18.マウリ様、4歳の決意
泣き疲れてマウリ様が眠ってしまったので、子ども部屋のベッドに寝かせていると、ミルヴァ様がわたくしの傍にくっ付いてきた。話したいことがあるのだろう、わたくしのスカートを引っ張って子ども用の椅子の隣りの椅子に座らせる。
自分は子ども用の椅子に座ったミルヴァ様が真剣な顔で問いかけて来た。
「スティーナたま、わたくちのかあたま……かあたまげんきになったら、クリスたまとバイバイなの? アイラたまともバイバイ?」
双子の片割れのマウリ様が泣いていたので聞けなかったようだが、ミルヴァ様もわたくしとマウリ様の話を聞いていた。スティーナ様が回復されたらヘルレヴィ領に戻るということは、わたくしともクリスティアンとも離れることだとミルヴァ様は分かっている。
「ミルヴァ様はクリスティアンと婚約しています。スティーナ様も公爵家同士の婚約ですので、ミルヴァ様がドラゴンと分かっても婚約は破棄しないでしょう」
「こんやく、はきしないって、どういうこと?」
「大きくなったらミルヴァ様はラント領に来て、クリスティアンと結婚するということです」
わたくしが説明するとミルヴァ様は自分のことは納得したようだが、マウリ様が泣き続けていた件についてはまだ気になっているみたいだった。
「アイラたま、どうして、まーとバイバイなの?」
「それは……わたくしが獣の本性を持っていないからです」
「けもののほんしょう、なぁに?」
真面目な表情で聞いてくるミルヴァ様にわたくしは正直に話すことにした。
「クリスティアンは狼の本性を持っています。ミルヴァ様とマウリ様はドラゴンの本性を持っています。わたくしには、それがないのです」
「どうして、ないの?」
「わたくしにも分かりませんが、生まれながらに持っておりませんでした。時々そういう子どもが生まれることもあると、文献にはありました」
わたくしの本性がないことについては、両親は小さい頃から原因を必死で調べてくれていた。ラント領は親戚同士の結婚の多い場所なので、近親婚で血が濃くなりすぎたのかもしれないとか、人間の血が濃くなりすぎて獣の本性を持たないただの人間が生まれて来たのかもしれないとか、可能性はたくさんあった。結論としてどれだけ調べてもわたくしに獣の本性がないことを変えられるわけではないので、両親は原因を調べるよりもわたくしの未来を考えてくれた。
平民の中には獣の本性を持たない子も生まれるようだが、貴族の中では獣の本性は何よりも重要視される傾向にある。獣の本性の強さで結婚相手を決めるような貴族がほとんどなのだ。
そんな中で公爵家に生まれながら獣の本性を持たないわたくしは、極めて微妙な位置にあった。公爵家の令嬢としての地位はあるのに、獣の本性が弱いどころではなく、存在しないのだ。そんな出来損ないと言われても仕方がなかったわたくしを両親は見捨てたりしなかった。
わたくしにもできることがあると知識をつけてくれて、わたくしを愛して大事に育ててくれた。
戦乱の時代は終わった現代となっては、獣の本性は権力の象徴ではあるが、ただのシンボルでしかない。獣の本性などなくとも勉強をすれば統治はできると両親はわたくしを励ましてくれた。
両親の探してくれた優秀なリーッタ先生のおかげでわたくしは順調に領主補佐になる道を歩んでいるし、わたくしの人生は獣の本性を持たなかった割りには順風満帆なのかもしれない。
「わたくちと、まー、トカゲだった」
「本当はドラゴンでしたね」
「ドラゴンじゃなくても、アイラたま、やさしくしてくれた。クリスさま、すきになってくれた。わたくち、アイラたまのほんしょうがなくても、すきよ」
ミルヴァ様まで優しいことを言ってくれる。
「まーも! まーも、アイラたま、だいすき!」
ベッドから起き出して聞いていたマウリ様が会話に混じって来る。マウリ様のオムツが濡れていないことを確かめて、お手洗いに連れて行って、パンツとズボンに履き替えさせると、ミルヴァ様がマウリ様の手を引っ張ってベッドの置いてある衝立の向こうに連れて行った。
