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1.有為転変

 私立成浪(なろう)高校──。

 品行方正、質実剛健、いじめのない健康な精神の学び舎。

 勉学に励み、スポーツに汗を流す、青春の一瞬を大事にする校風。

 生徒数五百余名の名もない進学校だ。

 理事長は高級車を乗り回し、PTAは教育に無関心、教師はやる気のないサラリーマン。

 禁止されたバイクで登校する男子生徒、援助交際する女子生徒、校舎裏でタバコは吸う、屋上では不純異性交遊、と数え上げたら枚挙に暇がない。

 そんな立派な高校の2年E組の教室ではいつものように繰り広げられる光景がある。

 日高一人(ひだかかずと)はいじめられていた。



「はーい、これから日高ボッチの<粛清>を始めまーす」

 昼休み、クラスメイトたちが弁当を食べ始めた教室で、購買のカツサンドが売り切れて買ってこれなかったという理由で、パシリにされた日高一人が<粛清>と呼ばれる罰ゲームを受けることが高らかに告げられた。

 日高は『かずと』と読む名前を『一人』と書くことから『ボッチ』とあだ名され、2年生になったクラス替え当初から標的になっていた。彼は中学までは快活でスポーツも人並み以上にできる少年だったが、高校に入ってから急に物静かな目立たない人物になったのだと、同中だった生徒は口にする。

 野球部の補欠にも入れない二人組──川上鉄治(かわかみてつはる)久遠陽介(くどおようすけ)が主体になって、この<粛清>という名の罰ゲームは行われようとしていた。

 先ほどの宣言をしていたのは、スポーツ刈りの坊主頭の川上鉄治だ。

「陽介、ちゃんと抑えておけよ」

「おう!」

 身長180センチと日高よりも10センチも大きな体で、久遠は日高を羽交い絞めにする。普通なら抵抗しそうなものだが、いつもながら日高がまったく抵抗をしないことに久遠は居心地の悪さを感じていた。

『これは明らかにいじめ行為だ』

 久遠はわかっていたが、川上と二人で野球部のレギュラーになれないストレスを発散することに酔いしれてしまっていた。

 久遠が日高を羽交い絞めにするのを合図に、お調子者の紋別航(もんべつわたる)が日高の制服のズボンのベルトを緩め始める。日高にとってこれは、何度となく繰り返されてきた日常に成り下がっていた。

「もうやめなよっ! なんでそんなことするのっ?」

 浦河楓うらかわかえでが声を上げた。小中高とずっと同じクラスになっている日高の幼馴染だ。

 日高は俯いていた視線を上げて彼女を見たが、一瞬でその目を逸らした。

『いまさら何様のつもりだ!』

 すでに一学期も終わろうとしている3ヶ月の間、ずっと見て見ぬ振りをしてきたじゃないか、と日高は忘れかけていた感情を呼び覚ます。楓だけじゃない、学級委員の中川美月(なかがわみづき)中川湊(なかがわみなと)を筆頭に35人のクラスメイト全員が無視し続けていたじゃないか、と。

 男子女子の区別なく数人はこれから起きることを期待してクスクスと笑い、ほとんどは弁当がまずくなると顰め面をして、次の標的になりたくない『事なかれ主義者』は顔を背けた。

「楓、よしなよ。関わっちゃだめだって」

 同じバレー部の茅部熾織(かやべしおり)が浦河を止めに入った。彼女もまた『事なかれ主義者』なのだ。ただ彼女が楓を止めたのは野球部の二人が怖いわけでもなんでもない。

 突然、廊下側の最後列で机が蹴り倒されて大きな音を立てる。

 クラス中が一瞬ざわっとなったが、その犯人を知るとすぐに沈黙に支配された。

「空知、……見張り」

 制服のズボンに手を突っ込んだままで静かに言ったのは、机を蹴り倒した張本人の雨竜勝虎(うりゅうかつとら)。素行不良を絵に描いたような金髪の少年だが、試験の成績はよく、現場を抑えられず教師たちは問題にできないでいる。その一端を担っているのは、空知蓮(そらちれん)だった。

 160センチと背の低い空知は、雨竜が蹴り倒した机をテキパキと元に戻すと、すぐに教室の前の入り口に立って廊下を見張る。

 まるで雨竜の舎弟だ。

 いつもと違う雰囲気にクラスメイト全員が固唾を呑んでいるように日高の目には映っていた。

 授業中は日高の席の前に座っている宗谷深咲(そうやみさき)も、驚いた顔なのか心配そうな顔なのか複雑な表情で日高を見つめていた。バスケ部の期待の新人でもある背の高い彼女のことを、日高は密かに気にしていた。

