二〇七話 イグニス
「会いたかったぜ……ソラ」
突如現れた謎の存在。
真紅の甲殻に身を包み、頭は悪魔とも鬼とも取れるような仮面に近い造形、両腕両脚はどこか禍々しく、そして爪と牙は鋭く尖っていた。
「オマエは……」
目の前に突然現れて自分を守った何か、その招待状が分からないソラはそれを確かめようと恐る恐る質問した。
「オマエは……もしかして、精霊……なのか?」
「……あん?
ちょっと待て、今何て言った?」
目の前のそれはソラの言葉に何故か機嫌を損ね、そしてソラの頭を掴むなり強く告げた。
「オレがあの脆弱で飼われるだけの精霊と同じだって思ったのなら訂正しろ。
オレはあんなヤツらより強くて高貴な存在だからな」
「だ、だったらオマエは……」
「オレが何か……それはオマエがよくわかってるはずだ」
「何を……」
楽しそうだな、と吹き飛ばされたはずのヒロムは大剣を構えるなり走り出した。
狙いはもちろんソラ、そしてソラの前に突然現れた正体不明の何かだ。
「そんな化け物を隠していたとはな……。
そいつは一体どんな精霊だ?」
「だから……オレをあんな雑魚どもと一緒にすんじゃねぇよ!!」
ソラの頭を掴む正体の分からぬ何かは苛立ち混じりに叫び、その叫びとともに紅い炎がヒロムの周囲に現れると爆炎となってヒロムに襲いかかる。
「!!」
「焼け死ね!!」
爆炎となった炎は力を増すとヒロムを飲み込むと巨大な爆発を起こすが、ヒロムは大剣を使って何かしたらしく、爆発の中から壊れた大剣を片手に無傷で姿を見せた。
「この力……」
「よそ見してんじゃねぇぞ!!」
ソラの頭を離すなり正体の分からぬ何かはヒロムに向けて手をかざし、手をかざされたヒロムの周囲には音を立てることも無く無数の炎の球が出現する。
「何……!!」
「くたばれ!!」
無数の炎の球が一斉にヒロムに襲いかかり、何か対策を取ろうとしたヒロムは回避が間に合わずに全てを直撃で受けてしまう。
ヒロムに直撃した炎の球は爆炎となって彼を飲み込み、そしてその爆炎はこの試練の間の空間を燃やし始めていた。
圧倒的火力、その力が今ヒロムを追い詰めていたのだ。
「す、すげぇ……」
同じように炎を使うソラもその凄まじい火力の前では驚く他なく、言葉を失っていた。
そんなソラに向けて正体の分からぬ何かは今更ではある気もする中で自己紹介を始めた。
「初めまして……でもねぇから簡単にいくぜ?
オレは烈火と爆炎を司る、イグニスだ。
改めてよろしく頼むぜ」
「精霊……じゃないんだよな?」
「……ったくしつこいヤツだな、さっきから言ってんだろ?
オレはあんな脆弱なヤツらと違うし、あんなヤツらに今オレがやった事が出来るのか?」
「そ、そうだな……」
(ヒロムの精霊なら難なくやってしまいそうだけど……)
それより、とソラはこの空間を焼きながらヒロムを襲う爆炎を見ながらイグニスと名乗る存在に質問した。
「あれで倒れたと思うか?」
「まさか、そんなわけねぇだろ?
あれはそこまで弱くねぇよ」
「けどオマエは追い詰めてた。
このままいけば……」
「追い詰めたから倒せる?
甘い野郎だな、オマエは」
「何?」
甘すぎる、とイグニスはため息をつくとソラの肩に手を置きながら話し始めた。
「あれは不意打ちで追い詰めれただけ。
今あの炎の中にいるアイツは健在だ。
それにアイツはオマエに気を取られていたせいでオレに対しての警戒心がなかったから不意打ちを受けたが、一度オレの攻撃を目にした以上二度同じ手は通じないはずだ」
「ならまだ戦わなきゃならないんだな……」
「けど、今のオマエには倒せない」
イグニスの言葉、それを聞いてソラは苦戦している自分に呆れてため息をついてしまう。
あらゆる手を用いてもダメージすら与えられず、一方的に追い詰められていたのだから現実を言われると少しばかりやる気が無くなりそうになる。
が、そんなことを思っても現実は変わらない。
ならばどうする?
