八話 警戒
人の多い商店街。
そこを一人、フードを深く被った男が歩いていた。
そのフードの中を覗き込めばその正体はすぐにわかる。
氷堂シンク、それがこのフードを被った男の正体だ。
フードを深く被っているがために視界は多少悪い中、シンクはまるで周囲の人々を観察するかのように歩いていた。
だがシンクは何かに気づいたらしく、急に止まると近くの建物と建物の間へと入り、そこから路地裏へと出た。
しばらく歩き、完全に人の気配がないことを確認したシンクはそこで歩みを止め、フードを脱いだ。
「わざわざご苦労だな」
「そうね……」
シンクの前に音もなく夕弦が現れる。
が、夕弦もただ現れたわけではない。
両手には刃にもなっている鋭い爪を持ったガントレットを装着し、殺気をわずかではあるがその身にまとっていた。
シンクはその姿に少しだが感心しながら話し始めた。
「それで、何の用だ?
「姫神」の家としてか?それともただの個人的な好奇心か?」
「……答えるつもりはないわ」
「嘘はよせ。
オマエはあの「月翔団」が認める「月華」の隊長。
つまりはオレの始末でもしに来たんだろ?」
「そんな指示は出ていないわ」
「じゃあ、拘束しろと言われたか?」
「……一応聞くわ。
アナタの目的は何?」
夕弦は確認のためにシンクに問うが、シンクは答えようとしない。
それどころか話をしようとすらしない。
「知ったところで何もできないさ」
「じゃあ、試してみる?」
夕弦は自身を中心に風を集め、攻撃しようと構えが、シンクは構える夕弦を前にしても何食わぬ顔で話を進める
「さすがは白崎の一族。
戦闘ともなれば容易に倒せる相手ではないな」
「挑発かしら?」
「まさか。
オマエを挑発しても何の利益もない」
「利益ですって?」
「ああ。
今のオレからすればオマエと戦って得るものはない」
シンクの言葉。
先程からその言葉の真意が一切わからない。
何か意図しているものがあるはずだが、夕弦にはそれがわからないが、シンクはそういう男だ。
シンクがトウマとともにヒロムのもとを離れた頃に何度か夕弦も面識があったが、シンクは考えや感情を一切表に出さない。
そのため昔からシンクの行動は予測できないものが多い。
今もそうだ。シンクの思惑がわからない以上、下手に動くことができないが、それを察したかのようにシンクが語り始めた。
「下手に警戒しても何も始まらない。
だが、オマエがそうして役目を果たすことが今後アイツのためになる」
「アイツ……?
それは誰なの?」
「さあな、そこはオマエが考えて答えを導け」
シンクは夕弦に言うと背を向け、立ち去ろうとした。
「待ちなさい!!」
シンクを引き留めようと夕弦は動こうとしたが、それを予測したかのようにシンクが夕弦に告げる。
「ヒントをやろう。
「天獄」、それが答えに導く」
「……天獄?」
シンクの言う「天獄」。
それに関して夕弦は心当たりがなく、夕弦が知る限りそれに対して関わりがありそうな人物に心当たりはなかった。
「オレはアイツのために「天獄」を完成させる。
ああ……そうなればオマエも必要になってくるな」
「私が……?」
「天獄」、夕弦は何度考えてもそれらしいものが思いつかないでいた。
が、今のシンクの言い方から考えられるのは何かしらの計画が動いていて、それに自分がかかわる可能性が大いにあるということだ。
「待ちなさい。
もっと詳しく……」
真相を確かめようと夕弦が問い詰めようとすると、シンクの周囲を氷が覆い始めた
「残念だが、時間切れだ。
オマエが現れたことは予想外の収穫だったが、進展はあった」
「答えなさい!!
アナタは何を企んでいるの!!」
「残念だがそれを伝えるのは今じゃない。
いずれ伝えるときは来る」
シンクの周囲を覆い始めた氷が徐々にシンクを飲み込んでいき、シンクの全身を飲み込むと同時に砕け散っていく
そして、その中にいたであろうシンクも姿がない
「逃げられた……」
(シンクの能力「氷」。
もっとも造形術に長けた力であり、万能の造形を可能とした力。
下手したら最初から造形された分身かもしれなかった!!)
