迷宮都市
「街に入るのは初めてか?」
そう尋ねて来たのは剣を携えた男だ。
俺は今、商隊にお世話になっていた。街と街との間を一人旅で切り抜けるのは難しい。鍬しか持ったことのない俺にとって金を少し支払うだけで旅慣れた人達と行動を共にできることはとても良いことだ。
商隊にはもちろん護衛が付いていて、俺の知らない話をたくさん知っている。
「ええ、村から一歩も出たことがなくて…」
「ふん、そうか。じゃあいくつか気をつけることを話してやるよ。お前が街に冒険者をやりに来たっていうならまず組合に入りな。そこで発行される札は身分証明書になるし、街の色んなサービスを受けられるようになる。あと大事なのは遺産の整理をやってくれることだな。お前がおっ死んでも稼いだ分は家族に送ってくれるってわけさ…」
そんな感じでおっさんは延々と喋り続けた。この商隊に話をじっと聞いてくれる奴は俺ぐらいしかいないんだろう。
だが、お陰でいい感じに街のことを知れた。
話がひと段落したところで街の城壁も間近に迫って来る。
「おっと、そろそろだな。街に入るには鉄貨3枚が必要だから用意しとけよ。しばらくは俺も街にいるから酒場で探してくれや。一杯ぐらいおごってくれてもいいんだぜ」
「あはは…わかりました。また機会があれば」
おっさんは手をあげて去っていった。
さて、いよいよだ。迷宮都市ラビリュス、ここから俺の旅は始まる。
***
「ようやく着いたか…誠、窮屈であった」
一人で二人部屋を借りて怪訝な目をされたが、なんとか宿に入ることが出来た。門を抜ける時はまだ太陽が高かったが、見慣れない街を歩くので半日を使ってもう日は暮れている。
「ロッテは別にいいだろ?俺の中にいただけなんだから」
「お前も鋲で止められた箱に一週間閉じ込められればわかる。気が狂うぞ」
「…わかった。だけど体を拭いてからだ。いいな?」
「吸血鬼は汗などかかん。はよう今世の街が見たい」
「はいはい…」
大抵の店は閉まっているだろうが飲み屋ぐらいは見つかるだろう。ロッテぐらい幼いやつを連れていると怪訝に思われそうだが…しょうがあるまい。
「じゃあ行くぞ」
旅装束から着替えた俺たちは早速夜の街へ繰り出した。
***
「こんばんは。早速おごりにきましたよ」
「それはありがたいが…お前、手ェ早すぎじゃねぇか…?」
「あー…これは僕の姪ですよ。この街に住んでるんです」
「なるほどな…それにしては似てない気もするが…姪だしな。嬢ちゃん、名前は?」
「…アンナロッテ」
「あはは…すいませんね、無愛想なんで…あ、エールのおかわり頼みますね」
「いいさ、こういうのは娘で慣れてる。兄ちゃん、気がきくのはいいことだぜ」
早速おっさんに言われた酒場を探して入ってみた。この街のことは大して知らないし明日から潜る迷宮についても聞きたいしな。
「ははは…まぁ、というわけで迷宮の話を聞かせてもらえたらと。エールは飲み放題ですよ」
「悪ぃなぁ!しっかし迷宮の話か…俺は直接潜ったことはねぇし、経験があるやつに聞いた方が良いかもなぁ…いつもだったら緑のやつが…おっと、あいつだ」
そうして男が指差したのはボロボロのローブに身を包んだ獣人だった。狼だか、犬だかの耳が飛び出している。
「名前はグラファー。『苔むした』グラファーだ。あいつは誰よりも迷宮に精通してるがな…まぁ、握手はするなよ」
「…それはどうして?」
「そりゃ、あいつが毒使いだからさ。迷宮でのあいつは強いぜ?相手が勝手にボロボロになっていくんだからな」
「…へぇ、面白いわね。祝福持ちかしら?」
「あぁ、そういうの興味あるか?何でも『翠目のファティマ』から祝福を受けたらしい。産後取り上げた乳母は肌がぐずぐずに崩れ落ちたんだと」
