4.様似えみる、野付葉子、余市続
勇者になんかなれるはずがないじゃない。
様似えみるは、そう声に出せずにいた。
長いツインテールが特徴の、演劇部所属の少女。
クラスで目立つわけではないが、特別目立たないほどでもない。そこそこ普通に会話をし、そこそこ普通にひとりになれる。そんな普通の女子高生を演じていた。
母はそれなりにセリフのある脇役をこなす女優だったが、娘には主役を張れるほどの大女優を期待した。子役ながらもいくつものオーディションに参加させられ、年に1度か2度は雑踏の中のひとりに選ばれた。
『どうしてうまくできないの?』
それを言われるたびに優等生を演じた。
『へたくそ!』
そう言われるたびに負けん気の強さを演じた。
高校の部活で演劇部に入るのは母親の命令だった。ただし演技に変な癖がつくから役者をやってはいけないと、顧問にまで口出しをしてくれたおかげで、様似は演出補佐として在籍することになった。
『わたしは母という名の映画の主演女優でしかない』
いつの頃からかその思いは黒く歪んで彼女の心に影を落していた。
「君はこの殺し合いの主役になるんだ」
神の言葉はあまい甘い蜜のようなもの。
「君はこの大舞台で無慈悲な殺し屋を演じるんだ」
神の言葉はあまくて苦い毒のようなもの。
もう、クラスメイトがいじめられていても知らぬ振りを決めてきた観客ではない。
彼女の武器はまるで映画から飛び出してきたような銀色に光る銃。
グリップには隠しナイフが仕込まれて、ボタンひとつでせり出した。
ブローニング・ハイパワー・スタビライザー。
9ミリパラベラムの名銃を、様似えみるは携えた。
野付葉子は逃げ出した。
教室に光が広がったと思ったら見知らぬ場所にいた。
石の壁、石の床、総則の明かりだけが頼りの変な空間。
目の前に見知らぬ人物が立っている。
怖い。
嫌だ。
逃げなきゃ!
彼女はその人物に背を向けて一目散に走り出した。
石造りの廊下はまっすぐ続いて、どこまでも吸い込まれるような暗い闇に落ちていた。
追いかけてくる足音は聞こえない。
確認できているわけではなかった。石畳に、石壁に自分の足音が響いて、うるさかった。追跡者がいるかいないかなんて、判断できる能力もない。
すでにあたりは暗くてよく見えなかったが、曲がり角があれば手当たり次第に曲がった。
自分がどこにいるかなんて把握できない。
教室で光に包まれたときから、すでに自分を見失っていたのだ。
「いったい、なにが、起きているの?」
走り疲れて、足を止めた。壁に手をつき、体を支えた。
余市続に与えられた【スキル】は【グラップラー】と呼ばれるものだった。
簡単に言えば握力強化だ。
ボルダリングを趣味にする彼には最適な【スキル】といえた。
同級生を殺して勇者になれなんて、神の言葉には賛同しかねたが、他に選択肢がないのは明白だ。
与えられた武器はなぜか6本のクナイというのが気にかかるが、ホルダーのついたベルトは有難かった。
同級生には仲の良いものも多く、整った顔立ちのためか女子にも好かれた。しかし、分け隔てなく付き合いができるほど人間はできていない。
日高をいじめていた5人には少なからず腹を立ててはいた。
それよりも彼を救おうとしなかったことに対して、まったく自分を擁護できないでいる。
『俺は臆病者だ』
だからこそ、異世界とやらに飛ばされ、断罪のように同級生の命を奪うことを余儀なくされたのだ。
そうならば、是非ともやらなければならないことがある。
雨竜勝虎を筆頭とした5人に日高が殺される前に彼を救うことだ。
ただの自己満足かも知れないが、ここに呼ばれた理由くらいにはなる。
余市は燻っていた何かを解き放てた気になった。
そんなことを考えながら廊下を進んでいると、ろうそくの明かりが次第に遠く離れて暗闇に慣れ始めた目に映る景色に違和感を覚えた。
指先を唾で湿らせてかざせば、明らかに空気の流れが違った。
不意に上を見上げる。
そこには天井はなく、廊下と同じくらいの通路が上に続いていた。
「そういうことかよ」
余市は飛び上がって、上に続く通路の壁に手をかけた。
両手の指先が石壁の溝を掴み、体を宙に浮かせる。170センチ、68キロの体を支える筋肉はすでに出来上がっている。【グラップラー】の能力は絶対に指先を滑らせることのない信頼感を与えている。
片手を離しても、しっかりと食い込んで離さない指先は、この垂直の壁を登るのは容易いと余市に思わせた。
1分とかからずに、彼は垂直の通路の終わり際にある横穴に身を滑り込ませた。下の通路よりも一回り小さいが立って歩くことは難しくない。何より、壁が薄く光って、ろうそくの明かりも必要なさそうであることはラッキーだった。
そして、その通路の先に真新しいザイルが一巻き落ちている。
「なるほどな。こんな風にアイテムを手に入れろってことか」
高い部分にある横穴に隠されたアイテムなんて、まるで自分のために誂えたようなものだと、余市は幸先の良さに心を躍らせた。