シンクを逃がした。
夕弦は自身が集めた風を分散し、すぐさま周囲の気配を探った。
が、シンクの気配がすでに感じることができない。
完全に逃げられた。
シンクは逃がしたが、シンクから情報を得ることはできた。
「天獄」。
シンクの言うそれが何かを起こすカギなのだろう。
だとすればシンクは何か大きな動きを見せるはずだ。
「何を企んでいるのよ……」
それに夕弦にはもう一つ気になることがあった
『オレはアイツのために「天獄」を完成させる』
シンクのこの言葉からシンクは誰かのために動いていたことがわかる。
それもトウマに仕えていたようなものではない。
「他の十家に仕えているの……?」
***
放課後になり、ヒロムたちは下校していた。
疲れた、とヒロムはいつも通りにあくびをしながら歩いていた。
が、いつものことながら授業中は爆睡、さらに授業のノートはユリナが代わりに取っているため疲れる要素が一切ないはずなのだ。
「いつも悪いな……」
ヒロムはユリナが代わりに取ってくれていたノートを受け取ると軽く礼を言った。
「き、気にしないで。
私がやりたくてやってるだけだから」
ユリナも照れながら言うが、それを後ろでなぜか文句があると言わんばかりに見ている人物が一人いた。
ハルカだ。ハルカがヒロムに対して追及し始めた。
ハルカはヒロムに対して不満があると言わんばかりの顔をしている。
「ねえ、姫神くん。
何かユリナに対してお礼した方がいいんじゃないの?」
「ああ?」
「だ、大丈夫だよ!!
気にしないで!!」
「ほら見ろ。
本人が良いって言ってんだ」
よくない、とハルカはさらに不満を露わにし始めた
「いつもいつもそうやって楽してノート取ってもらってて何の気持ちもないの?」
「……何が言いたい?」
「私が何を言いたいかは自分で考えて」
「ち……」
「ねえ、なんで舌打ちしたのよ!!」
ハルカを無視してヒロムは少し考えてみるが、ため息をつくと何も言わずに歩いていく
待ちなさい、とハルカが止めようとするとソラとガイがそれを止めた。
「すまないが、少し待ってやってくれ」
「なんで……」
「いくら怠惰なアイツでも根は腐ってない。
やるときはやる男だ」
「でも……」
ソラとガイに言われ、納得いかない様子のハルカはヒロムを睨んでいた。
だがソラとガイもハルカが言おうとしていることはよくわかっている。
それどころか、今のユリナが一方的に献身的に尽くす中でヒロムが一切何もしないでいるこの状況はおそらく誰が見てもおかしいと思うはずだ。
だが、ヒロムという人間についてわかってしまうとついそれを見逃してしまう。
それにユリナの場合はヒロムについては考えを見抜くほどのスキルを持っている。
ヒロムもおそらくそれがあるせいで甘えている部分があるのだろうが、おそらくユリナは他人が想像する以上にヒロムに対して尽くそうとしている。
特にヒロムとトウマ、さらに「八神」との件を知ってしまったため、ユリナは今後もっと尽くそうとする。
ヒロムがユリナに対してどういう感情を抱こうが続くはずだ。
「ヒロムくん、待って」
ヒロムの後を追うようにユリナも速足で歩いていくが、その姿を見たハルカは頬を膨らませ、不満を募らせていく。
そもそもハルカはヒロムのことが嫌いではない。
八神の家や一部の大人のように見下して「無能」と呼ぶこともない。
どちらかというとハルカはヒロムに対して好意的な方だが、その中でヒロムの性格と態度は気に入らないというだけで、それを直させたいと考えている。
ソラとガイ、ユリナは昔からヒロムのことを知っていても直させようとしないためだろう。
そんな中でも親友のユリナが献身的に尽くす中でのヒロムの態度がより一層気に入らないのだろう。
「わからんでもないが……」
「ただ、こうしてヒロムを正そうとするやつがいると助かる」
「二人も感心してないで注意くらいしてよ」
ハルカがガイたちに注意していると先に進み始めたはずのヒロムが突然足を止めた。
ソラとガイはどうしたのか気になったが、イクトがその理由をすぐにわからせてくれた。
「楽しくしゃべってるとこ悪いけど……敵が来た」
「いつの間に……」
「ああ、今さっきかな」
するとヒロムたちの前に六人の男が現れる。男は全員黒いスーツにサングラス、そして胸元に狼のデザインのバッジをつけていた。
男たちはそれぞれ刀やハンマーなどの武器を持っていた。
「……どけ」
「どけと言われて素直に従うと思うか?」
「あれって……」
「確か八神傘下の部隊の「牙道」だな」
「ほお、詳しいのがいるな。
そう、我々は狼角様に仕える部隊「牙道」だ。
そして、私はそのリーダーの牙天だ」
「狼角だと?」
「角王か」
その通りだ、と牙天は答えるなりヒロムを見ながら続けて言った。
「我々が受けた命令は一つ。
そこにいる「無能」の始末だ」
「それはご苦労なこった……」
「ご苦労さんじゃないよ!?