「随分強力なのね。迷宮で死なないのも頷けるわ」
「そういうこったな。まぁ迷宮について聞くならあいつで決まりだ。飯でも奢ってやるんだな」
「わかった、情報ありがとう。もう一杯エールを飲んで行ってくれ」
そう言って銅貨を2枚渡すと男はにこにこと見送ってくれた。今後も何かと付き合っていけるだろう。
「…カイン、あのグラファーとかいう女に取り入れ」
「は?」
「あやつの祝福に興味がある」
「…わかったよ。迷宮の案内でも頼んでみよう」
祝福、というのは神様からもらえる特別な能力のことだ。グラファーとかいう奴のように分かりやすいものを持っている者は少ないが…
とりあえず話しかけてみるか。
「同席、いいですか?」
「…迷宮の話が聞きたいのか。銀貨1枚だ」
俺はエールをカウンターでもらい、グラファーがついたテーブルに向かった。
話しかけてみると驚いたことに女の声だ。求められた通り黙って銀貨を出す。
「…見たところ腕はそれなりに立つようだな…何が知りたい」
「そうですね…迷宮の構造を教えてもらえますか?」
「ここの迷宮はそんなには深くない。最下層は13。しかしその先に開かない扉があるからもしかしたらもっと深いかもな。水没層は無く、全ての階層が罠とモンスターで満たされた洞窟だ」
「なるほど…ということは特殊な装備は必要ないんですね」
「いや、そうでもない…ここの迷宮はギルドでは『蠱毒』と呼ばれている。モンスターはほとんどが毒虫で罠にも毒の霧が噴出されるようなものもある。解毒剤やマスクはあった方が良いだろうな」
「ふむふむ…となると、この迷宮とあなたの相性はすこぶる良い、と」
「…まぁな。質問はこれで終わりか?そろそろ食事がくる」
「では最後に…あなたを雇いたいんですが」
「道案内か?私に頼む必要もないだろ」
「ですけど、この迷宮に一番精通しているのはあなただと…」
「私ほどじゃなくても精通してる奴はたくさんいるさ…いや、まぁいいだろう。金貨1枚でうけてやる」
「ではよろしくお願いします」
そう言って俺は金貨1枚をすぐに差し出した。
「…お前、貴族か何かか?」
「どうでしょう?それでは明日の2の鐘にギルド前で」
なんとか交渉を終えてアンナロッテとおじさんのところに戻る。
「それでよぉ、赤い巨龍がその口を大きく開けて俺を一飲みにしようとした!俺はその間抜けな口の中にこれでもかという勢いで剣を突き入れたのさ…」
「そのような魔物がまだ生き残っておったとは!お主も中々やるようだな」
「そうだろうそうだろう!」
「アンナロッテ、話がついたぞ」
「おお!帰ってきたか!嬢ちゃんはいい子だな…娘を思い出すよ」
…いつの間にやら2人は仲良くなっていた。
「アンナロッテ、もう寝る時間だ」
「そう、寝る時間じゃな。ローレンツよ、中々楽しい話だったぞ」
「嬢ちゃんもありがとうよ!また明日も来てくれ」
***
「それで、どうじゃった?」
「…金貨1枚で護衛を引き受けてくれた。祝福のことも戦う様子を見ていればわかるだろ」
「まぁ、そうじゃな…」
俺たちはお互いのベットに座り、数秒の沈黙が流れた。
「こっちに来い、カイン」
俺はその言葉を聴くと、まるで彼女に吸い寄せられるように近づいていく。
「いつも通りやれ。そして…そう、今夜は帝国の話をしよう…」
俺は言われた通りに彼女の首筋に歯を突き立て、少しずつ流れる血を舐めとり、腹に入れて行く。
「んっ…あれは今から…何年前のことかの?いや、我々の年月の感覚は鈍い。ずっと昔のことじゃ。我が父、ゴラムは吸血鬼のための国を…」
アンナロッテの透き通るような声で吸血鬼の歴史が語られていく。俺はずっと血を啜り続けている。
眠ることが出来ない俺たちは、朝までそうやって抱き合って過ごした。