「……オレが勝つにはどうすればいい?」
「へぇ……今ので怒らずに冷静でいられるとはメンタルは少しは強いらしいな」
「……バカにされてるのは理解してる。
だが事実を言われてるのも確かだからな」
「オッケーだ、オッケー。
オマエはオレの想像よりも理解力があるらしいな」
だったら、とイグニスは呑気に腰を下ろすとソラにも同じように座らせようと腕を引っ張る。
この状況下で何をさせるのかとソラは嫌々腰を下ろし、ソラを座らせたイグニスは爆炎の中のヒロムについて話した。
「あれの正体はな、オマエの魔力だ」
「オレの魔力?
どういう事だ?」
「気にならなかったのか?
ここに来るなりなぜオマエの恐れてるものが何か、それをいち早く形にしてしまった空間について」
「さっさと終わらせればいいと思ってたからな。
で、何でオレの魔力があそこにヒロムの形をして現れたんだ?」
「ここに来る途中で溺れかけたろ?」
「天井の水面のことか?
たしかにあそこを抜けてここに……」
ソラはふと天井にある水面を見て何かに気づいた。
天にあるはずなのに零れてこない水、ここに通じる入口だと思っていたが、ソラはイグニスが何を言いたいのかに気づくとそれが間違いだと理解した。
「あれは入口ではなくここに来た人間の魔力の一部を吸い取って敵に仕立て上げるものだったのか……」
「そういうこと。
能力者が自分の能力を使う度に怪我しないのと同じように元々オマエの魔力だったアイツにはオマエの攻撃は効かないんだ。
オマエが自分の炎を放つ時に怪我しないように魔力が抑制してるようにアイツはオマエの攻撃を受ける瞬間にそれをやっている」
「つまりオレの攻撃はどんなに撃ってもオレの魔力であるかぎり防がれるってことか……」
「理解力が高くて楽だぜ。
もっとも「炎魔劫拳」を完成させる前のオマエが「炎魔」の炎で負傷していたのは魔力の抑制のキャパを超えたからだ」
「なるほど……
ならオマエの攻撃が効いてるのは……」
「オレの魔力だからだ。
オマエとオレとでは少しばかり魔力の質が違うからな」
「つまり……オレの魔力だからオレの攻撃は抑制されるけどオマエの攻撃は通用するってことだな?」
そういうことだ、とイグニスは嬉しそうに言うがソラは理解出来ない点があった。
「けどそれだとオレが勝つ方法なんてあるのか?
今の話だと圧倒的に不利な気がするんだが……」
「倒すのなら入った時より強くなるしかないだろうな。
まっ、そもそもここの敵は倒すことを主体にしてねぇと思うぞ」
「それは精神的に乗り越えるための敵だからか?」
「すでに気づいてたのか。
まぁ、その通りだ。
アイツは……ここで目の前に現れるのは受け入れなければならないもの、無意識に心が恐れているものが現れる。
それと向き合い受け入れるのが試練だからな」
「……オレには無理だがな」
だろうな、とイグニスは少し呆れ気味に言うと、ソラがなぜ無理なのかを告げた。
「オマエの場合は受け入れると厄介だからな。
何せ……オマエが真に心から恐れているのは自分の無力さで守りたいものを守れなくなることだからな」
「到底無理な話だ。
だから倒す他ないが……どうやって倒そうかってところでつまずくか」
方法ならあるぜ、とイグニスはソラに目の前の敵を倒す方法について語った。
「さっきも言ったが倒すなら入る前より強くなればいい。
今のオマエが強くなればいい」
「そんな簡単に強くなれるとは思えないが……」
「その方法があるんだよ。
今のオマエがさらに強くなる方法がな」
「一体何を……」
「オマエがこれまで扱ってきた「炎魔」の炎をを超える「炎魔」の力を宿せばいい」
あのな、とソラはため息をつくとイグニスに言った。
「制御してようやく使えるようになった「炎魔」の力を上回る力を簡単に宿せるはずないだろ?
大体どうやって宿すんだよ?」
「気づいてないのか?