 それもこの<いじめ>の最中ではどうでもいいことではあるのだが。

 雨竜が顎で川上に指図をする。

「航くん、やっちゃって」

 ゲラゲラと笑いながら川上は、日高のズボンに手をかける紋別に、いつものようにズボンを下げる合図を送った。

 日高が、自分のズボンを下げようとする紋別の両手の親指が、下着の腰ゴムの部分にかかっているのに、気づいた時にはすでに遅かった。

「きゃーっ!」

 女子たちの悲鳴が響く。

 悲鳴のあとにどっと笑う声も響いた。

 日高は自分の股間にぶら下がるモノを凝視するいくつもの目に気づいた。その中に、浦河の、茅部の、そして宗谷の視線を確認した。日高は誰に見られているのかを探しても、不思議と隠そうとする気力は生まれなかった。

 背中を向けていたのは、アメリカからの留学生女子のレベッカ・ドリス・フルウ、ただひとりだけだと判って、日高はつうっと涙が落ちるのを知った。

『殺してやる。みんな、ころしてやる』

 日高の心の中をどす黒いものが覆った。

 そして、日高が目を閉じると二度目の悲鳴が響き、気を失った──。



 日高一人は、立ったまま意識を取り戻した。

 レンガのように成型された規則的な石で組み上げられた壁は、まるでゲームの中のダンジョンのようだった。

 壁に開けられた窪みに置かれた蝋燭は、知っている明るさを超えて周囲を昼のように照らし、目の前に大きな胸の先端の色を透けさせるほどの薄い衣装の女がいることを日高に知らしめた。

「あ、あんた、だ、誰だよっ!」

 日高は後ずさりしようとして、足首まで下ろされたズボンと下着に足がもつれて、冷たく固い床に素肌の尻を大きく打ちつけた。

「がっ! 痛ぇ……」

 思わず言った言葉で、夢ではない、と痛みが告げている。

 目の前の女は若かったが、自分より年上だと言うことしかわからない。

 日高は混乱する思考を正常に戻そうと周囲を見渡した。

 石造りの簡素な部屋とでもいうか、まるでダンジョンの廊下の行き止まりのようでもあった。

「落ち着いて、まずはパンツを履きなさい。かわいらしいモノが丸見えよ」

 女は余裕のある笑みを浮かべて言った。

 プラチナブロンドの緩やかなウェービーヘアは絵画のようで、額にはサークレットを嵌めている。手首や足首に金属製の細い輪をアクセサリーにして、日高の知っている世界で例えるなら、ファンタジーゲームの世界の住人だ。

 日高は言われるがままに下着とズボンを調える。

 見られてしまった恥ずかしさはクラスメイトとの出来事も思い出させて、心の奥底からゆらゆらとした悪い感情を呼び起こし、日高はうまくズボンを履くことができなかった。

「ゆっくりでいいわ。そのままわたしの声を聞いていて」

 優しい声だった。

 まるで女神のような、クラシック音楽の心地よさを感じた。

「私はルシャル・エア、この世界の神の一人よ」

「はぁ? 神だって!?」

「そうよ、ヒダカ・カズト。あなた方の世界とは異なる世界の神。あなたは召喚され、ここに転移したのです」

 日高は驚きを隠せなかったが、中高生向けの小説で読んだ荒唐無稽な話みたいな展開を予想できた。

「つまり、俺は異世界で勇者になれるってこと?」

「そういうことになるわね」

 日高の問いに、美しい女神ルシャル・エアは歯切れの悪い言い方をした。

「ヒダカ・カズト。あなた方36人はすべて召喚され、別々の場所に転移しました。ここはまだ異なる世界そのものではないのです」

「えっ? どういうこと?」

 ズボンを履き終え、日高はベルトを締めながら立ち上がる。

 ルシャル・エアは神妙な面持ちで、声を1オクターブ低くして答えた。

「あなた方36人のうち、ヒトリだけ勇者になれます」


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― 新着の感想 ―
[良い点] すごく面白そうです。この先が楽しみ。結構学校の実情をいいあててますよね。ファンタジーに入る前には現実を描写しなきゃならないので、その点がとても上手に感じました。すごいです!! [気になる点…
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