あの人たち、ヒロムくんを狙ってるって!!」
「ああ?
そうだな……」
ちょっと、とハルカが牙天に対して問い詰める。
「あなたたちは恥ずかしくないんですか?
いい大人が未来のある子供を狙って何が楽しいんですか?」
「ハルカ……」
「確かに怠惰で頼りないし、授業中はずっと寝てて目障りだし口を開けば愚痴をこぼすし、感謝の気持ちもろくに伝えないし……」
「……ああ!?」
ハルカが次々に口にするのはどう聞いてもヒロムの欠点ばかりで、聞いているガイ、ソラ、イクトは必死に笑いをこらえていた。
「ハ、ハルカ……」
「それでも怠惰でどうしようもない体たらく野郎でも生きてることに変わりないのに……」
「もうやめてハルカ!!
それヒロムくんが傷つくだけだから!!」
ハルカの言葉を遮ろうとユリナは必死にハルカの口元を塞ぐ。
ヒロムは舌打ちをすると鞄を投げ捨てて、牙天を睨んだ。
「イライラしてきた……」
「よく理解されてるじゃないか」
「ああ?
……つうか、いつまで笑い堪えてんだよ?」
悪い、とガイたちは咳払いをすると武器を構えた
「で、ただ始末しに来たんじゃないだろ?」
「どうせシオン時みたく金でも懸けられてんだろ?」
「質問の多いガキどもだ。
どうせ何もできないくせに……」
「「やってみるか?」」
ガイとソラが急に殺気を放つ。
普段の姿しか知らないハルカはその二人の表情に少し怯えていた。
その一方でイクトは二人のやる気に感心していた。
牙天も二人の殺気を感じ取ったのか、二人の問いに対して答え始めた。
「その男には確かに大金が懸賞金としてかかっている」
「なぜだ?
シオンの時もだが、オマエたちが無能と蔑んだ相手に対してなぜそんなことをする?」
「オマエたちもよく知っているだろう。
その男は常人では一体しか有せない精霊を生まれてからすぐに十一体有している。
そして能力もないのに魔力を持っている。
つまり、使い方次第では兵器にも転用できる。
その危険性があるんだよ」
牙天の説明を聞いて、イクトは不自然に思った。
(なんで今なんだ?
大将が精霊を宿しているなんて話は八神からすれば無能として見捨てるときには知っていたはずだ。
むしろそれを知っているからこそ能力がないなら意味がないって見捨てたんじゃないか。
なのになんで今になって懸賞金まで出して……)
もしかして、とイクトはある結論に達し、ガイとソラ、そしてヒロムにだけ聞こえるような声の大きさで伝えた。
「アイツ……多分騙されてる」
「あ?」
「だって妙だろ?
