたくしの両親は獣の本性のない娘に驚き落胆はしたものの、決してそのことでわたくしを責めたり、冷遇したりしなかった。
「アイラ、ひとは生まれて来たことにみんな意味があると思っています」
「お前がその姿で生まれて来たのも、きっと意味があること。獣の本性がないことを他人は嘲るかもしれないけれど、それを知性で見返してやりなさい」
知性があれば獣の本性がなくても生きていける。領地も統治できると、両親は幼い頃からわたくしに家庭教師を付けて勉強させてくれた。乳母のサイラさんと家庭教師のリーッタ先生に大事に育てられたわたくしが、7歳になったときに弟が生まれた。弟は両親と同じ狼の本性を持っていて、ベビーベッドの中で狼の姿になることがあったので、両親は後継者となる弟が生まれたことに安堵していたのは確かだった。
「クリスティアンは生まれたけれど、お前は将来クリスティアンの補佐としてこのラント領を守っていくんだよ」
「アイラもこの領地にはなくてはならない存在ですからね」
両親はそう言ってくれているけれども、周囲がそれを認めてくれるかは分からない。わたくしは勉強して認められなければいけなかった。
妙な噂が入って来たのはわたくしが8歳になった頃だった。
もう一つの公爵家であるヘルレヴィ家に妙なことが起きているらしい。
わたくしが幼いと馬鹿にせずに両親はヘルレヴィ家で起きていることを話してくれた。
「ヘルレヴィ家の夫は入り婿なんだが、奥方との結婚をよく思っていなくて、妾の家に入り浸っていたようなのだよ」
8歳の子どもに伝えるには刺激の強い内容だが、わたくしが真剣に聞いているので、父上も真剣に話してくれる。
「奥方にやっと子どもができて生まれたと思ったら、双子で奥方が産後に体調を崩して床に臥せるようになってしまって」
「夫は何を考えたのか、奥方様の体調が悪いのを良いことに妾と子どもたちをお屋敷に連れて来て、生まれて来た双子を冷遇しているとかいう話です」
説明してくれる母上の表情が曇っているのはどうしてだろう。
「母上、その子たちに何か?」
「その子たちは、トカゲだったみたいなのです」
貴族社会では大型で強い獣の本性を持つ者ほど重用される。それはかつてこの国が戦乱の中にあった頃、獣の本性を出して戦った英雄たちがいたからだとわたくしは歴史の授業で習っていた。今は大陸のほとんどが獣国ハリカリのものになっているが、それでも辺境域から攻めてくるものがいないとも限らない。
力の弱いトカゲとして生まれてしまった双子に、ヘルレヴィ家の入り婿の夫は家督を譲りたくない。ヘルレヴィ領はラント領と違って冷たく凍える大地だと聞いているので、寒い部屋で放置されるだけでトカゲの本性を持つ双子は命を落としてしまうかもしれない。
「父上、母上、その子たちを助けることはできませんか?」
わたくしは獣の本性を持たずに公爵家に生まれたけれど、両親が理解があってわたくしの知識を伸ばして獣の本性がなくても立派に生きて行けるようにしてくれようとしているが、ヘルレヴィ家の双子はトカゲとして生まれて来ただけで疎まれて幼い命を奪われそうになっている。
許せないとわたくしが感じるのも、両親と家庭教師と乳母がわたくしに愛情をたっぷりと注いでくれたからに違いなかった。
「片方は男の子と聞いていますが……」
「ヘルレヴィ家となら釣り合いは取れるが……アイラはそれでもいいのだろうか?」
悩んでいる両親に何のことか分からないが、わたくしにできることでその双子を助けることがあるのならば何でもするつもりだった。
「アイラ、これは一生を決める大事な話だ。すぐには決めなくていい」
「あなたがヘルレヴィ家の双子の男の子の方と婚約すれば、それを口実に二人を引き取れるかもしれません」
「アイラの生涯の伴侶がトカゲということになるが、そのことについてお前はどう思う?」
まだ8歳のわたくしの意見を尊重してくれる両親に感謝して、わたくしは正直に答えた。