目の前にある力に」
「何を……」
ここだよ、とイグニスは自分を指差しながらソラに向けて視線を送る。
一体どういう事なのか、それが一瞬分からなかったソラだが、イグニスが現れてから今に至るまでを考えるとその答えにすぐにたどり着いた。
そして、イグニスが何を言いたいのかもそれによってすぐに分かった。
「まさかオマエ……」
「そう、オレは烈火と爆炎を司る魔人、イグニスだ。
オマエが「炎魔」と呼ぶ力の根源だ」
「オレの中の魔人……!!」
イグニスの正体、それを知ったソラは驚くしか無かった。
いや、正体を知ったからこそ納得出来る。
精霊と呼ばれれば不機嫌になり、そして怒りを見せたのは同じにされたくなかったから。
精霊と魔人の異なる存在だからこそ同じにされることを嫌い、イグニスは精霊より自分が優れていると言っていたのだ。
「そうだ、オマエの中の魔人がオレだ。
だからその気になれば簡単にその力を強くしてやれる」
「……理屈は理解した。
オマエが力の根源だからこそ可能なのは分かったが、それでオレが簡単に使いこなせるものなのか?
今までどれだけ「炎魔」の炎を……「魔人」の炎を制御するのに苦労したか……」
分かってないな、とイグニスは立ち上がると右手に紅い炎を纏わせ、それをソラに向けて見せた。
「心配するな。
今までは貸してただけだが今回は違う。
オレの力……いや、オレそのものをオマエが好きに使っていいんだ」
「借りてた覚えはないが……タダで力をくれるわけないよな?」
当たり前だ、とイグニスは言うと、その条件をソラに向けて提示するように告げた。
「オマエの体の何割かを魔人にする。
人と魔人……オマエには人間をやめてもらう」
「……簡単に言ってくれるじゃないか。
というかそんなことでいいのか?」
「オマエにとっては簡単なことか。
味覚が無くなるか痛覚が無くなるか……何が起きるか分からない以上今までのような生活は保障出来ねぇ」
「そんなことどうでもいい。
強くなれるなら……不甲斐ない自分を変えれるなら安い代償だ」
それに、とソラは立ち上がると頭の中にこれまで自分が見てきたヒロムの姿を思い浮かべる。
生まれて間もない頃からフレイたち精霊を宿し、その対価として体の一部が精霊となっていたヒロムは強くなる度に、宿す精霊の力を解放する度に人でなくなる道を進んでいる。
(アイツは今日に至るまでの十六年の間、人でなくなる恐怖に立ち向かっていた。
それに比べれば……)
生まれながらにして人でなくなる運命の道を歩むヒロムに比べれば、選んでその道に入ることなんて容易いことだった。
「オレの命をかけてでも守りたいものがある。
果たすべき約束がある……!!
それを成す為ならこの命……オマエにくれてやる!!」
「……いいね、その覚悟!!
気に入った!!」
イグニスは全身を紅い炎に変えるとソラを包み込むように覆っていく。
焼かれる、そう思ったソラは身構えそうになるが、紅い炎は徐々にソラの体の中へと吸収されていた。
「これは……」
『今日からオレたち「炎魔」の力はオマエのものだ!!
オマエが強く望めばオレたちはそのために力を全て託し、そのためにオレたちは戦ってやる!!』
「……いいのか?
高貴な存在が人なんかに飼われるような道を選んでも?」
『それは精霊の話だ。
オレはオマエの一部となってオマエのために自由に動く、高貴な存在としてな』
「……そうか」
紅い炎の全てがソラの中に吸収されると、ソラの全身から強い力が放たれる。
殺気のようであり、闘志にも似たような強い力。
その力のせいか空間を焼く炎が消え、炎に飲まれていた敵……ヒロムの形をしたソラの心の恐れは少し負傷した状態で現れる。
「……オレはこの程度じゃ倒れない」
「だろうな」
『見せてやろうぜ、相棒。
オレたちの力を』
「……相棒、か」
これまでイクトに何度か言われてはやめろと嫌がってきた言葉。
イグニスに言われると、なぜか笑ってしまう。
「……いいね、その響き。
オレたちの力……見せてやろうぜ!!」