大将のことを始末するなら見捨てる前にしたはずだ。
なのに、今になって始末させるなんておかしい」
「姫神の家と親密な関係があったからやらなかったんじゃないのか?」
「いいや。
八神は「十家」の一角なんだから隠ぺい工作ぐらいできる。
それでもやらないでいたのに今になって始末したがるのは兵器利用とかじゃないはずだ」
「でもアイツはそう聞いてんだぞ?」
「さっき言ってたろ。
あいつらは角王の一人の狼角に仕えているって」
なるほど、とガイはすべてを察したらしく、イクトの代わりにヒロムに説明した。
「おそらくオマエを狙う本当の狙いは狼角ってやつは知ってるが、アイツはその狼角から偽の情報を聞かされてるんだ」
「仕える相手の言葉を鵜呑みにしたってことか」
哀れだな、ソラの言葉を聞いたヒロムはため息をついた。
が、それが事実というわけではない。
ただ、目的のために手段を選ばないとすれば可能性はある。
八神の当主はトウマだ。
そのトウマはヒロムを始末したいと強く思っている。
それを知っているヒロムからすればイクトの仮説は間違いないと思えた。
「……じゃあ、哀れなアイツらはオレに任せろ」
「?」
来い、とヒロムが言うと五人の精霊が現れる。
フレイ、アルカ、テミス、そして見慣れない二人の精霊。
「お呼びですか、マスター」
一人は腰まである長い紺色の髪にパレオを巻き、全体的に肌の露出が多いガントレットを両手に装備した少女の精霊「マリア」。
そしてもう一人は長い銀髪に赤い瞳、黒いドレスのような衣装を身に着け、頭に小さな王冠を乗せたレイピアを装備した少女の精霊「メイア」。
「はぁ……大したことないのね。
相手が期待外れだとやる気が無くなるわ」
メイアはため息をつくと嫌そうに構えた。
「マスター、ご指示を」
「……ああ。
殺さなきゃ何してもいいぜ」
「「了解」」
ヒロムの指示を受け、フレイたちは一斉に動き始め、牙天たちに襲い掛かる。
「さて……。
オマエたちを潰せば何が出てくるかな?」
「怯むな。
相手は精霊……」
忘れんなよ、とヒロムは一瞬で牙天に接近すると勢いよく牙天を蹴り飛ばした。
「隊長!!」
牙天が吹き飛び、一瞬だが隙を見せてしまった男たちにフレイたちが次々に攻撃をし、男たちを倒していく。
「オマエたち……」
牙天は立ち上がるなり両手に短剣を持ち、構えた。
ヒロムはあくびをしながら牙天の方へとゆっくりと歩いていく。
「悪いな……。
オレはオマエらが思うほど弱くねえぞ?」
「この……」
牙天が動こうとすると、フレイたちが牙天を取り囲んでいた。
「……何もできないガキ、って言ったか?
じゃあ「無能」のオレが教えてやるよ」
ヒロムが指を鳴らすと、炎と雷が牙天に襲い掛かり、牙天は直撃を受けてしまう。
「ぐああ!!」
「オマエらの言う「無能」ってのは能力がないだけのこと。
オレからすれば自分の力量もわからず慢心して調子に乗っているオマエらのことを「無能」って言うんだよ」
「だま……」
黙れ、と牙天は言おうとしたが、それよりも早くフレイの大剣とメイアのレイピアによる斬撃が牙天の体を抉っていく。
牙天は斬撃を受けたがために体勢が崩れ、抉られたせいもあって立とうとするのがやっとの状態になってしまった。
そんな中、ヒロムが牙天の頭を掴み、牙天の腹部に勢いよく蹴りを入れる。
「が……」
「オマエらじゃオレは殺せない」
ヒロムは牙天を突き放すとさらに蹴りを入れ、大きく吹き飛ばした。
牙天は吹き飛ぶとそのまま何度も地面に叩きつけられ、そしてそのまま倒れてしまう。
「……さて」
ヒロムは首を鳴らすと、牙天が飛んでいったほうを見た。
するとこちらに向かってスーツを着た眼帯をした男がこちらに向かってくるのが見える。
「たまたま通っただけだが……まさか遭遇するとはな」
「オマエが狼角か?」
「……いいや。
違うが?」
ヒロムの問いに対して男が答えるが、ヒロムは少し意外だと思った。
この状況下なら部下のために現れてもおかしくないと思ったからである。
「じゃあオマエは……」
「そう、オレは角王だ。
名は拳角、受けた命令はオマエの抹殺だ」