隠れて内緒話をするつもりなのだろうが、衝立の端っこからマウリ様の背中がはみ出ている。
「まー、わたくち、おおきくなったら、クリスたまとけっこんできるの」
「まーは?」
「まー、おおきくなりなさい」
「おおきく? どうやって?」
「えーっと……まー、『わたち』ってじぶんのこと、いうの」
どうすれば大人に近づけるか。ミルヴァ様なりに考えた結果がそれのようだった。
自分のことを「私」と言う。
確かに自分のことを「まー」と呼んでいるマウリ様は幼いイメージがある。
「まー、わたち、いう!」
「まー、じょーず!」
「まー、わたち!」
微妙に「まー」と「私」が混じっていて上手く言えていないようだが、それでもミルヴァ様は手を叩いてマウリ様を褒めていた。わたくしたちがマウリ様やミルヴァ様を褒めるのを見ているのだろう。
「まー、なかないの」
「まー……わたち、ないたらダメ?」
「なくの、あかたん!」
泣くのは赤ちゃんだと言われてしまって、マウリ様がショックを受けているのが背中を見ただけでも分かった。すぐに泣いてしまうのも可愛いのだが、ミルヴァ様は4歳なりに大人の定義を考えて、自分のことを「私」と言うとか、泣かないとか、マウリ様に提案しているようだ。
それで早く大人になれるわけではないが、二人の努力も話し合いも可愛かったので、わたくしは水を差さないことにした。
まだその重要性を知らないが、マウリ様はわたくしに獣の本性がないことを知ってしまった。そのうちに周囲がわたくしがマウリ様に釣り合わないことを伝えるのだろう。その日が来るよりも先に、マウリ様はヘルレヴィ領に戻ってしまう。
それが嬉しいことのはずなのに、どこか胸がすかすかするような気がして、わたくしは微妙な気持ちだった。
夏が近くなって、薬草畑のマンドラゴラの畝に栄養剤をかける時期がやって来た。長袖の薄手のシャツと長ズボンに帽子と手袋で、汗ばむ季節になって、汗を拭いながら作業をする。
普段の雑草抜きと害虫駆除、水やりを終えて、わたくしたちは鮮やかな緑色の栄養剤の入った小瓶を手にしていた。もう片方の手には小さな計量スプーン。栄養剤はかけすぎてもいけないし、あまり一度にあげすぎると残りの期間に上げる分がなくなってしまう。
「スプーン一杯ですよ? マウリ様、わたくしと一緒にあげましょうね」
「あい!」
ぷるぷると手を震わせているマウリ様の手に手を添えて、計量スプーンに一杯分栄養剤を計る。それを一つの株に一杯ずつかけて行く。クリスティアンにはリーッタ先生が付いて、ミルヴァ様にはサイラさんが付いていてくれた。
蕪マンドラゴラが六株、人参マンドラゴラが六株、大根マンドラゴラが六株。
わたくしとマウリ様が蕪マンドラゴラに、クリスティアンとリーッタ先生が人参マンドラゴラに、ミルヴァ様とサイラさんが大根マンドラゴラに栄養剤を撒いた。
「びぎゃ!」
「びょえ!」
「ぎょわ!」
土の中から奇妙な声が聞こえた気がして、わたくしは畝を見つめる。畝の中で何かが蠢いている気配がしている。
「マンドラゴラは引き抜くときに、頭痛と吐き気を伴う『死の絶叫』を上げますからね。その練習かもしれません」
「こんなに早くから声を出すものなのですか?」
「文献では引き抜かれるときだけと書いてありましたが……古い文献ですし、原種の方なので、品種改良されたものは違うのかもしれません」
文献とは違う育ち方をしているマンドラゴラに一抹の不安は覚えたが、毒ではなく薬草で薬効があるのは確かなので、そのまま育て続けることにする。
もさもさと風もないのに葉っぱが揺れているのは、土の中でマンドラゴラが蠢いているからかもしれなかった。
まだ見たことのないマンドラゴラ。
それについても、収穫前にもっとよく調べなければいけない。
感想、評価、ブクマ、レビュー等、歓迎しております。
応援よろしくお願いします。作者のやる気と励みになります。