「わたくし自身、獣の本性がありません。将来結婚を望まれることもないでしょう。あるとしても、公爵家の身分を狙うものだけ。それくらいならば、わたくしはトカゲの双子の命を助けることを願います」
わたくしの婚約者となることでトカゲの本性を持つ双子が救われるのならば、偽りの婚約でも、将来その子が大きくなってわたくしのような獣の本性を持たないものと結婚したくないと婚約を破棄されても、それは全く構わなかった。
「分かった。ヘルレヴィ公爵家に話をしてみよう」
「双子も生まれたばかりということで、早すぎるかもしれませんが」
両親が交渉してくれた限りではヘルレヴィ家の夫は婚約を喜んでいるようだった。トカゲの本性を持つ双子がまだ生まれたばかりの赤ん坊で、わたくし自身も8歳ということもあって、正式な婚約はもう少し後になりそうだったが、双子の命が奪われるようなことはなくなる。ヘルレヴィ家にとって、わたくしがラント家の獣の本性を持たない価値のない娘だとしても、両親に愛されていて、将来はラント家の当主となる弟のクリスティアンの補佐になることは決まっていたので、ラント家とヘルレヴィ家を繋ぐ役目として、双子はいなくてはならない存在になっていた。
命を奪われるようなことはなくなったのだろうが、流れてくる噂ではヘルレヴィ家の夫は自分の妾とその子どもを屋敷に住ませて、双子は粗末な離れに追いやってしまっていると聞いて居ても立ってもいられなくなる。
「父上、母上、わたくしの婚約者をラント領に連れて来ることはできないでしょうか?」
正確には婚約者とその妹を、だ。双子なのだし、一人が連れて行かれたらもう一人は用なしと判断されるかもしれないから、保護するのは必ず二人一組でなければいけない。何度も両親にお願いして、ヘルレヴィ家に話が通ったのが、わたくしが10歳の年だった。
冬場でも雪は降るが積もらないラント領と違って、ヘルレヴィ領は雪深く積もる寒い土地だった。毛皮のコートを着たわたくしが両親に連れられてヘルレヴィ家に行くと、使用人たちがわたくしを物珍しそうに見ている視線を感じる。
「あれが獣の本性を持たない公爵令嬢」
「毛皮なんて着て、獣でもないのに」
「トカゲとお似合いだわ」
陰口には慣れているが、ラント領の領主の娘に対して使用人がこんな口を叩くのは、主人の教育が行き届いていないからに違いない。わたくしの婚約者もこんな環境には長く置いていられない。
「息子に会いに来てくださったのですね。申し訳ありませんが、妻は長く寝込んでおりまして」
ヘルレヴィ家の夫、オスモ・エルッコ殿が挨拶をする。ヘルレヴィ家の名を継いでいる当主は床に臥せっている妻のスティーナ・ヘルレヴィ様なのだが、入り婿のオスモ殿はヘルレヴィの名を持っていないのに当主面をしている。
「わたくしの婚約者に会わせていただけませんか?」
わたくしが申し出ると、「連れて来い!」とオスモ殿が厳しい口調で使用人に命令する。使用人はオスモ殿に近寄って何か耳打ちしている。
「着せる服がございません……それに、怖がってトカゲの姿のままでベッドに隠れて出て来ないのです」
「いいから早く支度をさせろ」
怒鳴りつけるオスモ殿の姿にわたくしの両親も眉をひそめている。10歳のわたくしにも分かるくらいに双子たちははっきりとオスモ殿から厭われていた。
「わたくしが参ります。部屋を教えてください」
申し出たわたくしに焦るオスモ殿。
「いいえ、すぐに支度をさせますから」
「わたくしの夫となる方なのです。どのような育ち方をしているか見ておかねばなりません」
強く睨み付けると、オスモ殿が小さく「本性を持たない娘の癖に生意気な」と唇だけで呟いたのが見て取れた。
「私たちの娘に何か?」
凛と言い返す母上がわたくしの肩に手を置いて味方してくれる。獣の本性を持たなくても認めてくれる両親の存在があるからこそ、わたくしはどんな場面でも堂々としていられる。
渋々連れて行かれた離れで、わたくしは婚約者と出会うのだった。
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